Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
断章 アカシャ年代記《Akashick-record》
??.----・error:『Nyarlathotep』Ⅱ
夜の気配に満ちた第七学区の通りを、男一人と少女二人が歩く。他ならぬ、嚆矢と黒子、美琴の三人だ。
因みに、何か『幻想御手事件』関係で忘れている気がずっとしているのだが、何かピンク色のものがチラチラと記憶の片隅にあるのだが……この状況になった時から、そんなものは吹き飛んでいる。
「ちょっとしたナイト気分ってやつですか、対馬さん?」
「それを言うなら、送り狼の間違いではありませんの、お姉様?」
現在時刻、二十一時。彼女ら、常盤台の学生寮の門限は、当に過ぎているのだ。
「だから、嚆矢君は変態紳士だと以下略……つーかお前の為だろ、御坂」
「アハハ、ご迷惑をお掛けしまーす」
無論、風紀委員の活動を行っていた黒子の方は問題ない。問題なのは、首を突っ込んできただけの美琴の方だ。
まぁ、その美琴が居なければ、原発に迫っていた幻想猛獣でどうなっていたか分からない。その意味でも、何とか穏便に取り成そうと言う事で。
「しかし、こう言う事ならみーちゃんの方が向いてるだろうし、あのみーちゃんが俺を名指しで行かせるなんて事が信じられないんだ、今でも。クランの猛犬でもいるのかい?」
等と、道々買った缶珈琲を啜りながら。ヘラヘラとそんな、普通なら『何ですかそれ?』と一蹴される冗句を口にして。
「ああ……まぁ」
「ええ……まぁ」
「まぁ、居たとしても俺の理合で一蹴……え、マジで居るの? なぁ、何で黙る? 何とか言ってくれ、なぁ御坂、黒子ちゃん?」
何故か目を逸らし、以降は完全に口を閉ざした二人。まるで、この後の事をもう、この瞬間には覚悟したかのよう。
少なくとも、後に嚆矢はそう思ったのである……。
………………
…………
……
「それで────」
「───────」
大気が、痺れるかのように。息一つ、それすらも苦役。先ず後悔したのは、己の浅はかさ。
目の前には、三角眼鏡にピッタリとスーツを着込んだキツそうな女性。タイトスカートから伸びる長い脚の先は、ハイヒール。常盤台の学生寮の主……即ち、彼女ら常盤台の学生達ですらが恐れる『寮監』その人。
「それで。何故貴方から、規則違反者を看過するように等と言われなければならないのですか?」
「それは。あの、御坂さんのお陰で事件が無事解決した訳ですし、少しくらい大目に見ていただきたいな、と思った次第でして……」
──ああ、莫迦な話だ。何て莫迦だ俺は、女の子二人連れたからって光の御子気取りで意気軒昂と。
まるで、丸裸で乗り込んだ『影の国』で『深紅の魔槍』や馬牽戦車で完全武装した魔女と相対したかのような。精々刻んだ、『話術』の神刻文字が気休めにもならない。助けて義母さん、ヘルプミー!
紙背どころか掌ですらも徹しそうな鋭い眼光に若干、脚が震える。あの麦野沈利でも、これ程まではなかった。いや、もし敵対とかしたらこれ以上かもしれないが。
首の兎足を握り締めながら、そう、居もしない人に祈って。
「────それが。それが寮の規則と、何の関係が?」
「────アハハ。ですよね……」
曖昧に笑う。即応、一切の揺るぎがない鉄の面皮が返ってくる。投石をしたら、ロケット弾が返って来たくらいの驚きだ。
──メーデーメーデー、戦力差は歴然。至急支援求む! 零時方向、超電磁砲撃ってくれ……ッてなモンだ。
開戦三分、もう、心が折れそうだ。十五分前の俺をしこたまぶん殴りたい。
因みに、頼みの美琴も黒子も諦めた表情で背後。あの、超能力者の第三位と大能力者の空間移動者までもが、だ。
何かしらの武芸を極めたか、或いは魔術でも使うのか。確かに、立ち居振舞いは堂に入ったもの。纏う気配は、達人のソレ。抜き身の刃のように、少しでも気を抜けば唐竹割りにされそうな。
だからと、そこまで闘士脳な訳ではないが。俄に、興味が沸いて。
固めていた拳を、開く。彼の武術、その構えの一つ。右腕を差し伸べる形の特異な、彼の最も得意な構え。蚯蚓の怪物と、事象の地平面を投げた時の構えだ。
「ふむ。構えは大したものですね。古流柔術、合気道……確か、『理合』を標榜するという隠岐津流の構え」
「ッ……大したものは、此方の台詞です。まさか、構えだけで看破されるとは────!?」
そこまで口にした瞬間、凍り付いた。握手、していたのだ。右手で、寮監の右手と。
この数年、初めて『武の師父』と会って、ほいほい握手に応えて挨拶がわりに投げられた時。それ以来の迂闊である。
だから、耐えられる。いや、耐えなければ。でなければ、あの日以来進歩がないと言う事。それだけは、と────踏み締め、落とした腰。完璧なまでに、寮監の『柔』を受け、耐えて。
「やはり大したもの────ですが、やはり甘い」
「な────」
気付くよりも早く、握った左手の人指し指がめり込んでいた。鼻と、唇の間。即ち『人中』に。コツンと、本当に軽く。しかし、十分だ。十分に嚆矢の意識を刈り取って。
柔拳だけではなく、剛拳までも繰り出した彼女によって。
──世の中ってなァ……広い、なァ……まさか、多寡だか市井に…………これ程の…………
膝から崩れ落ち、硬い石畳に落ちる体。その感覚を最後に、深い闇が広がって────…………
………………
…………
……
水滴。無窮の虚空から霊質の一滴が、ポタリと。それに目を醒ました、天魔色の髪に蜂蜜酒の瞳を持つ少年が見たのは────海岸。
「此所は……」
金色の塵が舞う、菫色の霧。夜明けの青に煌めく銀燐。星の煌めきだと気付いたのは、僅かに遅れて。
明瞭となりゆく意識がまず認めたのは、白く香しいロトスの花。そして紅いカメロテが、星を鏤めたかのように咲き乱れた海岸だった。
「また、か」
あの、魔具の内側。確か、魔神どもの箱庭の。そう言っていた……誰が? 否、師父に言われた筈だ。そうだ、その筈だ。
まだ、痺れの残る脳味噌を揺らして仰向けに。見上げた『虚空』には、見えもしない新月が。『闇を彷徨う』だけだったモノから位階を上げた『悪心』が、嘲笑いながら憎しみの影を放っている。
「何だよ……見てんじゃねェ、クソッタレ。悔しかったら、俺を従わせてみろ」
悪態吐く。それだけで、透明な月は腹立たしげに居なくなる。元々、居もしないものだが。
「ふふ、ほら? あんよが上手、あんよが上手」
「ふふ、ほら? 鬼さんこちら、手の鳴る方へ」
代わり、視界の端に金と銀。『何か』と戯れながら、星屑の砂浜を走る足音二つと。
『てけり・り。てけり・り』
その後を、ずりずりと蠢く大空洞。コールタールの塊のような『何か』が。スライム状の、子供が作った砂山程に盛り上がった粘液塗れの身体に幾つも、血走った目や乱杭歯の口を浮かび上がらせては沈み込ませて。
アメーバのように原形質の、玉虫色に鈍く光る身体を這いずらせて不快な金切り声で鳴きながら、金銀の双子を追い掛けている。
「……………………なんぞ、あれ」
理解不能である。少なくとも、狂気にはそれなりに慣れている筈の嚆矢ですら、見るだけであのスライム(?)には正気を削られている。
そんな怪物と、まるで『我が子と戯れる』かのように渚で遊ぶ、二羽の鶺鴒は。
あの二人は……一体、何者なのか。
──確か、金の子は『二十六文字の賢者の石』……だっけ? んで、銀の子は…………教えてくれなかったんだっけか。
そう言えば、と。二人の姿を見た刹那、思い出した記憶。今まで、忘れていた……というよりは、覚えていてもいなくても同じ事だから気にしていなかった事を、反芻して。
「あ────こうじ、起きたのね」
「あ────コウジ、起きたんだ」
気付いたのは、二人同時だった。金紗の髪が舞い、薄赤色の星雲の瞳がこちらを見遣る。銀紗の髪が舞い、薄青色の星雲の瞳がこちらを見遣る。
不思議と、それだけで。心が落ち着く。宇宙の原初よりの霊質の潮騒と共に、そのf分の1の揺らぎを含んだ声が、魂を安息に導くかのように。
『てけり・り。てけり・り?』
「………………………………」
おまけで、血走った玉虫色の不揃いの眼球や複眼、蝸牛の角のような雲丹の刺のようなもの多数も。
そんな怪物が原形質流動でウゾウゾと近寄ってくるのだ、実にSAN値激減な外観である。
「やぁ、二人とも。相変わらず仲良しだな」
折角の気分が台無しだが、こう言う手合いはスルーが一番。つい、と視線を逸らして。
「『相変わらず』? ふふ、おかしなこうじね。この子は、貴方が連れてきた“ヨグ”の一部よ? そうだわ、変な形に押し籠めて酷いことしないでね。わたしの『無明の霧』の一欠片に」
「『相変わらず』? はぁ、おかしなコウジだ。この子は、君が連れてきた“ショゴス”だよ? そうだよ、変な形に押し固めて酷いことしないでよ。ワタシの『万能の細胞』の一欠片に」
『てけり・り。てけり・り!』
すると、俄に怒られてしまう。黒衣の少女、ぷうと頬を膨らませて。白衣の少女、つんとそっぽを向いて。
またもおまけで、空洞の塊が沸騰するように玉虫色の泡を弾けさせている。
──何だか『賢人バルザイの偃月刀』を再現した形を採っているが、気にしては直葬だ。
そう、あんな怪物……ヨグ=ソトースだったかショゴスだったか、ヨグ=ショゴスだったか何だかを手に持ったり、一体化させたりしたなんて事はあってはならない。無いもんね。
「良く分かんないけど……ゴメン、猛省した」
「分かれば良いわ。だから、これからはちゃんと可愛がってあげてね?」
「分かれば良いよ。だから、これからはちゃんと可愛がってやってよ?」
『てけり・り。てけり・り♪』
必死にそう、否定ながら肯定して。喜ぶように擦り寄ってきた────粘塊に、何やら良く解らない粘液を塗りたくられる。
敵対的な存在ではないみたいだが、まぁ兎も角、そんな事よりも。
──やっぱり、『もう一人』は認識してない……のか?
それに、思い至る。この粘塊が言語を介せば、とも思ったが────
『そう、片方のみ。未来か、過去か……進む方を、繋ぐ方を、選択しなければ』
どうやら、この粘塊は『話しかけられた方へ』としか反応を返していない事に気付く。
「そうだわ、こうじ。前の約束……また来てくれるって約束。守ってくれて、ありがとう」
「そうだよ、コウジ。前の約束……もう来ないって約束。破っちゃうなんて、酷いよ」
「ハハ……何て言うか、参ったな」
と、そこで二者二様、二律背反。先程までのように同じ事を言ってくれれば、楽なのだが。
「それに、あの娘。お花畑の娘。ちゃんと助けられて、よかったわ。やっぱり、こうじって強いのね」
「それに、あの娘。双房髪の娘。ちゃんと助けられて、よかったよ。まったく、コウジって弱いよね」
『だから、選べ。たった一つのその右手、掴み取れるものも、また一つ。簡単な計算式だ、“悲劇と言う名の喜劇”だ。そうだろう?』
褒める黄金に、貶す純銀。嘲笑う、無色透明。全く以て、調律した矛盾そのもの。
「ご期待に応えられる結果が出せたら、良かったんだけどな」
「ええ、素敵だわ、こうじ」
「ああ、不様だね、コウジ」
──だからこそ、俺は『繋ぐ』。『寂しい』と、かつて呟いたこの二人の為。
「だからさ、いつか……“外に行こう”。見るだけじゃなくて、自分自身で、歩いてみないか?」
「“外”……わたし自身?」
「“外”……ワタシ自身?」
──少しでも、寂しさを紛らわそうとしているこの二人の為に。多少の思考の手間など、何するものか。
「うん……じゃあ、約束よ、こうじ」
「ウン……じゃあ、約束だ、コウジ」
『────やれやれ……』
肩を竦める気配と共に、少女達が表情を変える。驚きから、喜びへと。差し出された、『重なる二つの右手』に、小指を絡めて。
しかし、時間切れだ。もう、もう────
「ああ────それなら、また来るよ。今度こそ、『君達の物語』を」
半ば、意地で。黒に染まる意識に、大好きな群青菫を思い描いて。
「繋ぎ、に────」
閉ざされる。あの戸口は、もう開かない。その時までは、絶対に。
笑っている。声もなく、姿もなく。音もなく、光もなく、混沌のただ中で。もう、届く筈もない。もう、もう────
「だから、俺は────」
右手。人のままの。温もりと冷たさ、その二つが残った右手を────
『今晩は。忌々しくも素晴らしき、我が聖餐よ』
掴み、掠れた声で呼び、目の前で狂い笑う黒い──全身鎧。闇に彷徨う深紅の三つ目、和の物とも洋の物ともつかない甲冑に、龍の如き翅の造化の神弑し。其は、神仏の敵たる『第六魔王』。
それに付き従い、愚者を嘲るように呪われたフルートをか細く鳴らし、くぐもった太鼓を下劣に連打して躍り狂う蕃神達より────…………
………………
…………
……
目を醒ます。無窮の神苑から、有垢なる穢土に。具体的には……警備員の拘置所に。
何でも、通報により駆けつけた彼らが見たものは……昏倒した嚆矢の姿。一応は寮監の話により無罪放免は確定しているが、放置はできないので運んだとの事。
──危うく前科が付くところだったぜ……勘弁してくれ、こちとらもう、未成年者保護法は適用されねぇんだから。
丁寧に礼を述べて後にした拘置所、道々嫌な汗をかいた体が冷え、ざらつく感覚がするのは、倒れた際に砂埃でも浴びた所為か。或いは────付き従う影が、異様に濃い所為なのか。
帰り付くのは十時にもなろう、そんな遅くに風呂を遣わせて貰うのは心苦しいと、嚆矢は管理人の撫子に遠慮して。
「よし、銭湯にでも行くかな」
純銀の光を放つ黄金の月が見詰める中、またもや運命の選択を誤ったのだった。
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