空を駆ける姫御子
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閑話3 ~追憶の日々 -again【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の閑話3(ブログ版で閑話5)です。時期的には、ちと早いですがサンタに因んだ話。とは言っても、全くクリスマスっぽくありません。
────── サンタクロース。それは『戦う者』である
サンタクロースをいつまで信じていたか? そんなことをアスナが以前聞かせてくれた物語に登場する主人公のように、あたしも少しだけ語りたいと思う。
物心つく頃には両親はすでに他界しており、あたしは兄と二人きりで生きてきた。その兄もあたしが幼い頃に殉職し、両親と兄が残してくれた遺産で生きていくしかなかった。たった一人で。そんなあたしが、サンタクロースなどいないという事実を割と早い段階で知ることになったのは、必然だったと思う。
ミッドチルダに於ける『クリスマス』の起源は諸説あるが、スバルのご先祖のように何らかの原因によってミッドへと飛ばされてしまった『地球人』である次元漂流者が広めた。という説が一般的になっている。その証拠に、なのはさんや八神部隊長から聞いたクリスマスが地球のそれと、そっくりなことが挙げられる。
少し話が逸れてしまうが、教官とお兄さんへこんな話をしたことがある。あたし達が住んでいるミッドチルダの風習や文化。それに言語体系。一般常識や倫理観が非常に似通っているのは、歴史にも記されないほどの遠い昔。大勢の地球人がミッドチルダへと流れ着き、そのまま根付いたのではないか? そして遙か遠い昔には地球と交流があり、ミッドに最初からいた人達の幾人かは、地球へと移住した人がいたかも知れない。なのはさんや八神部隊長は──── そんな人たちの『血』を引いているのではないか? そんな話をしてみると、二人はあたしの何の証拠もない妄想を聞いても呆れることなく、こう言った。
「時間軸がずれて飛ばされた可能性もありますしね。純粋な『地球人』である筈の高町さんや八神さんに魔法を使うための『リンカーコア』などという器官があるのも、隔世遺伝として一応の説明はつきますか。それがもし本当だとしたら歴史の浪漫を感じますし……とても面白いですね」
この人は、あたしやスバル。そしてアスナのような子供が荒唐無稽なことを言い出しても決して頭ごなしに否定したり馬鹿にしたりはしない。アスナを小さな頃から育てたというのは伊達ではないのかも知れない。教官に至っては
「……ふむ。興味深い話ではあるな。確証となる文献などが発見できればいいのだが。調べてみる気があるのなら『無限書庫』の閲覽許可を申請しよう。心ゆくまで調べるといい」
凄い真面目な顔をして言われたことがあった。二人ともベクトルは違うが、やはり大人なのだと感心した物だった。無限書庫を使う機会は結局訪れなかったが、別に真実が知りたかったわけじゃない。興味をもった。唯、それだけの話だ。真実は一つしか無いなどと言うけれど、真実は人の数だけあるのだと思う。
百人の人間が「それは林檎です」と言ったとしても。一人の人間がそれを檸檬だと信じていれば、紛れもなく本人にとっては、それが『真実』。管理局員としては不適切な考えだと自分でも思うが、そこに犯罪や誰かが困るような事態にならない限り、サンタクロースを信じていたっておかしな話じゃないと思う。
「そうだね。サンタが実在するかしないかじゃなくて、大事なのはその人にとってサンタは誰なのか? ってことだから」
なのはさんが、ジンジャーエールの入ったグラスを持ちながら話す。前回のメンバーになのはさんを加え、場所をあたしの部屋へと移した。以前、なのはさんから訓練校時代の話を聞きたいと言われ、今回のお茶会となったのだ。但し、アスナはいない。現在、アスナはザフィーラと散歩中。アスナはザフィーラが八神部隊長の『守護騎士』(ザフィーラは正確には守護獣と呼ぶらしいが)の一人だと知っても、以前と扱いが全く変わらない。今更だが、凄い娘だと思う。
「あまりクリスマスとも、サンタとも関係ないかも知れないんですが。どこから話しましょうか……」
「謹慎、ですか」
「そんなっ」
教官に食ってかかろうとするスバルを制す。
「今回は庇いきれなかった。すまない」
「期間は?」
「一週間だ。その間は全ての座学及び戦技訓練への参加は不可。自室からの外出も禁ずる。食事は君達が運んでやるといい。本人へは既に通達済みだ。以上、退出したまえ」
納得出来ない態度を隠そうともしないスバルを引き連れ退出する。重々しい音を立てながら扉が閉まると同時に、あたしの口から溜息が零れ落ちた。
あたしとスバルがアスナと出会ってから半年ほど経っていた。アスナへの風当たりも、あの一件以来少しずつ影を潜め、無口ではあるが楽しかったり嬉しかったりすると、あたし達と同じようにほんの少しではあるが、微笑んだりする事があるという事実を知ると、徐々に彼女の周りに人が集まってくるようになった。だが、アスナを親の敵の如く嫌う人間も多くいた。そんな人間の大半は出来の悪い硝子細工のような、ちっぽけなプライドを粉々にされた者ばかりだった。こと戦闘になると鬼神のような戦いを見せるアスナに誰一人、勝てはしなかったのだから。
事の起こりは昨日のことだ。あたし達が食事をしていると、数人の生徒が傍の席へと就いた。あたし達の近くに席を陣取ったのも故意だったのだろう。やがて神経を逆撫でするような不快な笑い声を上げながら食事をし始めたのだ。あたしが変なのかも知れないが、同年代の男性は酷く子供に見える。これ自体は問題はない。我慢すればいいだけの話だ。だが、次がいけなかった。
実の所、彼らの会話の内容は良く憶えていない。ただ、彼らはどこからか聞きつけたのか、アスナとお兄さんの関係を揶揄するような内容だったことは憶えている。余りにも低俗な内容だった為に、あたしの脳が記憶するのを拒否した所為かもしれない。そんな話をこちらへ聞かせるように。陰険で知性を疑うような嫌がらせ。それが──── どんな結果を招くとも知らずに。
隣に座っていたアスナが消えた。次の瞬間あたしの鼓膜を打ったのは、金属で何かを殴りつけるような鈍い音。アスナが自分の座っていた椅子で、相手の頭を殴り飛ばしたのだ。食堂に響く数人の少女の悲鳴と動揺の波。アスナは食堂の床で頭を庇いながら踞っている男へと近づくと、手にしている椅子で尚も殴り続ける。男がどんなに懇願しても、無表情に。それがまるで只の作業とでも言うように殴り続けた。
男の傍にいた少女がアスナを見て、泣きながら逃げ出す。食堂に響き渡る怒号と怒声。男は漸との思いで立ち上がり、アスナから逃れようと背を向ける。頭部が切れているのか、制服の肩まで血に染まっていた。アスナは周りの状況など全く意に介した風もなく、ゆらりと近づくと男の背中へ拳を叩き込んだ──── 正確には肝臓の位置を。男は悲鳴を上げながらのたうち回り──── そのまま動かなくなった。
先ほどまでの悲鳴、怒号、怒声。全ての声が消え失せ、その場にいた人間は悲惨な交通事故を目撃してしまったような面持ちで、アスナを見ていた。あたしとスバルが、やっとの思いで動きだし教官が駆けつけた時。アスナは感情の極端に薄い瞳で男を見下ろしていた。
しまった。みんなドン引きだわ。
「そんなに酷かったの?」
「……とにかく我慢を知りませんでした。特にお兄さんや家族のことを悪く言われると人が変わったようになって。今でもその傾向はありますけど。今、六課にアスナがいるのは奇跡と言っても大袈裟ではないと思います」
「前回は聞かなかったけど……どうしてなのかな?」
フェイトさん? それをなのはさんに聞いても。なのはさんが困ってます。知ってはいるが、あたしの口から話すことじゃない。あたしは無言で答えた。
「あの肝臓の位置を殴られると気絶してしまうほどなんですか?」
エリオがこの場の空気を変えるように質問する。エリオにしても、キャロにしても気遣いが出来る子供だ。この質問にはスバルが答えた。
「キドニーブロー、肝臓打ちだね。肝臓は急所の一つだから、シューティングアーツでも公式の試合では反則。大の男でもまともに入ると、もの凄い痛みで気絶しちゃう」
しまった。もっと引かれた。エリオの気遣いが無駄になったわ。
「……嫌なことがたくさん、あったんだと思います。きっと」
キャロの小さな口から想いが零れて消えていく。
「嫌なことがたくさんあると自分がこの世界で、ひとりぼっちのような気がしてきちゃうんです」
何か思うことがあるのか、この場にいる幾人かは神妙な顔をして俯いている。あたしもきっと──── 同じような顔をしているはずだ。考えてみれば、エリオやキャロがどういった経緯で六課に来たのか詳しく知らない。その過去も。それはきっと軽々しく聞いてはいけないんだろうと思う。少なくとも彼女達が笑いながら話してくれるようになるまでは。一度だけ、お兄さんに聞いたことがあった。
「別におもしろい話など、ありませんよ。私もアスナも平凡な家庭で、ごく普通に生きていました。それがある日事故に巻き込まれて、気がついたらここにいた。それだけの話です」
嘘だ。と感じた。なぜそう思ったのかは、わからない。その時のあたしは、それが真実なのか問いただすことが出来なかった。その覚悟があたしにはまだ、ない。
「辞めさせられなかっただけ、マシでしょ」
「それは、そうだけど……」
あたしは、まだ納得出来ない樣子のスバルを伴いながら廊下を歩いていた。向かっているのは勿論、アスナの部屋だ。原因は向こうにあるとは言え、怪我をさせてしまったのは事実。今までも小競り合いはあったが、昨日のは酷かった。本来なら退学処分は必至な
「どうしたの、ティア? トイレ?」
突然立ち止まったあたしを、訝しげにスバルが見ている。それはどうでもいい。今はアスナのことだ。過去には首を傾げたくなる理由で、退学処分になった生徒もいた。考えられる理由は幾つかある。その中で一番可能性が高く、管理局らしい理由。
アスナには『リンカーコア』がない。にも拘わらず魔力を持っている。アスナの体質上、体外への魔力放出が出来ないという欠点はあるものの『ある』事には間違いない。そして二つのレアスキル。『完全魔法無効化能力』と『魔力素固定化能力』だ。怪我を負ったあの生徒よりもアスナの方が『利用価値がある』と判断されたのだとしたら……
「……ふざけるな」
「えっ、ごめんなさい?」
あたしはちらりとスバルを見やる。憶測に過ぎないけれど、この娘にも話しておこう。あたしの話を黙って聞いていたスバルが、やりきれない表情を浮かべている。この娘だって知っているのだ。管理局が決して一枚岩ではないことを。あたし達は頷き合い歩を進める。
「教官も……そうなのかな……」
「わからないわ。何を考えてるか、よくわからないし。……今のところ味方でもないし敵でもない。ってとこかしら」
「ところで、『Fixed Mana』のマナってどんな意味か知ってる? 調べたけど、該当する単語がなかったんだよね」
「あぁ、あたしも聞き慣れない言葉だったからアスナに聞いたことがあるわ」
「え、なになに?」
「それはね──── 不思議な力の源。だそうよ」
「アスナ? 入るわよ」
アスナの部屋の扉は来訪者を誰一人として拒まない。要するにロックしないのだ。男子禁制の女子寮とは言え、それは飽くまで建前だ。寮監の目を盗んで外出する生徒もいれば、男を引っ張り込んで口にするのも憚れるような行為に及んでいる生徒もいる。つまり決して男子生徒が入ってこられないわけじゃない。だというのにアスナは何度言い聞かせても施錠しなかった。
何度呼びかけても返事がない事態に、あたしの直感はけたたましく警鐘を鳴らした。スバルへと素早く視線を走らせ扉を開ける。部屋の中へ飛び込むようにして踏みいると、目に入るのは相変わらず殺風景な部屋──── そこには誰もいなかった。
「アスナ、何処行っちゃったの……謹慎処分中なのにっ」
スバルの焦燥を含んだソプラノが、冷たい部屋へと響いた。落ち着け。処分内容は教官が伝えたと言っていた。シャワー? いや、この時間は使えない。謹慎処分中に部屋を抜け出したことが知られたら……落ち着け。一体何処に────
「ティアっ、これ」
スバルが手にしているのは一枚のメモ。どうやら、机にあったらしい。あたしはスバルの手からメモを引ったくるようにして受け取ると、メモへと視線を落とした。
『にくまん買ってきます』
あたしとスバルは力なく──── その場へ崩れ落ちた。
「呆れた……アスナらしいけど」
なのはさんはグラスの氷を、ストローでからから廻しながら文字通りの呆れ顔をしていた。エリオとキャロは苦笑いである。
「大変でした……アスナが戻ってくるまで、当時やっと使えるようになった『幻影』を使って巡回の目を誤魔化したり。でも、戻ってきたところを教官に見つかってしまって」
そう、本当に大変だった。だけど、戻ってきた時のアスナはいつもよりほんの少しだけ雰囲気が違っていた。それはきっと、彼女の御陰だ────
私が訓練校に入学したのは『魔導師』になるためじゃない。強くなる為。兄の力になる為に。兄と一緒にミッドチルダへ来てから随分と時が過ぎた。多くの人が私のことを、見た目通りの年齢だと思っている。そんな人間の大半は私のことを侮った。更に、『リンカーコア』がない事を知ると私を見下した。私が『飛べない』事を知ると嘲笑した──── 馬鹿な人たち。
そんな人間は例外なく、完膚無きまでに叩き潰してきた。昨日は愚かにも兄を侮辱した男を、ちょっと小突いてやった。口から泡を吹いて床にへばりついた姿は、実に滑稽で愉快だった。小さな頃から死に物狂いで修練した結果……私は強くなった、と思う。だけど、兄はあまり喜んでくれない。私はそれが少しだけ──── 悲しかった。
さて、どうやって寮へ戻ろうかと空を駆けながら考えていたところに、中庭の隅で一人の女性徒が食事をしているのが見えた。女子寮の各部屋には簡易的なキッチンがついている。食堂で食事をする生徒が大半だが、お弁当を作って食べる生徒もいるので、珍しい光景じゃない。私の目を惹いたのは女性徒の肌の色だ。ミッドでは珍しい(私が知らないだけかも知れないが)豊かな大地を思わせるような──── 褐色の肌。あんな生徒がいたか記憶をサルベージしてみるが、何も引き揚げられなかった。
私は上空から着地点を確認すると、魔力素固定化能力を解除する。重力が自分の仕事を思い出し、私をぐいと引き寄せた。遊園地にある絶叫マシンと呼ばれる名ばかりのおもちゃとは、比べものにならない浮遊感。下から上へ高速で流れていく景色と風を感じながら、彼女の前へと降り立った。
彼女は目をぱちくりとさせながら、突然空から落ちてきた私を見ていた。銀になり損ねたような色をしたショートヘアが驚きで揺れている。無言で近づいていくと彼女の口から思いがけない単語が飛びだした。
「え、えぇと……サンタさんですか?」
たっぷりと五秒は思考が停止した。サンタ? あのサンタだろうか。何を言っているんだろう。サンタと言えば赤い服が定番だけど、私の服装はボトムスがグレーカーキのカーゴパンツ。トップスは臙脂色のフライトジャケットだ。赤なんて何処にもない。
「だって、袋も背負ってますよ?」
そりゃぁ、頭陀袋を肩に引っかけてはいるが、生憎と中に入っているのは子供達へと配るおもちゃではなく、コンビニからの戦利品だ。そもそも……彼女は私を知らないのだろうか。
「……なにをしている?」
彼女の質問は無視することにした。
「お弁当してました。編入したばかりでボク、お友達がまだいなくて」
『ボクっ娘』なんて初めて見た。都市伝説じゃなかったのか。また兄に騙された。今度帰ったらお説教だ。
「ははは。可笑しいですよね、女の子なのにボクなんて。兄や弟がたくさんいて、いつの間にか『ボク』になっちゃいました」
「……べつに」
人と違うということは、決して可笑しいことじゃない。そんな事よりも、先ほどから彼女のお弁当箱に鎮座しているおかずが気になった。
「あ、一口食べますか? ちょっと自信作です。ボクのフォークで申し訳ないですけど」
彼女はそう言うとフォークを使って器用にそれを半分にし、私の口の前へ差し出した。少々気恥ずかしかったが、遠慮なく頂くことにする。……美味しい。そして思った通りだ。これって
「……だしまき」
彼女が驚きで目を丸くする。
「凄いです。変わったオムレツだね。って言う人はいるんですけど」
「……だれに教えてもらった?」
「母です」
彼女は短く。そして誇らしげに答えた。無躾だとは思ったが、彼女に母親の名前を聞いてみる。やはり思った通りだ。兄やスバルの名前と同じ響き。
何となく親近感が湧いた私は暫くの間、彼女と取り留めのない話をして過ごした。兄弟が多いこと。食事時は戦争だと言うこと。彼女だけが『リンカーコア』を持って生まれてきたこと。あまり裕福ではないが、魔導師になりたいと言った彼女を快く送り出してくれた、両親と兄弟のこと。そんな家族の為に立派な魔導師になって家計を助けたい──── 彼女の夢。
少し感心してしまった。そんな理由もアリなのか。『魔導師』は高給取りだ。加え階級が上がれば、収入も跳ね上がる。ふと、最近何かと私に構う二人の顔を思い出した。ティアナは執務官になりたいらしい。スバルは自分の力で多くの人を助けたい。彼女は両親や兄弟に楽をさせてやりたい。私は兄の助けになるために。だけど、肝心の兄が喜んでくれない。私は──── 何か間違っているのだろうか。
「……あげる」
「へ?」
「……にくまん。お礼」
「あ、ありがとうございます」
戸惑う彼女に肉まんを押しつけて立ち上がる。さて、どうやって戻ろうか。と、その前に一応聞いておこう。
「……なんで、サンタだと思った?」
「小さな頃……お父さんが、サンタの衣装を用意出来なかったみたいで……丁度あなたが着ているような服装だったんです。それを思い出してしまって」
なるほど。いいお父さんだ。そう言えば、私の兄は凝り性の所為なのか無駄にサンタだった。何時の頃だったろう。サンタなどいないと知ったのは────
「ありきたりだけど……その人がいると信じていれば、サンタはいるんだと思います。それが例え家族の誰かだったり、見ず知らずの人だったとしても。夢や希望や勇気を与えてくれる。そんな人が『サンタクロース』なんですよ、きっと」
「……桐生候補生。外出は禁じていたはずだ。そこへ座りたまえ。それと肉まんを食べるのを止めなさい」
あたし達の苦労など露知らず。窓から堂々と、「サンタです」などと巫山戯たことを吐かしながら帰ってきたアスナの後頭部を引っ叩いた時。丁度運悪く教官に見つかってしまった。教官に首根っこを掴まれ、ずるずると教官室まで連れてきたわけだが。こうなった以上、腹を括るしかない。
「誰がソファでくつろげと言ったんだ。正座しなさい。……違う、ソファにじゃない。床にだ。そんなにソファが好きかね……肉まんはいらん。私に賄賂はつうじんぞ。その食欲を無くすような青い肉まんはなにかね。いいからしまいなさい」
教官もあたし達同様にアスナの担当となってから半年ほど経つが、見ての通りアスナにペースを狂わされてばかりだった。アスナと関わる人間が通る道だが、教官はどうしうてもその道を歩きたくないらしい。
「……七個かってきた。八個あつまると、がったいする」
「君が何を言っているのか、さっぱりわからん」
あたしだって、わからない。
「今回は私だったから良かったものの……私以外だったら確実に問題になっていたぞ。謹慎中に寮を抜け出して、コンビニエンスストアへ行くなど前代未聞だ」
「……これ、まんなかから割るとグロいな」
「話を聞きなさい。……今回は不問とする。退出したまえ」
流石の教官も何かを色々と諦めたらしい。あたしとスバルの気持ちがわかったか。
「……ありがとう、おっちゃん」
「……私はまだ、おっちゃんと呼ばれる歳ではない。それに『ヨハン・ゲヌイト』と言う名がある」
不味い、スバルが限界だ。
「……ありがとう、ゲヌイトのおっちゃん」
スバルが堪えきれずに吹き出し、教官があたし達を睨みつけた。とばっちりだ。
「早く行きたまえ」
「あ~、出たかったなぁ。『交流戦』」
スバルがアスナのベッドを占領しつつ、そんな事を呟いた。スバルが言った『交流戦』とは数年前から行われている年末行事だ。普段殆ど生徒同士の交流のない士官学校の生徒達と模擬戦を通じて交流を図り、お互いの技術の向上と親睦を深めようというのが目的なのだが。実際は少々事情が違ってくる。
『空士』は将来を嘱望されたエリートだ。『リンカーコア』を持っていないというだけで、見下す人間が少なからずいるように。彼らの中にもあたし達、陸士を見下す人間が多くいる。……仕方ないのかも知れない。空を飛べるという優位性だけではなく、長時間の飛行が可能だということは、長時間に渡って飛行魔法を維持するだけのセンスと魔力があるということに他ならない。それは必然的に魔力の絶対量が多い。ということだ。
『空戦魔導師』は謂わば、魔導師の花形だ。あたしが目指している、執務官の資格条件にも『空戦適正がある事』が明記されていたぐらいだ(もっとも、これは随分前に撤廃されている)。
そんな連中との交流が一筋縄でいく筈もなく。両者の溝は深まる一方だった。こちら側が負け越しているという理由も勿論、大きい。そんな時、教官から声が掛かったのだ。
──── 今年の交流戦は、君達三人が代表だ。
純粋に嬉しくはあったが、最初は何か裏があるのではないか勘ぐったものだ。あたし達は──── 切り札。高い戦闘力と突破力を誇る二人に加え、あたしの指揮力。これは自惚れではなく、この癖のある二人を指揮した上で戦えるのは、あたし以外にはいないと自負している。その交流戦を一番張り切っていたのが、スバルなのだから先ほどの台詞も無理はない。
「仕方ないでしょ。交流戦は六日後。アスナの謹慎が解けるまで一日足りないわ」
「わかってるけどさぁ」
スバルはそう言いながら恨みがましい視線をアスナへと送る。
「……なんだ」
「なんでもないよ」
アスナは、元々乗り気ではなかった。話を聞いた時も、勝手にやれと言ってのけたくらいだ。アスナは気怠げに床で丸くなっていたが、やがて何かを思い出したように起き上がるとキッチンへと歩き出した。
「なに? お腹でも空いたの?」
「……やくそく」
約束って何だ。アスナは冷蔵庫から卵を数個取り出すと、器用に片手で割りながらフライパンを準備している。アスナがボールへと割り入れた卵を菜箸でかき混ぜていると、ドアがノックされた。……待て、ノック? アスナの部屋に来客? アスナが音もなく移動し、扉を開けるとそこには──── 常夏帰りの観光客みたいな肌をした娘がいた。
「ティア、失礼だよっ」
「五月蠅いわね。……アスナ、誰なの? 紹介してくれる?」
「なるほど。彼女のお弁当のおかずを拝借して青い肉まんを押しつけた挙げ句、ちょっと悔しいから今度は呼び出して、私のを食べてみろ。こんな感じね」
「……おおむね」
「あんた本当にいい加減にしなさいよ。……ごめんね。迷惑掛けて。律儀に来なくても良かったのよ? どうせこの娘は明日には忘れてるんだから」
丸めたノートでアスナの頭をぽこぽこ叩きながら彼女へと謝罪する。そんなあたし達を見て、彼女は楽しそうに目を細めながら言った。
「いえ、気にしないで下さい。アスナさんの出汁巻きを食べてみたかったですし」
アスナは既にあたしの手を逃れキッチンで料理中だ。キッチンの前でちょこまかと動くアスナを見ていると、ケージの中に入っているハムスター見ている気分になってくる。そんなあたしの視界の端にひらひらと揺れる何かが映った。それは──── 真っ赤なリボンだった。だが、それは髪を留める本来の役割を果たしておらず、褐色娘の二の腕に巻かれていた。あたしの視線に気付いたのか、彼女は恥ずかしげに答える。
「あはは。変、ですよね」
「ううん。変じゃないわ。唯、理由は聞きたいかな」
「髪は元々長かったんですけど……訓練校の編入試験に合格したのを機に、心機一転しようと思って切っちゃって。その日、家に帰ったらお父さんが合格祝いでこのリボンを買って待ってたんです。申し訳なくって……だから髪には結べなくても、せめていつも身につけておこうかなって。それにクリスマスも近いですし」
「クリスマスって……クリスマスカラーは確かに赤だけど」
最後のはちょっと苦しいけど。まぁ、考え方はそれぞれだ。そんな事を指摘したところで何の意味もない。あたしは空気が読めるのだ。そんな時、あたし達の会話を遮るように大皿がテーブルへと置かれる。大皿に乗せられているのは、巨大な玉子焼き。
「大きすぎでしょう……」
「……たんとおたべ」
「いただきますっ」
「わぁ」
三者三様の反応を見せながら、巨大なダシマキはあたし達の胃袋へと献上された。主にスバルの。とても美味しかった事と、アスナのどうだと言わんばかりの顔が少々腹が立ったので、マシュマロのような頬を引っ張ってやったことを追記しておこう。
女のあたしが言うのもなんだが、女が集まれば姦しいことこの上ない。それはあたし達も例外ではなかった。若干一名が殆ど話さなかったとしてもだ。
「へ? 桐生さん、謹慎中なんですか」
「……ゲヌイトのおっちゃんに、いじめられてる」
「どっちっかって言うと、苛めてるのはアスナだよね」
「ゲヌイト教官はちょっと苦手で……。ボクと話すと睨むんです。嫌われてるんでしょうか」
「考えすぎよ。あれは普通に見てるだけ。睨んでるわけじゃないわ」
こんな感じだ。話を聞く限り、彼女は入学試験よりも難易度の高い編入試験をクリアした才女のようだ。家族が多いので、家計を助ける為という理由も好感を持った。何よりアスナから話しかけたという理由からして、おかしな人間ではないだろう。
これは、ガス抜きなのだ。そう、ガス抜き。こんな山の中の訓練校で、泥と汗にまみれながら訓練に明け暮れていれば、誰だってストレスが堪る。交流戦にしても、ガス抜きの意味合いがあるんだろう。それはきっと必要なことだ。好きな食べ物、好きな男性のタイプ、好きなTV番組、好きな音楽。将来の夢──── 希望。『普通』な女の子のように、そんな他愛のない話に花を咲かせながら、いつもとは少しだけ違う夜が更けていった。
その日。交流戦当日の小雪がちらつく屋外訓練場にて、ティアナ・ランスターの目に飛び込んできた光景は、少なからず彼女に動揺を与えるには十分だった。
自分達が出られないことは十分理解していた彼女ではあったが、代わりに選抜されたメンバーは未熟な彼女から見ても理解し難いメンバーだった。それどころか、見たことも聞いたこともない生徒だ──── まるで相手に勝って下さいと言わんばかりの。そこまで考えたところで、彼女は渋面を作った。
──── そう言うことか
ティアナは教官達が座っている席を睨み付ける。その隣の来賓席には如何にもな人間が尊大な態度で座っていた。恐らく、『空士』の中に身内がいるのだろう。一様に締まらない表情を浮かべている教官達の中で、唯一人。ティアナにも負けないほどの不機嫌そうな表情を浮かべながら空を睨み付けている男がいた。見学の生徒達に苛立ちながら人垣を掻き分けるようにティアナは彼に近づいていった。
「ゲヌイト教官」
「……なにかね」
「あれはどう言うことでしょうか? 失礼ですが、名前も知らない生徒達です。何より……なぜ、編入したばかりの彼女がいるんですか?」
「選抜のメンバーに関しては知らん。……メンバー選出の為の会議連絡が偶然私には届いておらず、選抜会議も偶然私が休暇中の時に行われ、決まったらしい。偶然とは恐ろしいものだな」
そう言いながら、ヨハン・ゲヌイトは他の教官達を睨み付けた。睨み付けられた教官は居心地が悪そうに目を逸らす。ティアナが更に抗議しようと口を開きかけた時、交流戦開始を告げるサイレンが響き渡った。
「だめだ……」
ティアナは独りごちる。『空を飛べる』という優位性を崩すためのシフト、戦い方がまるで出来ていなかった。陸士側のメンバーは開始早々に戦意を喪失し、足まで止まってしまった為に、いい的であった。だが、一人また一人と脱落していく中、孤軍奮闘している少女がいた。
銀髪と腕に巻いた深紅のリボンをひらひらと揺らしながら絶えず動き回る。動き回る相手に業を煮やしたのか空士の一人が、彼女を追い込むように近づいていく。その時。彼女は急に動きを止めると空士へと振り返り、にこりと笑った。瞬間、三本のリングバインドが空士を拘束する。
「やったっ、ティア」
「設置型のバインド……上手いけど、相手は一人じゃないのよ……」
耳を劈く──── 轟音。背後から砲撃されたのだ。誰もが終わりを確信する中……真白な雪と土埃が舞う戦場で、彼女はよろよろと立ち上がった。そして、足を痛めたのか右足を庇うようにして再度走り出した。
「どう見たって死に体じゃない。なんでそこまで」
──── 立派な魔導師になりたいんです
──── ボクを送り出してくれた両親や兄弟達が自慢できるような
ティアナが俯きながら奥歯を噛みしめ顔を上げた時。目の前を『臙脂色』が通り過ぎた。その人物はポケットに手を入れながら、ふらふらと教官席へと近づいていく。
悔しげに視線を落としていたゲヌイトの前に影が落ちた。何事かと顔を上げた彼の前には、本来ここにいてはいけない少女が立ち、感情の薄い瞳で見下ろしていた。
「……桐生候補生。なぜここにいる。自分の部屋へ戻りたまえ」
「……出る。じゃないと、かってに暴れる」
桐生アスナの口から出たのは拒否でも、受諾でもなく、要求と言う名の脅迫だった。暫し睨み合う二人。ゲヌイトが左右色彩の違う瞳を見据えていると、ティアナとスバルもやってきた。
「桐生候補生。一つだけ答えなさい。なぜだね?」
ヨハン・ゲヌイトの記憶が確かなら、桐生アスナと言う少女の戦う理由は飽く迄、自分の為だったはずだ。アスナは僅かに瞳を揺らしながら──── 答えた。ティアナとスバルが驚きで目を丸くするような、答えを。
「……たすけたい」
ゲヌイトはアスナの答えを聞くと、楽しげに唇の端を持ち上げる。少なくとも彼の認識の中で、初めて誰かを助けたいと願ったのだ。只、邪魔な物を叩き潰しながら暴れるだけだった少女が。
「いいだろう、行きなさい。但し、一つだけ条件がある。これが守れなければ許可するわけにはいかん」
「……なに」
ゲヌイトは一度だけ他の教官達や来賓席に視線を送ると、こう言い放った。
「一人残らず叩き墜とせ」
アスナはこくりと頷くと戦場へと飛び出していった。
「良かったんですか? 謹慎はあと一日残っていますが」
「そうだったかね」
ゲヌイトは何食わぬ顔をしながら左手首にある古めかしい腕時計に視線を落とした。
「昔、骨董品集めが好きな友人に貰ったんだが。最近調子が悪いのか日付が狂ってしまってな。それで勘違いしたようだ」
「……腕のいいお店を知ってますよ。あたしの兄がアンティーク蒐集が趣味だったので」
「そうか、偶然だな」
「はい、本当に」
お互いに目を合わすことなく。閑寂とした空気の中へお互いの息づかいだけが白く溶けていく────
「あの、もしかして教官は」
「そら、始まるぞ」
「サンタ、さん?」
何時倒れてもおかしくないような有様だった彼女の前に立った桐生アスナを見て彼女の口から紡がれたのは、そんな場違いな言葉だった。
「……ちがう。サンタなんていない」
「いますよ。今、ボクの目の前にいます」
アスナはなにも答えず右腕を横へ突き出すと、そのまま彼女の周りをくるりと一周した。彼女がきょとりとしているのも構わず淡々と告げる。
「……ここから動かないで。それと……『これ』かりる」
アスナは彼女の答えを待たずに腕に巻いてあるリボンをしゅるりと解くと、自分の腕に巻き付けた。
「なんだ、なんだ? もう一人出てきたぞ」
「ルール上は二人までの交代は認められてるからいいんじゃないか」
「僕は可愛い娘なら何人でもいいけど」
「おまえ、それが目的だろ」
「当たり前じゃないか。こんな山の中にわざわざ来たんだから、それくらいの役得はないと。それに父さんから許可は貰ってるしね。適当に遊んで帰ろうよ」
そんな会話をしていた空士の一人がアスナへと近づいていく。
「もう勝ち目なんかないんだからさ。終わらせて遊ぼうぜ」
アスナは無言で手を伸ばし──── 男の後頭部に手を回した。
「お」
そして、万力のような力で後頭部を掴むと、そのまま力任せに顔面から地面へと叩きつけた。一瞬だけ怯りと痙攣すると、地面を抱きしめているかのように動かなくなる。
それを呆然とみていた男の一人の怒声が合図となった──── そう。戦いとすら呼べない一方的な虐めが始まったのだ。距離を取った一人が魔力を練り上げる。間、髪容れずに魔力弾を生成するとアスナへと射出した。アスナは全く回避するそぶりを見せず、自身へ迫り来る魔力弾に──── 先ほど叩き伏せた男を投げつけた。
躊躇なく戦闘不能になった人間を盾にしたアスナに一瞬だけ思考が停止する。そんな隙を見逃すはずもなく。アスナは直ぐさまバリアジャケットを展開すると、空を駆ける。瞬く間に相手の懐へ飛び込むと同時に相手の鳩尾へ肘を叩き込んだ。
歓声と悲鳴が同時に上がる──── 誰が見ても回避不可能と思われる砲撃が背後に迫っていた。砲撃をした男は悪態と罵声をアスナへ浴びせながら勝利を確信する。砲撃が直撃し、堕ちていく男。
砲撃を撃った男は混乱していた。仲間を助けようと撃った砲撃がその仲間に直撃した。自分は確かに女を狙ったはずなのに。後ろへと振り返ると……アスナはそこにいた。ゆっくりと顔を上げ、ゴーグルのスコープが怪しく光るのと同時に唇が三日月を作る。何かに魅入られたように動きを止めた男へ鉞のような右回し蹴りを叩き込み、男は為す術もなく地上へと墜ちていった。
「……ボブ、急に動かすな」
『そうは言ってもね。現に気がついてなかったじゃないか』
「……自動制御禁止」
『なら、油断しないことだよ』
最後の男は人目も憚らずに悪態をついていた。男はちらりと後ろへ視線を走らせる。空を駆けていた。『翔ぶ』のではなく『駆けて』いた。半ばやけくそのように魔力弾を撃ってみるものの、唯の一度もアスナの身に届くことはなかった。なら、せめて。そう、もう一人いる。男は、アスナに言われた通り戦況を見守っていた彼女の前に降り立つと渾身の魔力を込め──── 砲撃を撃った。なんの抵抗もなく魔力の奔流へと巻き込まれた彼女を見て男は高笑いを上げる。だが。男の目の前には傷一つない少女が、変わらず立っていた。
「ぅ、嘘だろ」
男は驚愕のあまり一歩、二歩と後ずさりすると、誰かにぶつかった。ぶつかる相手など一人しかいない。男は慌てて距離を取る。
「ま、待て。今ので魔力切れだ。あ、あそこにいるのは僕の父親だっ」
「……だから?」
アスナは一歩近づく。
「ぼ、ぼぼ僕が怪我でもしたら、た、唯じゃ済まないぞっ」
「……それで?」
アスナは一歩近づく。
「お、おまえなんか退学にさせてやるっ」
「……さようなら」
アスナはかき消えるように男へと踏み込むと、左のジャブで額を打ち抜く。そして──── 反動で浮き上がった男の顎へと閃光のような右を振り抜いた。
「痛たたたたたた」
スバルが然も痛そうに自分の顎をさすっている。顎が砕けてるわね、あれ。『川蝉』だっけ、確か。それにしても……あのクラスの砲撃をノーダメージで防ぐなんて、結界に特化してるのかしらね、彼女。
「ふむ。あれは足場を固めるだけではないのか……興味深いな。そして、実に愉快だ」
「……そうか。魔力素固定化能力。あんな使い方も出来るのね」
彼女に近づいた時に周りを固めたんだ。固めた魔力素なんて、どうやって破壊できるのよ。
「でも、ちょっと厄介ごとになりそうだよね」
スバルの言うことも尤もだった。
「心配はいらん。試合中の会話は全て記録済みだ。大事にして困るのは……向こうだ。こちらへ流れた金も把握してある。これを機にウチの膿も出したいのだがな。ここで信頼できるのは、コラード校長だけだと言うのも情けない話だ」
そう言って教官は幽鬼のような目で再度、教官達を睨み付けた。
「まぁ、それは今度でよかろう。弱みを握ってしまえばどうとでもなる。いや、実に愉快だ」
意外とえげつないな、この人。
「全て計算尽ですか」
「桐生候補生は予想外だ。まさか、他人の為に出てくるとは思わなかった。……君たちの御陰かも知れんな」
「あたし達は別に……なにもしていません」
彼女を背負いながら、アスナがすたすたと歩いてくる。アスナの腕で揺れている真っ赤なリボンを見ながら、彼女の言った事を思い出していた。
──── アスナさんにも話したんですけど……勇気や希望や夢を与えてくれる人が、その人にとってサンタさんなんだと思います。それが例え、赤の他人でも。
「サンタ、ね」
じゃ、あたしにとってのサンタは誰なのかしらね。強いて上げるとしたら……こいつらか。恥ずかしいから言わないけれど。
一日と欠かしたことのない兄との連絡。いつも私の心配ばかりしている兄だが、今日は違った。今日の交流戦のことを話すと、とても嬉しそうにこう言ってくれた。
──── とても良いことをしましたね
そうか、誰かを助けることはいいことなのか。一度授業中にスバルに怒られたことがある。なぜ、スバルが怒ったのか未だに理解出来ないけど、誰かを助けることはいいことで、誰かを助けることが出来れば、兄が喜んでくれるということがわかればいい。
『さて、クリスマスも近いですね。プレゼントは何がいいですか?』
「……もう、貰ったからいい」
『へ? いや、あげてませんよ』
「……もらった」
『え、まさか。私以外の誰かから貰ったんですか? 一体何処の誰ですか? 今すぐに連れてきなさい』
兄は時々、馬鹿になるな。
「……じゃあな」
『えっ、まだ話は終わってませんよ。こら、アス』
『その人にとってのサンタ』か。なら、私にとってのサンタクロースは兄だ。誰が何と言おうと。
「そっか。それじゃ、アスナをいい方向に導いた、切っ掛けでもあるんだね」
「そうですね……フェイトさん? ショートケーキから苺が転がりましたよ」
涙目になっているフェイトさんを見かねたエリオが自分の苺と取替ている。エリオもキャロも本当にいい子だ。あたし達のように捻くれないで、そのまま育って欲しい。
「それで、その娘は今何してるの?」
なのはさんがフェイトさんに苦笑いしながら質問した。
「はい、訓練校を卒業してから特別救助隊に入隊しました」
「『特救』? 優秀だねぇ」
特別救助隊。通称、『特救』。人命救助専門の部隊で高い能力が要求される。危険地帯へ行くこともあるので心配していたが、時々連絡が来る。以前よりも少しだけ大人びた彼女は元気でやっているようだった。
「彼女は優秀でしたから。何より努力家でした」
「素敵なお話でした……あ! それじゃ、ティアさん達が腕につけているリボンって」
「そう。卒業した時に彼女がくれたの。色もくすんじゃって赤じゃなくなってるけど……買い換える気が起きないのよ。だから、あたし達は三人じゃなくて四人なんです。担当教官が違いましたから、組んで戦うことは殆どなかったですけど」
「いいね、そういうの。っと、はやてちゃんから通信だ」
『休憩中ごめんなぁ。例によって荷物が届いとるから後で確認お願い』
「あぁ、うん。わかったよ。わざわざありがとう」
やり取りを聞いていたフェイトさんは溜息をついている。多分アレだろう。突然話は変わるが、なのはさんにしても、フェイトさんにしても……そして八神部隊長も。管理局では有名人で内部には非公式ながらファンクラブも存在する。これが厄介なのだ。
本人が把握している場所で迷惑を掛けずに活動するなら構わないが、ファンレターやら花束やら、プレゼントが贈られてくる。これらはいったん本局で集められ厳重な検査を受けた後にこちらへ運ばれてくるのだが。量が多いのだ。
「それじゃ、ちょっと早いけど戻ろうか」
あたし達が隊舎の玄関へ近づいていくと何やら騒がしい。訝しく思いながら玄関を覗き込むようにして見ると、そこにいたのは。
「うわぁ……」
スバルが絶句してしまうのも無理はない。アスナがザフィーラとの散歩から帰ってきたらしいが……泥だらけなのだ。二人とも。
「アスナちゃん、何したらそんなことになるんや。ザフィーラまで」
「……ざっふぃーが、泥であそびたいっていったから」
「嘘をつくな」
「もう、何でもええから二人ともシャワーや。そのまま隊舎に入ったらあかんで」
「……ざっふぃーのせいでおこられた」
「まだ言うか」
膨れっ面のアスナと、悟りを開いた仙人のような目をしたザフィーラ。誰からともなく笑いだし、あたし達に気がついたアスナの頬が益々膨らんでいく。
アスナは確かに変わった。それもいい方向に。本人は変わっていないと思っているかも知れないが。まだまだ、危うい部分があるけれど、今はまだそれで良いと思う。あたし達はまだ途中なのだから。答えを出すのはまだ早い。
あの頃のアスナしか知らない人間が見たら驚く筈だ。そのアスナを変えた切っ掛けが──── アスナを『サンタ』だと言った一人の少女だとは夢にも思わないだろう──── あたし達の知っているサンタはプレゼントを持ってくるだけじゃなくて。願い事まで叶えてくれる太っ腹なサンタなのだから、きっと。
~追憶の日々 -again 了
「ティアナ? ティアナ宛てにプレゼントが届いてるよ」
「あたし宛、ですか」
あたし宛に荷物を送る家族などいないし、親類もいない。況やあたしのファンなどという酔狂な人間もいないだろう。
「『John』さんから。心当たりある?」
なのはさんに問われ記憶を探ってみるが、該当する人間はいない。
「検査はしっかりしてあるから危険物ではないと思うけど」
なのはさんから荷物を受け取る。本当に『John』としか書かれていない。ジョンなんてありふれた名前だから偽名だとは思うけど。あたしがこの名前の意味を知ることになるのは、もう少し後のことになる。
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