クルスニク・オーケストラ
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第十一楽章 少し早いピリオド
11-2小節
寄り添い合った体全体を通して、ヴェルの驚きが伝わった。
「何で…! どうしてそうまでして、あなたは!」
「何故かしらね。ここまで来るとただの意地かもしれませんわ」
分史対策エージェントとしてのプライド、クラン社社員としての義務感。それが休むことも止まることも今日まで許さなかった。
《道標》は集まりつつある。ゴールがようやく形として視えた。だから駆け抜けてしまいたいのかもね。そのために生きてきたようなものだから。
要するにただ、自分に都合のいい未来だけ見て死にたいってこと。
耳触りのいい理想を並べて、結局、ジゼル・トワイ・リートなんてそれっぽっちの女だったのね。
ヴェルが離れる。少し名残惜しい。離れたヴェルはGHSを操作した。程なく、わたくしのGHSが鳴動した。
取り出して、見る。座標と偏差、進入点のデータが確かに送られてきてた。
ヴェルは背を向けて社長室に戻って行った。
泣かせてくれてありがとう、ヴェル。貴女のおかげで少し気持ちが晴れました。
ナプキンの下から鎖をたぐり寄せて、懐から白金の懐中時計を取り出す。蓋を開けると、青から紫へのグラデーションの文字盤が現れる。
これが最後の分史進入。お願い、保って、わたくしの体!
………
……
…
最後の《道標》がある分史世界に入ったルドガーたちは、10年後のルドガー自身――ヴィクトルによって全滅の危機にあった。
時歪の因子化の真実を知らされ、その上、ルドガーの骸殻の負荷は全てエルに行っていたことに愕然とする間もなかった。
フレイムダークのフル骸殻をまとったヴィクトルは、間髪入れず槍をルドガーに突き出した。
「お前はどう選択する!?」
ルドガー自身に対して突き出されている刃が、まるでスローモーションのように見えた。
(殺せない。こいつは俺の、失敗した俺の成れの果てなんだ)
ヴィクトルの槍を抵抗しないで受け入れようとして――
ドス!!
時間が停まったように突っ立っていた。ルドガーも、ジュードもミラもローエンも。
ヴィクトルの左胸を突き破って、槍が、生えたから。
「パ、パ」
ヴィクトルもヴィクトルで、呆然と自分を貫く槍を見下ろして、流れ始める血を触った。穂先には時歪の因子。
「……ほん、と、に、きみ、が…くる、とは、な……」
ごふっ、と、口からも大量の血を吐いて、ヴィクトルは前に倒れた。反動で槍が、キャンドルスティックがヴィクトルの体から抜けた。
「あああ…っ、パパッ!! やだよ、パパぁ!!」
エルとルルが駆けてきて倒れたヴィクトルに取り縋る。
(でも、ダメだ。ダメなんだよ。だってもうそいつ、死んじまってる)
「……何でだ」
「ルドガー! 落ち着いて」
「何で! どうしてあんたが! ジゼル!!」
どうしてここにいるのか。どうしてヴィクトルを背後から刺したのか。この男はエルの父親で、未来の……未来のルドガー、なのに。
「――――」
すると、険しい顔のジゼルから何かが投げつけられ、頬にぶつかった。白金の歯車の集合体――《道標》だ。
(何で俺に…って、ああ、そっか。ジゼルたちは俺が《鍵》だと思ってるんだった。実際エルの力を借りてるから半分くらいは本当になるけど)
黒い歯車がキャンドルスティックの刃先で砕け散り、ジゼルに降り注いだ。
世界に亀裂が入る。亀裂から世界が崩れ落ちて、ブラックアウトした。
雨が降っている。正史世界のウプサーラ湖跡にルドガーたちは立っていた。
ルドガーは真っ先に、突っ伏すエルの傍らに立つジゼルに歩み寄った。
「あんた、知ってたのか。最後の《道標》があいつだって……不明だって言ってたくせに、分かってて隠してたのか」
ジゼルの顔は長すぎる黒髪に隠れて見えない。
雨は容赦なく強くなっていく。
「何とか言えよ! いつもいつも人をハメて騙して! いい加減にしろよ! どうなってんだよクランスピア!」
肩を掴んだ。ジゼルが顔を上げる。
彼女の青紫から赤へのグラデーション・アイが、全て真っ赤に染まっていた。
掴んだ手を離したところで、逆にジゼルがルドガーに掴みかかった。
「《エルを……頼む。カナンの地を、開け……審判を、超、え……》」
それだけ言ってジゼルは気を失った。
ジゼルではない。今の言葉は。今、ルドガーにエルを託した男は。
「――ヴィクトル!」
呼んでも、意識を失ったジゼルから答えはなかった。
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