Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第3章 禁書目録
七月二十五日:『死体蘇生者』
白い、白い、白い部屋。息苦しい程に狭い、無機質な立方体の空間。『あぁ、またか』と、夢の中で溜め息を漏らす。見覚えが有り過ぎて、吐き気を催すほど。
そう、最悪だ。白い机の上に載る、二つの黒い金属塊の所為で。
『第六百六十次実験を開始する。さあ、選びなさい。いつもと同じ、この二挺の内の片方は初弾のみ実弾入り。もう片方は逆に、初弾のみ空だ』
室内に木霊する、耳をつんざくように大音量のアナウンス。忌々しい、実験動物への無感情な。箱庭の虫けらを、嘲笑うかのように。
白い机を挟み、対面に座った……同年代の少年と目が合う。思い出せないらしくのっぺらぼうの、しかし絶望に濁りきった瞳を確かに感じた。同じものを彼も感じたのだろうか、今となっては知りようもないが。
『相手を撃つも良し、自分を撃つも良し。さあ、実験開始だよ』
宣告に、左手を伸ばす。そこに在る回転式拳銃、『Smith&Wesson M29』を掴む────よりも先に、拳銃が消えた。
否、目の前の少年の手に握られている。『物体転移』か何かの能力だろうか。だとすれば、手も触れずにとは恐れ入る。
代わり、左の拳銃に手を伸ばす。だが、既に此方も彼方の少年に握られている。どうやら、能力行使は一度に一つが限界らしい。黒く重いその銃口を、迷わず────こちらに向けて引鉄を引く。カキン、と。空薬莢を叩く音がした。
それに、少年が笑う。『今日も生き残れた』と、右手の拳銃を突き付けて────右手の中で暴発した拳銃弾が、一体どんな軌道を描いたのか。
正に魔弾、右手を失った射手が悲鳴を上げるよりも早く、その眉間を撃ち抜いて絶命させた。
『──実験終了。やはり、間違いない。君は本物だ、本物の正体不明の怪物だ、“合成物体01号”?』
嬉しげな声も、忌々しいだけ。玩具の出来の良さを喜ぶ声など。
『次回からは、実戦だ。その“正体非在”、精々活用したまえよ。次からの相手は、こんなしょうもない相手ではないからね』
忌々しい、その声の主────嗄れたその、嘲りでしかない賞賛を浴びながら。
『他の六人の超能力者を殺害する事で、君は絶対能力者に昇華する。奇しくも宗教家どもが語る“黙示録の獣の数字”に届けば、“天上の意志”とやらに、手が届くのだよ────第■位?』
自滅した少年の、返り血を浴びた顔を上げる。マジックミラーに映る、己の姿を見てしまう。
砕けた頭蓋から吹き出した鮮血に、肉片に。血化粧を施された己を。
『“絶対能力者移行計画・プランⅥ”、後期段階に移行する。期待しているよ……そうだ、名前をあげないとね』
──笑っている。生き残った安堵? 違う、だって、俺は負けない事を知っていた。目の前の骸には。
『識別名の頭文字から取って、コージとしようか。漢字は、適当に変換して……と。うん、これでいいね』
──ならば、何故か。単純だ、そう、もう、生き死にが莫迦らしくなっていただけ。生きようが死のうが、違いはない。
『期待しているよ────嚆矢くん?』
──そう、この世は……既に、辺獄なのだから。
………………
…………
……
瞼を開く。蜂蜜色の目に入るのは、白────ではなく、茶色。机ではなく、卓袱台だった。
──莫迦が……何で今更、あんな事を思い出す。もう、終わった事だ。俺はもう、決して“絶対能力者”には届かない。第七位に敗北し、『無自覚の領域』を失った俺には────?
最悪の寝覚めに亜麻色の髪を掻き上げつつ舌打ちながら、目覚めの理由である携帯の振動を止める。
「失った……俺が、何を?」
そう自己矛盾しながら、意識的に首許の『兎足』を握り締めて。それに気付いた事すら、忘れて。
尚、携帯は着信でもメールでもなく、日常使用している目覚まし機能である。
「五時、か。正味二時間……」
代わりに『輝く扁平多面体』の妖しい石を内蔵する懐中時計を確認し、呟いて立ち上がる。バサリと、掛けられていた薄布が落ちた。
見れば、右手側から同じように卓袱台に突っ伏して寝ているピンク髪の幼女……ではなく、歴とした教師。即ち大人、月詠小萌教諭が居る。
──さて、起こすのも悪いしな……連絡先だけ残しとくか。
薬品や絆創膏、包帯が入った、ペンギンのキャラが特徴の安売りの殿堂の袋からレシートを取り出す。その裏に、携帯の番号と名前を記して。
少し奥を見遣る。敷かれた布団、そこにまだ眠ったままの上条当麻と……その隣に眠っている、掛布の掛けられたインデックスを微笑ましく見て。
最後に、小萌に自分に掛けられていた掛布を掛けて。静かに、部屋を後にした。
「ン────あぁ、良い朝だ」
早朝の爽やかな風を浴び、雀の囀りを聞いて。背筋を伸ばしながら欠伸する嚆矢の目に映るのは、明けの学園都市の町並み。摩天楼も風力発電塔も何もかも、群青菫に染まった光景。この都市の、唯一好きな一面だ。
大空の蒼を映す、窓硝子。この色合いだけは、嫌いになれない。本当に、ただ、唯一。他は、焼き尽くされても構わないくらいだが、これだけは。
『てけり・り。てけり・り』
「……るせェぞ、昨日話した通りだ。折角のいい気分に水差すな、化物」
そんな折、足下のショゴスが『煙草をくれ』とばかりに啼いた。すかさず、血涙を流す瞳が覗く影に向けて悪態を吐く。
片や銀髪美少女シスターとピンク髪合法ロリ教師の甲斐甲斐しい看病を受ける厚遇、片やSAN値直葬モノの怪物にタカられる有り様。
『解せぬ』と。余りの差に、危うく感動以外で涙が出そうになった。
「ハァ……まぁ、戦利品は有ったし、良しとするか」
『てけり・り。てけり・り』
「だから、うるせェっつってンだろ」
溜め息を吐いて、気を取り直して。煙草を銜え、火を点す。懐、そこから取り出したトランプ……全て回収した訳ではないが、ステイルが仕掛けた『人払い』の結界に使われていた、ルーンのカード数枚をカードマジックのように弄びながら。
都市摩天楼の朝、そこに背を向けて。這いずるように蠢く、血涙を流す紅い瞳を無数に浮かばせては沈ませる悍ましい影を引き連れて、郊外の自宅へ帰るべく近場のバス停を探す事にした。
………………
…………
……
昼下がり、蝉の大合唱の最中。自室に帰り、風呂に入って着替えた意味もないくらいに汗を掻きながら、嚆矢は目的地に到着した。
現在時刻、十三時四十五分。約束の時間までは、まだ十五分ある。
「花はこれで良し、と……」
二つの花束を手に立ち入るそこは、病院。『幻想御手』事件の被害者……かのプログラムを使用した学生達が入院している病院である。
その、見舞いに来たのだ。佐天 涙子と、後輩である蘇峰 古都の。
『てけり・り。てけり・り!!』
「莫迦野郎、これは食いモンじゃねェ。何でもかんでも喰おうとすんなっつーか、昼日中から出てくんな」
『てけり・り。てけり・り……』
花束に触腕を伸ばし、血涙を流す瞳と乱杭歯の並ぶ口から腐った涎を垂れ流すショゴスだったが、叱られてしょんぼりと平面に潰れる。
周りに気づかれていないかとヒヤヒヤしたが、どうやら大丈夫だったらしい。
「あ、こんにちは、嚆矢先輩」
「どーも、対馬さん」
「随分とお早いですのね、意外ですの」
「ああ、こんにちは、飾利ちゃんに御坂。それと俺は紳士だぜ、女の子は待たせないさ、黒子ちゃん」
「「「へー」」」
「あれ? アウェー感半端ないな、こんな色男を捕まえて」
そこに飾利と美琴、黒子が合流する。一気に姦しくなる。ちょっと、窓口の看護師に睨まれたのは内緒だ。
「んじゃ、ちょっと早いけど行こうか?」
先導するように歩く男。少女達が持ってきた見舞いの品を纏めて。その背中に、少女達が続く。
「すみません、友人の見舞いに来たのですが……場所が分からなくて」
「……お名前をどうぞ」
窓口で、やたら無愛想な女性看護師に見舞いに来た事を告げる。
涙子と古都の名前を告げれば、面倒臭そうにキーボードを叩き、直ぐに病棟の場所を教えて貰えた。
「……場所は、南棟の三階北側四号室と西側五号室です。それと、あまり院内では騒がないように」
「ありがとうございます、肝に銘じます」
礼を口に、南棟への連絡通路へ。その道々。
「なんだか、愛想ない人だったわね」
「全くですの、曲がりなりにも客商売でしょうに」
ぽつりと、美琴と黒子がそんな事を口にする。気持ちは解らなくないが。
「まぁ、あれだろ。他にも学生が来て騒いだんじゃないか?」
「あぅ、耳がいたい気がします……」
フォローを入れた嚆矢と、何故か身に摘まされた顔をした飾利。因みに彼女は昨日も一度、涙子を見舞ったらしい。もしかすると、その時に何かやらかしたか。
「ああ────君達」
そんな四人に、掛けられた声。若い男のものだ。見れば、確かに若い。丸眼鏡に白衣の、高身長にスレンダーな、健康的に日焼けした青年医師。
胸元には、『細胞再生科主任 西之』と有った。
「ひょっとして、例の見舞いの?」
「ええ、まあ……何か、御用で?」
白衣。今朝の夢の所為か、何時もよりもそれに嫌悪を感じてしまう。その為か、若干刺々しい口調となってしまったが、西之医師は全く気にせずに。
「やっぱりね。窓口から連絡が来てね。丁度、今から佐天さんの診療に行くところだから、案内しよう」
「本当ですか、ありがとうございます!」
「助かりますの」
「お願いします」
気さくに、正に好青年然と笑い掛けてきた彼。嫌味のないその笑顔に、少女達は警戒を解いている。
こうなってしまえば、もう嚆矢一人の感情など。
「申し遅れました、僕は西之。西之 湊。宜しくね」
「あ────はぁ……」
差し出された右手、何故か此方に。仕方なく握ったその右手は──死体のように、冷たかった。
………………
…………
……
病室の扉を潜る。ただ、一人で。ネームプレートには、『蘇峰古都』の文字。だから、一人で。
他の三人は、別の病室……涙子の病室の前で、西之医師の診察が終わるのを待っている。その待ち時間に、来たのだ。
「よう、邪魔するぞ、蘇峰」
「あ……主将」
ベッドの上、上体を起こした状態で座っていた彼に気さくに声を掛ける。元々沈んだ表情だったが、此方に気付いて更にバツの悪そうな表情になる。
──一まぁ、流石にこれでケロリとしてたら、もう一回ぶん投げるところだしな……。
一応、“妖蛆の秘密”に関連する記憶は嚆矢の『空白』のルーンで消している。だが、『幻想御手』の事はノータッチだ。
だから、自分が『幻想御手』を使った事は覚えている筈。
「元気そうだな、弐天巌流学園の合気道部の次期主将……二つ名は『圧潰領域』でいいか?」
花を近くの台に置き、軽口を。いつも通りの、軽口ジャブである。
「茶化さないでください。そもそも、もう僕にはあれだけの力は振るえません」
「何だよ、折角二秒も懸けて考えたのに。素直に受けとれ、二つ名を送るのはうちの代替わりの伝統なんだからよ。俺だって、前の主将から『制空権域』何て二つ名を頂戴した時は恥ずかしかったのなんの……」
近くの椅子に腰を下ろし、ニッ、と口角を吊り上げて笑い掛ける。軽く気分を害したらしい古都は、ジト目でそれに答えて。
一瞬、不思議そうに瞼を揺らす。嚆矢の背後を、足元を見た後で。
「本当に申し訳有りませんでした……今回の件で、折角、先輩方が築き上げた部の看板に泥を塗ってしまいました」
そして俯きながら、言葉を吐く。謝罪と、自嘲を。
「全くだな。『幻想御手』なんて莫迦なモンに手ェ出しやがって。これが薬物とかなら、テメェ、マジでヤベェところだったンだからな」
「はい……主将の期待に応えるどころか、後ろ足で砂を掛けるような真似をした僕には────主将になる権利なんて、有りません。有っちゃ……いけないんです。だから、これを」
差し出されたのは、一通の封筒。表には、達筆な『退部届』の文字。
恐らくは、今日の朝に目覚めて直ぐに用意したのだろう。責任感の強い彼らしい、性急が過ぎる自裁だった。
「おう、気が利くな」
受け取り、それで────チーンと。真夏日の外から冷房の効いた室内に入った為に、少し詰まった鼻を噛んだ。
そして、最後はくしゃりと丸めてゴミ箱に。それで終わり。古都に向き直り────
「……そう来ると思って、数は揃えておきました」
「真面目な奴が本気出すと、これだからなァ……」
引き出しの中には、几帳面にぎっしりと。いやはや、大雑把で飽きっぽい嚆矢にはちょっとしたホラーである。
それを、呆れ果てた眼で見詰めて。
「古都。あのな、迷惑なら最初っから此処には来ないで除籍処分だ」
実際、彼はそうする。以前、自分の力を誇示する為に合気道部の門を叩いた学生が居た。確か、同学年の大能力者の『念動能力』だった筈。鋼鉄すら捩じ切る程の、『握力』が自慢の特化型。
次期主将候補であり、学園の期待の生徒。鼻持ちならない、陰険な。ある程度を学んだ後、当時の主将の腕を捩じ折って嘲笑った男子生徒。
その両腕を、両足を。背骨を、頚椎を再起不能なレベルでへし折った。勿論、その彼が『受身をやりそこなった』せい。詰まり、彼が『未熟であり運が悪かった』だけの事。
その後、主将となった嚆矢により正式に除籍。更に、無用となった彼は学園からも放校処分とされて消えた。以後どうなったかなど、どうでもいいから知らない。知ろうとした事もない。
立ち上がり、歩きながら窓際へ。開け放たれた窓、そこから少し、身を乗り出して。
それくらいの無慈悲さなら、幾らでも持っている。そもそも、男相手になら……慈悲など掛けない。それが、『対馬嚆矢』だ。
「良い機会だ、ちったァ逆境を味わえ。確かに、確かに。テメェの所為でウチの評価はガタ落ち。来期は部活動費も出ないんだとよ」
「…………」
それは、昼前に。事実を報告された、『統括理事会』からの通告が有ったと。顧問の老達人から、そう連絡が有った。
『いつもいつも、終わった後にばかり五月蝿い奴等だ』とも、付け加えて。
「そこまで不利益もたらしといて、ハイサヨナラか? そいつァあ、理屈が通らねェなァ……」
「ですが……今更、僕を、誰が」
煙草を銜え、火を灯す。熱感知器に引っ掛からないように、身を乗り出したまま。煙感知器に引っ掛からないよう、万色に濁った紫煙を外に向けて吐きながら。
自分を、楽な道に逃げた己を蔑む古都に、向き直って。
「知るかよ、俺以外は。けど、俺はまだ信じてる。狂いながらも、自分の強さを求めたお前。そんな、真摯に『強さ』に向き合えるお前だから……首の皮一枚で、まだ信じてやる」
とんとん、と己の首を手刀で叩いて。多分、最後通牒。口で笑い、しかし眼で睨みながら。この次はないと、暗に告げて。
煙草を、窓の外へ。外壁に映る煙草の影から沸き立ったショゴスが、それを呑み込むのを空間のうねりで感じて。
「…………」
俯いたままの彼、その脇を歩き抜けて。すれ違う刹那、ポン、と肩を叩いて。
「因みに俺が主将になった時は、同級生一人ぶっ壊したんで部活動費を切られたぜ? けどまァ、結果さえ出しゃあ、後は何とでもならァ」
「主将……」
「『幻想御手』に手ェ出すような蛮勇があんなら、嘲笑われるくらい軽いもんだろ。いいな、間違った奴が逃げるのだけは赦さねェ────男に後退の二文字はねェ。つーか、幻想御手なぞ使ってンじゃねェ、てなモンだ」
最後に、そんな助言めいた事を口にして。己の決定は、覆さないと暗に示して。
照れ隠しなのか、巫山戯て、どこぞの戦闘狂みたいな事を口にしながら扉を開く────
「「「あ……」」」
「…………」
扉の外で聞き耳を立てていた、連れの三人の上目遣いと見詰め合ったのだった。
「……えーと、何を?」
「いえ、あの、暇だったからつい……えへへ」
「いえ、あの、暇でしたのでつい……おほほ」
「いや、あの、対馬さんが真面目な事言っててあはは」
「御坂だけ違ってるよね、笑うとこが!」
一気に、扉を閉める。その向こうでは、まだ喧しく喧騒が繰り広げられているのだろうが。
それらを全て、遠く聞きながら。蘇峰古都は、枕元の手紙……彼の『祖母』の手紙、未だ開ける勇気を持ち得なかったものを取り出して。
「……そうか、そうですね、主将。あんな、馬鹿な事をしたんだ……今更」
それの、封を切る。手紙、便箋に認められた言葉、受け止めるべく。
祖母が、ただ一人の肉親が。一体、どんな思いで彼に接していたのかを。
「そうですね……主将。その、通りだ」
諦めた? 否────吹っ切って。几帳面に畳まれた便箋、開いて…………全て、生まれて始めて、受け止めて────…………
………………
…………
……
見ていた。芳醇なる、その『少女』を。こんな事が出来るのも、この『職業』故の特権だ。こんなにも、間近で。
「───────────?」
「───────────」
少女──艶やかな黒髪の彼女が、何かを囀ずる。正直、内容は覚えていない。年若く、可憐なその容姿。見れば見るほど、惚れ惚れするほどに。
欲しい。欲しい、彼女が。きっと、最高の一つになる。我が、コレクションの中でも。これだけ、美しいモノはそうはない。
「───────────」
「───────────」
刹那、邪魔が入る。忌々しい、いつもいつも。こいつが居なければ、もっと捗るのに。
背後から語り掛けてきた存在に、噫にも出さない内心で舌打ちながら。
焦る事はないと、心を落ち着けて。この身、この魂に刻まれた魔術』を起動する。
忌まわしくも崇高なる、“ブリチェスターの邪教集団の黙示録”を。その、悪夢の力を……少女に。
『佐天涙子』へと、向けて─────…………
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