Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
七月二十六日:『夢引き』
七月の晴れ渡る朝、清澄な空気。白む世界を祝うかのように小鳥が鳴く、爽やかな風が吹き渡る────
「……有り得ねぇ。何が悲しくて、こんな良い日に野郎四人で雁首揃えてんだ、俺達は」
「さっきっから何回目の愚痴だよ、ロリコン先輩?」
「そうは言うがよ、おむすび君……この人選は確実に、誰かの悪意の産物だと思うんだ」
……等は既に彼方、照り付けるきつい日差しに白く染まる街路を歩く、カッターシャツに汗を滲ませた四人組。風紀委員の、男子生徒四人組である。
大欠伸を噛みながら怠そうに歩く学ランの前を寛げた嚆矢に、腕組しながら苦笑した『巨乳』Tシャツの巨漢、学制帽に丸い黒眼鏡の位置を直した長身痩躯、肩を揺らしながら歩くスキンヘッドの四人組だ。
「つまり、対馬は固法の罠だと言いたいのか?」
「それだ!!」
「何が『それだ』だよ、このロリコンは……ったく」
等と駄弁り、ヤル気ゼロで巡回しながら。今頃は、黒子と飾利、美琴は涙子の退院を迎えに行っている頃だろう。尚、本当は嚆矢も抜け出して行く気満々だったのだが、『巡回強化週間なので』とあっさり美偉に捕まった上に監視役を三人もつけられてしまった次第である。
仕方ないと言えば、仕方ない話だ。今、この学区では『警備員』が機能を鈍らせている。前回の『幻想御手事件』の際に、かなりの数が木山春生により負傷させられた所為で。その穴埋めの為に、本来は学校内の雑事解消が基本の風紀委員が学区内の巡回警邏を行うくらいには、人手不足である。まぁ、附随する権限は何ら、増えていないのだが。
「あーあ、全く。最近、良い事ねぇなぁ……」
吐き捨てながら、思い出すのは日付的には今日の話。日付が変わって間も無くの、深夜の出来事。街路の暗がりで出逢った、美琴の事。
──彼氏持ちだったとは、思いもよらなかったぜ……何だかなぁ、妹に彼氏が出来た兄貴ってのは、こんな気分なのかねぇ……
思い出す、少女と────少年。白く、矢鱈と性質の悪そうな、不良っぽい。選りにも選って、あんなのかと。人の趣味をとやかく言う気はないが、溜め息を禁じ得ない。よく、『火傷して少女は女になる』とは言うが。
知り合いでこのダメージだ、リアルの義妹だとどうだろう、と考えて。
「……無いな。むしろ、彼氏の方が可哀想になる。彼氏無理すんな、逃げろって言いたくなる」
怖気と共に、苦笑しながら。メールひとつ返し忘れれば部屋に式紙が大挙して火事になるだろうし、記念日の贈り物を忘れでもしようものなら……『怪物』がブチ殺しにやって来るだろう。
命が幾つ有っても足りない、あんなのと付き合えるのは、きっと不死身の化け物くらいだのものだ、と。
「どうしたよ、ロリコン先輩?」
隣のおむすび君の声に正気に還り、黒一色の現実にまた、嫌気が差して仏頂面に。
そして、今までの考えを全て、忘却の彼方に。また、いつもの日常に没頭する為に。
「別に。早く終わらねぇかなって、それだけだ。早く終わらせて、ファミレスにでも涼みに行こうぜ」
「お、良いっすね」
「……悪くない」
「今日、初めて同意するぜ」
天魔に唆された少年達は、代わり映えしない日々を過ごして。結局、そこを美偉に見付かり大目玉を喰らうのは後の話。
………………
…………
……
チク・タク。チク・タク。秒針の音、揺らぐ事無く。時計の音、変わる事無く。白銀の懐中時計を携えて、オープンテラスで紅茶とスコーンを摂る年若い紳士は葉巻を蒸かして。
「やれやれ……夢引きも知らぬか」
酷く巨大で重厚な、大型の機械が軋むように重々しい声だった。最上級のアルマーニ、惜し気もなく日差しの暴虐に晒しながら。嘲笑うように、面した道路を通り抜けた四人の少年達を嘲笑って。紅茶とスコーンを運んできたウェイトレスへと、機械のように正確に微笑み掛けて。
丹精な、名匠が魂を籠めて作り上げたかのような美貌に頬を染めたウェイトレスが、喫煙を注意する事も出来ずに恥じ入って逃げ出した。
「多寡が、ルーンの三文字で。相も変わらず、脆弱。矮小……しかし、目立つ行動をとる。流石に、“ヴードゥー教の始祖たる神”は違う」
時計の音は、全てを告げる。嫌が応にも。誰も彼も、神も仏も、預言者ですら、その戒めには抗しえない。現実が、全てを告げる。現実が証明しているのだから、誰にも、貴方にも、それは否定しえない。
「少女。生け贄。さ迷える子羊……か。他者に荷担したところで無意味、無価値。そろそろ、理解して欲しいものだ」
携帯灰皿に灰を落とし、誰かを見詰めて嘲笑うままに。進み続ける針の照り返す、太陽の光とは違う『灰色の光』が瞬くままに。
「さぁ、時計の針は巡る。一秒、二秒。後、どれくらい持つのか。楽しみだな、最期には結局────」
笑う、嘲笑う。針の音を響かせて。僅かに、軋む音を響かせて。
邪悪そのものではあるが、周りの、或いは通りがかる女性、老若を問わずに惹き付ける笑顔であった。しかしそれは、一体誰に向けられたものであるのか、彼以外に知る者は居ない。
「────『夢』は、醒めるだけだと言うのに」
………………
…………
……
漸く昼、解放されて。今日は早番、後は帰るだけだが。約束、そう、約束がある。今朝、届いていたメールが一つ。
「あ、嚆矢先輩、ここです、ここ!」
「あら……本当に来ましたの、お暇ですのね」
「ハハ、そりゃあ来るとも。昼前は散々むさ苦しかったし、口直しにさ」
第七学区のとあるカフェ、先程も巡回の際に通った。テラス席に陣取った、飾利と黒子の姿。そして。
「あ、どうもです、対馬さん。その節は、お世話をお掛けしました」
「やぁ、佐天ちゃん。なんのなんの、もう大丈夫かい?」
「はい、もう元気が有り余っちゃって」
退院したばかりにも関わらず、案外、元気そうな佐天涙子の姿があった。『幻想御手』を使用した者は昏睡こそすれども、一時的に強度が上がったお陰で更なる高みに至る契機を得た者も居たとか。経歴的には、どう見ても汚点だが。
それにしても、先程までのむさ苦しさがまだ、瘧のように。そこでふと、黒子が一つ、咳払いした。
「それにしても、また固法先輩に大目玉を食らったようですのね。全く、少し見直したらこれですの?」
「ああ、あれね。いや、最終的には全員ノリノリだったんだって。あいつら、口揃えて俺に罪擦り付けやがってさぁ……」
と、ツインテールの片方を手櫛で梳りながら、呆れたように。しかし、既に『それ』に気付いている嚆矢には、最早問題ではなく。
四人掛けの席の、最後の席に腰を下ろしながら。少しばかり、面映ゆい気持ちで。左隣のその一点、否、二点を見つめて。
「反省してる、でも後悔はしてない。それは兎も角、早速ありがとう。良く似合ってるよ、黒子ちゃん」
「っ…………?! い、意味がわかりませんの!」
何を誉められたかに、直ぐに気づいた彼女は耳まで真っ赤に染まって。唸るように、座っている都合上、見上げるように彼を睨み付けて。
赤い更紗のリボンを、風に靡かせながら。ぷい、と腕を組み、そっぽを向く。何とも言えず、愛らしい仕草であった。
「あれあれ~、これはまさか……強敵出現かな、初春~?」
「い、意味がわかりませんし!」
と、朗らかな空気。昼下がりには丁度良い、間延びして弛緩したテープのような、気の抜けた炭酸水じみた。
──隣に座っても無反応と言う事は、御坂は居ないのだろう。まぁ、昨日の今日じゃ会い難いし有り難いが……しかし、やっぱりムカつくなぁ、あの痩せぎす野郎。完全に世の中舐めきってたよな、あの目は。一発締めときゃ良かったぜ……何てな。どんな能力かも分からねぇで、そりゃ無謀って奴ですよ。
休もうと思考を緩め、無意識を増やせば増やす程、演算力が高まっていく。ある意味では呪いか、これは。夢とは、脳が体験を整理している際に見る物だとも言う。
あの日、第七位にカチ割られて以来、それをしなくなったこの脳が見せる夢とは、即ち現実の記憶に他ならぬ。
「さあ、何でも好きなもん頼んでくれ。財布はギュウギュウ、後は支払いをご覧じろってね」
「おおっ、対馬さん、太っ腹じゃないですかぁ!」
「やった、実はここ……ケーキバイキングやってるんですよ」
「まぁ、そう言うことでしたら遠慮なくいただきますの」
得意気にマネーカードをちらつかせればきゃいきゃいと騒ぐ三人娘を他所に、黙々と思考して。機械的に注文したアイスコーヒー、啜りながら。財布役になるだろうが、涙子の快気祝いなのだからと気にしない事にして。
勿論、野郎四人で行ったファミレスにではこんな事はしていない。一円単位の割り勘だった。その所為で罪をひっかぶらされたのであるが、当然、彼にとっては些末な事。
「しかし、後遺症とか無くて良かった。確か、『幻想御手』ってプログラムは『同系統の能力者の脳波を共有して増幅する』システムだったんだろ? 脳波の混濁とか起きるかも知れなかったわけだし」
対面の飾利と共にケーキを取りに行った黒子とは逆隣の席、『全種類持ってきますから、佐天さんは待ってて下さい』と笑顔で恐ろしい事を言っていた飾利に座らされたまま、フラッペを食んでいる涙子に語り掛ける。
「お医者さんが言うには、浄化プログラムのお陰で完全に切り離されてるそうです。もう、脳波ネットワークも消滅してるそうですから、大丈夫ですよ」
「それなら良いけどさ」
後で解析された『幻想御手』の仕組み。ありふれた能力種である『空力使い』の涙子には効果抜群、しかし学園都市唯一の能力種である嚆矢には、意味がないもの。
まぁ、終わった話ではあるが。と、ふと。涙子の表情に影が射した気がして。懐の『ステイルの護符』に魔力を流して発動、確率を司る己の能力『制空権域』にて軽い頭痛に反動を抑えながら、刻み付ける。雄弁を得る『話術』と、成長を意味する『治癒』のルーン。
「……何か有ったんならさ、もしよかったら相談にくらいは乗るよ。出来る事は、多寡が知れてるけどさ」
「あはは…………うーんと、別にそこまでおかしいって訳じゃないんです。だから、お医者さんにも話してなかったんですけど」
ぽん、と。彼女の掌に重ねた己の掌を透して。遣り方が汚いが、副作用で多弁となる『話術』と過ちを償う意味も持つ『治癒』を彼女に。
その成果か、重ねられた掌に一瞬慌てた様子だった涙子が落ち着きを取り戻す。そして何か。他の誰にも話していないし、話す事もないだろう事を、ぽつりと。
「夢……変な夢を見るんです。私、夜中に一人で近くの川沿いの路を歩いてて。体、言うこと聞かないで勝手に……そしてある場所まで行くと、怖い声が響いて」
「声か……なんて?」
美しい黒髪をさらりと靡かせながら、沈んだ様子で。ともすれば泣き出しそうなくらい。掌に重ねた掌、その上にまた、彼女の掌が重ねられて。
だから、労るように。その更に上に、掌を重ねて。体温を伝えるかのように、『魔術』を浸透させる。
「『もう少しだ、我が供物よ』……って、地の底から響くみたいに低くて、ハウリングしたみたいに耳障りな声が……あはは、恐い系のサイトの見過ぎですよね、きっと」
オープンテラスのこの夏の陽射しの下で、微かに震えた彼女。恐らくは心底恐ろしいのだろう、だがそれすら笑いながら誤魔化して。
そこに感じた、僅かな気配。有り得ざるモノ、ましてや、この少女からは────前にも、何処かで嗅いだ……葉巻の香り。周囲に薄く、風の一吹きで消えたくらいに、極僅か。
「ハハ、ホントにね。これに懲りたら、そう言うサイトは慎む事」
「ですよねー、あはは」
それに乗っかり、茶を濁す。同時に手も離し、ぽん、と頭を撫でた。そこに────
「あれ、どうかしましたか、二人とも?」
「随分と話が盛り上がっていますのね?」
様々な種類のケーキをこれでもかと持った二人が帰ってくる。その気配に気付いた為に。口裏を合わせた訳でもないが、性格が似てでもいるのか、一様に何でもないと誤魔化して。
最後に刻んだ、『鎮静』のルーン。それにより、『恐怖という感情』を鈍らせた意味があったらしい。
「んじゃ、召し上がって下さいませ、お嬢様がた。オイラは、此処で珈琲啜ってますんで」
と、アイスコーヒーの氷をストローてかき混ぜて。『魔術使い』はここまで、後は平々凡々な『学生』に戻って。
「あれ、嚆矢先輩、甘いもの苦手でしたっけ?」
「苦手じゃないけど、どっちかと言えば辛党かなぁ」
「あら、それは誤用ですの……いえ、まさかとは思いますけれど、貴方……」
「いやいや、ソンナマサカー」
「「?」」
等と、失言して黒子にジト目で見られたり。意味が分からなかったらしい飾利と涙子が小首を傾げたり。
後に絡む非日常は、最早無い。平和に、安穏と。日は傾いていく。そんな、『夢』のような時間は。
………………
…………
……
第七学区、そのバス停。飾利と涙子は二人連れだからと黒子を送ろうとして、あっさり断られた流れはテンプレなので割愛して。
去り行くバスに手を振り、見えなくなってから……振り返り、歩き始める。懐から取り出した懐中時計、『輝く捩れ双角錐』の収まるそれを確認する。現在時刻、十六時半。丁度良い頃合いである。
懐中時計を仕舞い、代わりに取り出した携帯。最低限の機能しかない『仕事用』の携帯でメールを打って、『二人』に向けて一斉送信。
『題名:グッドアフタにゃ~ん(ФωФ)
今晩ニャア、いかがお過ごしナ~ゴ? オイラはさっきまで可愛いハニー達とデートだったニャアゴ。
まぁ、それは良いニャア、本題ナ~ゴ。実は、件のお仕事の裏が取れたニャアゴ。という訳で今夜は楽しいピクニックになりそうだニャア、楽しみで今から眠れないナ~ゴ。
追伸:おやつに鼠は含まれますかニャアゴ?』
そんなメールをフレンダと最愛に送って、路地裏に入り込む。刹那、黒い影────彼の影に潜むショゴスが身を包み、学ラン姿からロングコートを纏うダブルのスーツ姿に。
そして頭部と掌を黒豹に替えて、最後に煙草を銜えて準備完了。そこまで一秒。見方によっては少年が曲がり角の角度に消えたようにも、異形の男が曲がり角の角度から現れたようにも見えるだろう。
『さて、始めますかニャアゴ』
『テケリ・リ。テケリ・リ』
二重の、薄気味悪い金切り声でそう呟きながら。黒豹男、性悪猫は路地裏の薄暗がりに紛れていった。
今宵の任務……『ある病院の関係者』が行っている『不許可実験の摘発、当該研究者の拘束』の為に。記憶を漁る、日に二度も聞いた、その名前を。
(『西之 湊』……再生医療学部主任、か)
血の色の猫目の奥、底知れぬ色を漂わせながら。
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