クルスニク・オーケストラ
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第五楽章 ポインセチアの懐中時計
5-1小節
クラン社に帰投したわたくしは、更衣室で濡れた服を着替えて、髪を整えて、化粧をし直して、エントランスを抜けてエレベーターに向かいました。
すると、ちょうど開いたエレベーターから降りたヴェルと、加えて何とビズリー社長と鉢合わせてしまいました。
《ちっ、今日も悠々と生活しやがって》。悠々となんてしておられません。社長は常人なら倒れる過密スケジュールで働いてらっしゃるんですから。
「ジゼルか。ちょうどいい」
「ジゼル・トワイ・リート、ただいま帰投しました。他のエージェントは急ぎ治療が必要と判断しまして、イラート海停に残して参りました。その旨報告すべく、わたくしのみ帰社させていただきました」
GHSで電話すればすぐにすむ報告でも、わたくしは今回の任務の責任者ですから、顔を出して上司にお伝えする義務があります。
「うむ。ご苦労だった。――ヴェル君」
「はい」
ヴェルが愛用の手帳の見返しポケットからある物を取り出しました。あ、それは、Aチームの二人がルドガー君に託した解析データ。
「データはこの通り無事に届いた。あのユリウスを相手によく健闘したな」
「もったいないお言葉です」
ヴェルが地下訓練場専用エレベーターのボタンを押した。
何日か前にも乗ったわね。Bチームリーダーのトリストラムが練習したいと言ってきたから付き合ってあげたんでしたっけ。
「今からルドガーの骸殻の訓練を行う」
「彼を分史対策エージェントに任命されたのですか?」
「ああ。外堀は固めておいたが、最後は奴自身の意思で私の手を取った。迷いのない、いい目をしていた」
お珍しい。社長がくっきりと喜んでらっしゃる。
「ジゼル。ルドガーの模擬戦、お前が相手をしてやれ」
まだ室長との戦闘のダメージは完全回復しておりませんが、まあ、模擬戦程度ならいいかしら?
エレベーターのドアが開きました。わたくしは社長とヴェルに続いてエレベーターに乗り込みました。
「畏まりました。若輩の身にどこまで務まるか自信はございませんが」
「初対面で私に襲いかかった気合と根性があれば何とかなるだろう」
「っ! ビズリー社長!」
社長はちっとも堪えないで呵呵大笑。
もう。人がずっと気にしてることを引き合いに出すなんて非道うございましてよ。《あん時のジジイのビビった顔、今でも思い出して気分いいぜ》……黙りなさい。《あんただってオレが表に出てあの野郎殺そうとしたから今があるんじゃねえか。結果オーライ、オーライ》。これ以上の社長への暴言は不敬罪と見なして罰を与えます。リドウ先生に頼めば闇市場のオクスリの一つや二つ、簡単に手に入りますわよ。
…………ふう。やっと静かになりましたわね。
エレベーターが停まった。降りて、実戦用の訓練場に向かうためのいくつもの地下トンネルを抜けて歩いていく。
「また例の症状か」
あらいやですわ。顔に出てたかしら。
「一人百面相をしていた。《レコードホルダー》とやらと頭で争っていたのだろう」
「お分かりなのに指摘なさるなんて。社長は人が悪うございます」
ビズリー社長はもちろんわたくしの《症状》はご存知です。むしろご存知の上で、わたくしの中の方々の持つ記憶に利用価値があると判断されて、わたくしをエージェントにされたのですもの。
ちなみにその時のわたくしはまだ12歳。この最年少就任記録は今の所、誰にも破られてないんですのよ? うふふ。
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