Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第4章 “妹達”
1.August・Night:『R'lye text』
第七学区に、そのビルはある。誰もが何の為に在るのか、何が有るのかを知る事もなく。黒一色の外壁、出入り口はおろか窓すらもない異質。異形。だが、誰一人────それを確かめる事はない。
あってはならないのだ、そんな事は。己の命が惜しければ、そこに集う『闇』を知るべきではない。そう────“金色の夜明け”を見てしまう事は、生きていく上では必要ないのだから。
「君が────」
その闇の中に、光がある。“黄金の夜明け”が、其処に在る。培養液に満たされた巨大なビーカーの中で、カバラ秘術に謳われる“生命の樹”の如く、逆しまに浮かんで。
「君がここに来るとは、珍しい事もあるものだね────“時間人間”?」
見下すように見上げながら、白髪の……男にも女にも老人にも若人にも見える、ローブにも囚人服にも見える装束を纏う『見えざる杖を持つ魔術師』は。
「確かに、確かに。だが、当たり前の事だよ────“学園都市統括理事長”」
まるで鳴り響く大時計塔の如き威圧的な重低音の声で、機械のように無表情な白い最高級のスーツの、銀の懐中時計を見詰める麗しき褐色の青年と相対していて。
「それで今回は何用かな、相も変わらず一秒の誤差もない君よ。挨拶ならば以前済ませた筈だ、私も暇ではないのだが?」
「相も変わらず面白い事を言う、今日も明日には死にそうな君よ。日がな一日、培養液に浮いているのが仕事の君が忙がしいとは」
「これは手厳しい、では暇な私の時間潰しに付き合ってもらえるのかな?」
「時間の浪費は人間どもの悪癖だ、総時間二分で済む。我が目的の為に君の配下を一人、生け贄とする事に決めたと言伝に来ただけだ」
悠然と微笑んだ“学園都市統括理事長”と呼ばれた男の慇懃無礼な問い掛けに、泰然と無表情の“時間人間”と呼ばれた男の慇懃無礼な返答が。
和やかに、まるで旧友との再会を楽しむかのように。
「ほう、生け贄。君達の目的の為に、私の部下を」
「承諾を求めてはいない。ただ、決定事項を告げただけだ」
そして刹那、二柱が同時に発した殺気に空間が狂い、時間が痴れた。恐らくは、同じ場所に居ただけでも狂死しよう。他に誰も居なかったのは、せめてもの救いだったのだろうか。
殺伐と、まるで仇敵との再会を楽しむかのように。
「……構わないさ。替えならば、幾らでも利くからね。それに、暗部だからと私の部下な訳ではないよ」
「では、これで話は終わりだ。時間は有限のもの、無駄には出来ない。『彼女』には既に“膨れ女”が接触している」
「やれやれ……仕事が早いものだね」
アレイスターの言葉に、“時間人間”が踵を返す。総時間、二分。銀時計の刻みは、狂い無く精確で。
「随分と『彼』に期待しているようだね……あの『迂遠な異能』は確かに面白いとは思うがね。何時から『悪戯好きの小妖精』に加入したのかね?」
「死んだ北欧の神々の名を騙る愚か者どもにも、次元の狭間に引き籠もる暇人どもにも興味はない。“結社”は、我等の目的を果たすのみ」
「ふむ……機械の君にはやはり、相性が悪いかな?」
その背中に掛かったアレイスターの言葉、それに“時間人間”は緋い瞳で────
「────面白い。実に面白い。君の諧謔のセンスには、毎回脱帽させられるよ」
「そうかね? そこまで言われて悪い気はしないが」
笑う、誰しもがうっとりと見惚れるように精密な機械の笑顔で。嗤う、誰しもがあっさりと発狂するような凄惨な鬼戒の笑顔で。人のものではある、しかし鮫のような。人外に違いない、しかし尋常な。
だが、人ならざるのならば魔術師も同じ。その圧倒的な狂気、風のように受け流して。
「君達は────あの“双子”を此方側に呼び出して、何をする気なのかな?」
「君には、興味はあるまい? 私にこのビルが一体何であるのかも、君が“幻想殺し”で何をする気なのかも興味が無いように」
「なるほど、道理か。手間を掛けたね、次は茶菓子くらいは用意しておくよ」
「期待せずに待っていよう」
振り向きもせずに、実に簡潔に言葉を返して。“這い寄る混沌”の一柱たる“魔神”は、時間の波間に消えていく。
魔術師はそれを見送り、愉しげに────微笑んだのだった。
………………
…………
……
緩やかに茜色に染まる学園都市、第七学区の摩天楼群が真横に流れていく。大嫌いな学園都市が、大嫌いな色に。そして一際嫌いな、真っ黒なビルが視界の端に。一瞥をくれてやる義理すらない。
ショゴスによる黒いフルフェイスのヘルメットとライダースーツを纏う嚆矢は、ただ前だけを見詰めて自動二輪を転がして。
「…………あれ?」
何か、大事な事を忘れているような気がして。だが運転中だ、気を散らすのは危険だと判断して集中を再開する。
その刹那、凄まじい速度でトレーラーが対向車線を走り抜けていった。その巻き起こした颶風に、危うく転倒しそうになって体勢を立て直して。
「……危ねぇな、警備員は何やってんだよ」
《む、もしやあれが『衛星兵器』とか言う奴かの?》
(ンな訳あるかよ……莫迦も休み休み言え)
そんな事を呟き、それきり意識する事はなく。この時、起こっていた『事件』など知る由もなく。
辿り着いた『純喫茶 ダァク・ブラザァフッヅ』。薄暗い路地裏の僅かに開けた敷地の中に停車、螻蛄に戻った鎧と共にライダースーツとヘルメットから不定形に戻ったショゴスが影に潜り込み、消えていく。
《では、儂も引っ込んどくかのう》
(何だよ、手伝えよ。態々俺を呼ぶなんて、結構な人数来るっぽいぞ)
《働いたら負けだと思うておる》
(そのまま永遠に朽ち果てろ)
ついでに、“悪心影”が傍観を決め込んで。背後の虚空に、人の目には捉えられぬ『翳』として揺らめくのみ。
後は、嚆矢一人が残るのみで。只一人、溜め息を溢しながら。
「……さ、仕事仕事」
だが、元から大して他者の心など忖度しない彼は大して気にしない。嚆矢は、只有るがままに。有りのままに擦り抜けて。
異形の彫刻が施された木製の扉を開く、異質な金属のドアベルの冒涜的な音色を聞いて。
「いらっしゃい。待っていましたよ、コウジくん」
「こんばんはです、ローズさん」
しっとりとしたジャズを流す、古式ゆかしい蓄音機の音色に包まれた店内に待つ緋瞳の師父の笑顔に応えた。
………………
…………
……
時刻、二十時ジャスト。場所、純喫茶ダァク・ブラザァフッヅ店内。ギャルソン服を纏う嚆矢は、暇そうに椅子に座っている。
まぁ、事実暇だ。何せ、既に二時間もの間、一人として客など入っていないのだから。
「……………………」
“輝く捩れ双角錐”を内蔵する懐中時計を閉じ、仕舞う。それにより、彼の背後に影が立つ。
《『何だよ、手伝えよ。態々俺を呼ぶなんて、結構な人数来るっぽいぞ』》
(ちょっと何言ってるのか解りませんねぇ……)
背後に立った“悪心影”の嘲りを受け流しながら、暇を持て余して銀製の食器を磨く。不織布で優しく、曇りがないように。ムーディスティックなジャズの音色に包まれながらの作業は、妙な中毒じみた精神作用があった。
そんな風に集中していたからだろうか、ドアベルの冒涜的な音色に反応が若干遅れたのは。
「あ、いらっしゃ────」
開かれたドアから、微かに生臭い風を纏う二つの影。殭屍のような中華風衣装の男女が、素早く露払いに現れる。その無駄の無い動き、所作からは紛れもない武練の気配。しかも、生半可な功夫ではないと一目で判るレベルの。
──中国拳法……か。何者だ、コイツら?
その二人の眼差し、ドロリと濁った死魚の眼の如く、瞬きの無い視線に肌が粟立つ。即ち、明白な殺意────
「沱琴、沛鑼。あまり私に恥を掻かせないで頂戴」
「オ嬢様、済ミマセン」
「オ嬢様、御免ナサイ」
それを踏みにじるようにクスクスと笑いながら、海の気配を連れた屍蝋の如き肌の少女が歩み入る。二人の従者を控えさせながら、水色の髪を結った中華袖の衣装の娘が。
年代物の木製の床を、きしりとも軋ませない漣のように静かな歩法は、やはり生半可な功夫とは思えない。
「あら、お出迎えは無し? 日本のおもてなしは世界一と聞いていたのだけれど?」
「っ……、…………っ」
何よりもその腰の巻物だ。そこから放たれる淀み腐った水の如き、凄まじいまでの瘴気。それに、深海の水圧に喘ぐように息を吐いて。
「いらっしゃいませ、ご予約の」
「ええ、可愛らしいお兄さん? 私が今宵の主賓────」
殺意よりも明白な、『食欲』を瞳に湛えて此方を見遣る────三人の人外を。
「“螺湮城異伝”が主、玖 汀邏アルよ。くふふ…………」
一昔前の映画の中国人のような口調で巫山戯、嘲笑う海神の姫君を。
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