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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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三十二 真夜中のお茶会

「よっこらせ……。あ~しんど」

腕に抱えていた書類をドサリと載せる。叩きつけるように置かれたそれは、机上一杯に埃を撒き散らした。ゴホッと咳をし、書類から目を放した神月イズモは「おい」と抗議の声を上げる。
「気をつけろよ、コテツ。数え間違えたらどうするんだ」
「中忍試験で使った『天地』の巻物だろ。生徒同士の戦闘で燃えたりとかするんだし、どうせ数なんて合わないって」
はがねコテツの言い分に、イズモは呆れたように溜息を漏らした。再び手元の書類に目を落とす。机の上には『天』と『地』の巻物が高く積み上げられていた。

彼ら二人は上から雑用事を押し付けられ、資料室に立て篭もっているのだ。真面目に仕事をこなすイズモに比べ、既に集中力の無くなったコテツは気怠げに二種類の巻物を眺めた。
聳え立つそれらは中忍第二試験の課題で使った『天の書』と『地の書』。

「そうもいかないだろ。今回だけじゃなく前回の巻物もあるんだから……おかしいな」
「どうした?」

今回の中忍試験で用いた巻物には中忍を口寄せする術式が施されており、前回の巻物には催眠の術式が施されている。どちらにしても巻物を開いた瞬間に第二試験の期限である五日は眠り続ける羽目になる。

巻物の数を数えていたイズモは、はたと書類から顔を上げた。前髪で隠れていない左目を怪訝そうに細める。訊ねるコテツとようやく目を合わせ、「いやな。今回と前回。どっちも一種類ずつ足りないんだよ」と打ち明けた。

今回使った巻物では『天の書』が、前回の巻物では『地の書』が、何度数えても無いのである。首を傾げてもう一度数え始めるイズモに、コテツは「だから言ったろ。いくら数えても無駄だって」と億劫そうに声を掛けた。

「それよりそろそろ見回りの時間だぜ。いい加減切り上げろよ」
里の警備を第一にという火影の命令には逆らえない。コテツに巡回する時間だと急かされ、イズモは仕方なしに腰を上げた。
それでも未練がましく巻物を一瞥する。再度コテツに急き立てられ、イズモは渋々室内の明かりを消した。資料室を後にする。

暗闇の中、二種類の数の合わぬ巻物が静かに山を築いていた。










里の外れ。人通りの少ない敷地にある屋敷はどこか異様な空気を放っていた。
里とは対照的に陰鬱な印象を受ける外観。侵入者は勿論、日光さえも阻む重厚な壁。昨日の風雨に晒されて若干の濁りを帯びた飾り窓も固く閉ざされている。


閉鎖された屋敷の一室。薄暗い広間の壁際に設けられた暗い色調の家具の上には、妖しげな壺や調度品が所狭しと並んでいる。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、大きな円卓がどっしりと座していた。円卓傍には、異国情緒あふれる布が掛けられた、柔らかく居心地の良さそうな寝椅子がある。肌触りの良い絹の布を、彼は滑らせるように撫でた。


「しくじったようね、カブト…」

途端、室内に響いていた磁器の触れる音が消える。茶の用意をしていたカブトは大蛇丸の一言で動きを止めた。


「お前の素姓がバレた事に関してはどうでもいいわ。どうせ平和ボケした木ノ葉がどの程度動くか知っておきたかったし。だけどね、」
寝椅子にその身を横たわらせていた大蛇丸は、静かに手を伸ばした。細く長い指が円卓上に置かれた白磁の茶杯に触れる。施された白蛇の文様をなぞりながら、大蛇丸はちらりとカブトを横目に捉えた。


「砂との密会を覗き見た鼠に関しては、どう責任をとるのかしらね?」


カブトは顔を上げない。落ち着いた風情で茶壷にお湯を注ぎ入れている。だがカタカタと小刻みに揺れる茶器が彼の動揺を明らかにしていた。

「目撃者は木ノ葉病院に収容されたようよ。消そうにもこう警戒が厳重じゃ動けやしない。木ノ葉の忍びとしてなら簡単でしょうけど、ヨロイもミスミもまだ動ける状態じゃないし。唯一動けるはずのお前も、表だって使えない………馬鹿な真似をしてくれたおかげでね」



目撃者を消すのに一番手っ取り早いのは木ノ葉の忍びとして近づくことだ。疑われることなく木ノ葉病院内に入り込める。里も大手を振って歩けるため、この場合木ノ葉の忍びとして長年隠密行動をさせていた者を使うのが妥当である。
しかしながらスパイとして送り込んでいた赤胴ヨロイと剣ミスミは中忍予選試合にて負傷したため、まだ本調子ではない。ただ一人残ったカブトも、うちはサスケの暗殺といった勝手な行動をしたので使えない。
既に里の忍びにはカブトの手配書が回されているだろう。病院で鉢合わせした相手が畑カカシなら猶更だ。

そう大蛇丸は考えているのだが、実際のところそれは外れである。それと言うのも偽の病室にいたカカシとサスケは再不斬とミズキであり、木ノ葉の忍びは誰一人としてカブトの暗殺未遂を見ていないのである。
サスケ本人ですら自身が暗殺されそうになったなど知らないのに、どうして手配書が回されようか。
だから仮にカブトが里中を闊歩したところでどうという事は無いのだが、それでも大蛇丸は勘繰るだろう。カブトを泳がせ、彼の背後関係を洗おうという魂胆なのではないかと。
結局それら全てが己の邪推だとも、ナルトの狙いだとも、大蛇丸は知る由も無かった。

また、里の隅々にまで火影の目が行き届いている。交代制で木ノ葉の忍びが巡回しているのだ。以前にも増して里の警戒が厳重となっていることに大蛇丸は辟易としていた。


何処の馬鹿がへまをやったのか――――――そうか、目の前のコイツか。




螺旋を描いて天井へと昇りゆく湯気。芳しい香りに満たされる室内に反して、張り詰める緊張。どこか息苦しさを覚えたカブトは思わず空を仰いだ。瞬間、部屋の主と目が合い、ひゅっと息を呑む。

ただでさえ吊眼の大蛇丸が目を細めている。蛇の如きねっとりとした視線が、いっそ殺してやろうか、と語っていた。それぐらい彼の苛立ちは最高潮に達していた。

「この不始末、どうつけるつもりなのかしら?―――カブト」













「しくじったのは相手だよ」


突如、声が響いた。
その澄んだ第三者の声は、室内の息苦しさも、そして大蛇丸の不機嫌をも一瞬で払拭する。

何時の間に入ってきたのか。部屋の隅に置かれた安楽椅子で、彼は静かに足を組んでいた。固く閉ざされていたはずの窓のカーテンがさらさらと揺れている。不躾な侵入者は、「お茶会に俺はお呼ばれしてくれないのかな?」とふてぶてしく言い放った。

「………今、迎えを寄越そうと思っていたところよ」

突然の登場に驚愕を隠せないまま、それでも大蛇丸はうそぶいてみせた。心中身構えながらも、愛想笑いで迎える。
「ナルト君」
組んだ足に手を置いたまま、ナルトはにこり微笑んだ。









「さっきの言葉はどういう意味?」
訝しげな眼差しで大蛇丸はナルトを見つめた。その傍らで弾かれたようにカブトが顔を上げる。茶器がガチャリと音を立てた。
「これは僕の問題だ!余計な口出し、」
「お黙り。カブト」
大蛇丸にぴしゃりと一喝され、カブトは押し黙った。しかしながらその視線はナルトと大蛇丸を交互に往復している。「続けて。ナルト君」と大蛇丸に促され、ナルトは再び口を開いた。

「同盟国さんの不手際さ。彼は関係ないよ」
「…………見ていたの?」
「帰り際に、ちょっとね」
涼しげな顔でそう話すナルトに、大蛇丸はどこか薄ら寒いものを感じた。

木ノ葉崩しの計画について、ナルトには一言も伝えていない。それなのに、目の前のこの子どもは何処まで知っているのか。

視線から逃げるようにナルトの茶を入れる。そうして、服の袖に忍ばせておいたモノを、大蛇丸はそっと注ぎ入れた。

「いつ帰ってきたの?」
「それを俺に聞くのか?」
質問に質問で返す。どうせ君麻呂が戻って来た時点でわかっているだろうに、といった風情で、ナルトは大蛇丸が手ずから入れた茶の香りを楽しんだ。
彼と向かい合わせに座っている大蛇丸は、寸前と違って椅子から身を起こしている。自身もカブトの入れた茶を口にしながら、大蛇丸は不意に話題を変えた。


「ザクを助けたそうね」
香り立つ琥珀色の液体を覗き込んでいたナルトが目線だけを大蛇丸に向けた。素っ気なく「ただの気紛れだ」と一言返す。素気無い返事にも拘らず、大蛇丸は身を乗り出した。
「貴方ほどの人物が気に掛ける…。隠された才能でもあるのかしら?」
「…………」
「沈黙は肯定と見做すわよ」
肯定も否定もせずにナルトはくんと鼻を鳴らした。自身の前にある花瓶をそっと眺める。活けられた溢れんばかりの花々は美しく微かな芳香を漂わせているが、どこか毒々しい。

「それより俺に聞きたいことがあるんじゃないか?」
手元の杯を弄ぶように揺らしながら、ナルトは肘掛にその身を預けるようにして座り直した。杯に口付ける。
「俺が十日間、何処で、何をしていたか。それを聞きたいんだろう?大蛇丸」
口を杯につけながらナルトがそう言うと、大蛇丸は愛想笑いを浮かべた。ナルトの動向を見守る。咽喉を潤すように茶を呑むナルトを目にして、彼は内心含み笑った。


「良い茶葉を使っているな」
一口呑んだナルトが静かに言葉を告げた。
香りに劣らぬ深い味わいが口に広がる。杯中の液体が渦を巻き、甘い香りが立ち上った。馥郁たる茶の香りは茶葉の品質の良さを窺わせる。
しかしながらその香気に含まれた独特の香りが、ふわりとナルトの鼻腔を擽った。そのちょっとした違いを敏感にも感じ取った彼だが、前以て予想していたために、淡々と言葉を続ける。
「味も香りに負けていない。やわらかい口当たりに深い味わい…。文句なしに美味しいよ」
だが直後、彼は杯を眼前に掲げた。口元を隠し、双眸だけを大蛇丸に向ける。その表情からは笑みは消え、強い眼光だけが大蛇丸を射抜いていた。




「余計なモノさえ入っていなければな」




大蛇丸の肩が跳ね上がる。彼自身も手にしていた杯の中の茶がぴちゃんと波打った。
真っ直ぐに目を合わせてくる青い瞳を避ける。己の心の奥底まで見透かされているような錯覚を覚え、大蛇丸はナルトから顔を背けた。
「毒だな。大方自白剤か」
面倒そうにそう言うと、ナルトは身を強張らせている大蛇丸の瞳を覗き込んだ。何も言えずにいる彼に向かって「君麻呂にも試したんだろ」と囁く。

「俺が何をしていたかを調べるために」

袖に隠し持っていた即効性の自白剤。それを混入した張本人は言い訳しようと口を開いた。だがカラカラに渇いた唇からは何も出て来ない。ついさっき茶を飲んだはずだというのに。高鳴る鼓動と共鳴するかのように、茶の波が静まらない。
「何の話かしら…」
無理に搾り出した声は不明慮な呻き声にしかならなかった。だがナルトの耳にはしっかり届いたのだろう。くつりと笑みを浮かべる。部屋の主はとうに取って代わられていた。
「まあ、君麻呂に試したのは薬ではなく幻術だろう。病気持ちの彼にこんな強い薬を投入したら、どんな副作用が出るかわからないからな」
「君麻呂に幻術のたぐいが効かなかったのは、やはり貴方が原因ね…」
背中に滲む冷たい汗を感じながら、大蛇丸は辛うじて言葉を返した。


空白の十日間を知るために彼は君麻呂を尋問した。だがナルトを崇拝している君麻呂はどうあっても話そうとしない。そこで、彼の不治の病がとっくに治っているなど知らない大蛇丸は、術を用いる事で自白させようと試みた。幻術に長けた部下に命じて口を割ろうとする。
それが間違いだった。
前もってナルトが仕組んでおいたのだろう。君麻呂に幻術を掛けた者は尽く返り討ちにあった。即ち自分が掛けた幻術に己自身が掛けられてしまったのだ。
聞いてもいないのに内心を暴露し始める臣下達に大蛇丸は頭を抱えた。だがその反面、舌を巻いたのだ。大蛇丸の考えを尽く見破る、うずまきナルトに。
やはり欲しい。あの比類なき才能を己のものにしたい。だがナルトには術の一切が効かない。ならばどうするか。
故に即効性の、それも強力な自白剤を用意したのだが、それさえも無駄に終わったようだ。



円卓上に杯を静かに置くナルトを見遣りながら、大蛇丸は畏怖の念を益々募らせた。濁り始めた茶の緑に落とされる青い瞳は、大蛇丸にとっては認めたくは無いが、恐れという感情を思い出させた。


「それでだ」
未だ身を固くする大蛇丸に、ナルトはそれ以上追及しなかった。ふわりとやわらかく首を傾げてみせる。
「つまりは目撃者の記憶を消せば、問題ないのだろう?」
音と砂の密会についての話を蒸し返す。病院にいるであろう月光ハヤテの処置を自身が行うと暗に告げるナルトに、大蛇丸は瞳を瞬かせた。訝しむよう眉を顰め、「どういう風の吹きまわし?」と真意を探る。
「なに、お詫びだよ。十日間音信不通だったことに関してね」
口を開きかけるカブトを視線で制して、大蛇丸はじっとナルトを見つめた。滄海の如きその青い瞳は嘘偽りも無い、綺麗なものである。
暫しの逡巡の後、大蛇丸は試すような物言いで「…それじゃあ頼もうかしら」と頷いた。

「大蛇丸様!!」
咎めを含んだカブトの鋭い声が天井に谺した。ナルトはそれに何の反応も示さず、「ごちそうさま」と席を立つ。毒入り茶を残したまま窓へ向かう彼に、大蛇丸は「ナルト君」と声を掛けた。

「お帰りはあちらよ」

大蛇丸の最後の反抗は聞き入れられたらしい。殊更ゆっくり振り返ったナルトは口角を吊り上げると、足の先を扉のほうへ向けた。
細やかな装飾が為された重厚な扉。ギイィイイと開かれた扉の向こうには、薄暗い部屋とは一転して明るい廊下が見える。廊下から射し込む光がナルトの背中を影絵のように投影した。

「おやすみ」

扉が閉まる直前、ナルトの何気無い挨拶が、室内にいる者達の心を抉った。











ナルトの気配が遠ざかっていく。それを全神経で探っていた大蛇丸がようやく安堵の息をついた。どっと疲れたように身を寝椅子に横たわらせる。

「……首が繋がったわね。カブト」

眠れずに始めた真夜中のお茶会がとんでもないことになってしまった。そう自嘲しつつ、大蛇丸は自身の茶杯に口をつけた。
「ナルト君に感謝することね」
緊張でヒリヒリと痛む喉を潤すように茶を飲み下す。空になった杯に茶を注ぎ入れながら、カブトは苦々しく答えた。
「彼に借りを作りたくないんですよ」
顔を伏せながら独り言のように呟く。嫌悪が滲むその声音に、大蛇丸は呆れたようにかぶりを振った。
「お前は昔から、彼が苦手だったわね」
金糸の刺繍があしらわれたテーブルクロスに、彼はことりと白磁の杯を置いた。そしてやにわに手をパンパンと打ち鳴らす。


瞬間、大蛇丸の目前に一人の少年が現れた。片膝をつくその者を見下しながら、大蛇丸は高慢な態度で命令を告げる。

「ナルト君を監視しなさい。お前になら出来るでしょう」
ナルトが残した毒入り茶を手にする。杯を傾けると、中の液体が糸を引いて絨毯に流れ落ちた。鮮やかな深紅がみるみるうちに暗紅色の滲みを作る。


「―――――シン」


空になった白磁の杯が大蛇丸の手から滑り落ちた。派手な音を立てて砕け散った茶器の破片が、少年の頬を切りつける。


一筋の血を滴らせながら少年――シンは顔を上げた。鮮紅色の滴が絨毯の滲みと雑ざり合い、更に深く黒ずんでいった。
 
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