猫の憂鬱
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第3章
―9―
宗一から渡された漫画を読む八雲は、なんでこんなゴミを俺に見せるんだ、新手の嫌がらせか、と頁を無表情で捲った。
「何が云いたいねん。」
十分程で読み終わった八雲は作者に対し呟き、だからなんやねん、と侑徒に渡した。
「感想は?」
「クソ詰まらん、以上。」
何を如何生きたらこんな薄ら寒いネタを思い付くのか、密室に閉じ込め小一時間問い詰めてやりたい。此の薄ら寒さ加減、如何せ脳内花畑女だろう、と作者の名前を見た。したらなんだ、タキガワ コウジ…男では無いか。余程持てない男に違いないと水を飲んだ。
少年誌で女の作家が男名で描くのは良くある話だが、少女誌で男名は聞かない。そしたらなんだ、薄ら寒い恋愛内容から少女漫画だと思っていたが、此れ、青年誌だった。
益々意味が判らない。
何故青年誌でこんな恋愛物を描こうと思ったのか。凡そ恋愛に妄想抱く少女達からも後ろ足で砂を掛けられそうな内容、高校生の男の子が興味持つ訳が無い。打ち切られて当然と思うが、一応作者納得の結末らしい。
頭が痛い。
付き合わされた出版社、担当者、お疲れ様と労いたい。
「そんな権力あんの、此の、タキガワ。」
「同人界ではめっちゃ人気らし。其れで掴まえたら、見事爆死や。出版社も焦ったやろな、まさかこんな薄ら寒い内容を描くとは思ってなかったやろし。」
「はーん、そういう事か。」
やりたい事は地下でやりましょう、が見事当て嵌まる作者も珍しい。
「なんでこんな内容にしたんやろ。」
「考えて。こんなん同人で出してみぃ、誰が読むのん、千円も出して。やぁから大手の看板持って好きな事描いた。ほんでやっぱり死んだ。」
「あっはっは。」
侑徒から漫画を受け取った秀一が、リクライニングチェアに腰掛け、何故か大笑いしていた。
「いやぁ、此れ面白いな。」
「は?あんた、頭おか…」
しいね、と八雲は言葉を飲み込んだ。
「長谷川。」
「此れは売れるよぉ。あっはっは。」
「其れ、ギャグ漫画や無いよ。」
「…え…?」
笑顔から一変、真顔で宗一を見る秀一は、最初から又パラパラと捲り、此処、笑う所じゃないの?と指した。
「ちゃう…、長谷川さん…、此処はぁ、多分、キュン場所やと思う…」
「はあ?嘘だろう。階段から落ちるって、ギャグの王道だろう…?」
「見て、良く見て長谷川さん。此れ、勝手落ちたんと違くて、主人公の代わりに落ちてますよ…」
「…なんだ此れ、詰まらん漫画だな!」
だから最初からそう言うてるでしょ、と八雲達は思い、然し読み進めた秀一は又笑った。
「ファン出来て、良かったな、タキガワ。」
「死神ってアダ名最高、ウケるぅ。林檎食べろ、林檎。斎藤知ってるか、死神は、林檎が好き。」
「知ってる知ってる、ほんで殺人ノート持ってるんでしょ。」
「私はえるです。」
「…嗚呼、嘘吐き(liar)のLね。うんうん。」
三人の会話だけ聞く時一は、如何言う内容なの、と頭を悩ませた。
死神と呼ばれる不良が居て、主人公が虐められてて、結局虐めて、ハッピーエンド、如何言う事だ!
「あっはっは!死神事故った!死神の癖に事故った!死神の癖にぃ。誰に名前書かれたんだよ、うけるぅ。」
「其処笑うトコちゃう!」
「えー…、じゃあもう笑う場所…、あっはっは、あったあった!」
千円の価値あるね、と読み終わった秀一は宗一に返した。
此の漫画、此の後結局同人作家に戻ったタキガワ本人が、本領発揮で十八禁版を出している。其れが馬鹿売れなのだから、出版社側も辛い。始めから其れで描かせりゃ良かったのに、と思うが、猟奇エロが描きたいならデビューする意味が無い、同人作家の儘で充分、本人ですら売れないと確信する然し描きたい内容で本を出した、大手の看板を掲げて。
爆死したって構わない、費用は出版社持ちだ。此れで一応は漫画家を名乗れるだろう。
タキガワはそんな気持ちだったのだろう。本当に、付き合わされた出版社が可哀想で仕方が無い。
「なんか気付いた事ある?」
何も無意味にゴミを読ませた訳では無い。
八雲は一言、おっぱいの描き方が大好き、と云った。
「他は?」
「本人は男前ちゃう?」
「他。」
他、と聞かれても、もう何も無い。
パラパラと頁を捲る八雲の表情は絶望仕切り、然し、目がある一点で止まった。
「あら?」
「お、なんか見付けたか。」
「此の文字…」
主人公の横に描かれる直筆に八雲は顔を寄せ、大股で自分の席に行くとファイルを開いた。漫画とファイルを持ち、交互に見た。
「うーん?」
「似てた?」
「似てるぅ…けど、なんで?」
ファイルから日記のコピーを取り出し、続けて漫画の方もコピーした。其れを見比べる八雲は、なんでこんななってんの、と呟いた。
「なんで、青山涼子の方が、タキガワの文字に似てんの。」
「逆、やなくて?」
「いや、此れは違うな。青山涼子の方が、コッチを真似とる。真似とると言うか、知らん間に似た、て感じ。」
「…タキガワの文字を見てたら、似て来たって事?」
「かも知れんし、何かの理由があって、タキガワの文字書いてたか。其れが自分の文字になった。」
全体が似てる、と八雲はコピーをホワイトボードに貼り付けた。
「此の二人、何?何の繋がり?」
「元夫婦だって。」
「はあ!?」
宗一の言葉に、八雲では無く時一が反応した。
大股でホワイトボードに近付き、タキガワは元旦那じゃない、と首を振った。
「僕が云うんだよ?タキガワは違う。」
何年青山涼子のファンやってると思ってるんだ、と時一は息巻く。
そうは云われても、一課側から、青山涼子の元旦那、という説明で此の漫画を受け取った。自称世界二のファンと名乗る時一の言葉でも、宗一には何も云えない。
「青山涼子の元旦那は、瀧川セイジ、此奴の兄貴だよ。顔も全然違う。」
食い違う話の内容に宗一は鼻を掻き、電話を取り出した。
「なんだ。」
「時一が、青山涼子の元旦那はタキガワコウジやなくて、兄貴のセイジやぁ言うてる。」
「此れ以上ややこしくするな。」
「本当です、青山涼子の元旦那はセイジの方です。」
「其奴、えげつないサディストか?」
「いえ、そういう性癖は持ってなかったと思います。」
「兄貴、今何処居るんだ。」
「死んでます、九年前に。」
「…トリカブトで死んだとか、云わんよな?」
「彼は事故です、交通事故。飲酒運転だったらしいです。」
日本では無名に近い青山涼子だが、ドイツでは中々に名前が売れている。交通事故のニュースの時、青山涼子の旦那、と云われており、時一は其処で顔を見た。
飲酒運転の自爆なのだから普通は名前しか報道されないが、妻が有名な分、顔がベルリンに知れた。あら可哀想、と時一の妻が呟いたので覚えている。
そして其の一年後だ、息子が死んだと報道された。此の時のニュースは凄かった。半狂乱に陥った青山涼子が、旦那が殺した、と喚いていた。御前の旦那は一年前に飲酒運転事故で死んでるだろう?と皆思ったが、彼女は猫と同じに息子も愛していた、仕方が無い、と錯乱を受け止めた。
受け入れるしかなかった。
旦那と息子が死んだ、其れだけでも辛いのに、誰よりも自分を可愛がってくれていた父親迄此の一年前亡くなっている。加えて、ドイツに来てからずっと一緒に居た、最年長の猫も十八年の生涯を閉じている。彼女には息子の死より此方が辛かった。息子は五年、猫は十八年だ、幾ら産んだと云っても過ごした長さが違う、青山涼子の辛さと楽しさをずっと共有していた。其れが息子の後、死んでいる。
青山涼子は云う。
彼女は本当に息子を愛してた、私より母親らしかった。息子が生まれた時から、何時も一緒だった、一緒にベッドで寝て、ずっと舐めてたわ。危ない事をしようとしたら、自分が身体を張って止める程にね。其れで目が見えなくなったの。息子の代わりに薬品を被って。其処迄彼女は息子を我が子だと思ってた。だから、息子が寂しくないように、自分も逝ったのよ。だって、彼女が母親ですもの。私より、息子を選んだのよ、素敵な母親――と。
皆うーんと唸り、何の祟りだ、そら筆も折るわ、と納得した。
此処迄バタバタ死なれ、平然とする方がおかしい。
引っ掛かる場所も同じだった。
「目が見えない?」
課長の言葉に時一は云う。
「彼女は、油絵なんです。だから、其れを落とす薬品です。息子さんが三歳の頃で、御主人が亡くなる、一年前ですね。」
「三歳か。一番活発だな。」
「其の事故から徐々に絵を描かなくなって、二年後で完全に筆を折ってます。」
「其の猫は…」
「勿論ソマリです。此の猫が居たから、彼女はソマリを一番愛して居るんです。」
青山涼子 ソマリで検索すると其の猫の絵と写真が見れます、と時一から云われ、課長は検索を掛けた。
「似てるな。」
「そうですね。」
青山涼子の愛猫と雪村凛太朗の愛猫、見分けが付かない程そっくりだった。猫に興味無い人間からすれば猫等品種が同じなら同じに見えるが、青山涼子程猫を愛し、精通する人間なら、猫の顔も人間の顔同様全く違うと認識出来る。
「青山涼子は、此の、なんだっけ、雪村の…きなこ。」
「課長さん、違います、此方はわらびです…」
「…誰だ、写真の下にきなこって書いた奴。御前か、本郷。」
課長ですよ、変わらん、間取って抹茶、そう仰ったのは貴方です、と龍太郎の声がした。
「きなこは、青山涼子の方です。青山涼子のソマリが、きな粉ちゃんです。」
「ほら聞け。きな粉で合ってるじゃないか。」
「課長、合ってないです…。こっちのソマリはわらびちゃんです…」
「もう判らん。どっちがどっちか判らん。なんか違い無いか…」
其処迄似ているのだ、此の二匹は。
青山涼子のソマリ、きな粉の写真をプリントアウトした課長は、雪村凛太朗のソマリ、わらびの横に並べ、時一も全く同じ事をしていた。
「斎藤さん、なんか違い無い?」
「そうなぁ…」
猫博士八雲ですら見分けが付かない。詳しいからこそ、全体の九割が完全一致する事に気付く。
「見た目が一緒なんは、人間が同じなんと同じで仕方無いにしても…、ソマリは大体四種の毛色に分かれる。ルディ、レッド、ブルー、そして此のフォーン。此の別嬪さん達は目もグリーン、毛もフォーン、鼻の高さも一緒やな…。違いなぁ…、画像だけじゃ判らんな…。猫の顔の違いは、鼻の高さで変わるんやけど、難しいな…。横顔、全く同じやん。」
八雲が雪村邸で撮ったわらびの横顔、其れをプリンターに送信し、きな粉の横顔に並べた。
「うわ、双子みたい。」
「よなぁ。双子でも此処迄似らんぞ。」
「其処迄似るか。」
「そうなぁ。わらびって知らんで、きな粉知っとる奴が見たら、きな粉やと勘違いするやろな。」
「青山涼子はわらびに惚れて、雪村と結婚したらしい。」
課長からの情報に、判るわ、と頷いた。
「此処迄似とる、青山涼子もわらび初めて見た時、腰抜かしたと思う。死んだ人間が目の前に現れるんよ?びっくするやろ。雪村の旦那から聞いて、わらびを見た時の青山涼子の態度。後、ほんまに旦那がタキガワコウジやったか。」
課長は頷くと電話を切り、八雲は宗一に電話を渡した。
「オモロイ事になって来たやないか。」
八雲はホワイトボードから文字のコピーを剥がし、自分の席に座った。
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