剣の丘に花は咲く
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第十二章 妖精達の休日
第五話 火は風と交わりて炎となる
前書き
士郎が色々とアレなのはちゃんとした理由があります。
その詳細についてはキチンと書きますので……原作で言えば十七、八巻頃に……。
あと十二章は、幕間が二つ入った後終了となります。
「―――もう、限界なのよ」
とある日の夜。
親友の部屋に呼び出されたタバサは、親友であるキュルケから向けられた言葉の意味が分からず訝しむように微かに眉をピクリと動かした。
キュルケの部屋にあるテーブルに、部屋の主であるキュルケと向かい合って座るタバサが目線で続きを促すが、キュルケは何か言おうと口を開こうとするも、直ぐに躊躇するように口を閉ざし顔を俯かせてしまう。何時も強気で自信に満ちている親友のらしからぬ様子に、胸に不安が湧き上がってくるのを感じたタバサは、そう言えば、と本日の授業が終わり、キュルケに夜部屋に呼ばれた時の事を思い出す。その時も今と同じように、隠しきれない不安と触れれば崩れそうな弱気な様子を見せていた。
「だから―――」
テーブルの上に置かれたワイングラスを掴んだタバサは、湧き上がる不安を飲み下そうとするかのように、口の中に流れ込むワインを―――。
「シロウと一発やって来るわ」
「―――ッぶっふ?!」
―――思いっきり吹き出した。
「ッ?! ゲホっ、こほっ、っ?!! っえほっ、っ!?」
「ちょっ、タバサどうしたのよ? ほら、これで口を拭きなさい」
タバサの口から吹き出たワインは、向かいに座るキュルケにはかからず、噴出元のタバサの顔を濡らしていた。ぽたぽたと、眼鏡の縁から溢れるワインの水滴を、むせながらもキュルケから渡されたハンカチで拭いていく。顔を、眼鏡をゆっくりと丁寧に、必要以上の時間を掛けて拭くタバサ。それは潔癖症などと言ったものではなく、混乱の極みに至った自分の心を落ち着かせるためのものであった。
今タバサの心の中では、先程キュルケが口にした言葉に対して、聞き間違え派と空耳派が盛大に議論を交わしあっていた。今のところキュルケが何か口にしたのは間違いないだろう点から、聞き間違え派が優勢であるが、一体どんな言葉と聞き間違えたのかが分からないことから、未だ結論には至ってはいない。顔や眼鏡に付いたワインを全て拭き取り終わったタバサは、未だ心の中で結論が出ていないことから、延長を求めるかのように手に持ったハンカチでテーブルを拭き始めた。
無言のままタバサがハンカチでテーブルを拭き始めるのを見たキュルケは、呆気に取られたように目を軽く丸くしたが、直ぐに小さく溜め息を吐いてテーブルの上に肘を乗せると、上半身を前に倒し、顎を組んだ手の甲に乗せた。
目線だけでタバサがテーブルの上に飛んだワインを拭く姿を眺めていたキュルケだが、待てれども何時までも終わらないその様子に、一度目を閉じると、薄く目を開いた。
「だから、ね。タバサも一緒にしない?」
「―――ッッ?!?!?」
ドンガラガッシャンッ!! とテーブルの上に置かれた未だワインが入っている瓶やらワイングラスを弾き飛ばしながら、タバサがテーブルの上に突っ込んだ。ロケットエンジンでも付いているかのように、テーブルから射出された瓶は、端の壁まで飛んでいき、盛大な音を立てて木っ端微塵に砕けてしまった。
シンっと静まり返る部屋の中、テーブルの上、ピクリともしないタバサ。部屋の隅からは、ワインが水滴となって滴り落ちる音が微かに聞こえてくる。
キュルケはテーブルの上でピクリとも動かないタバサの後頭部を暫らく眺めていたが、不意に大きく頷くと慈母のように優しく微笑んだ。
「そんなに喜んでくれるなんて。わたしも嬉しいわ」
「―――ッナ! え?! そ、喜んでなんかっ?!」
起動のスイッチを入れたかのように、ガバリとテーブルに突っ伏していたタバサが顔を上げると、何処までも優しい顔をするキュルケに食ってかかる。
「わかるわ。素直になれないのね。わたしも昔……まあいいわ。それで、話を進めましょう」
「―――ッッ! だからっ、ちょっと、待って!」
混乱と言うよりもパニックに陥ったタバサが、呼吸困難になったかのように顔を真っ赤に染め、声を詰まらせながらもキュルケに何かを訴えようとするが、キュルケはタバサを無視して話を進める。
「何時か何時かと思っていたけど、流石にもう色々と限界になってきたしね」
「キュルケっ!」
話を聞かないキュルケに、テーブルに拳を叩きつけながら訴えるタバサ。
雪風の二つ名を持つとは思えない。それどころか今まで聞いたことも見たこともない様子を見せるタバサの姿に、しかしキュルケはただの一瞥もくれない。口にした通り、何かが限界なのだろう。一見すれば落ち着いた様子で話しているように見えるが、キュルケの言葉の端々や目の奥に焦りがあるのが分かる。何時もの冷たく感じる程の冷静さを見せるタバサならば、キュルケのそんな様子に直ぐに気付容易く察することが出来る筈なのであるが、今は欠片も気付かず、タバサはただただ悲鳴のように声を上げるだけであった。
「何よ?」
「一体どういう事」
「どういう事って?」
流石に無視する事ができなかったのか、キュルケが顔を上げ頬を、と言うよりも顔全てを赤く染め仁王立ちするタバサを見上げる。
「そ、その、か、彼と、その、い、一発って、な、ナ―――」
「セッ○スに決まってるじゃない」
「―――ッ!」
再度テーブル突っ伏すタバサ。
髪の隙間から覗く首元や耳は目に痛い程赤く染まっており、キュルケの目が、テーブルの上に乗ったタバサの頭から出る湯気が幻視する。
「っ、ど、どうして、そんな話しに……」
「最近のシロウの周りを見て分かんない?」
顔を俯かせ声を戦慄かせながら上目遣いで見上げてくるタバサを、キュルケは頬に手を当て困ったような声を上げる。
「ほら、あなたも耳にしてるでしょ“理想郷事件”」
立てた人差し指をゆらゆらと揺らしながらキュルケはタバサに視線で問いかける。
知っているでしょ、と。
そう、勿論タバサは知っていた。
“理想郷事件”―――水精霊騎士隊の隊員と空中装甲騎士団が協力して地下を掘り、本塔の女風呂の覗きを敢行した事件である。覗き自体は事前にその情報を手に入れたセイバーが待ち伏せを行い、のこのことやって来たギーシュたちをぶちのめした事から覗きの被害者自体はいないが、学院成立以来の珍事件により学院は騒然となった。覗きの実行犯たちは、学院側から学院の清掃の罰を受けることになり、今も彼らは学院生から侮蔑の視線を受けながら休み時間等で清掃に従事している。
一気に高まった水精霊騎士隊の名声は、覗きの汚名と共に地へと落ちた。
しかし、それとは逆に名声が高まった者もいる。
それはセイバーと士郎の二人である。
覗きの実行犯を一人で殲滅したセイバーはともかく、何故士郎もなのか? それは士郎だけは覗きをしていないことや、覗きの実行犯に対する罰である掃除を、自分の監督不行だと自ら学院長に謝罪し罰掃除に従事する潔さを評価されただけでなく。その他にも罰掃除の最中、掃除だけでなく学院の長らく放置していた老朽化等による建物の破損の修理、生徒たちの個人的な装飾品等の修理を行ったことから、武勇ばかり一人歩きしていた事で生徒たちが潜在的に感じていた恐怖の念が薄まり、自然と会話が増え、噂や武勇伝ではなく士郎自身が良く知られることになった。それだけ聞けば確かに良い事ではある。実際に良い事ではあるのだが、士郎に恋する乙女としては危機感を感じる事でもあるのだ。その予感は的中し、士郎と話し関わった事で、生徒たちは士郎の様々な魅力に魅了された者が多数現ることになった。おかげで最近、学院の女子生徒の閒ではセイバー派と士郎派に分かれて何やら日々様々な事をしているらしい。
「ギーシュたちがあんな事仕出かしたってのは別にいいわ。特に気にするようなことじゃないし。問題はそこじゃなくて、あれが切っ掛けで、結構な人数がシロウに熱を上げる事になったってことよ」
悪いことではない。
それは本当に悪いことではない―――のだが、士郎に恋する一人の少女としては少しばかり……いや、結構危機感を感じていた。
そしてそれは別段的外れなものではない。
何故ならば、このままでは―――。
「……このままじゃあたし達、大勢の中の一人になってしまうわよ」
「―――ッ!?」
タバサはまるで、医者に余命を宣告されたかのような驚愕の声なき声を喉奥で漏らす。テーブルに突っ伏していた身体が一瞬にして強張り、浮き上がった身体が直後、力を失ったように「ドスン」と、タバサらしくなく派手な音を立てて椅子に崩れ落ちた。
「……あなたなら分かるわよね。あたしがどうしてこうも焦っているのか―――その理由を」
「…………」
顔を上げたタバサの視線が、キュルケのそれと交わる。
タバサの瞳の中に宿るものを見たキュルケは小さく頷く。言葉にしなくとも目を見れば分かる。親友は伊達ではないのだ。キュルケが何を焦っているのか、その理由についてタバサはきちんと理解している。
「そう、あたし達とルイズ達は決定的に違う点がある。そしてそれは明確な差であり、埋めるための手段はあるけど、このままではその手段が困難に……最悪不可能になってしまうかもしれない」
キュルケ達とルイズ達の決定的な違い。それは簡単だ。士郎に抱かれているか抱かれていないか。ただ、それだけである。しかし、たったそれだけの事が、天と地ほど違う。普段では余り感じないが、ふとした時に気付く、気付いてしまう。ルイズ達と時の士郎の顔が、姿が、雰囲気が、明らかに自分たちと接する時と違い柔らかく、暖かいことに。
抱いた女と抱いていない女。普通の男でもそう言った相手に対する態度はかなり違う。
しかし、そう言ったものではないのだ。
士郎がルイズ達に向けるものは、そう言った、ある種の優遇とでも言うのか? そんな贔屓的なものではない。
ルイズ達にだけ見せる、心を開くような、無邪気と言うか、無防備と言うか……そんな柔らかいもの。
あれを見た時、キュルケは酷い嫉妬を覚えると同時、それを超える悲しみが襲った。自分では駄目なのか、自分では彼の支えになることが、受け止めることが出来ないのか、と。士郎がそう言ったものを向ける相手はルイズだけではない。そしてその相手には共通する点がある。それをキュルケは知っていた。
チャンスは幾度となくあったはずだ。しかし、キュルケはその尽くに手を出すことが出来なかった。
怖かったのだ。
初めての恋―――いや、“愛”した男。
その人に、拒否される事を。
だから、今まで幾度となくあったチャンスを棒に振ってきてしまった。
だが、それももう無しだ。
士郎の魅力を知った女子生徒たちの中には、本気で士郎に恋する者も出てくるだろう。そしてそれはきっと数人程度ではない筈だ。一人二人程度ならばいい。だが、それが十や二十になれば、流石の士郎も困り果て、そして距離を置くようになるだろう。その相手は、きっと自分たちも含まれる。無視されることはないだろう。しかし、士郎に近付く事はかなり困難になる。そうなれば、相手は士郎だ、成功確率は限りなくゼロに近付く。
だから、そうなる前に勝負を決めなければならない。
幸いな事に、勝機はこちらにある。
分の悪い賭けにはならない。
―――“切り札”もある事だし、ね。
小さく手を動かし、服の中に隠している切り札に服の上から触れる。
キュルケは内心で強く頷くと、背もたれに倒れ掛かるように身体を起こしたタバサを見る。力ない様子ではあるが、キュルケを見るタバサの瞳には強い意志が感じられた。
「だから、あたしは勝負に出る」
「……何故、わたしにそれを」
小さく、静かに問うタバサに、キュルケは強張りの解けなかった頬を僅かに緩めると、小さな笑みを浮かべた。
「決まってるでしょ。あなたがあたしの親友で、同じ人を好きになったライバルだからよ」
「……それだけ」
何もかも見透かしたかのような、美しくも恐ろしい湖面の底のような蒼の瞳で問われたキュルケは、降参とでも言うように両手を軽く上げた。
「はいはい分かりました分かりました。もう一つあるわよ…………成功率上げるためよ。シロウも男よ。美少女二人に迫られて悪い気はしないわ。数は力よタバサ。どんな戦でも数の力は大事。分かるわよね」
「…………―――勝算はあるの?」
長い閒沈黙が満ちた後、顔を真っ赤に染めたタバサの僅かに開いた口から声が漏れた。独り言にも似たその言葉は、しかししっかりとキュルケの耳に届く。片手で口の端が持ち上がっていくのを自然と隠しながら、キュルケは甘言で堕落に誘う悪魔のような声音でタバサに語りかける。
「ええ、あるわ。あたしの勘が正しければ、最終的にシロウは断れないだろうし―――それに、切り札もあるから、ね」
「……切り札? それは何?」
「何だと思う? ヒントはこれを使ってルイズは女になったわ」
問うキュルケに、タバサは首を傾げたが、直ぐに何かに気付き目を見張った。
「まさか―――」
「そう、これ―――“惚れ薬”よ。ちょっとした伝手で手に入ってね。ご禁制の品だけど、ルイズの使ったような立派なものじゃなくて、効果が一日程度で切れるようなものよ。他にも色々と違う点があるけど、あたし達にとっては都合がいいと思わない?」
キュルケが服の中から取り出し、テーブルの上に置いた紫色の壜を見つめるタバサの目が細まる。
“惚れ薬”―――それは水の魔法で作られる禁断の薬。
使用すれば相手の心を強制的に自分の虜にすることが出来る。その力は強力であり、一種の呪いに近い。解呪することは可能であるが、それにはそれ相応の時間も資金も掛かってしまう。故に、国によって使用を禁止されているご禁制の品物である。とは言え、こう言ったモノを根絶する事はこの世に男と女がいる限り不可能であり、それなりの知識があれば手に入れる事は不可能ではなかった。しかし、こう言ったものは偽物が多く、実際に大枚をはたいて購入した惚れ薬が、実際はただの水だった等と言ったことはそう珍しい話ではなく。本物を手に入れようとするには、やはりそれなり以上の知識と繋がりが必要であった。
そう言った薄暗い事情に通じるタバサは、危険性についても長じているため、警戒するようにその小さな眉を微かに顰めてみせる。
「どうやって手に入れたの」
「はいはい、まあ、そう警戒しないの。あなたが考えているような方法で手に入れたわけじゃないのよね、これが」
警戒する猫を落ち着かせるかのように、ゆっくりとした動作でタバサを抑えるような仕草を取ったキュルケは、“惚れ薬”が入ったハートの形をした壜を指先でつつきながら手に入れた経緯を話しだした。
「ほら、あの子。シエスタは知ってるわよね。あの子の従姉妹で最近学院にメイドとして入ってきたジェシカって子がいるでしょ。あの子から貰ったのよ」
「“惚れ薬”は偽物でも本物でも高価。平民が手に入れられるようなものじゃない」
「ええ、そうね。だからコレはジェシカが買ったものじゃないのよ。知ってる? あの子、つい先日まで学院にいなかったでしょ。ま、それには理由があってね。ジェシカの実家って、王都で“魅惑の妖精”亭って言うお店をやってるんだけど、この間店の店員が病気や結婚やらで人手が足りなくなったのよ。で、代わりの店員が入るまでの閒、急遽あの子がお店の手伝いに行ってたらしいんだけど。あの子って、ここに来るまではその“魅惑の妖精”亭の看板娘だったらしいの、だからあの子が店を辞めた際、結構泣いた客が多かったらしいんだけど、ま、それもあってか、戻って来た今がチャンスだと思ったんでしょ。客の一人がジェシカにコレを飲ませようとしたのよ。ま、そう言った手合いに慣れてるあの子は直ぐに怪しいと思って、その客を問い詰めたら―――」
「―――“惚れ薬”と分かった」
「そうゆうこと。で、慰謝料としてこの“惚れ薬”を手に入れたジェシカなんだけど、使う相手がいるわけでもないから扱いに困ってたそうなのよ。ま、一応ご禁制の品物だしね。そこで登場するのがあたしってわけ」
ニコニコ笑いながら、キュルケは自分を指差す。
タバサはキュルケとテーブルの上に転がる“惚れ薬”の閒で視線を移動させると、小さく首を傾げた。
「……そのメイドとはどう言った関係なの?」
「友達よ」
タバサの質問に簡潔明瞭に応えるキュルケ。その答えを予想しながらも、タバサは内心で驚きの声を漏らす。貴族が平民のメイドを友達だと言う。それは悪いことではないが、喜ばれるものでもなかった。それは多くの貴族が平民に対し蔑みに似たものを持っているため、貴族社会では表立ってそう言った事を口にするものはいない。それは実力社会であり、魔法が使えなくとも貴族となれるゲルマニア帝国の中でもそうである。だから、例え親しい友人の前であろうと、堂々と平民の娘を友達だと言えるキュルケに対しタバサは驚いていた。だが、それと同時に誇らしい気持ちにタバサはなった。平民も貴族も関係なく、自分の感じたまま、思ったままを行くキュルケの姿はとても清々しく気持ちのいいものだとタバサは感じたからである。そんなキュルケに誇らしさを感じながら、微かに口元に笑みをつくるタバサ。キュルケはタバサの笑みに気付くことなく、指先で“惚れ薬”の入ったハート型の壜をつんつんとつついていた。
「ジェシカとは妙に気が合うって言うか、話が合うって言うか……ま、ああいったタイプとは、合う合わないが激しいんだけど、どうやらジェシカとは合ったようでね。暇な夜とかは、一緒にお酒を飲みながら話をしてたりしてたのよ。シロウを好きになってから、男遊びがなくなったから夜は暇で暇でしょうがないからね。ま、そんな理由で暇があれば一緒に飲んでたりしてたの。それで、この間あの子が帰ってきた後、久々に一緒に飲もうって事になったんだけど、その時最近シロウを狙う女が増えて焦ってるって話をしたらコレをくれたのよ」
「そう」
“惚れ薬”を手に入れた経緯が分かり、安心したタバサは小さく溜め息を吐くと、寄りかかるように背もたれに体重を掛け―――。
「―――それなら、コレでも飲ませて一発ヤレば良いじゃないって」
「ッッ!!??」
そのまま椅子ごと後ろに倒れた。
ゴンッ!! と言う硬い音を立てながら椅子と一緒に倒れたタバサは、頭でも打ったのか、頭を抱えてゴロゴロと床の上を転がり始めた。右へ、左へと転がるタバサを視線で追うキュルケ。痛みが収まったのか、丁度倒れた椅子の近くで回転を止めたタバサに向かって、キュルケは重々しく頷いて見せた。
「安心しなさいタバサ。あたしとあなたで別々に一発よ」
「っっ―――そこじゃないッ!!??」
顔を真っ赤にしながら立ち上がったタバサが、火でも吹きそうな勢いで声を発した。
今にも襲いかかりそうな程いきり立つタバサに、しかしキュルケは軽く手を振ってあしらう。
「はいはい分かってる分かってるって。一発じゃなくても別に言いわよ。好きなだけしなさい。あ、でもジェシカから聞いた話じゃ、シロウってかなり大きいらしいから、あなたじゃ結構キツイと思うのよね。それにあなた初めてでしょ。最初っから飛ばし過ぎるのは止めといた方がいいわよ」
「なっ?! な、なな、なに、何を―――何を言ってッ!?!」
「何って、ナニの話でしょ?」
「―――っ?!」
もはや火を噴くというよりも溶けて消えてしまうかのように赤く染まった顔をしたタバサは、羞恥か驚きかそれとも他の何か理由なのか、言葉が紡げずパクパクと口元を動かすだけであった。
タバサはその見た目や実際の年齢から何も知らない幼子と周りが見ることは多いが、実際はそんな事は全くと言ってなく。それどころか小さな頃から闇の仕事を命じられ、そう言った手合いの中を生き抜いてきたことから、薄暗く淫猥なものを目に、耳にしてきたため、そっち関係の知識については同い年どこか下手な大人よりも詳しいと言っても良かった。しかし、以前はそのような事には全く興味はなく、恥ずかしがるような余裕もなかったことから、いちいち反応する事はなかったが、今は興味も余裕も、そしてそれを向ける対象もいることからか、今までのように無視することや上手くあしらう事も出来ないでいた。壊れた玩具のように赤く染まった顔の中、口だけをパクパクと動かすだけのタバサをニヤニヤとした笑みで眺めていたキュルケだったが、不意にため息のように小さく息を吐くと、テーブルの上に“惚れ薬”が入った瓶を指先でタバサに向かって押し出した。
「で、どうする。使う? 使わない?」
「……“惚れ薬”を使うのは、何か、違う」
「違うって、どう言うところが? ……ま、確かに正攻法じゃないのは確かね。でも、ね、タバサ。それがナニ?」
「キュル、ケ?」
初めて見るほど真剣な顔をしたキュルケの姿に、タバサは息を呑む。そこに先程までの揶揄うような姿はない。鋭く、強く、そして何よりも熱い。その威に当てられたかのように動けなくなるタバサ。そんなタバサに向け、キュルケは噛み付くように、しかし小さな言葉で告げる。
「あたしはシロウが好き。彼が欲しいのよ…………っ、いいえ。違うわね……そうじゃ、ないわ」
過ぎ去った過去を見るかのように、目を閉じたキュルケは溜め息を吐きながら背もたれに寄りかかる。天上を閉じた目で仰ぎ見るキュルケの体重を受けた椅子が、キシリと音を立てた。
「あたしは、ね。あなたも知ってる通り、今まで何人もの男に恋をして、その度に狙った男は必ず落としてきたわ。でも、少し時間が経てば冷めてしまって、また次の男また次の男……それをずっと繰り返してきた……。“恋は熱しやすくて冷めやすいもの”って誰が言ったのかしら……特にあたしはそれが強くて、“微熱”のキュルケなんて言われるようになる程だったわ。何時もくすぶっていて、直ぐに熱く燃え上がったかと思えば、冷めてしまう……周りから結構色々言われたけど、別に気にしたことはなかった……自分自身もその通りだと思っていたから。でも、違った。あたしは、多分、知らなかっただけなんだと思う」
「知らなかった?」
告解のように天を仰ぎ見ながら自分の想いを語っていたキュルケに、タバサが問う。
タバサの静かな声に、キュルケは閉じていた瞳を開くと、顔を前に向けた。キュルケとタバサの視線が交じり合う。
キュルケの目は、何処か、照れくさそうに笑っていた。
「……“恋”……それとも“愛”……なのか……それが何なのかは自分でも分からない。ただ、ハッキリと言えるのは、シロウは今までの他の男とは違うってことだけ。愛を語る事や身体に触れる事を……こんなに怖いと感じたのは初めてよ」
「……怖い」
タバサの口が小さく動き、こくん、と頷くように頭が揺れた。タバサを見るキュルケの目が優しく細まる。
「嫌われたりしたら、無視されるかもしれない……なんて、色んな嫌な事が頭を過ぎていって……結局何も言えなかったり、関係のない話で誤魔化したり……だから、最後の……最初の一歩が踏み出せなかった」
キュルケの視線が下がり、テーブルの上に転がる壜に向けられる。
「こんなものに頼ってしまうのも、そう言った弱い気持ちがあるから。こんなものに頼ってでも、あたしは彼にもっと近づきたい―――先に進みたいの」
「―――どうして、そこまで?」
視線を逸らしたまま、タバサは問いかける。
そもそもの根本的なモノを。
キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、何故そこまで衛宮士郎の事を想っているのか。
その問いに対し、キュルケは自身の心を省みるように、再度目を閉じる。
暫くの時が流れ、静寂が部屋に満ちた。
ゆっくりと瞼を開いたキュルケは、自身を見つめるタバサと視線が合うと、“微熱”があるかのように頬を赤く染めながら童女のように微笑み、
「……さあ、どうしてかしら」
―――小さく小首を傾げてみせた。
―――………………さて、その翌日の夜の事である。
キュルケに誘われ部屋に趣いた士郎は、“惚れ薬”入りのワインを飲まされると、衣装タンスの中に隠れていたタバサに拘束され、朝になるまで色々と搾り取られた―――と言うことはなかった。
確かにキュルケはその翌日、早朝訓練を終えた士郎に夜のお酒に付き合わないかと誘い、士郎はそれを了承した。だが、その時周りには他に女子生徒たちの姿があった。そのためその日の朝食には、キュルケが夜に自分の部屋に士郎を誘ったと言う情報が士郎のファンクラブに伝わることになった。
結果として―――そこからキュルケとタバサの戦いは始まった。
士郎をキュルケの部屋に行かせまいと妨害を行う女子生徒たちと、その女子生徒たちの妨害を妨害するキュルケとタバサ。
血で血を洗うと言っても足りないその血みどろの闘争は、男子生徒たちの目の届かない闇の中で行われていた。圧倒的に数で劣るキュルケたちであったが、日が暮れる頃、何とかその闘争に勝ち残る事が出来た。しかし、やられた女子生徒たちもタダではやられない。一体どうやったのか、今回の士郎との戦い? での切り札である“惚れ薬”をキュルケの手から奪い取ったのである。焦るキュルケとタバサ。何とか取り返そうと奪った女子生徒を追い詰めたのはいいが、追い詰められ自棄になったその女子生徒は、何をトチ狂ったのか厨房に忍び込むとスープが入った鍋の中にソレをぶちまけたのだ。
時は夕食時―――事態の危急に流石のキュルケも士郎に事情を話し助けを求めたが、時既に遅く、士郎が食堂に押し入った時には“惚れ薬”入りのスープは数人の生徒の口の中へ…………。
“惚れ薬”入りのスープを口にした人数は少なかった。
十人にも満たなかったが、彼らが口にしたスープの中に混入した“惚れ薬”は、実の所かなりヤバイ代物であった。
キュルケがジェシカから貰った“惚れ薬”は、かなりの安物であったのだが、いくつか通常の“惚れ薬”とは違う点があった。効果時間が短いだけなら良かったのだが、厄介な事に何とその効果が“伝染”するのである。“惚れ薬”に犯された者に粘膜接触した者は、同じく“惚れ薬”の効果が伝染り、伝染して初めて見た相手に惚れてしまう。
そこから地獄は始まった。
“惚れ薬”入りのスープを飲んだ生徒が、近くにいた相手に一瞬で惚れ込み襲いかかる。
阿鼻叫喚が響き渡る食堂。
野太い―――悲鳴が上がる。
幸い? それとも不幸にしてか、食堂には―――男子生徒と男性教師しかいなかった。
キュルケとタバサの企みを妨げようと士郎ファンクラブの女子生徒たちが様々な妨害工作をしていると、何時の間にか学院の全女子生徒と女教師を巻き込んだ大騒動となったことから、夕食時の食堂には男たちしかいなかったのである。
その結果として―――食堂は薔薇の園となった。
獣のような匂いと低く野太い悲鳴が響き渡る食堂。
事態に気付いた士郎たちが食堂に押し入った時には既に遅く、もはやそこは異次元の空間となっていた。
後に学院の三大暗黒事件の一つとして語り継がれる“狂乱の薔薇園事件”である。
『ここは―――地獄だ』
食堂に入った士郎が最初に口にした言葉であり、例え七万の軍勢にさえ立ち向かう士郎であっても、先に進むことが出来ず扉を開いた姿のまま後ずさり、扉を閉めて食堂から去っていく程のものであった。その後の事はもう考えないことにした士郎は、どこぞの“魔術師殺し”のように自身を天秤と化すと、最小の犠牲で最大の救いを得るため、感染をこれ以上広げないように食堂の扉を封鎖した。
だが厄介な事に、扉を開いた際惚れ薬が感染した男の多くが士郎の姿を見て惚れ込んでしまったのだ。そして愛に狂った漢達は、その愛の成せる業か、女生徒の協力を得て“固定化”を施され、鉄を超える強度となった筈の扉を破壊すると士郎に襲いかかってきたのである。そこからはもう混乱の極み。食堂から溢れ出す男たちを教室から椅子やら何やらを積み立てバリケードにして押さえ込み、魔法で愛戦士となった漢達の鎮圧を始める女子生徒や女教師がいるわ。廊下の隅で愛し合い始めた男子生徒の姿を凄い勢いで絵に描き始める女子生徒たちはいるわ。こんな事態を起こした“惚れ薬”入りのスープを何に利用するつもりか手に入れようと動き出す女教師(妙齢の)はいるわ…………学院は混乱を極めた。
何とか事態が落ち着き出す頃には、もはや皆疲労困ぱい。あのセイバーですら色々な衝撃的な現実により肉体的と言うよりも精神的に疲れ果てふらふらの状態になっていた。それは士郎も同じであり、何とか後ろの貞操は守り切ることは出来たのだが、野獣と化した漢達に襲われると言う精神的に大変よろしくない事態に精根尽き果ていた。
そして、そんな弱った士郎を前にして、キュルケとタバサが動かない筈がなかった。当事者である二人の疲労も極限状態であったが―――世間曰く、体力が限界まで尽き果てると、本能的に子孫を残そうと性欲が高まるのだと言う…………。
更に言えば二人共死闘をくぐり抜けた直後であり、色々と昂ぶっていた事から、皆の目を欺き華麗に士郎を攫うと部屋に連れ込んだのである。
三人の閒でその後ナニがあったのかは分からないが、ただ翌日の授業でキュルケとタバサの姿を見るものはおらず、やたらと腰をさする士郎の姿が見られたと言う……。
後書き
感想ご指摘お願いします。
閑話は十八日と二十日に投稿する予定です。
……短いからね。
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