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Shangri-La...

作者:ドラケン
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第一部 学園都市篇
断章 アカシャ年代記《Akashick-record》
  ??.----・error:『Nyarlathotep』Ⅲ

──燃え盛る。深紅の瞳、世界を()め尽くすかのように。燃え盛る。深紅の舌、世界を舐め尽くすように。
 燃え盛る。漆黒の鎧、自身を覆い護って。燃え盛る。漆黒の刃、自身を傷付け護って。

「…………?」

 気が付けば、何時の間にやら。息苦しい程の熱気に黒煙、物の焼ける嫌な臭い。油の燃える甘い香り、立ち並ぶ、ジリジリと音を立てる行灯の芯。薄い明かりに照らされた、和風な造りの室内。畳張りに豪奢な柄の襖に区切られた……随分と古めかしい作りの、しかし真新しい洋風の調度品の数々。
 目の前、彼方の距離で。飾るように置かれた……和風とも洋風とも判別のつかない甲冑。暗闇を溶かしたように禍々しい爬虫類の翅のような黒羅紗の陣羽織に、毒牙や毒爪、或いは魂を籠めて鍛錬()たれた『(ツルギ)』の鋭さを思わせる、侍の鎧兜。腕を組み、仁王立ちするその全身の隙間から覗く、燃え盛る憤怒を灯した無数の蛇じみた赫瞳。

 余りに雑な和洋折衷(アシンメトリー)に、一瞬感じた不快感。焔と油、乱雑な檻は、何か嫌な記憶を。

『■■■……』

 腕の中に、忘れ得ぬ絶望の冷たさと軽さが甦る、そんな幻を思う。
 有り得ない、もう二度と無い。忘れたままでいたい、無力の記憶を揺らして。

「さて────」

 声、意外な程に高い。まるで鈴を鳴らしたような、そんな声が背後から。刹那、周囲の空気が凍り付いたかのように張り詰めて。
 緊張に、喉が渇く。熱気を吸い込んだ時よりも、更に更に。

「さて。さて────親愛なる(わらわ)憑代(よりしろ)(きみ)よ、人の子よ。こうして話すのは、初めてかのう?」
「…………」

 憎々しげに、嘲笑うように。振り返った視線の先で────一段高くなった上座、刀掛けに一振りの紅い鞘に拵えの太刀と黒塗りの火縄銃の掛かったそこで肘掛けにしどけなく横たわる……絢爛たる娘。墨を流したように美しい黒髪を結い、螺鈿細工を施した(かんざし)を差した。血の色よりなお深い、蛇じみた鋭さと無慈悲さを映す()の瞳の。
 喪服のような、しかし紅色の錦糸で多数の彼岸花の柄をあしらわれた豪奢な振袖の上に、男物の黒い外套を肩に羽織った姿の。奇矯な、実に奇矯な娘だ。

「そう畏まるでない、多少興味があるだけぞ。ほれ、もそっと近う寄れ。そうさの、貴様が()()()()『第六魔王』を否定した為に、漸く(わらわ)が出てこられたのじゃからな。褒めて遣わす、小童(こわっぱ)。何か褒美をやらんとな……ほれ、金平糖(こんぺいとう)じゃ。正真正銘の舶来じゃぞ?」

 足下、洋風の平たく大きい杯に目一杯積まれた、文字通り金平糖の山。それを、裾を割りながら伸びた白い足が。器用にも足の指で掴み上げると、ずいと押し出してくる。
 別に甘いものは嫌いではないが、流石にこの量は見ただけで胃もたれする。と言うか、本来ならば無礼千万と怒っても致し方無かろう。

「はぁ……どうも」
「どうじゃ、甘かろ? これと、“かすていら”と言う奴は中々に旨い」

 しかし、そこでも紳士なのがこの男。右手を────玉虫色に黒光する毛皮に包まれた、猫科の猛獣じみた右手を伸ばし、一粒金平糖を摘まんで口に放り込む。控え目な、如何にも滋味に充ちた自然甘味料の味がした。

「いやはや、それにしてもそれにしても。見物であったわ、実に実に。“まやかしの魔王”め、偉そうに『(わらわ)』が名を騙っておきながらあっさりと否定されおってからに……くくく、窮鼠に噛まれた猫、否、()とはあんな顔をするのであるなぁ? あっははは……」

 けらけらと、一体、何が可笑しいのか。よく分からないが、随分とご機嫌なようだ。そして、娘が熱を籠めて嘲笑えば嘲笑うほど、背後から凍てつくような殺気を孕む沈黙。
 見れば、肘掛けに掛けた右腕の付近には……薔薇色の雫を波々と讃えた、総硝子製のボトル。左手には、同色の液体に満たされたワイングラスがある。笑い上戸なのかとそれを見詰める視線に気付いたのだろう、娘は得心がいった顔をして。

「ん、なんじゃ貴様、辛党か? ならば先に言え、今宵の(わらわ)は機嫌が良いからのう。苦しゅうない、仏蘭西(ふらんす)とやらの、『わいん』なる酒じゃ、とくと味わえ……そして、子孫末代までの栄誉とするが良いぞ」

 言うや金平糖の杯を転がし、畳にぶち撒けながらもう一つのグラスにワインを注ぐ。薔薇色の液体に満たされたワイングラス、馥郁(ふくいく)たる香気が舞う。
 そしてそれを、やはり……器用にも足の指で掴み上げ、差し出してくる。別に嫌みの類いではなく、自然とそうしているのだろう。受け取り、杯を傾ける。

「この『悪心影(わらわ)』……“第六天魔王・波旬”の酌を受けた栄誉を、な……くくく」

 艶然と笑う娘から杯を受け取った掌は、やはり獣。段々と甦ってくる、その意味。嗚呼(ああ)嗚呼(ああ)、そうか、と。酒精を得て高速回転を始めた思考が。
 そう、故がある。何故、自分がそんな姿をしているのか。何故、そんな姿をしている自分が……『輝く捩れ双角錐(シャイニング・トラペゾヘドロン)』の悪夢の中に居るのか。

 単純な話だ、実に単純。ならばこそ、致命的な話ではあるが。

「……不味(マズ)い、早く帰らないと」

 焦燥が満ちる。不味い、非常に不味い、と。勿論、ワインは最高に近い美味。不味いのは、外の状況だ。
 記憶が確かなら、もし、気付かれでもしたら……笑えない事態に陥るだろう。

「……なんじゃと、貴様。今、何と申した? (わらわ)の下賜した酒を、言うに事欠いて……『不味(マズ)い』、じゃと?」

 だが、娘にはそんな心模様などは伝わらない。自らの丁重、彼女にしては最大限の歓待を貶したと取って。背後の刀を掴み、秀麗な眉目を不愉快に歪めて目の前の『傾奇者』を睨む。
 その圧力たるや、背後の『甲冑』の比ではない。世界が歪むのではないかとすら感じる、緋色の瞳の覇気に。

「あ、いや、そうじゃなくて……いや、それよりそろそろ俺、現実に帰りたいんだけど」

 しかし、しかし。これが現実ではなく夢だと知っている()()()()嚆矢は、目覚める方法を思案するだけで。
 足下、零れた金平糖。それを次々に掠め取って飲み込んでいるショゴスにも、注意すら行かず。

「……よかろう、そこまで言うのであれば。さぞかし『貴様の世』には、美味なる酒があるのであろうて……」

 怒り一転、不敵な笑顔に戻った彼女が見詰める視線。それに、ショゴスが一瞬、怯えるように震えて。
 投げ渡された刀、ずしりと重い。鮮やかな血色の、返り血に染まったかのような、恐るべきと本能で悟る刀であった。

「『長谷部 国重(はせべ くにしげ)』……()()()()()()()()()我が佩刀じゃが、今回は特別じゃ。それを褒美にくれてやる。出口なら其所じゃ、好きに下れ」

 ぱちんと、娘の指が鳴れば──無人で開け放たれた襖が数枚。丁度、娘と甲冑の中間の襖。その先には……螺旋階段。焔に包まれ、金色に輝いている。部屋の熱気は、この為か。
 息が詰まる。それは、決して足下から立ち昇ってくる高熱の為だけではない。

(わらわ)は“双子”のように優しくはないのでな……この『安土天守閣』より去りたくば、それに見合う決意と覚悟を見せてみよ」

 嘲笑うように、憎々しげに。娘が告げる。熱、だけではない。目には見えないが、何かもっと、『焔に似たもっと悍ましきモノが跋扈している』と。人の、矮小たる本能であるからこそ、それを理解できた。
 見詰める。『主』の許しを得た『何か』どもが、こちらを見詰めている。恐らく、それが“何か”を理解すれば、正気では居られないものが。彼がどう足掻こうと、勝ち目の無い炎の『旧支配者(グレート・オールド・ワン)』達。くねくねと、陽炎の体を揺らしながら、待ち受ける『(つわもの)』共が。

「…………オーケー、それじゃ」

 それだけを口に、螺旋階段に歩み出る。死出の一歩か、娘は無感動、鎧は歓喜をもって、それを眺めて。

「────またニャア、次は名前くらい聞かせてくれナーゴ、エキゾチックなお嬢さん?」

 『Mr.ジャーヴィス』の口調で、頭にショゴスを纏って黒豹とした男は飛び降りる。螺旋階段の中央、虚空のただ中に。

「くく────ははは、快哉快哉! 莫迦正直に段を下らず飛び降りるか、その先に何が待つかも知らぬと言うに! あのようなうつけ、大傾奇、利益(とします)以来じゃのう!」

 からからと、はしたない程に笑い転げる娘。腰帯に挿した『天下布武』の四文字が記された軍配を手に。
 面食らったのは、旧支配者どもか。まさか、まさか。そんな馬鹿げた事をする者が要るなどと。

『Guuu─────Rwoooooooooooooooo!!!!!』

 刹那に響いた咆哮に、『竜の(アギト)』の如く裂けた鎧の顎から放たれた、次元を震天させたその処刑宣告に。“第六次元(まやかしの)魔王”の宣告に炎の全てが捩じ曲がり、散断する。数百、数千の人知を越えた怪物どもが、鏖殺(おうさつ)されたのだ。
 だが、所詮は『人では敵わない』程度の怪物。何ら、死滅した所で……替えは幾らでも効くのだから。

 後に残るのは、ただ静寂。『無音の漆黒世界(シャルノス)』。そのただ中には。

『おのれ────おのれ…………!』

 憎しみに、屈辱に震える、漆黒の甲冑のみ。剱なる甲冑の、そう見える『竜』が。ただ、それだけが……。


………………
…………
……


「って────聞いてんのか、このクソ猫がよぉ!」

 耳をつんざく怒号、女の。目を開けば、加えて、輝き────

『あぁ(あぶ)ニャアァァァ!?』

 折れんばかりに首をかしげ、辛うじて『それ』を躱す。薄緑の光、集束された、一条の。間違いなく、眉間を狙っていた、その────

「テメェ────おいコラ、ジャーヴィス……説教中に居眠りたぁ、いい度胸じゃねぇか……アァン?!」
『寝てませんニャア、断じて寝てませんナーゴ!』

 ドスの効いた声、ブチキレた学園都市第四位『原子崩し(メルトダウナー)』麦野沈利の一撃を、命からがら。もし後一秒でも起きるのが遅れていたら、今頃はこの猫頭、熟れた柘榴(ざくろ)の実のようにパックリ逝っていただろう。
 そんな事も辞さないほど、怒髪天を突く状態の彼女。一体、何があったのか。段々と思い出す。そう、あの襲撃を受けた後、休む間もなく『アイテム』の会合に参加したのだ。しかし、開始した時にはもう、麦野沈利は憤怒していて今に至るのだ。

 自らの左右のフレンダと最愛、沈利の隣の離后の様子からも、かなり不味い状態だと言う事は分かる。少しでも対応を誤れば、即座に殺されかねない程だと。

「テメェらがモタモタしてやがったせいで、このザマだ……アイテムの看板に泥塗りやがって! 覚悟はできてんだろうなぁ?」

 バン、と叩かれたモニター。そこに映し出されていたのは、どうやら世界的な動画投稿サイトの画像。題名は──『グロ注意! 能力者による激ヤバ虐殺画像!』と銘打たれたソレ。
 携帯の画像のようで、酷く解像度は悪い。しかし、その中央。悲鳴と怒号に包まれた路上で……まるで『見えない獣』にでも貪り喰われるように体を欠損させていき、最期には消えてなくなっていく男の姿。

「新聞にも載った事件だ……分かるか、明るみに出たんだよ、暗部が。暗部にゃ、絶対の不文律がある……それが、依頼は必ず遂行する事だ。過程なんて意味がねぇ、ただ結果を出すだけだ。そうじゃなきゃ、淘汰されんのはこっちの方なんだよ!」

 見間違えようもない、その男は────『アイテム』が追っていた、『突貫熱杭(バンカーバスター)』の男。

──マジかよ……“地を穿つ魔《ドール&シュド=メル》”を破壊した後も、暫く生きてやがったのか!

 危うく、声を出しそうになるのを耐える。あの下水道の事は、彼女らには一切話していない。科学全盛のこの学園都市において、あんなオカルトは誰も信じないし……何より、他人を巻き込むような事ではない。
 まぁ、その所為で今の窮地に陥っているのだから何とも言えないのだが。

「今すぐ、これをヤったクソッタレを見付け出してあたしの前に連れてこい────さもなきゃ腕や脚の一本二本のケジメじゃ済まねぇぞ、このボケナスどもが!」

 二撃目に嚆矢を除いた三人の少女らが身を竦ませ、モニターに蜘蛛の巣状のヒビが走る。『大した腕力だ』とか場違いな事を思いながら、自身に『話術(テイワズ)』のルーンを刻んで。

『まぁまぁ、そう簡単に行かないのが暗部だニャア。こういう時は執着せずに心機一転、別の仕事に掛かる方がいいナーゴ』
「アァん? おいおい、よっぽど死にてぇのかクソ猫……!」
「ちょっ……なに口答えしてんのよ、アンタ?!」
「超黙ってください、死ぬ気ですか!?」

 命知らずにも肩を竦め、真正面でへらへらと。嘲笑染みた覆面のまま、血涙を流す瞳と乱杭歯の(アギト)を歪めて。沈利の睨みを一身に受けながら。
 フレンダと最愛の諌める小声など、息を呑む離后などに見向きもしないままに。

『死にたくないからだニャア。こんな事が出来る能力者は、オイラは一人しか知らないし────コイツは確か、『スクール』からの脱走者なんだったナーゴ?』
「……チッ、そうか、そうだったな。コイツは、『スクール』の一人だった」

 そこまで口にしたところで、沈利は忌々しげに吐き捨てた。性悪猫の口車に乗せられて、麦野沈利は『敵に回そうとしている相手』を思い出して。

『そうだニャア、こんな事が出来る能力者は────第二位(ダークマター)以外に、オイラは知らないナーゴ』
「分かった分かった、分かったって……クソが、滝壺!」
「あ、うん……これ、今回の」

 幾ら第四位(メルトダウナー)と言えど、やはり最大の暗部勢力である『スクール』を敵に回すのは避けたいらしい。怒り心頭でも、そのくらいの判断がつくのは有り難い。
 嚆矢の言葉に、舌打ちしながら髪を掻き上げて。一応、怒りは収まったらしく、離后から引ったくるようにパソコンを受け取って。

「だが、テメェら三人にはケジメは付けて貰う。この任務を達成できなかったら、分かってるよにゃあ?」

 いつものように、巫山戯ながら。しかし、眼だけは怒気を孕んで据わったままで。沈利は、嚆矢とフレンダ、最愛の三人に新たな指示を下したのだった。


………………
…………
……


 篠突く夕立が上がり、夏の暑さに早々と水蒸気が溢れた空に虹が掛かる。それを眺める人々は、足下の水溜まりを踏み散らして。
 現在時刻、十八時。フレンダと最愛を引き連れ、駅前広場の雑踏を歩きながら煙草を吹かす彼。濡れ鼠の体と服は既に近くのネットカフェとコインランドリーで乾かし、万能細胞(ヨグ=ショゴース)をダブルのスーツ、ロングコートとして纏い、黒い性悪猫(チェシャ=ザ・キャット)の姿となった嚆矢である。

『いやぁ、流石に死ぬかと思ったニャア。恥ずかしながらオイラ、漏らす五秒前だったナーゴ』

 ヘラヘラと、けらけらと。先程までの死地に次ぐ死地を掻い潜り、万色の紫煙を撒き散らして。戯けるように、周囲の雑踏より頭一つ背の高い彼は背後の二人に向き直る。
 周りからは、文字通りに煙たがられて。しかし、その余りに異様な風体に、誰も口には出さず。

「結局、生きた心地しなかった訳よ……」
「超ここまでかと思いました……」

 がっくりと肩を落とし、九死に一生を得た安堵で溜め息を吐いた二人を。

「大体ね、アンタ、麦野に意見するとか正気? 結局、現代アート風味の面白オブジェになりたい訳?!」
『んな訳ないニャア、オイラ、人のままで居たいナーゴ』
「人じゃなくて、超猫ですけどね」

 つかつかと、自慢だと話していた脚線美でもって、フレンダが金髪と白いミニスカートを揺らしながら詰め寄る。すわ痴話喧嘩かと衆目を集めるも、我関せずとばかりに距離を取って口を挟む最愛。

『兎も角、今回ちゃんと任務を熟せば不問になるしニャア。頑張ってこうナーゴ』
「アンタが仕切ってんじゃない訳よ、新入りの分際で!」
『ンニャ?! フ、フレンダちゃん、膝は痛いニャアゴ!』

 意外に鋭いローキックをフレンダに叩き込まれ、膝を抱えて跳ねる嚆矢。やはり周りは、迷惑そうに、しかし誰も口には出さず。蚊帳の外で最愛が、沈利からの指示を諳じる。

「『非人道的人体実験の摘発』、ですか……超白々しい上に、超キナ臭い任務ですね」

 フードの奥から、鋭い眼差しで茜色に染まり始めた西の空を見遣り……反吐でも吐くように、大気を揺らした。 
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