青い春を生きる君たちへ
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第8話 面倒くさいのね
雨が降っていた。森林の中に潜んで数日。迷彩服も、その中の体も泥や汗に汚れきっている。首筋から、ぬるりとした感触が、背中へと下っていった。ミミズか何かだろう。体を半分、腐葉土の中に埋めている現状では、土の中の住人がご挨拶をかましてくるのも無理はない。不快な感触に顔をしかめたが、訓練された自分にとってはこの程度、辛さのうちにも入らなかった。
「……無理だ……どうせ、ここまでなんだ……終わりだ……」
隣で、掠れた呟き声がする。相棒の体は震えていた。だから、その体をそっと引き寄せて、体温を分けてやった。分けてやったという言い方はおかしいかもしれない。自分自身も、相棒の体温を感じる事で、自分が生きている事を確認していたのだから。
「……頑張れとは言わないわ。ただ、諦めては駄目。その権利は、私達には無いもの」
そう言って、雨に霞む森の中に目を凝らした。
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普段よりも、学校は活気に満ちている……というよりも、ざわついていると言った方が良い。活気と言っていいほど、前向きな生命力に溢れている訳ではない。微妙に白けた感じの存在を否定できないのは、それは松陽が中途半端な学校だからだ。学校行事に関しては、一部のエリート進学校など、生徒が誇りを持てるストロングポイントが一つでもないと、中々本当の活気というものがでてこない。母校愛を深め、「最高!」と連呼しようにも、生徒自身が知ってしまっている。自分の通うこの学校は、最高なんかじゃないと。第一志望じゃなかった連中も多いし、例え第一志望だったとて、それは自分の学力と相談した上で真っ先に浮上したというだけのこと。つまり、通う学校にコンプレックスがあってしまえば、学校行事で盛り上がるなんて事は難しいのだ。
「高田、アレもう一個分頼む」
「"アレ"じゃ、分からないわ」
「唐揚げだよ、唐揚げ」
「唐揚げって、ここで売ってるのは全部唐揚げじゃない」
松陽は今日、文化祭だった。クラスで出した模擬店で、小倉と高田はさっきからこんなやり取りを繰り返している。この二人は、田中の采配によってずっと同じシフトに入れられていた。恐らく、クラス内の人間関係に配慮してシフトを組んだ時に、自分と高田を持て余したのだろうな、と小倉は思った。小倉は小倉でぼっちだし、高田もぼっちである。他の奴をぼっちとくっつけたら、やれ気まずいだの何だのと批判が出るが、ぼっち同士をくっつけておけば、会話が弾まず、沈黙が続く程度の事は平常運転と割り切る事ができる。小倉はそのように考えていたのだが、案外高田との言葉のやり取りは途切れなかった。割と店が繁盛していたのである。田中の宣伝戦略のせいか、それとも、田中が売っているという事実のせいか。用意していた物はどんどん売れていった。
「二人ともお疲れ!交代の時間だよ!」
「別に、これくらいの事はな……お前こそ働きっぱなしで良いのか?」
「責任者なんだから、ずっと居るのは当たり前だろ?当然の事をしてるまでだ」
田中はずっと模擬店の管理にかかりきりで、自由時間など全くとっていなかった。それを本人は不満に思っている様子もない。模擬店が繁盛しているのは、イケメンで知られる田中がずっと店先に居るから、というのが主な要因だった。彼が呼び込みをやるだけで、少なくとも女子は必ず足を止める。そして、高確率で売り物を買っていく。
「そうは言ってもな、不公平だろうがよ。お前、昼飯すら食ってないじゃねえかよ。いい加減休めって。」
「そこ平等にしたら、また別の不平等、生まれちゃうだろ?」
「はァ?」
「誰かが俺と一緒に、文化祭回るって訳だ。俺の取り合いになっちゃうだろう?だったら、ずっと働いて、みんな平等に俺と回れないようにする。これが賢明さ」
「……呆れた。どんだけ自意識過剰なんだお前」
悪戯っぽく笑う田中に、小倉はため息をついた。が、憎らしい事に、田中の言うことは一理あるかもしれなかった。田中が休憩に入れば、この鼻から抜けるような男前の事だから、一人ぼっちで放ってはおかれまい。必ず、「暇なら一緒に色々見て回ろうよ〜」と、田中を捕まえようとする連中が殺到する。田中と一緒に、下らない文化祭を見て回った所で、それが何だという話だが、そういう下らない事に必死になるのが高校生である。必死に多くの人間が殺到するような場には、必ず軋轢や摩擦が生じるものだ。だったら、最初から暇にならなければいい。それを自分から言われると、ナルシストのように聞こえて憎らしいが、田中の言うことを否定し切れないのも、何とも情けない事であった。
「お前が休まねぇなら、俺も手伝うよ。お前だけ働かしておくのは気が引けるしな」
小倉は、他でもなく自分自身の為にこう申し出た。高校生の下手な模擬店の料理なんて楽しみにするようなものでもないし、内輪ノリが強烈に反映された自作映画や劇などを見る気にもなれなかった。田中は周囲の人間の為に無休を貫こうとしているが、小倉は小倉で、休憩時間だと言って放り出されたら自分自身が途方に暮れてしまうのだ。田中が無休である事を気遣っている体を装って、自分も仕事を続ければ、何をする当てもなく無為に時間を潰すだけの退屈な時間から逃れる事ができる……しかし、そんな小倉の思惑は、あっさりと打ち砕かれてしまった。
「え?ダメだよ。謙之介と紫穂には、俺の持ってる前売り券を使ってもらわなくっちゃいけないからね」
田中は財布から、各クラスが最低限の売り上げを保証する為に売っていた前売り券を取り出して、小倉の手の中に押し込んだ。輪ゴムで止められたそれは、ほぼ全クラス分あった。その中には、自作映画の入場券などもある。
「せっかく買ったもんだからさ。これ全部使ってきてくれよ」
「は?こ、これ全部?」
「これを昼ごはんにしようとしてて、これだけあれば十分だろうと思ってたんだけどさ。俺、やっぱりここから離れられないから。で、紫穂と謙之介に頼みたい」
「……仕方がねぇなぁ。おい、高田。お前は、これとこれとこれを……」
小倉が前売り券の半分を高田に渡そうとすると、田中がその手を掴んで阻止した。
「ダメダメ!手分けなんてするなよ。ちゃんと"二人で"行ってくるんだ。」
「いや、おかしいだろ。明らかに手分けした方が効率が……」
「良いから2人で行ってこい!そうしなきゃ怒るよ?謙之介は不良の癖に、ドMで羞恥プレイが大好きな変態だって言いふらすよ?前の学校で男を襲って退学になったって事にするよ?それでも良いの?」
「……分かったよ。行きゃ良いんだろ、2人で」
小倉としては、もう既に底を打ってるであろう自分のイメージの悪さがこれ以上どうなってしまおうが、それほど大した事ではないように思われたが、田中がここまでしつこく要求してくるんだから、従っておいてやろうという気持ちにはなった。キョトンとしている様子の高田を連れて、小倉は、騒がしい校内へと歩みを進めた。
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「次は2-Cの大学芋か」
「そうね。そこが現状、一番空いてるから、その判断は妥当だと思うわ」
小倉と高田の二人は騒がしい校内を、さっきからこんな具合で淡々と巡っていた。無駄な会話を交わすでもなく、まるで何かの作業をしているように。小倉の手の中のトレーには、様々な模擬店の料理が載っている。田中はこれを1人で平らげようと本気で思っていたのだろうか。いや、色んな所から田中の所に売り込みに来て、それに気を遣って応えているうちに、ほぼ全クラスコンプリートしちゃったんだろうな、と小倉は思った。
「お、小倉じゃないか」
「おお、保坂。こいつ取り替えてくれ」
2-Cの屋台に立っていたのは、日焼けした顔に坊主頭、謹慎明けに小倉にホームランを打たれたあの保坂だった。小倉から前売り券を受け取りながら、保坂は小倉に笑顔で言った。
「……不良とか何とか、良い噂は聞かないが、安心したよ」
「……それはそれは、ご心配ありがとう。で、何で安心したんだ?」
「ちゃっかり彼女作っちゃってさ。もっと浮いてんのかなって思ってた」
「は?彼女?」
小倉は首を傾げたが、隣でいつもと変わらぬ無表情を保っている高田の存在に思い至り、呆れたようにため息をついた。
「隣のこいつの事を言ってんのか?ただ2人で居るだけじゃねえかよ。それが何で、彼女って事になるんだよ?」
「え?違うのか?文化祭って普通、彼女と一緒に回るもんじゃね?」
「あのなあ……素行不良の俺が知らんだけで、確かにそれが普通なのかもしれんが、2人で居るだけで彼女認定って短絡的すぎだろ。その理屈で言ったら、エレベーターでたまたま乗り合わせただけでもカップルじゃねぇか」
「ま、それはそうだけどなぁ……」
保坂は気まずそうに口をモゴモゴさせる。保坂は別に悪気があった訳ではなさそうなので、ちょっと当たりが強すぎたかもしれないと、小倉は反省した。それをごまかすように、おどけながら小倉は続けた。
「だいたい、俺とこいつじゃ、釣り合いとれてないだろうが。こいつは見た目だけは良いけど、俺はそれに比べてブ男だろ?顔見りゃ分かるだろ?そんな関係じゃないっt……」
「あなたの見た目は十人並み以上よ。妙に卑屈になるのはやめなさい」
不意に口を開いた高田に、小倉は冷水をぶっかけられた気分だった。こいつ、真顔で何ツッコんでやがる、ふざけながら言ってる言葉を何マジに否定してんだ……小倉が心の中でブツブツ言う間に、高田は保坂から大学芋の入った紙コップをいくつか受け取って、サッと踵を返した。ツカツカと早めの歩調で去っていくその背中を、トレーを持った小倉が慌てて追いかける。保坂はキョトンとしながら、2人の背中を見送っていた。
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「よし、これで全部だな」
「そうね。戻りましょうか」
田中の持っている前売り券を全て交換した時には、既に文化祭も終わりに近づいていた。小倉はトレーに一杯になった料理を抱え、田中が居る自分のクラスの模擬店へと戻ろうとした。が、自分の持ったトレーの中で一つ、不自然に量が減ったものを見つけた。
「なぁ、高田」
「何?」
「お前、ちょっと大学芋食っただろ?」
高田はピクリとして動きを止め、小倉の方を振り向いた。表情はいつもの真顔だったが、口先だけが拗ねたように尖っているのが、何ともおかしく、小倉は呆れたように鼻を鳴らした。
「好きなのか?」
「……甘いもの、普段そんなに食べないから」
「3つもあるし、1つくらい良いだろ。御使い料だと思って貰っとけ」
「……」
高田は無言で、不自然に量が減っているコップの一つを手に取った。
「立ち食いは行儀が悪いぞ。とりあえずあそこに座ろうぜ。」
高田が頷くのを確認する事もなく、小倉は空いていたベンチに腰を掛けた。ずっと歩きっぱなしで、ちょっと休憩したかったのもある。その隣に、口をモグモグさせながら、高田がちょこんと座る。お前、ガッつくの早すぎだろ−−小倉はその一言を飲み下した。
ベンチから周囲に目をやると、文化祭も終わりが近づいて、そこかしこでスマホのカメラなどを使って、記念撮影が行われている。ああやって、写真に収めておけば、後々「良い思い出」として振り返る日が来るのだろうか。写真の中には自分達の笑顔だけが残って、そこに至るまでの過程など、頭の中からは消し去られていく---
そんな事を何故小倉は考えたかと言うと、文化祭の中盤辺りまで、時間を持て余していたような連中までが記念撮影に加わり、作ったような良い笑顔を顔に貼りつかせていたからだった。彼らが今日1日、ずっと楽しんでいた風には見えない。だが、こうやって「良い笑顔」を浮かべている写真を一枚残しておけば、暇を持て余していた時間の存在など忘れ、写真の中の「良い笑顔」、そしてその笑顔が伝える楽しさこそが真実として残っていく。小倉には、記念撮影のその様子は虚構を作り上げる、その現場として映ったのだった。
「これも、虚構か」
「……何が?」
思わず1人言をつぶやくと、高田が反応した。ちょっと声に出ただけなのに、しっかり聞き取ってくるとは、こいつかなり耳が良いかもしれないと、小倉は思った。
「いや、ああやって写真撮ってんの。"自分らサイコー"ってやってんのってな、それ本気で思ってんのかなって。楽しかった青春時代、良い思い出……って言葉は、この世に溢れてる。それって、本当にそう思ってるんじゃなくて、そう思おうとしてるだけなんじゃないかって、思っただけだ」
「……この前百貨店で話した事の中身、まだ覚えてる?」
高田は大学芋を全て飲み下し、空になった紙コップをキュッと握りつぶした。しかし、食べ終わっても立ち上がる素振りは見せない。小倉も、立とうとはしなかった。高田の言葉の続きを待っていた。
「与えられた機会、学校に用意された文化祭という状況の中で、そこに精一杯、意味を与えようとしているんじゃない?楽しかった思い出、という意味づけをしているのよ」
「……土方達が、自分の人生を"金が無くても幸せだ"って思い込んでるみたいにか?どうも納得できねえんだよなあ、その理屈……嘘も100回言えば本当になる、つってるみたいで」
「楽しさなんて、そもそも主観的なものよ。絶対的な"楽しさ"というモノが存在しているわけじゃない。だから、人によって、何をしてる時に楽しいか、が違うんじゃない。楽しさって、自分と状況との関係性よ。だから、どんな状況でも、自分がそれに合わせる事で、作り出す事ができるんじゃないかしら。まあ、"必ずしも楽しくないといけないのか"という点については、疑問が残るけど……」
高田は、フン、と呆れ気味に鼻を鳴らした。
「……小倉くん、本当に余計な事ばかり考えるのね……友人ができないのも、納得だわ。だって、面倒臭いもの」
「……そういうお前も、俺に合わせてこんな事ベラベラ喋る時点で、同類だよ。実際、お前も一人ぼっちだしな」
小倉もお返しとばかりに、鼻を鳴らした。座った2人の間の隙間を、風がひゅう、と吹き抜けていった。校内は依然として騒がしく、楽しい青春の夢の中だった。
後書き
また今年も1人のクリスマスですが、そもそも1人じゃなかった試しがありません。1人のクリスマスしか経験してないなら、誰かと過ごすクリスマスとの違いも分からない、よって物足りないだの何だの考える事すらできないんじゃないでしょうか。でも、世のソロプレーヤー達の中には、自ら「本来恋人と居るはずのクリスマスなのに…」とか、考える人も居ますよね。自分にとっての本来は一人だと、そう割り切れば良いのに。恋人の入る奴が、そうやってソロプレーヤーを見下すのは分かるんですが……
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