クルスニク・オーケストラ
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第十一楽章 少し早いピリオド
11-4小節
「さっきの質問に答えましょう。貴方が時歪の因子だからです、ルドガー」
久しぶりに呼ばれた、過去の名前。もう誰も呼べなくなったのに、この女は変わらず俺をそう呼ぶ。
「ここが分史世界で、貴方の目論見通りに事が進めば、確実にもう一人の貴方が、お嬢様を連れてこの世界に参ります。その時、《わたくし》は指導係として同行するでしょう。かつてわたくしが始祖分史に進入する貴方を手伝ってさしあげたように」
始祖分史――歴史の因果がありえないほど歪んだ世界。俺のエルが喪われた世界。
あまりの深度と偏差に俺だけでは入れず、スリークォーター骸殻のジゼルの手を借りた。
私は《その時》を模倣する計画を立てて準備している。
俺が、《エル》の故郷であり、最後の《道標》のある始祖分史に辿り着いたように。
《俺》を連れたエルを、最後の《道標》である私の下へ帰らせる。
だが、正史のジゼルが付いて来るから何だ。私なら最盛期のジゼルとて屈服させるのは容易い。
「《わたくし》は貴方から《道標》を回収します。その時に貴方の《レコード》は《わたくし》に刻まれ、《わたくし》はヴィクトルという男の人生を余す所なく知るでしょう」
「……皮算用にも程がある。そもそも私は過去の私を排除し、入れ替わるために呼び寄せるんだ。決して過去の君に殺されるためではない。百歩譲って私が破壊されるとしても、君がトドメを刺せるとは限るまい。かつて私があの世界でしたように、正史のルドガー・ウィル・クルスニクが私を殺すかもしれないぞ。君の目論見は穴だらけだ」
「穴だらけでいいんです。そのほうが希望的観測のしがいがありますもの。不確定要素が多いほうが、ハッピーエンド到達率は高いんですのよ?」
ジゼルは離れて、仮面を返しながら、苦笑していた。
「わたくしは駄目ですわ。だって貴方の予定では、わたくしは貴方に殺されることになってますでしょう?」
――彼女の予言は現実となる。
エルが8歳になった年。ある嵐の日。自宅を戦闘エージェントチームに襲撃された。
私が手配した偽装チームではない。正真正銘、クランスピア社分史対策室のエージェントたち。しかも全員が私――俺の先輩に当たる人たちだ。
だから、どうした。
また私からエルを奪おうとした。私たち家族の未来を壊しに来た。そんな連中、先輩だろうが元同僚だろうが知るか。
全員、襲ってくるそばから返り討ちにした。
エルをボートに乗せ、双剣でロープを切って発進させた。光の柱が見えた。エルは無事、正史世界へ旅立ったんだろう。
さて。後は私自身の目の前の案件を片付けなければな。
「演出は完璧だったと自負しておりますが?」
エージェント時代の改造制服を着て、のうのうと私の前に立っている、ジゼル・トワイ・リート。
「ああ。おかげで無事に娘を正史世界へ送り出すことができた。有能な秘書を持って私は果報者だ」
銃をジゼルに向けた。
結果は完璧だったよ。だが、想定外のアクシデントであったのは事実。ここでエルがうっかり死んだらどう責任を取るつもりだったんだ?
「報酬に休暇をやろう。永遠に」
トリガーを引けば茶番は終わりだ。後はエルが《俺》を連れて帰るのを待つだけでいい。
ジゼルはその時、両腕を上げて――笑ったんだ。
「だいじょうぶ。しんでも、そこで、おわりじゃない。つぎは、あなたのばん、だよ」
ダァァ…ン…!
両腕を上げた態勢のまま、まるで踊るようにジゼルは後ろに倒れた。
その時から、私の中で何かの針が停まった。ずっと停まったままなんだ。
正史世界の君の槍に貫かれて、ようやくその理由が分かったよ。
私は君にあこがれていたんだ。
今なら兄さんやリドウの気持ちも分かる。君が多くのエージェントに慕われた理由。
私も君に付いて行きたかったんだ。君が歩む道は間違いなく光に続いていると、信じさせるだけのものを君は持っていたから。
誰もがそこに希望を見た。救われると、報われると信じた。
まるで新興宗教の教祖サマ。タチの悪いドラッグトリップ。
ああ、それでも、それでも。
貴女の「ハッピーエンド」を見てみたかったよ、ジゼル――
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