Shangri-La...
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
25.July・Midnight:『Accelerator』
現在時刻、零時半。既に夜の帳は降りて久しく、昼間の暑気の残滓を孕む夜風がぬるりと吹くのみ。
明日以降の行動指針を決めて、フレンダ達とは別れた。今は、取り合えず明日の夜の『敵情視察』の準備の為に、彼の師父の『純喫茶 ダァク・ブラザァフッヅ』へ。
「失礼しまーす」
軽くノックして入店するや、ムーディーなブルースの流れる薄明かりの室内。古めかしい蓄音機からのひび割れた音と、白熱電球の朧気な光に照らされて、グラスを磨く麗人の姿が。
その目の前には、今まで客が居たような飲みかけのグラス。見れば、純喫茶には有り得ないブランデーのボトルとツマミの豆類。まだ、開けて間もないだろう、並々と満たされたそれがぽつりと。
「今晩は、コウジ君。連絡にあった入り用の物、揃えておきましたよ」
此方を見る事もなく、これである。一時間前に連絡したばかりだと言うのに。カウンターの上にはジュラルミンケースが一つ、開けてみれば成る程、注文通りに暗視カメラとゴーグル、軍用の。
そして、銃嚢に収まった拳銃。かつて、旧日本軍が使用していた大型の自動式拳銃。今時、知る者すら居ないような旧式拳銃を、嚆矢は目を輝かせながら手にして。
「凄ぇ、本物だ……!」
「ええ、最近、学園都市内の好事家が実物を複製したものです。無論、逮捕されたのでそれを横流…………コホン、安心してください、勿論模造銃です」
「もうほぼ犯罪がらみって分かったけど、まぁ良いか!」
気にせず、欲しかった玩具を手に入れた童子のように掴み取る。撃針方式のその拳銃、消し炭色に染め上げられた真新しい旧式拳銃を抜き放つ。
────ほう、短銃か……流石に六百年も時が経てば、根本から違うのう! 実に新しい!
旧日本帝国製の大型自動式拳銃、『南部大型自動式拳銃・甲型』を。最早、文献や博物館くらいでしか見れない物を実際に手にし、感激しながら。その為か、思考の『重なり』に気付かずに。
だが、全く違う。見た目の三分の一程しかない重量に、その材質。
「見た目は旧式ですが、大幅に手を加えてあります。何せ、『F2000R』のノウハウを応用した金属非使用の積層プラスチックのフレームに、ケースレスタイプの50AE弾を撃てますから」
「金属探知機に無反応で、強装弾対応型ですか……そりゃ捕まる訳だ。まぁ、強力な分に文句はないです」
恍惚と、そんな事を口にしながら。嚆矢は拳銃、ジュラルミンケースに戻して。
「代金ですけど……やっぱり現ナマですか?」
先ず、第一に大事な事を口にした。取り合えず、今ある現金は全て、下ろして来はしたが。足りるのか、と。そんな彼に、師父は安堵を誘う瞳と笑顔を見せる。
男が見ても惚れ惚れする美男子、女なら既に落ちていてもおかしくはない笑顔で。
「そうですね……先ずは、幾ら払えるか、からでしょうか」
悪魔よりも腹黒く笑いながら、何故か、その瞳は────性質の悪い、醜悪な。腹を空かせた蝦蟇を思わせて。
震えたのは、弟子か。僅かな慈悲を願って。それが、現実のものとなるように。
「まぁ、それは兎も角。態々、この世で最も従順ならざる使い魔を選ぶとは……君は、余程ハードモードの人生が好きなようだ」
「そうですか? なんか、間抜けな奴ですけど」
微笑むように、師父が苦笑いする。見詰める視線は、背後の影。血涙を流す深紅の瞳、辺りに巡らせるショゴスへと。
否、本当にショゴスにかどうかは判別がつかない。正面と背面、同時には見れはしないのだから。
「では、拳銃は私からの御祝いと言う事で。合衆国協同協会の魔導師二人を退けた、ね」
「…………」
知っていた事には、別段驚きはない。この人はそういう人だと、随分昔から知っている。恐らくは、今回の仕事の内容も知っている事だろう。
一体それが、どんな魔術か。或いはそれ以外なのか。そもそも、この閉鎖的な学園都市内で、このような軍用品や横流し品をどうやって捌いているのか。分からない事ばかりである。分かっている事など、ただ一つ。
「……相変わらず、師匠の“象牙の書”は謎だらけですね」
僅かな意趣返しか。鎌を掛けるように、口を開く。それに、師父はうっすらと。
「いえいえ。この世の遍く全ての知識を記す、君に潜む『真作の年代記』程ではありませんとも」
「え────?」
うっすらと、相変わらず笑いながら。何か、聞き逃してはならない筈の言葉を、聞き取れない。まるで、人の物ではない喉で、無理矢理発されたような、その掠れ声は。
「そう。背後に佇むその『影』、顕現まで果たした『クルーシュチャ方程式』の元に。すぐに、すぐに……君は」
ふと、正気に帰れば……聞き返す、そんな単純な事すら憚られる。それ程だ、目の前の魔人の放つ瘴気は。薄明かりの室内に満ちる闇の色、狂ったように掻き鳴らされるレコード盤を掻き毟る音色。
最果てで響く、か細く呪われた横笛のような。或いは、くぐもった狂おしき太鼓の連打。常人では、まともな感性では、とても正気を保てはしまい。とうに狂った感性ならば、既に人間ですらなくなっていよう。
「───────…………?!」
そんな魔人を真正面に、嚆矢が正気を保てているのは────何の事はない、魔人にその気がない、ただそれだけだ。
その左手、無造作に持つ一冊。この世にあり得ざる、緑色の獣皮で装丁された書物。遥かなヒューペルボリアの地底に潜む『土星からの旧支配者』の恩恵に預かった大魔導師の名を冠した、或いはかの“死霊秘法”にすらない記述を持つとされる魔導書中の魔導書────邪悪の一代集大成“象牙の書”。
「……『教授』が手を引いたなら、余程の事が無ければ彼らは手を出して来はしない筈です。安心して、君は君の『日々』を廻してください」
「──『廻す』……」
その気配を、刹那に霧散させて。穏やかな薄明かりに彩られ、しっとりと落ち着いたブルースの流れる、静かな夜の景色が帰ってくる。
久方振りに感じた悪寒と戦慄、否、少し前にも。命の危機などと生易しいレベルではなく、絶望的な格の差として……『レイヴァン=シュリュズベリィ』と名乗った“セラエノ断章”の主にも感じたもの。
そして、何故か心を震わされた……その一言────『廻す』。その一言に集中した故に、触発されて思い出す。ずっと昔、その『言葉』をよく聞いていた事に。
『ふむ……つまり、“確率を操る能力”とは。成る程、そういう仕組みか。大したものだ、正体不明の怪物くん?』
「ッ────?!」
忌まわしい、『白い部屋』の記憶と共に。嗄れた老人の声が、脳内、忘れえぬ『自覚する無自覚』から漏れ出して。
吐き気を催す。それは目の前の師父、魔人の放つ瘴気よりも尚、色濃いトラウマを呼び起こす────本物の“狂気”を孕んでいて。
「少し、口が過ぎました。すみません、師匠」
「おや、そんなに気にしなくても」
それを辛うじて堪え、突き掛けた膝に喝を入れて。十倍返しで返ってきた意趣を、受け止める。その、変わらない微笑みも自業自得だ。
ジュラルミンケースを受け取り、一礼する。自分で巻いた種だが、居づらくて仕方無い。
「それじゃあ、また」
「ええ。それでは、また」
背を向けた弟子に、来た時と全く同じ姿勢のままで氷を球形に削りながら。新しいグラスにそれを納め、ブランデーを注ぎ─────空になったグラスの代わりに差し出した。
「全く……『這い寄る混沌』の化身を否定するだけの度量があるかと思えば、トラウマ一つにあの体たらくか」
「その矛盾が、人間の面白いところですよ。人間の貴方には、分からないでしょうが……そう、もう来ないと息巻いていたのにのうのうとまた来る、とか」
「変化を続けるのが生き物ってもんなのさ」
それを、無造作に掴んだ武骨な掌。褐色の白人の、強靭な右手が琥珀色の液体を喉に流し込む。革の上下に、サングラスの偉丈夫が。
何時から、其処に居たか。おかしな事を言う、最初から其処に彼はいた。ただ、認識されていなかったに過ぎぬ。
「流石、愚かにも人間を捨てた男の言う事は違うな、理解不能だ」
「ええ、不様にも人間にしがみつく男の言う事は、予想の内です」
互いに、くつくつと笑いながら。魔人どもが笑い合う、親愛と敵意を籠めて。質量持つ闇と緑の雷光が鬩ぎ合い、室内の空間が軋む程に。
「貰うぜ、あれは。掘り出しもんだ、餓鬼ども以来の。鍛え上げりゃ、一級品になりうる」
「君の『海妖』と『空精』と一緒にしないで頂きたい。あれは、私の『月霊の双子』の総決算なのですから」
「知らねぇな、選ぶのはアイツだろ? 『月の両面』に見詰められるあの餓鬼、或いは、神に届く」
「成る程、慧眼だ。流石は『背徳の都の断罪者』だ。あの旧支配者“悪徳の神”を討ち果たした、雷神だ」
軋む。空間を埋めた闇を、雷が焼き払う。衰えた雷を、闇が染める。故に、空間は軋み続ける。
「まぁ、今は止めとくさ。ちょっとばかし騒ぎ過ぎてな、統括理事会とやらに睨まれちまってよう。黙らせるのに時間が掛かりそうだ」
カロン、とグラスが鳴る。氷、割れて。琥珀色の液体が波打って。注いだ麗しき男、にこりと。飲み干した刃金の男、ニタリと。
「自業自得ですね、全くもって君らしい」
「違いねぇ、年甲斐もなくやり過ぎたぜ」
最後に、その鬩ぎ合いすら消して。三度、差し出されたグラス。そこに波波と湛えられた、氷を抱くブランデー。
それを傾けながら、魔人達の夜は更けていく……。
………………
…………
……
帰途に着いた、その脚が震えていた。まるで、狩猟者に相対した獲物のように。不様にも、無様にも。視線、虚空に漂わせる。目が合えば喧嘩を売ってくる、猿山の猿以下の満ちる道だ。別に五・六人くらい物の数ではないし、今なら十・二十人くらい病院送りにしてやりたいくらいに荒れてはいるが。
万色の紫煙を燻らせ、そんな不甲斐ない自分を恥じて。一般学生の代わりに不良学生が幅を効かせる、昼間とは全く違う顔を見せる雑踏を歩く。言うなれば、昼間は品行方正な学級委員長。夜は落第上等な非行女学生か。ソソる噺だ。
そんな、取り留めの無い事を考えながら。或いは、現実逃避しながら。歩く先、ふと見た路地裏。そこに、見た事覚えのある姿を。
煙草をショゴスにくれてやり、気を取り直して、努めて明るく。
「おーい、御坂!」
「………………?」
見覚えのある、常磐台の制服。嫌に真新しく感じたのは、このネオンに満ちた夜の都市の所為か。
胡乱に立ち尽くしていた彼女、その瞳────虚ろな瞳が、此方を見詰めた。ぞっとする程、無機質な瞳が。
「ん? どうした、御坂? そんな『うわぁ、ロリコン気味の先輩に会って嫌だなぁ』みたいな顔して?」
「ミサカネットワークに照会、該当なし…………どちらさまでしょうか、とミサカは問い掛けます」
「って、それ俺の事やないかーい……おい、御坂? ここを自分で突っ込ませるのはドSの所業だぞ?」
等と、戯けて口にしながら。見遣る先、虚ろな眼差しで此方を見ている……御坂美琴へと。
「どうやら伝わっていないようなので、どちらさまでしょうか、と。ミサカは再度、問い掛けます」
先程も見た、ゴーグルのような物を額にした御坂美琴へと。問い掛けながら。虚ろな眼差し、受け止めて。
再度の、虚ろな眼差しを受けて。流石に────何かやらかしたかと、不安になって。
「いやいや、御坂。知らんぷりは流石に先輩、答えるんだけど……あれか、不思議ちゃんにクラスチェンジ?」
しょんぼりと、アスキーアートのように顔を変えた。処世術、正にそれ。そうやって、人の関心を得ていたからこそ。
刹那、叩かれた肩。煩わしく振り返れば、成る程、先程まで其処らに居たゴロツキども五人。
「悪いねぇ、兄ちゃん。その子を待たせてたのはさ、俺らなんだよ」
「あァ─────?」
それに、応えてやる。振り返りながら、わざわざ。
「だからよぉ、テメェはお呼びじゃ……ねぇって…………あれ、ひギィ?!」
ゴキリ、と外れた男の右手。手首、肘、肩のみならず、指先に至るまで。捩れ避けた手首を押さえ、味わった事の無いであろう苦痛に身を捩る不良を見下ろして。否、右足で蹴りつけながら。
傲慢に、傲岸に。嘲笑いながら告げる声で、ミコトの肩を抱いて。
「あァ、全くもってお呼びじゃねェなァ。これは俺の女だ。ゴミ屑風情がァ、手ェ出そうとしてンじゃねェよ────!」
「の、能力者……?!」
「ヒッ─────す、済みません、済みません!」
挙げ句に、威圧されて逃げ惑う彼ら。散り散りに、散逸して夜の街の喧騒に消えていく。
それを眺めていた通行人達も、興味を失って一人、また一人と。
「嫌だねぇ……何でもかんでも能力、能力。別に人の関節くらい、能力使わなくても外せるっての」
それを見送る事もなく、吐き捨てる。馴れ馴れしく、肩、抱いたままで。
「暴漢を追い払ってくださった事にはお礼を申し上げます。しかし、肩に手を回す必要はあるのでしょうか、とミサカは疑問を口にします」
「ハハ、やっぱり?」
ジト目で見詰めてくるミコトに悪びれる事なく、肩から手をどけて一歩、距離を取る。来るかもしれない、電撃に備えて。
しかし、杞憂に済む。何と言うか、いつもと違って覇気の無い彼女の様子に、若干の不安を抱いて。
「大丈夫か、御坂? こんな夜中に出歩いてたら、また寮監さんにシバき回されるんじゃ?」
「心配は無用です。今はただ、待っているだけですから、とミサカは答えを返します」
「『待っているだけ』って……誰を────」
「────なンだァ、今回は野郎のおまけ付きかよォ?」
そこまで口にした瞬間。彼女の背後の路地、一層深い闇の中から歩み出てきた人物。白い髪に、赤い瞳。妙な柄のシャツを着た、如何にも柄の悪い────その少年は、ミコトと嚆矢を一瞥した後、面倒臭げに呟いた。
惜しむらくは、少し前に煙草を吸っていた事。その所為で鼻が鈍っていなければ、彼の纏う濃密な血の香りに気付けたかもしれない。
「いいえ、この方は無関係です。そして今日のノルマは達成済み、指示あるまで待機の命令を受けています、とミサカは答えます」
「あァそうかよ。じゃあ、後片付け宜しくなァ。今回は少し、ド派手にブチ撒けたからよォ?」
「承知しています。全て、見ていましたから」
慣れた様子で、流れるような会話を交わす二人。言葉を挟む余地もない、事務的な雰囲気すらある。
ここで、一つの可能性に思い至って。まさかな、と苦笑いに口角を吊り上げる。
「…………あぁ~、ね。お邪魔したか、こりゃ失礼」
「はい?」
「あァ?」
そんな少年とミコトの会話、その以心伝心と言った具合の会話に────ピンと、得心がいって。嚆矢は戯けた様子で、ぺし、と自分の額を叩いて。一歩の距離から、一気に五歩の距離へ。
二人から同時に、怪訝な顔を向けられて。それでも尚、道化のように恭しく頭を下げて。
「馬に蹴られる前に、退散退散……それじゃあお二人さん、良い夜を~」
ジェスターマスクのような笑顔を張り付けて、某黄色いスーツのダンディなお笑い芸人のように、素早く捌けていく。見送るミコトと少年は、怪訝な顔のままで。
「なンだァ、ありゃあ?」
「恐らくは、『御坂美琴』の知り合いだろう、とミサカは推測します」
「ヘェ、そりゃ────御愁傷様なことで」
ミコトの肩を抱き、ニタリ、と。性質の悪い獣のように少年が笑う。耳許に顔を寄せ、邪悪で、慈悲を感じさせない、獲物を見付けた獣の笑顔で。
「俺が『絶対能力者』になる経験値として、死ぬ為に作られた人形どもと本人を間違えるたァ、お優しい限りじゃねェか。なァ?」
「…………」
嬲るように、嘲るように少女に囁いて。少女は、無表情のままで────
ページ上へ戻る