Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第4章 “妹達”
八月一日:『欠陥電気』
約一時間の休憩を終えて会計を。無論、纏めて奢りで嚆矢が支払う。そのマネーカードは、アイテムのギャラで得たもの。まだ、二十万円近い残額がある。
師から声が掛かったのは、精算を終えた直後。既に黒子と飾利は店の外だ。
「バイト、ですか?」
「ええ。今晩、上得意のお客様がいらっしゃる予定でして。中々の美食家で健啖家なので、私は厨房に専念したいのです。そこでコウジ君に、ホールをお任せしたいのです」
実に珍しい話だ、師父からの頼みなど。何時もは此方から頼むだけなのだ。だから、その恩返しとして。
「まぁ、特別用事もありませんし。是非、手伝わせていただきます」
「ありがとうございます、持つべきものは誠実な弟子ですね」
「呵呵呵呵、こやつが誠実? 臍で茶が沸くのう!」
「煩せえわ……それじゃあ、また。行くぞ、お市」
「はい、午後六時頃までにはお願いします」
にこりと微笑んだ師父に見送られ、この建物の外観を忘却させる魔術の籠められた扉を開く。ドアベルの音色は、この場所の位置を洗い流す魔術。師父に認められている者以外で、この純喫茶を記憶できる者は居ない。
クーラーの効いた室内から、熱線の降り注ぐ屋外へ。市媛と共に、茹だるような暑さと肌を灼く陽射しの晴天の元へと生還を果たす。
「何のお話でしたの?」
「大した事じゃないよ」
「ふぅん、怪しいものですの」
「もう、白井さんったら……」
その日盛りの中、早速うっすらと汗を掻いている黒子からジト目を向けられた。風紀委員である手前、まさか完全下校時刻を越えてバイトだなどと言える訳もなく適当に茶を濁して。
「そう勘繰るでない、お黒、お飾。師弟で衆道など、そう珍しくもないではないか」
「誰がお黒ですの、誰が……って、衆道?!」
「し、衆道って……ふえぇ」
「適当なフカシこいてンじゃねェぞ、お市! 二人とも、俺と師匠は断じてそんな関係じゃないから! あと、妙齢の婦女子が昼日中からそんな言葉連呼しちゃいけません!」
「っていうか織田さん、お飾は酷いですよぅ……」
駄弁りながら歩き出し、角を曲がる。恐らくもう、そこにあの純喫茶は見えまい。
「中々、良い雰囲気の喫茶店ですの。今度、お姉様をお誘いしてみますの」
「わたしも、佐天さんを誘ってみようかなぁ、なんて」
「なんじゃ、そんなにあの家主が気に入ったか? 呵呵、やはり顔の差は堪えるのう、嚆矢よ」
「……俺以外の男なんて死に絶えれば良いのに────?」
だから、不貞腐れたかのような態度で聞き流すかのように。僅かに感じた潮の香りに、頚を傾げながら。
大通りに出ようとした、その瞬間────飾利の携帯が鳴り響いた。
「はい、もしもし……」
飾利がそれに出たのを確認しながら、意識を他に向ける。人の通話を盗み聞きするような趣味などないのだから。
だから、黒子の方を向いて。その栗毛色の髪を二房に分ける、布を見詰めて。
「あ、またそのリボンしてくれてるんだ」
「っ────な、なんですの、突然!」
少し前にプレゼントした、その赤いリボン。それをまたしてくれているのを見て、嬉しくなった。
「否、愛用してくれてるなら嬉しいなぁ、と。プレゼントした甲斐あったよ」
「別に気に入ってなんておりませんの! ただ、他に無かっただけですのよ!」
「分かってる分かってる、偶然偶然」
「っ……この男は~~!」
茶化す嚆矢に対して黒子は、失敗したと言わんばかりに頬を真っ赤に染めながら腕を組み、三十センチを越える身長差の関係で上目遣いに睨み付けてくる。
澄まし顔を取り繕おうと必死らしく。怖さなど全く無く、ただ可愛らしいだけだが。
最近は、こうして良く反応を返してくれる。『幻想御手事件』での“ティンダロスの猟犬”を相手にして以来、少しは尊敬されているのか。彼女は、顔を背けたままで。
「ところで……この前の『友達の件』は解決しましたの?」
「……ああ。やりたいようにやって、上手くいったよ。黒子ちゃんのお陰さ」
問い掛けられたのは、七月末の一件で彼女に溢した愚痴の事。そう、インデックスの件。七月三十日、ステイルと火織は英国に、当麻とインデックスは学生寮に帰った。魔術師達は真偽を確かめるために、学生と図書館は日常に戻るために。それぞれの道を歩みだしたのだ。
ある意味では、彼女の助言のお陰だろう。恥ずかしい話、あの言葉がなければ……逃げていた可能性も有り得る。
「別に……貴方のお友達が選択した事ですの。わたくしには関係ありませんわ」
「それでも、さ。やっぱりこう言うと思うから」
一切、こちらを向かない彼女に向けて。その真正面に歩き出て、真っ直ぐに。鮮やかな亜麻色の髪、風に靡かせて。深い蜂蜜色の瞳、揺らがずに。
「……ありがとう」
「~~~~!」
一言、単純にも短絡にも程がある台詞を口にして。耳まで赤く染めた彼女は、
「わ────わたくし、急用を思い出しましたのでお先に失礼いたしますの!」
「あ、黒子ちゃ…………行っちまった」
ヒュン、と風斬音を残して。止める間もなく、彼方に空間移動して消えていく。
「……やっぱり、気障過ぎたか」
それを見送り、ため息混じりに髪を掻いて。飾利の方に向き直れば。
「……………………」
「…………か、飾利さん?」
既に通話を終えていた彼女は、ニコニコと笑っている。さながら、般若を思わせる様子で。笑っているのに、冷や汗が吹き出るような。
「……わたしも、私用が出来たので戻ります。先輩はどうぞ、支部に報告してきてください」
「あっ、はい」
「それじゃあ、さようならです」
逆らう事を許さない語調に、思わず単純な返答で。敬礼までしてしまった。そして飾利は、振り向く事もなく。怒気を振り撒きながら、大通りに消えていって。
「……………………寂しい」
「呵呵呵呵、青春じゃのう」
最後には、この二人だけが残った。嚆矢は空しげに、ため息を再び溢してポケットをまさぐる。
マナーモードで震えた携帯を開き、届いていたメールを確認して。
「仕事か?」
「否、お袋から。時間有る時に連絡してくれってさ」
「ふぅむ、しかし、その『携帯電話』とか言う奴は便利じゃな……儂の分を用意しても良いのだぞ、是非もないのだぞ?」
「金が掛かるんだ、巫山戯んな」
「ぐぬぬ……貴様、さては金柑の回し者か! あー、詰まらぬ!」
と、携帯を欲しがる市媛を華麗にスルーして。どうせ、義妹の誕生日の事だろうと当たりを付けて、
“悪心影”に還り、背後に消えた市媛を気にする事もなく。さっさと支部にマネーカードを預けて今日の業務を終了すべく、歩き出して。
「……………………………………」
歩み出した大通り、そこに────ミニスカートが揺れていた。植え込みから突き出た灰色のプリーツスカートが、フリフリと……たまに青と白のストライプなものが、見えたり見えなかったり。
「……………………………………って、いかんいかん! 姑息だぞ、対馬嚆矢!」
思わず数秒見守ってしまってから、頭を振って邪念を払う。女性に対して不道徳な事をするのも、彼の『女性に優しくする』誓約に障る。
そう思い直して周りを見れば、同じように立ち止まって凝視している男性多数。このスケベ共が、と自分を棚に上げながら、つかつかと尻の前に立って背面警備する。
当然、周りの男共からは非難の視線が集まったが、風紀委員の腕章を見せれば蜘蛛の子を散らすように居なくなった。
「あ~~、おほん。そこの頭隠して尻隠さずなお嬢さん? 風紀委員だけど、少しいいかい?」
「…………それはミサカの事を指しているのでしょうか? と、ミサカは疑問を投げ掛けます」
「そう、君だよミサカさん……って、御坂?」
咳払いしながら問い掛ければ、聞いた事のある苗字。それに、視線を向ければ────見た事のある、常盤台の生徒。見慣れないゴーグルを頭に乗せているが、他ならぬ『御坂美琴』その人だ。
「オイオイ、勘弁してくれよ御坂……今日は短パン穿き忘れたか? ガード甘いぜ、丸見えだ。まぁ、眼福だったけどな!」
知り合いで、しかも丁度暇していたところで逢ったと言う事で、早速軽口を。首から下げた兎脚の護符から、『口伝』のルーンを励起して。軽い頭痛を感じながら。
後は、放電を受けずに怒らせるギリギリのラインを攻めるチキンゲームを行うだけであり、
「丸見え、とは下着の事を指すのでしょうか。でしたら、その程度の事で幸福を感じるような貴方に幸福を与えられたのでしたら、ミサカとしても悪い気はしません。と、ミサカはドン引きしながら妥協します」
「……………………生まれてきて御免なさい」
じっ、と硝子玉のような瞳で見上げられながら。こんな冷淡な反応をされて傷つけられるとは、思っても見なかった。
──なんか、調子狂うな。あれ、御坂ってもっとこう、サバサバしてて話しやすかったような……気のせいか?
「と、ところで御坂はこんなところでどうした? 黒子ちゃんと待ち合わせでも?」
「はい、いいえ。ミサカは、この子と遊んでいました」
「この子……ああ」
そしてその腕の中の虎毛の仔猫が、琥珀色の円らな瞳を瞬かせながらニャアと鳴いた。恐らく先程は、この猫に構っていたのだろう。
しかし、どこかで見た事がある気がする仔猫だった。まぁ、猫の見分けなど付かないが。
そこで、再び彼女を見遣る。やはり、おかしい。以前、涙子の見舞いに行った際に見たように……御坂美琴は、その能力故に動物に嫌われている筈ではなかったか、と疑問を感じて。
「急に見詰めてどうされたのですか、と。変態に見詰められたミサカは、多少の鳥肌を立てつつ問い掛けます」
「……………………生まれてきて、本当に御免なさい」
再度凹まされつつも、降って湧いた疑問を呈する事とする。
「なぁ、お前……御坂美琴だよな?」
「……………………」
真贋を見極めるように、『見聞』のルーンを励起しつつ。肯定してくれるものと、期待して。
「……いいえ、はい。それが第三位と言う意味でなら、ミサカは違います」
「違う、って……え?」
「遺伝情報的には同じですが。と、ミサカは付け加えます」
一瞬、意味が解らなくなりつつも。何とか、補足でその意味に辿り着く。そう、つまり────
──一卵性双生児、って事か? 御坂にそんな話は聞いた事ないけど……。
否、人の家の事情なんて他人が頚を突っ込むべきじゃない事とは思うけれどもさ。
そう、思い直して。一応のところは、納得して。努めて笑い、雰囲気を変えようとする。
「そっか……悪かった、間違えて。それじゃあ、改めて────」
気取った仕草、さながら舞踏会の申し込みのように気障ったらしい仕草で頭を下げて。
「俺は対馬 嚆矢、異能力者『確率使い』。人呼んで、“制空権域”だ」
「“制空権域”……ミサカネットワークに該当あり、弐天巌流学園に同名の能力者があり。『手の届く範囲であれば、起こり得る事の全てを起こし得る“確率事象の魔王”』…………」
「懐かしいなぁ、一年の時はそんな感じで呼ばれたっけか。いやぁ、若気の至りだねぇ」
二年前の、余り的を得ていない渾名に苦笑いしつつ、待つ。その意味に、彼女も気付いたらしい。足下に虎猫を下ろすと、舞踏会の申し出を受けた淑女の如くスカートの端を持ち上げて。
「そうですか、貴方はお姉様の知り合いでしたか。失礼しました、ミサカはミサカ10000号です。分類で言うなら異能力者『欠陥電気』、『トランスポンダー』と呼ばれています」
「トランス、ポンダー……」
「はい、いいえ。親愛を込めて“折り返し”と呼んでください。と、ミサカは補足します」
そこで、疑念は確信に。まぁ、この年代ならば仕方ないか、と。
──厨二病、かぁ……超能力者も掛かるんだなァ。あ、姉妹だからって超能力とは限らないか。
そんな風に嚆矢は、“折り返し”に生温かい眼差しを向けて。
「そっか……兎も角、女の子があんな無防備な事はしないように。自分の可愛さを自覚するように、いいな?」
「分かりました、ミサカは自分の可愛さを自覚します。と、ミサカは少しいい気分になりながら応えます」
本当に分かってるのか、と疑問を感じつつ、後二時間ほどで風紀委員の活動が終わる為に焦りを覚える。
ちゃんと定時で帰るには、報告書の製作なども勘定に含めてギリギリのラインだ、と。
「それじゃあ、またな。次はデートでもしようぜ、“折り返し”ちゃん」
「……………………」
照れ混じりに走り去り、無反応に落ち込みながら消えていった嚆矢を見送って。
ルーズソックスの足に擦り寄っていた虎猫を、再び抱き上げた彼女は。
「…………はい、いいえ。またです、嚆矢」
痛むように、苦しむように。嚆矢に向けて、そんな風に口にした……。
………………
…………
……
自室に帰り、服を着替える。深緑のカーゴパンツと黒無地のTシャツに。一般的な休日スタイルの服を身に纏い、後は己の為すべき事を確認して。
「あら。こんにちは、嚆矢くん」
「あ、こんにちはです、撫子さん」
日課の庭掃除をしていた和装の家主から挨拶され、会釈を返す。見れば、また仔猫が足下に戯れていて。
「そう言えば、今日の夕方に新しい店子さんが来るの。可愛らしい女の子よ」
「マジすか、俺、今日は夕方から用事があるんで……挨拶が楽しみだなぁ」
少し残念に思いつつ、頭を下げる。返ってきた会釈に、再度頭を下げて。歩き出た道、人目と監視カメラの死角で。
「────ショゴス」
『てけり・り。てけり・り』
呼び掛けに答え、空間を引き裂いて刃金の螻蛄が姿を現す。体長一メートル七十センチ強、全高九十センチもの、黒い刃が。それに、嚆矢は────
「巡航形態・走破二輪」
《鉄馬か……佳い佳い、次は戦車か潜水艦、若しくは衛星兵器じゃな》
(手に入るか、ンなもン)
勅令を掛ける。『螻蛄の七つ芸』が一つ、『走る』事に特化した形状に。即ち、嚆矢が扱い慣れた自動二輪車の形態に変型した螻蛄に跨がって。
魔力を原動力とするその機関から咆哮を上げつつ、“悪心影”と共に走り去ったのだった。
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