クルスニク・オーケストラ
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第七楽章 コープス・ホープ
7-2小節
「それで、リリ? どんなことがあったの?」
「……私、付き合ってる人がいるんです。この前、その彼氏の家に行って、『そういう』流れになって……」
リリは少しだけスカートをめくった。
灰色のレギンズの上からでもはっきり見えた。リリの太腿を斑に侵す、呪いの痕。
時歪の因子化。
探索エージェントで恋人のいる人はとても少ない。大抵はエージェントになる前に結婚しているか、エージェントになって任務を知ってから別れてしまうから。《リリだって今日までよく保ったものだと密かに感心だわ》。
「……いつから?」
「分かりません。スカートめくれかけた時に気づいて。ぞっとしました。彼氏には適当に言い訳してやめてもらいましたけど、それ以来、なんか空気重くて」
「そうだったの。辛かったわね」
――わたくしたちの大半が恋人を持てない訳が、これ。
《大抵の女子は、因子化のせいで肌が黒ずんでしまった時、こんな体を好きな人に見られたくないと思って、深い関係に至れなくなるんです》
《するとパートナーは異変を感じる。でも守秘義務があるから明かせない》
《終いには浮気だのヤレないなら意味ねーだの言われて、破局》
わたくし独自の調べですが、女性エージェントが因子化を加速させる時、その前に男女関係が破綻しているケースが多かったです。
「補佐は気にされたこと、ないんですか? お付き合いしてる方とのこと」
「付き合いも何も、わたくし、彼氏さんなんておりませんわよ」
「え!? 前室長と付き合ってたんじゃないんですか!?」
どうしてそこでユリウスせんぱいの名が出るのかしら。
困ったわ。何だか顔が熱い。元Aのキアラとモニカの《レコード》のせいね。あの子たち、生前は室長の熱狂的ファンだったから。《ち、ちがいますよぉ》 《濡れ衣ですよ補佐!》 はいはい。
「対策室で噂になってますよ。前に前室長が補佐のマンションから朝帰りするのを見たって」
ああ、そういうことですか。わたくしの部屋での飲み会はオールナイトになることもありますからねえ。そこを対策室の誰かに見られたってとこかしら。本当はその時、リドウせんぱいとヴェルもいたんですけど。
「申し訳ないけれど、前室長とはそういう仲じゃありませんの。ですからリリの欲しいアドバイスはしてあげられませんわ」
「すいません――」
「何を謝ることがあるの。辛いのは貴女のほうでしょう。アドバイスはできませんが、一緒に考えましょう? どうすれば貴女が大切な人と上手くやっていけるか」
とりあえず、この子の任務は減らしてあげなくちゃね。皮膚発症は因子化最終段階進行の兆候。時歪の因子に近づくということ。そんなこと、許しませんわ。
リリだけじゃない。他のエージェントたちも。わたくしの目が青い内は、対策室からこれ以上の時歪の因子は出しませんことよ。
「何なんでしょうね」
「はい? どうかしまして?」
「いえ、私の人生って何なんだろうと思って」
ああ。よく相談で聞きますわ、その台詞。特に新人エージェントから。
「特別な力があるって知った時は、正直、自分スゴイとか思ったんですけど。使命とか審判とか、訳分かんないことになってって……私の人生、どこでこうなっちゃったんだろ……」
ああ、泣かないで、リリ。手を握ってあげる。そうよね。悲しいわよね。
「そんな言い方しないで。今はこれまでと違って《鍵》が居る。《道標》が集まる。《審判》も終わりは近いわ。悲観的にならないで。せっかくの人生なんですから」
「こんな、痛くて苦しいことばっかの人生でも、ですか。世界壊して回って、体も痛くなっていって、こんな人生なのに」
「――リリはその彼氏さんのこと、好き?」
「え? ……は、はい。好き、です。こんなことで別れたくないです」
「リリの人生には愛がある。恋がある。そんな人生が、素晴らしくないもののわけがありませんわ」
「じゃあ、ジゼル補佐は、自分の人生がいいものだって思うんですか?」
何度、何者に、どう問われたって、わたくしの答えはいつも一つ。
「ええ。人生とは素晴らしいものですわ」
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