Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第2章 幻想御手事件
24.July・Midnight:『Masters』
カタタッと、二度のタイプ音。一応のブラインドタッチで打つキーボードの、エンターキーをダブルクリックした音だ。
「あ~……やっと終わったぁ~……一年分はパソコン触った、もう嫌だ、もうやらない」
呟き、仕上げた報告書を本部に送信して、嚆矢はのへーっと机に突っ伏した。そのせいで、画面には意味不明な文字の羅列が量産されていく。
時刻は、既に二十時を回っている。事件の終息から今まで働き通しで、漸くノルマが終わったところだ。その量、実に四十ページ以上。『被害の規模やタイムテーブルも記せ』との本部からのお達しで、更に時間を食わされた。結局、一番割りを食うのは現場である。
「お疲れさん、先輩」
「なんだ、おむすび君か……せめて美少女に生まれ変わってから出直してきてくれ」
「コーヒーやんねーぞ、このロリコン先輩」
『巨乳』Tシャツの同僚の差し出した紙コップのホットのドリップコーヒーは、冷房の効いた室内での事務作業に疲れた身に染み入るかのよう。
有り難く啜りながら、パソコンのモニターを落とす。待機画面の黒いモニターに、疲れ果てた己の顔が映って。
「しかし、今回の事件はまた大変な位置に居たな。大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫、酷いのは見た目だけで深くなかったからさ」
言い、包帯の巻かれた首の傷を擦る。医者からは『安静にしておくように』とも言われたが、結局は神刻文字による治癒で騙し騙し、復帰した。
「お前はどうでも良い、白井の方だ。何か、妙に吹っ切れたような顔をしていたんだが」
「だな。一体何しやがったんだよ、対馬? 事と次第じゃあ、警備員に引き継ぎだぜ?」
「随分な言われ方だが……まぁ、良いさ。何せ、漸く黒子ちゃんと仲直り出来た俺は既に賢者モードだからな!」
そこに声を掛けてきた、帽子に丸眼鏡の根暗そうな男とスキンヘッド。何なら、コイツらの方が、『不良学生』のような見た目の同僚達が。
「呆れた……やっぱり対馬先輩って筋金入りのロリコンね。本気でキモいんですけど」
「何とでも言うがいいさ! だけど、俺は絶対に変わらないからな!」
最後に、バッグにペットボトルを大量に持つ長髪で目が窺えない女学生が溜め息交じりに呟いて。
全て、後輩である。何なら、もう数年来の。つまり、気の置けない仲間内のじゃれ合いだ、これは。
「何が変わらないんです?」
「何が変わらないんですか?」
「何が変わらないんですの?」
「誰が何と言おうと、俺は年下好きだって事に決ま────って……」
三人分の問い掛けにそこまで言って、錆びた鉄葉の玩具みたく振り返る。無論、其処に居たのは後輩────固法美偉と、御坂美琴と白井黒子の三人。
「……御坂さん、白井さん。あまり近付かない方がいいわ、この変態には」
「お姉様、お下がりくださいですの。視線だけでも不浄ですわ」
文字通りに『白い眼差し』である。眼鏡越しのと裸眼の、軽蔑の視線は。
「酷ッ! 変態は変態でも、嚆矢君は女の子に手を出した事なんてない変態紳士でしょうが!」
「ハイハイ、対馬さん。寝言は寝てから言ってくださいねー」
「はい、傷ついたー……嚆矢くんのHPはもうゼロよ!」
それら、全てを含めて。177支部の一室は、朗らかな笑いに包まれて……。
………………
…………
……
夜でも綺羅びやかな都市の片隅、暗がりの袋小路の最果て。其処に、切破風屋根の屋敷はある。息を潜めるように、或いは、傲然と。
学園都市の成立よりもずっと前からあった、明治初期の古めかしい洋館建築。黒一色の、さながら匈牙利の森の奥に在ると言う、シュトレゴイカヴァールの『黒の碑』の如く聳え立って。
「貴方が────」
屋敷の男主人が。黒い肌の麗人が、或いは、燃え立つような瞳の魔人が口を開く。
「貴方がこうして────我が領域に踏み込むのは、何度目でしたか?」
磨き終えたクリスタルグラスに、球形の氷を収めたグラスに、純喫茶では有り得ないもの。私物のブランデーを、最後の一滴まで注ぐ────魔導師が。
「さてな────思い出したくもねぇよ、こちとら」
麗人に応えたまま、ロックのブランデーを傾けた男は────煙草を灰皿に躙った、隆々たる筋骨を革の外套で包んだ、サングラスの白人の偉丈夫は。
「ねぇ────“牡牛座第四星の博士”?」
「なぁ────“土星の円環の師父”?」
「──────」
にこりと、笑い合いながら。傍らに冷や汗を流しながら臨戦態勢で立つ、口を挟む事はおろか息をする事すら苦しげな。何時でも腰の、一向に気休め足らない拳銃を発砲可能な構えの、『水神クタアト』を携えた海兵隊上がりの美青年を完全に無視して。
麗人は、摘まみとして軽食を。塩を振った落花生とピスタチオ、胡桃の盛られた皿を差し出す。白人は、それを一つ。カリリ、と齧りながら。
「貴方も、後進の指導で? それにしては、随分と風雅を解さない弟子達のようですが」
「殺し屋に風雅なんざ要るかよ。テメェの弟子みたく、周りくどい人格形成なんてのは、力の後でいい」
久方ぶりに再会した昔馴染みと笑い合う、まさにソレ。しかし、端から見れば一触即発。身が震えるほど、心が凍るほど。魂が──狂気に、磨り減るほどに。
それほどである。この二人は、紛う事なき『選ばれた魔書の主』達は。一切の、揺らぎなく────!
「それで? まさか、わざわざ酒を呑みに来た訳ではないでしょう?」
「当たり前だ。今回は、相互不可侵の盟約を結びに来た。テメェの弟子、殺すからな。面倒だから、手ェ出すなや」
「それはそれは、また」
明らかに、理不尽を。しかし、それすらも楽しげに。
「こう言っては何ですが……私の弟子は、貴方の弟子達ではどうしようもありませんよ? そうですね、余りにも役者が違いすぎると言うか。なんと言うか」
「分かってらァ、クソッタレが。たかだか海神と空神の『旧支配者』兄弟どもで、造化の双子たる『外なる神』をどうこう出来るたァ、俺だって思ってねェよ」
どん、と。カウンターに一冊の書を置く偉丈夫。それこそは、彼の携える魔導書。その、銘は──────
「俺が、殺す。俺自身の手で、な」
「おや、それはそれは─────」
カロン、と。グラスが啼く。魔人二人の放つ瘴気に当てられたかのように、二つに割れて。
「まさか、子供の喧嘩に親が出張るとは。その無粋、貴方が一番嫌う行為だと思っていたのですが」
「嫌に決まってんだろ、餓鬼どもの遊びに首ィ突っ込むなんざ。だが、外なる神と来ちゃ仕方ねェ」
まさに、辟易と。だが、爛々と。久々の獲物を前に、舌舐めずる鮫の如く牙を剥いて。
「殺すぜ、あの“影”は。悪心の粋たる、法の敵は。俺の手で、な」
男────かつて、暗部すら生温い『世界の闇』で名を馳せた『博士』は、星よりの風を纏いながら。
「どうぞ、ご自由に。しかし、手前味噌ですが────強くはありませんが、厄介ですよ。コウジ君は」
男────かつて、暗部すら生温い『世界の闇』で名を馳せた『師父』は、星よりの風を纏いながら。
「決まりだな。んじゃ、お愛想といくか。『ヨグ=ソトース』まで在るとなりゃあ、流石に『準備』が要るモンでなァ」
「ええ。ご武運を。精々、死なないように祈ってますよ。何なら、我が『神』は貴方を受け入れる用意がありますので」
「ハッ────讃美歌でも歌ってくれるってかい? 御免だね、何にしても」
『今日一番面白い冗談だ』と笑って。白い男は、飲み干したブランデーボトルの代金を支払って席を外す。
最早、話す事は無いと。話は終わったと、全てを嘲笑いながら席を立って。
「じゃあな。二度とは会うまいよ、“エイボン師父”」
「ええ。それではさようならです、“シュリュズベリィ博士”」
永訣の言葉を交わして、全てが終わる────────
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