クルスニク・オーケストラ
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第七楽章 コープス・ホープ
7-9小節
参道へ降りてからは、男女に別れておのおの好きに過ごすことにしました。
ここで張っていれば、ミス・ミラと時歪の因子である精霊ミュゼは、村に帰るために必ず通りかかることですし。
室長にとっては、久方ぶりの弟との再会。二人きりとはいかなくても、気を利かせてさしあげるのが一人前のレディってものでしょう?
「あ、お花見っけ!」
エルちゃんが猫さんと一緒に走っていく。あらあら、コドモは元気ねえ。
「わー♪ そういえばジゼルの時計にもお花咲いてるよね。赤いの」
「ええ。そうですね」
時計を出してエルちゃんに見せてあげる。ミス・ロランドも興味があるのかしら、覗き込んできた。
「分史対策エージェントの皆さんの時計って、ひょっとして全部違うデザインなんですか?」
「レイア様は鋭いですわね。わたくしどもの時計は、材質、蓋のデザイン、文字盤のデザイン、サイズが一人一人違っておりますの。デザインで持ち主の個性が分かって面白いんですのよ?」
「ルドガーとユリウスさんも、兄弟なのに違う時計でしたもんねえ」
「ルドガーのとパパの、おんなじだったよ? 時計」
……無邪気な言葉。それがあなたを追い込んでいることに気づいているかしら。
ざく、ざく、ざく。
――待ち人来たれり、ですね。
ミス・ミラが精霊ミュゼを先導して歩いてくるところでした。
「ミラ……」
ミス・ロランドの声は辛そうです。覚悟が足りない、と責めるのは酷ね。わたくしも分史破壊活動を始めたばかりの頃はそうでしたもの。
室長に目配せ。室長と二人で、ミス・ミラたちの行く先を遮って立った。
「お返事、頂けます?」
ミス・ミラは厳しいお顔で、無言で剣をお抜きになった。そうですか、それが答え。
「姉さん。こいつら、黒匣を使うわ。姉さんを狙って来たの。気をつけて」
「黒匣――」
ゆらり。精霊ミュゼがミス・ミラより前に出る。
「そう……あの方が私を帰してくださらなかったのは――お前たちのせいねッッ!!」
精霊ミュゼの顔が、露出した肌が、全て黒く染まった。見事な時歪の因子ですこと…っ!
「姉さん、ほんとに…………くっ」
ミス・ミラは歯噛みして、それでも、黒く染まったお姉様を庇って剣を抜いた。
「姉さんは私が守る!」
ならばその想いごと、貴女も貴女のお姉様もこの世界も、わたくしが壊してさしあげますわ。
室長を見上げる。室長は肯いてくださった。
「この世界は、あなたのお姉様の、正確にはお姉様の中に巣食ったモノが見ている、泡沫の夢。存在してはならない世界。その世界を壊すのが、わたくしどもの仕事」
「訳分かんないこと言わないで!」
っと。ミス・ミラが大薙ぎにした剣を、顔を少し逸らして躱す。
「ルドガー! 彼女はこちらで引き受けます。時歪の因子を壊しなさい」
「わ、分かった――アルヴィン、レイア、頼む!」
「はいよっと!」
「手加減しないからね、ミュゼ!」
「人間風情が気安く呼ぶなッ!!」
《ミュゼ》が両手を交差させ、ネガティブホルダーの黒球を掌から放った。ルドガーも、ミス・ロランドもMr.スヴェントも棍や大剣で攻撃を弾き、逸らした。
わたくしと室長はというと、それぞれナイフと双刀を抜いて、ミス・ミラに対して構えた。
ミス・ミラが突っ込んできた。室長が前に出て、ミス・ミラの剣を双刀を交差させて防がれた。
「今更ですが、よろしかったんですの? ルドガーを時歪の因子に向かわせて」
「一度痛い目を見せて遠ざける。今日だけお奇麗な兄貴はやめだ」
「なるほど。一つの手ですね」
「戦いの最中におしゃべりなんて、ずいぶん余裕――ね!」
弾かれた室長と交替で今度はわたくしがミス・ミラの前へ。わたくしのナイフでは受けるなんて真似はできませんから、刀身に滑らせるようにして軌道を変えた。
それにしても今回は体が重い。《レコードホルダー》の中でも、特に2000年近く前の者たちの干渉が強いせいだとは分かる。けれどどうして、ミス・ミラに対して?
いいえ。今は突き詰めて考えちゃいけない。下手すると《フラッシュバック》しちゃう。
また室長がミス・ミラと切り結ぶ。互いの刀身が何度も弾き合う間に、わたくしはミス・ミラの背後へ。挟撃します!
「 天照らせ日輪、今こそ焦熱の時 ……!」
! これは算譜法の詠唱。足元に光り刻まれた魔法陣はわたくしも室長も範囲内。
魔法陣が燃え上がった。
当然、陣内にいたわたくしたちもまともに火勢を浴びた。
「ぐ…!」
「きゃああ!」
「兄さん! ジゼル!」
ルドガー!? 戦闘中に他に気を取られてはだめ!
案の定、《ミュゼ》が放った闇球が手元に当たって、ルドガーの手から槍が弾き飛ばされた。
まったく! 世話の焼ける後輩だこと!
骸殻発動25%。ルドガーが時歪の因子の攻撃を受ける前に――貫く!
手応えあり。《ミュゼ》は嘆くような声を上げて、黒煙と消えた。
「ルドガー、怪我は?」
「あ……な、い」
槍を拾い上げて、ルドガーに投げ渡した。
「今後気をつけなさい。骸殻能力者は人並み外れて強くても、決して無敵ではないのだから」
「ああ……」
ルドガーは俯いて骸殻を解いた。
キャンドルスティックを立てる。穂先から落ちた白金の歯車の集合体――《カナンの道標》。まさか《レコード》ではなく実物に触れられる日が来るなんて。
でもこのままじゃ回収できない。
「ルドガー。手を出しなさい」
言われた通りに手を出したルドガーに、《道標》を握らせる。
天地に亀裂が入る。世界が崩れ落ちる前触れ。
「ミラ!」
岩陰から飛び出したのは、エルちゃん。エルちゃんは止めようとしたわたくしの腕をすり抜けて、ミス・ミラの手を掴んで。
そこで分史世界が完全に割れ落ちた。
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