クルスニク・オーケストラ
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第十一楽章 少し早いピリオド
11-3小節
シリンダーが回っている。わたくしの意思なんてお構いなしに回ってぶつかっている。
今度の《レコード》はどんな記録を奏でてくれるのかしら。
ヴィクトル。《ルドガー》の未来であり、ルドガーは決して辿り着かない男。
再生――スタート。
…
……
…………
二十歳の年。俺は彼女と出会った。
俺は彼女とカナンの地を目指して、クルスニク一族の秘密を知って、多くの犠牲を出して、彼女を死なせた。
俺は心が空っぽになったけど、ラルと出会って満たされて恋をした。結婚してエルが産まれた。
みんながエルを欲しがった。みんなが俺からエルを奪おうとした。
俺は、みんなを殺した。みんな殺した。ジュード、レイア、アルヴィン、エリーゼ、ローエン……
「これらはわたくしが処理いたします」
かつての指導係で、今は部下になったジゼルは、俺が作った死体を検分してから言った。
「専務は奥様のそばに付いていて差し上げてください。いくさ場を知らないご婦人に、『これ』はショッキングに過ぎるでしょうから……ユリウス室長とビズリー会長以外の遺体は湖に沈めてしまいましょう。室長と会長については後日別々に死亡の報を出します」
疲れ切った頭でもジゼルの言動が妙なのは分かった。《レコード》を再生してるとかじゃない。
だって、おかしいだろ。俺は大量殺人犯で。なのにジゼルは全て隠そうとしてる。
彼女は俺の元・仲間の死体を沈めて、兄さんたちの遺体をエージェントに移送させた。
作業を終えた彼女に尋ねてみた。
「……見返りは何だ」
義理人情でできる域じゃないだろ、こんなの。
「社長の第一秘書の座を。ヴェルではなくわたくしに」
分かりやすくて、少しうらやましくて、ブレない動機。
親友のヴェルをクルスニクの宿業から遠ざけるために、こいつは何もかも見ないフリをした。
いいさ。同じクルスニクのほうが話が通じやすい。いざとなれば人気者のジゼルを通してエージェントを操ることもできる。
――俺、いや、私は社長になって。君は私の秘書になった。
君は分史対策室にいた頃と変わらず仕事をして、変わらず私に笑いかけた。
「君は私を憎んでいないのか?」
もう見慣れた白スーツ姿のジゼルは、書類を差し出した態勢のまま首を傾げた。
「君にとっての私は、君の憧れの男を殺した仇だろう。あれは客観的に見ても仕事外だ。感情を剥き出しにして怒っていい条件だと思うが」
「わたくしは社長を怒ってはおりませんし、憎んでもおりません。社長のお兄様のことを含めても、です」
まるで粗相をした幼子に母親が微笑む時のような声。
後輩だった時から知っている。兄のように心を閉じて温厚なフリをするでもなく、リドウのようにネガティブな感情に素直に生きるでもなく、ヴェルのように機械的にふるまって受け流そうとするでもなく。
ジゼル・トワイ・リートは己の心に忠実でありながら、プラスの波長を生み出す――面映ゆい言い方を選ぶなら、希望を振り撒く女性だ。恋したユリウスの死でさえ、ジゼルの性質を疵つけることはできなかった。
「かつてわたくしが言ったことを覚えてらして? 《マクスウェルの次元刀》を回収した時のことです」
「覚えているとも。例え消えて無くなる人々であっても、これから壊す世界であっても、自分たちが覚えていればなかったことにはならない。貴女が一番に俺に教えた、分史対策エージェントの心構えだ」
まさか、ここが分史世界であっても、正史世界からここを壊しに来る連中が私たちを覚えているから消えて無くなるわけじゃない、とでも言い出さないだろうな。そんなものは詭弁だ。
するり。長いフレアスリーブに隠れた手が、被っている仮面を外させた。
黒い左半面を温めるように、ジゼルは手の平を当てた。
「さっきの質問に答えましょう。貴方が時歪の因子だからです、ルドガー」
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