ワンピース~ただ側で~
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番外14話『激情晩』
右足の痛みを無視して、夜の宮殿を歩く。
外ではずっと雨が降っていた。もちろん、ダウスパウダーによる人口雨なんかじゃない。天然の、誰かに強制されることのない本物の雨だ。
「……」
全てが終わっていた。
今頃みんなは大部屋のベッドで全てをやり遂げたことによる達成感と、限界以上に頑張った疲労感でグースカと寝ている。部屋を出る時、ビビはまだ雨を見ていたいと言って寝てなかったけど、今はどうなんだろうか……いや、どうでもいいか。
「……ここか」
着いた。
ここは宮殿の門前。ルフィとクロコダイルを2回戦を繰り広げたという場所だ。
地面が割れて、あらゆる全てのものが砂に還っている。他の戦闘痕は雨が洗い流してしまったのかもしれない。俺が見てわかるのはそれぐらいだ。けど、それでもこの光景を見ればわかる。ルフィがここで死闘を繰り広げたということぐらいは。
国王さんの言葉を聞く限りは決着はここで着いわけじゃなさそうだから、たぶんルフィはここでもクロコダイルに一度負けたんだろう。それでも結果的にクロコダイルを倒したルフィはただただ『流石』の一言に尽きる。
「ほんと……さすがルフィだ」
呟いて、自分の使い物にならない右拳を見つめる。
「……」
もっと他に戦闘痕がないか、死闘の跡が見たくて屋根がないところまで足を進めてみる。もちろん傘は持っていないからずぶ濡れになるけど、今の俺にはきっとそれぐらいが丁度よく感じられた。
「ま……ないよな」
戦場跡で周囲を見回してみるけど、やっぱり戦闘痕はもう残っていないからここでどういう戦闘があったのかはこれ以上の想像はつきそうにない。
「……なにやってんだろうな、俺は」
これ以上に雨に濡れたら明日チョッパーとかに怒られるんだろうか。
そんなことを考えるかたわら、足は動かない。
座り込んで、ただ周囲を見回して、雨の降る空を見上げてみた。
真っ暗な夜にどんよりと空を覆う雲は、まるで俺の心を表しているみたいで、それがまた嫌になる。
王下七武海の師匠を超えると、俺は師匠に誓った。
ナミを守る強さを得ると、俺自身とナミに誓った。
ゾロのような強さを得たいと、俺はリトルガーデンを出たときに自分に誓った。
ルフィたちの仲間だと、左腕に巻いた包帯と×印で誓った。
その結果が――
『実力もないくせに戦闘中によそ見をするただの負け犬だったとはな』
クロコダイルの言葉を思い出した。
――これだ。
情けない。
情けなさ過ぎて、頬を伝う何かに気付いた。
「……?」
雨じゃない。
雨よりももっと熱いなにかだ。
……じゃあ、なんだ?
考えて、すぐにわかった。
「……なんだこれ」
どうやら俺は泣いているらしい。
情けなさ過ぎて泣いているのだろうか。
悔しすぎて泣いているのだろうか。
それとも悲しいからか?
自分の感情ながらよくわからないけど、どれにしたって笑える話だ。
今回のアラバスタ王国で唯一何も頑張らなかった俺が泣いているだなんて……いったいどれだけ俺は恥知らずなのか。俺には泣く資格すらないはずなのに。
「……はは」
笑ってしまう。
弱すぎて。
体も……それ以上に心も。
俺は麦わらの一味としていったい何をやったんだろうか。
――ビビをミス・オールサンデーから助けた?
今にして思えばあの時のミス・オールサンデーはビビをただクロコダイルのところへと連れて行こうとしていただけだった。俺がでしゃばる必要なんか全くなかった。
――クロコダイルのセクハラっぽい行動を防いだ?
どうせあの時クロコダイルにビビを殺す気なんかなかった。見聞色を発動してたけど攻撃する意思は感じられなかったからわかっている。俺がでしゃばる意味なんか全くなかった。
――他には何をやった?
あぁ、爆弾を見つけたか。
爆弾を処理した後、時計塔の戻ったら既にみんな時計塔に集まっていた。もちろん勝手に爆弾を処理した俺はみんなに「伝言を残すとかしとけよ」としこたま怒られたけど、まぁそれはこの際どうでもいいいい。
大事なのはみんなが砲撃の位置を既に把握していたことだ。
たぶんだけど俺がでしゃばらなくてもみんな爆弾を見つけていた。
爆弾の処理では俺も手伝ったけどペルさんが欲張らなければ爆弾をどっかに放置すればいいだけの話で、俺が遠投をしないと絶対にまずい、という状況では決してなかったんだから、これだって俺がいなくても問題はきっと解決していた。
そう、つまり。
つまりだ。
考えれば考えるほど、俺は何もやっていない。
それを思った瞬間、口に出さずにはいられなかった。
「口だけにも……程があるだろうが!」
怒りが収まらないせいか。
右手を反射的に振りかぶっていた。
全力で体をひねったから腹の傷が痛んだ。
けど止まれない。
「このっ……ふぬけばか野郎がっっ!」
割れている右拳を、ただ地面に叩き付けた。覇気は使っていない。
拳が地面に突き刺さって、割れた大地をさらに細かくヒビを入れていく。ひび割れが地面を伝ってクロコダイルが割ったであろう地割れ部分へと到達する。クロコダイルとルフィの戦いて地面が割れていなかったら、おそらくだけどヒビ割れが宮殿にまで走っていたかもしれない。
自分でいうのもなんだけどこんなにも力があるんだと他人事みたいに誇らしく思って、だからこそそれだけの力があってなんで負けたんだと自分に対して怒りが湧き上がる。
拳が痛い、動かない。今の動きで腹も痛い。けど、それ以上に胸につっかえた何かが痛い。
なんなんだ。
俺はいったい、なんなんだよ。
麦わらの一味として、彼らの仲間として……俺はなんだ?
左腕に巻かれた包帯を右手で剥がす。力が入らない右拳がむかつくから、無理やりに力を入れた。右拳から骨がきしむ音が聞こえたのはきっと気のせい。
包帯の外れた左腕からは×印が見える。
これは仲間の証で、俺は仲間のはずなのに。
仲間らしいこと一つもしないで仲間だなんてよく言えたものだ。
あれだけ嬉しかったこの仲間の証が今はもう重たくて、それ以上に俺にはその資格すらないように感じられた。
「どこが……仲間だ」
爪で、バツ印をひっかく。
「……」
力が入らないせいで、全然傷がつきそうにない。
「っ」
仲間の証を傷つけることを本能が拒否しているかのようにすら感じた。
仲間の資格なんか俺にはないのに。
「……なんで」
なんでこうなった?
何が原因だ。
砂嵐に気を取られたせいか? けど、あの砂嵐は消さないとユバに向かっていた。あの行動だけは後悔する気にはならない。
じゃあなんだ?
考えて、すぐにわかった。
クロコダイルに負けたこと自体も許せないけど、それ以上に心にひっかかっていることがあった。
再戦を諦めたことだ。
じゃあなんで俺は再戦を諦めた? 俺がクロコダイルとの再戦を諦めて、クロコダイルをルフィにすぐに任せた理由はなんだ。
右拳が割れている? 違う。
右足に力が入らない? 違う。
体を動かそうとすると痛む、ぱっくりと割れた腹? ……これ、か? 考えるまでもない、これだ。これを理由にして、俺は心まで負けを認めてしまったんだ。
気付いてしまうと、体はもう勝手に動く。
左手で大げさに巻かれた包帯を強引に剥がして、大げさに縫ってある腹の傷を見つめる。
「こんな……こんな傷でっ!」
俺は諦めた。
ルフィたちの仲間であることを。
約束を守ることを。
王下七武海を超えることを。
ナミを守ることを。
「何が……強くなる、だっ!」
左の拳を振り上げていた。
やめた方がいい。
理性が働いて、でも思ってしまった。
ルフィは勝った……2度もクロコダイルに瀕死にされておきながら。俺は負けたのに。
それが許せなくて、だから。
拳を傷へと振り下ろした。
「……っ」
腹から血が漏れた。
痛い。
痛いなんて、俺に思う資格なんかないのに。
――ゾロは勝った。
腹にすさまじいまでの切り傷を負っていたのに。
けど、俺は腹に傷を負ったくらいで諦めた。
……ふざけんな。
拳を振り下ろした。
「っ゛……ぅ!」
口の中が熱い。
それを吐き出す。
血だった。それが、雨に流れて割れた地面に消えていく。
――サンジは勝った。
あばら骨が何本も逝っていたのに。
けど、俺は腹に傷を負ったくらいで諦めた。
…………ふざけんな。
拳を振り下ろした。
「う゛」
座っているのに、それでも体がクの字に曲がる。
腹からの血が広がって、口からも血がたくさん漏れる。
やめろ。これ以上は本当に死ぬぞ。
俺の中の理性が告げる。けど、本能が強く言う。
『死んだ方がましだ』
……あぁ、俺もそう思う。麦わらの一味として、俺は不適格すぎる。俺が好きなナミも誰か俺じゃない男を好きなんだから、死んだって誰が困るというんだろうか。
だから、また思う。
――ウソップとチョッパーは勝った。
ウソップは頭蓋骨にひびが入って、チョッパーも医者なのに体中を血だらけにして。
けど、俺は腹に傷を負ったくらいで諦めた。
………………ふざけんな。
拳を振り下ろした。
「……!」
腹の何かが裂けた音がした。
大量の血が腹が出た。口からはまるで嘔吐しているかのように血がこぼれる。
けど、止まれない。
だって、ナミも戦ってしかも勝ったんだから。
――足に大けがを負っていた……下手をすればナミだって死んでいたんだ。
俺が守るって誓ったナミは、ウソップに武器を作ってもらって、その武器で、一人で敵を倒していた。多分ナミらしい頭脳的な戦い方で勝ったんだろう。
俺が守ると誓ったナミでさえ敵を倒してというのに、俺は一体何をしたんだろうか。
何もしていない。
俺が誰よりも守りたいはずのナミも、ビビのために一人で戦って勝利を得た。
けど、俺は腹に傷を負ったくらいで諦めた。
そんなことがあっていいはずがない。
……ふざけんな。
拳を振り下ろした。
「……ぐっ」
痛い。
たった数発こづいただけなのに。
俺の軟弱さを思って、やっぱりムカつく。
腹を殴る。
「……っ゛」
吐血。
目がチカチカしてきた。
――知るか。
殴る。
「う゛」
また吐血。
力が入らなくなってきた。
――だからなんだ。
殴る。
ただひたすらに殴る。
殴る殴る殴る殴る殴る殴――
「――何やってんのよ! 死ぬ気!?」
誰だ?
俺の腕を掴んだ人間に視線を送る。
「……?」
視界がチカチカしていて誰だかよくわからなかったけど、目を凝らすと見えた。
「……ナミ?」
「何やってんのよ!?」
ナミが、なぜかそこにいた。
予想外の人物に自分の正気を疑う。
こんな時にまでナミのことを考えるなんて俺はなんてバカな人間なんだろう……いや、違う。
左腕が目の前の彼女に掴まれて動かない。
ということはナミは俺の前に実在しているらしい。
「……なんで」
「ビビが起こしてくれたの……あんたが帰ってこないって」
なんだそれ。
ビビなりに心配してくれたんだろうか。それとももっと別のことを察してくれたのだろうか。どれにしたってきっと普段ならばビビにありがとうって思える。でも、今はそんなことを思えそうにない。
ただ、思う。
なんでお前が……ナミがここにいるんだ。
「どうしたのよ!?」
ナミが怒っている。
なんで怒っているんだろうか。
――意味がわからない。
俺が自分の腹を殴ろうが、ナミが傷つくわけじゃないのに。
俺のことなんて気にせず寝てたらいいのに。
――わけがわからない。
混乱する。
――ナミの端正な顔が怒りに滲んでいる。それすらもびじかわいい。
頭が整理できない。
――ナミが目の前にいることが嬉しい。
あぁ、きっと血が足りてないからだ。
――合わせる顔がない。
どの面下げて何を話すことがあるのか。
弱い男のくせにナミを好きになってごめん?
約束も守れない男のくせに麦わら一味になってごめん?
わからない。
何もわからない。
わからなさすぎて、だから。
「ごめんな」
自分勝手な謝罪をする。
「……え?」
とてもじゃないけど、ナミと一緒にはいられない。
気付けばナミに掴まれた腕を強引に振りほどいて走り出していた。
「ちょっとハント!?」
背中に聞こえる声に、それでもかまわず全力疾走しようとして「っ」それが出来なかった。
走るどころか、体に力が入らない。ほとんど倒れこむような形で失速してしまった。支えられているのか捕まえられたのかすらわからないぐらい密着した形で背中から体を捕まえられてしまった。振りほどこうにも、それすらできない。
「ほんと、どうしたのよ」
ナミらしからぬ、優しい声色。
いつだってナミはこうだ。
普段はよく怒るくせに、俺が辛いときにはこうやって俺の心配をして、優しい一面を見せてくれる。そっと隙間に入って、俺を満たそうとしてくれる。
「っ」
ナミにすがりたくなって、いや、きっといつもならば俺はもう既に縋っていた。
でも、今回だけはダメだ。
こんな時ですらナミに頼ろうとする自分の弱さが、許せない。
また、気付けば。
拳を振り上げていた。
「ば、バカ! あんたなにしてんの!?」
けど、またナミに腕を抱え込まれて、妨害されてしまう。
「頼むよ……やらせてくれ」
「だから、なんでこんなことしてんのよ!」
「……」
放っておいてくれ。
言いたかったけど、それよりも先に「言え! ハント!」
……怒られた。ものすごく。
怖い。
言いたくないけど、それ以上にナミが俺のことを考えて怒ってくれているんだと思うと、口が勝手に開いていた。
「自分が……許せないんだ」
「……許せない?」
「ナミも、ルフィも……みんなが力を尽くしたのに俺だけ何もできなかった。いや、出来なかったとかじゃない……やらなかった。だから、許せない。自分で自分を殺したいぐらいに情けなくて、悲しくて……そう思う自分にすらムカついて。そう思ったらこんな怪我で力を尽くせなかった俺が許せなくなって……んで――」
「――さっきの場面にいたるって?」
「……そういうこと」
口に出すと、本当にいろんな意味で情けないと思う。
「……」
左腕を抑えているナミをゆっくりと引きはがして体を反転、ナミと正面に向き合う。ナミと視線がかち合って、あとはもう思っていたことが勝手に漏れていた。
「俺は、さ」
「うん?」
「最初はナミが好きだから、ただナミと一緒にいたくて仲間になっただけだった。あいつら楽しそうな奴らだったし――」
「ぇ」
「――けど気づいたら本当にあいつらのことも好きになってて、仲間でいたいって思うようになってて……で、その結果が今で……だから、俺は自分が許せない。許せないんだ」
左拳に気付けば力がこもる。
……ん?
ナミの手が俺の左拳にそっと添えられていた。
「……ハント?」
「……」
黙ってナミに見つめられる。
なんか、距離が近い。
なんだろう、この間は。
「この――」
ナミがゆっくりと笑顔になって、俺はどうしたらいいのかわからなくて首をかしげる。
と。
「――バカ!」
「んごっ!?」
ナミの拳が俺の顎を捉えた。
相変わらずいい拳している。
変な声は出るし、頭はふらふらするし……頭がふらふらするのは血が足りないとかの方じゃなくて三半規管が揺れた方の意味で。
――いったぁ。
情けない俺に、やっぱりナミも怒ったんだろうか。
……そりゃそうだ。
もしかして嫌われてしまったのかもしれない。
仕方ない、なんて思いたくはないけど、今回ばっかりは愛想をつかされても何も言えない。
「……ほんと、バカね」
あれ?
「……ナミ?」
抱きしめられていると理解するのに少し時間がかかった。
どういう状況だ?
ちょっとわけがわからない。
「あんたが何もしなかったって……本当にそう思ってるの?」
「……」
実際にやらなかったじゃないか。
口に出すのが嫌で、黙って頷く。
密着していて、俺の動きは見えないんだろうけど動きで頷いたってわかったらしい。ナミがわざとらしく「はぁ」と呆れたようなため息を落とした。俺はナミに抱きしめられてるから耳元で息が落ちて少しくすぐったい。
「あんたがいなかったら砲弾はきっと広場の真ん中で爆発してた」
「みんなだって見つけただろ。俺がいなくても砲弾の処理できてた」
……気休めなんかいらない
「あのねぇ……私たちが砲弾の場所を見つけたのはタイムリミットまで残り時間1、2分よ? ……砲弾ってどうせ大きかったんでしょ?」
「……まぁ、大きかったけど」
だから何だというんだ。
「あんたがいなかったら、私たちじゃきっと砲弾の処理できなかった。1,2分じゃあきっとB.Wのエージェントを倒して時間切れ、それで広場で砲弾が爆発してた」
「……え」
「もう一回言うけど、あんたがいなかったら砲弾はきっと広場の真ん中で爆発してた」
「……」
それって?
「あんただけ何もしてないなんて、そんなことない。そんなにひどい傷受けてても砲弾を見つけて、しかも少しでも被害を減らすようにそれを上空に投げ捨てたんでしょ?」
「……いや、あれはペルさんがやりたがってたからで、別にアレは俺がいなくても――」
「――あんたがすぐに見つけたおかげで、砲弾を町の外に運べたの。あんたがいたおかげで、爆弾の処理だって上手くいったの! 全部あんたがやったこと! あんたがいなきゃ出来なかったこと!」
ナミの強い言葉。語尾が少し潤んでいた。
もしかしたら涙ぐんでいるんだろうか。
これも俺のせいなんだろうか。
そんなことを思うと同時に、けどそれ以上にナミの言葉の内容が俺の中に染みわたっていく。
「……」
俺も少し泣きそうになってきた。
さっき一人でいた時も涙を流してしまったけど、これはそれとは多分違う。自分でもよくわからないけど、違う。胸を締め付けるほどに悔しいなにかなんかじゃない。
「そういえばビビに起こされたときに伝言を預かってきたわ。ビビがペルさんからハントへの伝言があるって」
「……伝言?」
「『ハント君、わがままに付き合ってくれてありがとう、君のおかげで国の環境にも大きな被害を生まずに済んだ』だって」
「……え? それ、は――」
「――マジよ?」
マジか。
……ありがとう? ……こんな俺に?
「……」
ペルさんの声がなぜだか俺の頭の中で浮かんだ。
――そうか。
傷の痛みに負けるような情けない俺だけど……麦わら一味として何もできなかったわけじゃなかった。
――そうか。
今回、俺はクロコダイルを倒すというやるべきことをできなかった。でも、完全に何もできなかったわけじゃない。少しは俺がやるべきことをやった。俺にしかできないことを、俺だってやっていたらしい。
そう思えて、心が一気に軽くなった。
もしかしたらまだ俺は麦わら一味でいてもいいんじゃないだろうか。
もしかしたらまだ俺にはナミと一緒にいることを許されるんじゃないだろうか。
「なぁ、ナミ?」
「ん?」
「俺、まだルフィたちの仲間でいいんだよな」
「……当たり前なこと聞かないでよ、バカね」
「……そっか」
ナミの声が優しく胸に響く。
――あぁ、俺はまだここにいていいんだ。
ホッとしたというかなんというか。
「……」
俺ももしかしたら疲れていたのかもしれない。
急激に眠気が押し寄せてきた……けど、あと少しだけ。
俺を抱きしめてくれているナミを、俺も抱きしめ返す。
「わ」
急に俺が力が入って、ナミも驚いたらしい。漏れたように聞こえてくるナミの声がくすぐったくて、わけもなく嬉しい。
俺の血がナミの服にもつくんだろうなとか思いつつも、まぁ最初に俺に密着してきたのはナミからなんだから怒られたりはしないだろう、いややっぱ怒られるか? とかいうどうでもいい思考が浮かんで、それを強引に流す。
このまま眠ってしまいたいけど、その前にナミに一言伝えたい。
「ありがとな」
「どうしたのよ」
「ナミのおかげで元気出た……だからありがとう」
「……」
本当に、俺はナミのことを好きになれてよかった。
容姿があって。でも、可愛いだけじゃない。
俺みたいな人間を元気づけさせてくれて。でも、優しいだけじゃない。
Mr1のペアの女の人にも勝って。でも、強いだけじゃない。
すごい航海術ももってて、でも賢いだけじゃない。
まだまだ数えきれないほどのいいところがナミにはあって、そんなナミを俺は好きになれた。ナミには先約なる人物がいて、俺はきっとナミの家族としてこの先を過ごすことになる。それでもナミを好きでいたということはきっと俺にとっては誇らしいことで、胸を張れることで、それでいてきっと感謝できることで。
だから俺はもう一度、礼を言う。
きっとこの想いは、ただ『励ましてくれてありがとう』という意味でしかナミには伝わらないけど。
それでも言いたい。
「本当に、ありがとう」
「…………うん」
ナミを少しだけ強く抱きしめる。
そろそろナミから離れた方がいいんだろうか。考えて、けどナミも強く抱きしめ返してくれてるからまだ離さなくてもいいんだと漠然と思った。
「……ねぇ、ハント?」
「……ん?」
「さっき、私のこと好きって言ったわね?」
「……んん?」
え?
さっき?
俺そんなこと言ったっけ?
いやいやいや。いくら俺でもそういうことを言うのは時と場合を考えて――
「――私が好きだから仲間になったって……言ってたじゃない」
「……」
俺が仲間になった理由をナミに言ったとき?
「……」
なんて言ったっけ。
「……」
えっと……確か『最初はナミが好きだから、ただナミと一緒にいたくて仲間になっただけだった』って、こう言ったんだっけ?
「…………」
言った。
『最初はナミが好きだから、ただナミと一緒にいたくて』
……うん、言ってた。
いやいやいや!?
『最初はナミが好きだから』
…………言ってるね。
いやいやいやいや!?
『ナミが好きだから』
………………これは告白になっちゃってますか?
いやいやいやいやいや!?
いや、えっと……やばい! やっちまった! やっちまったよ!
いやいやいややばいよ。これはやばいよ。やっちまったよ。
どれぐらいやばいかっていうともういやいやしか言えないぐらいやばい!
やばいとしか言えないぐらいやばい!
うわ、いや、まじでか!
やっちまったよ、いやいやいや!
「ハン――」
「――はい!?」
絶対今顔真っ赤だわ。
ものすごく血が流れてて血が足りないのに顔真っ赤だわ。
だってすごく顔が熱いもの。
もう口調がわけわかめだわ。
あぁ、混乱どころか恐慌状態だわこれ、ちょっと自分でも自分がどういう心境なのかわからない。
「ちなみに、だけど」
「お、おう」
「チョッパーが仲間になった時『私が死んだら俺が生きてる意味がないだろうが!』『ずっとナミと一緒にいたいんだ』ってハントが言ったこともあったわよね?」
「……っ!?」
……あった。
これはすぐに思い出した。
俺が目が覚めて、珍しく……もしかしたら初めてナミにムカついたかもしれない時だ。
あの時は頭に血が上っててなんとも思ってなかったけど、俺はどうやらもうプロポーズみたいなことを言ってたらしい。
最悪だ。
どうやらやってしまっていた。
「……いや、あの……――」
――だめだ。
言うことが思い浮かばない。
ただただナミに振られるという嫌な現実が来てしまう。
いくらナミに惚れたことを感謝してるとか格好つけたこと思っても、それはまだ先のことだからっていう非現実感が手伝ってくれてたからであって、いきなりこういうナミにフられる構図を思い浮かべては決してない。
せっかく元気出たのに、明日からどうしたものか。いや、ほんとに。
「あんたのことだから家族って意味かと思ってたけど……その感じだとやっぱり違うみたいね」
!?
……それだ!
家族的な!
家族愛的な!
「そ、そそそそそう! それ! それだ!」
「もう遅いわよ……それだったらそんなに動揺しないでしょ、あんた」
「おぅふ」
そりゃそうだ。
「ねぇハント」
「……はい」
ナミの腕が動いて抱擁を剥がされた。
これからフられるんだから、ナミがそういう行動に出るのは当たり前だけど、すごく寂しいと感じてしまう。
お互いの体が離れて事でナミの顔が見えた。
髪がぬれてて、相変わらずのびじかわいい笑顔。水もしたたるいい女だ。
……いやしかし……聞きたくないなぁ。
ナミの口が開く。
なんでかは自分でもわからないけど、反射的に目を閉じた。
「私も……同じ気持ち」
……ん?
同じ?
「好き」
……え?
どういう意味だろうか。
好き?
……ん?
「ぁ……ぇ」
声が出ない。
反応できない。
意味がわからない。
――好き?
誰が? ……いやいやいやこれはナミだ。ナミが好きだと言った。
――誰を?
俺を? ……いやいやいやだって先約がいるって言ってたじゃないか。
んん?
……ちょっと待った。
そもそもナミの好きは本当に俺と同じ意味なのか?
仲間的な意味なのかもしれない。もっと別の家族的な意味かもしれない。はたまた『隙あり』的な訳のわからない『隙』という言葉だったのか……いやでも、そういえば俺と同じ気持ちってナミは言ってくれた。
つまりはやっぱりそういう意味であってるのか?
「……」
「……」
ナミが俺を見つめている。
顔が赤い。
すごく可愛い。
これはびじかわいいとかじゃなくて、ただただ可愛い。
「……先約がいるって言ってたのは?」
色んな疑問が浮かんで、消えて。
やっと絞り出したのは、俺を悩ませた先約という人物。それだった。
「……先約?」
まて、なんで首をかしげる。
「俺とナミが初めて再会したとき、ナミが『私には先約がいる』って言っただろ?」
「……」
ナミが怪訝な顔を。
顎に手を置いて唸りだした彼女の次の言葉を待つ。
その待ち時間が……長い。
心臓が飛び出るんじゃないかと思うぐらいに心臓が跳ねる。多分、たぶんだけど腹から流れる血の量もちょっと勢い良くなってるんじゃないだろうか? ちょっとシャレにならないぐらい俺は今緊張してる。
こんな時だというのにさっきから俺の中にある眠気は一向に覚めないし。
「あっ」
ナミが声を漏らした。
「そっか……そういえば私……言っちゃってたのか」
小さく、ナミが呟く。
顔を俯かせて、恥ずかしそうに。
……え、なんでそこで恥ずかしそう?
意味が分からずにナミを見つめていたら、逆にナミに不思議そうな顔をされてしまった。
「なにその不思議そうな顔――」
ふとナミが言葉を止めて、それからナミが何かに気付いたらしい。
「――って!? ……もしかしてわかってないの? っていうかそっか……わかってなかったからずっとあんな態度だったのね」
今度は呆れ顔でため息をつかれてしまった。
ナミの一人で百面相の会だろうか。
一人だけわかったような態度をとるのはやめてほしい。
俺なんかまだ現実感ないし、ナミの真意すらわからずに混乱してる。
「……」
気付けばナミに人差し指を突きつけられていることに気付いた。黙って人を指さすのはよくないと思うぞ、うん。
「……えっと?」
「あんたよ! あ・ん・た!」
「なにが?」
急にあんたと言われても意味が分からない。
俺の頭をなめるなよ! いや、威張って言えることじゃないのはわかってるけど。
ナミの言葉の意味をくみ取れなかったせいかナミはナミでお怒りのご様子。
髪をくしゃくしゃと……雨にずっとされされていたからビシャビシャと……いうほうが正しいのかもしれない。いや、ともかく。ビシャビシャと髪の毛をかき乱して「だから! 先約っていうのは……ハント、あんたのこと!」
「ああ……なるほど。なんだよ、先約って俺のことだったのか……やっと誰かわかった」
先約って誰のことかさっぱりわからなかったから、遂に聞けた。
なんというかこう、感慨深いものが……ん?
「え?」
ちょっと考えようか。
…………………………うん。
「俺!?」
先約が!?
先約が俺って言った?
いや、言ったよな!
間違いなく言ったよな!
だって俺聞いてたし!
しかもナミも頷いてくれてるし!
つまり、やっぱりナミも俺のことを……そう考えても……いや、待った。それならそれでまた別の疑問が浮かぶ。
「なんで俺に先約って言ったんだ? 俺がナミにとっての先約っていう人物ならその時に言ってくれたらよかったんじゃないのか?」
その時にちゃんと言ってくれてたら、ものすごく悩む必要なんってなかったってことじゃないか。
「あのね、あの時はハントのことをハントってわからなかったんだから」
……あ。
「……そういえば」
納得です。
そうか、そういえば……そうだよなぁ。
あの時のナミは俺のことをわかってなかったんだった。
「なんで自分のことを先約だって思えないのよ」
「ほんとになぁ……ま、バカだからな!」
「えばることか!!」
ナミらしい鋭い突っ込みに、今回は拳は添えられていない。
なぜならナミはそっぽを向いて、俯いていたから。
「……ナミ?」
どうしたんだ?
そう言おうとして、けど先にナミが「……ずっと待ってたんだから、あんたのこと」すさまじい爆弾を投下してきた。
ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ちょっと拗ねた声が超可愛くてしかも超可愛いことを言ってくれてるんですけどおぉぉぉぉぉぉぉ! クロコダイルの砲弾よりもでかいのがきたぞこれ!
俺に処理できない級だ。
あまりにもナミが可愛くて、だから――
「きゃ」
――ナミをまた抱きしめる。
ナミもまた驚いたようだったけど俺の背中に腕を回してくれる。だから――
「好きだ」
――また、言った。
今度は事故とかで本音を漏らしたとかじゃない。
「ナミのことが好きだ」
しっかりとナミのことを想って。
ナミのために。
ナミに――
「俺の……俺だけの……っ俺だけのナミになってくれ」
――告白を。
ナミが俺のことを想ってくれているとわかっても、やっぱりこう……うん、緊張するね、こういうのって。
心なしかナミの俺を抱きしめる腕の力が強くなった気がする……気のせいじゃなかったらなんだか嬉しい気がする。告白というかプロポーズ的な言葉な気がするけど……まぁ俺的には大差ないから間違った言葉ではない。
「うん…………っはい!」
ナミの言葉が弾けた。
まるで本当に俺のプロポーズを受けてくれたみたいな、そんな返事。
ナミの声が上擦っていたから、もしかしたらナミも緊張してたのかもしれない。なんとなくだけど、そうだったら嬉しい。
「緊張……したぁ」
「うん……私も」
「はは」
「ふふ」
二人で顔を見合わせて笑う。
あぁ、これからはこういう時間がいっぱいあるんだ。そう思えた。
すごく幸せで、そして、それ以上に――
「あ」
「ハント?」
――眠い。
「ちょ……ハント! ハント!? って傷! ……あぁ、そういえば血だらけで……って私の服まで真っ赤!? どんだけ血を流したら……医者! チョッパー呼んでこないと!」
なんだか、ナミが騒がしい。
こういう時は静かにしてても……ん? あれ? ナミはどこに行った? 耳が遠いし……っていうか体の感覚もないぞ?
「……んで来るから! ……っと……さ――」
ナミがどこかに行ってしまう。
それを止めたくて、無くなってしまった感覚のままに手を伸ばす。
ばしゃり、と。誰かが水たまりに倒れるような音を聞いた気がした。
倒れたのがナミじゃなかったらいいな、なんとなく思ってそのまま何も聞こえなくなった。
後書き
あとがき
ハントは逃げ出した……しかし魔王からは逃げられない。
ハントがナミから逃げる時に失敗したときにこのフレーズを入れたくて入れたくて……入れる勇気がなくて、さらに悩んだ結果泣く泣く供養しました
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