クルスニク・オーケストラ
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第七楽章 コープス・ホープ
7-1小節
「おはようございます」
出勤の挨拶は大切です。対策室のメンバーも気づいた順に、あるいはわたくしが自分のデスクに行くまでの通りがけに、朝の挨拶を返してくれました。
今日はリドウ先生が医療エージェントとして出向されてる。わたくしが分史対策室をまとめねばなりません。
忙しくなりそうですわ。いっそ口実をつけてヴェルを呼び出し……《だめだ。ただでさえ忙しいヴェルさんをこき使うなんて》。ん、そうよね。何てったってあの子は社長秘書なのですもの。わたくしの意思じゃないけれど、ヴェルのヘルプはやめておきましょう。
「ジゼル補佐。次の任務でチームの編成を変えたいと思うんですが」
Dチームのエージェントの一人が書類を持ってきました。いけませんわね。集中、集中。
「見せてくださいな。新しい試みを思いつくのはよいことですわ」
照れたのかちょっぴり赤くなるヴィンセントに笑い返し、資料をチェック。――チームの補欠に別チームから人員を借りたいのね。確かにDチームはジェームズ、レノンが立て続けに殉職して以来、人数の関係で補充しないままだったから。
「わたくしには特に問題はないよう見受けられます。決済しておきますね。あとは明日、リドウ室長に諮ってください」
「リドウ室長……許可を下さるでしょうか」
「内向きではしっかり仕事をなさる方ですから安心なさい。ただし、《借りるのはレディエージェントのようだが、浮かれすぎて隙を作るなよ》」
「連中にそう伝えます。アドバイスありがとうございました」
ヴィンセントは帰って行きました。
もう。確かに男のみのチームだから貴方の危惧は間違ってないけれど。わたくしの舌を使うならせめてもっとスマートに言わせてくださいな、《ジェームズ》。
さて、書類仕事を続けますか。
ああ、これは過去のデータが必要ですわね。ちょっと席を外して資料室へ。
ひんやりとした小部屋に入ってドアを閉じれば、外の喧騒は聴こえません。《本がびっしり並んでるのってやっぱり落ち着く》けど《薄暗くて狭い小部屋はイヤ。子供の頃、お仕置きで物置に閉じ込められたの思い出しちゃうから》。
……こういう相反する《意見》が出た時は、対象になるモノから距離を取るのが一番です。
さっさとファイルを取って資料室を……出るんですから足の神経を止めるのはやめてください。
対策室へ戻る。ふう、今日も今日とて《レコードホルダー》との格闘に忙しい日ですわ。一事が万事この状態。もう慣れましたけれどね。
ええっと。どうして資料を持ってきたんだったかしら……
あ、そうだわ。Dチームのキャロライナに言うことがあったんでした。少しだけ進路を変更してっと。
「ああ、キャロライナ。来旬はお嬢さんの誕生日でしょう? もう休暇申請は出しました?」
「はい。今月の頭に。お気遣いありがとうございます、ジゼル補佐」
「いいえ。お節介でごめんなさいね。少し早いけど、《娘さんの誕生日、おめでとうございます》」
キャロライナの笑顔は幸せをくるんだマシュマロのよう。《まさに母親って感じ》ですね。《思わずこっちがお母さんって言って抱きつきたくなるや》。
こんな仕事だから、せめてプライベートで楽しみを見出してくれるとわたくしも安心します。
「あの……ジゼル補佐。よろしいですか」
あらまあ。自分のデスクを片付ける間もありませんわね。もっとも作業が何だったか忘れてしまったからちょうどいいですわ。
急いで自卓のPCをスリープに。体ごとふり返ってまっすぐ向き合ってあげる。
レディエージェントが一人。Bチームのリリ。
――真面目な相談事のニオイがしますわ。しかも女性特有の相談事。
「この場で話します? わたくしはどこでも構いませんわよ」
「それじゃ、外のホール……いい、ですか?」
《リリちゃんの恥じらい方可愛すぎ! 正義!》 《うるさいわよ、音楽バカ》
わたくしの脳内では貴方がたのほうが煩そうございますわよ。《レノン》、《モニカ》。
「分かりました。――カール」
現時点でトップクラスの業績を上げている(次のクラウンは彼だともっぱらの噂の)部下に呼びかける。いてくれてよかったわ。
「わたくしは少し席を外します。有事の際は外のホールにいますので、遠慮なく声をかけてちょうだい。トラブルがあっても、無理して一人で解決しようとしてはいけませんよ」
カールが了解を返してから、わたくしはリリを連れて対策室を出ました。
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