空を駆ける姫御子
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第十九話 ~活躍と暗躍 ホテル・アグスタ【暁 Ver】
前書き
『暁』移転版の第十九話。これも少し時系列が分かり難いかもしれません。冒頭のシーンは十七話の一シーンと繋がっています。
────── ここへ来るのも久しぶりだ
その日、桐生は自分の身長よりも遙かに高い門扉を見上げながら、そんな事を考えていた。
アスナ共々、実家が嫌いというわけではないが、義父が逝き……そして、桐生とアスナへ泣きたくなるほどの優しさと、泣いてしまうほどの悲しみを刻み込んで、義母が逝った時。二人はこの家を出ることを決意した。今でも玄関の扉を開けると、義母が迎えてくれるような気がしていた。それが感傷である事は彼にもよくわかっていたが、アイリーン・バークリーという女性は、桐生やアスナにとってそれほどまでに大切な人になっていた。
草葉の陰で義父が俺はどうでも良いのかと、文句を言っているのを幻視した。我ながらくだらない事を考えたと桐生が苦笑しながら、仰々しいインターフォンへ手を伸ばした時。音もなく門扉が開いた。
「お待ちしておりました、『ロック』様」
門から『山』が出てきた。門構えに負けないほどの体躯。優に二メートルは超えているであろう。短く切りそろえられた黒髪は撫でつけられ、厳つい相貌に浮いている瞳は、鋭く桐生を見下ろしていた。だが。その瞳には、まるで久しぶりに帰省した息子を見るような優しさが湛えられていた。
『ハリー・ダウランド』。バークリー本家でも古参の一人で、実質的に使用人の長でもある人物だった。使用人や現当主の信頼も厚く、桐生がバークリーの名前を使う時には、パイプ役にもなっている人物である。
「お久しぶりです、お元気……そうですね」
桐生はそう言いながら右手を差し出すと、キャッチャーミットのような手が桐生の手を包み込んだ。
「ここ何年かは病気とは無縁です。アスナ様はお元気でしょうか……きちんと食べておられますかな、心配です」
からからと豪快に笑いながら桐生の手を握る、このダウランド氏。桐生やアスナを孫のように可愛がっており、特にアスナの可愛がり方は猫も裸足で逃げ出すほどだった。桐生曰く「目尻が三センチほど下がる」らしい。小さな頃からアスナの遊び相手であり、『強化』状態のアスナと互角に戦える稀有な人物でもあった。そして、己の武をアスナへ叩き込んだ張本人。地球出身であることは間違いないのだが、本人が多くを語らない為に詳しい来歴は不明である。
「義兄さんが秘匿回線まで使って……どのような用件なんでしょうか」
「それは、私の口から申し上げるわけにはまいりません」
ダウランドは桐生へと恭しく、頭を下げた。
「でしょうね……アスナは元気ですよ。今日も六課の方達とキャンプへ行っているはずです」
「それはようございました。……管理局の人間とは上手くいっているのでしょうか。いじめられてなどしておりませんかな」
桐生は少々、呆れ顔で答える。
「大丈夫ですよ。少なくとも六課に関しては。それに、ティアナさんとスバルさんがいますから」
「あぁ、そうでした。なら安心ですな」
呆れながらも微笑ましくダウランドを見ていた桐生が、不意に声のトーンを落とした。
「それと……彼の件ですが、ありがとうございました。また、あなたの手を煩わせてしまいました」
「お気になさらず……あの程度、造作もない事です。……あまり立ち話をしていては叱られてしまいますな。ご案内いたします」
桐生が通されたのは、簡素な応接室だった。だが、そこが唯の応接室ではないことを彼は知っている。盗聴や盗撮を防ぐ為に魔力を阻害する材質で覆われている特殊な作り。一度入ってしまうと、念話すらままならなくなる。バークリーには幾つか、このような部屋があった。
部屋にはすでに待ち人がいた。グレーに染まった髪は年相応で品があり、恐らくブランドものであろうダークブラウンのスーツがよく似合っていた。桐生はやや童顔な所為なのか、スーツなど着ても七五三のようにしか見えない為に、純粋にスーツが似合う男性を羨ましく感じていた。男性は幾分険しい表情をしていたが、桐生の姿を認めると、表情を崩した。
「久しぶりだな、ロック。元気そうだ。偶には帰ってこい。ここはおまえの家なんだから」
「はい、義兄さんもお変わりなく。義姉さんも元気ですか?」
「元気さ。アスナに会いたがっていたよ」
「今日はどんな用件ですか?」
「相変わらず、せっかちなヤツだな。紅茶を飲む余裕くらいはあるだろう? 何より……私もおまえも座ってすらいない」
桐生は、ばつが悪そうにソファへと腰を下ろした。テーブルを挟み、桐生の対面で品良くティーカップに口を付けている男性こそ、バークリーの現当主である『レイ・バークリー』である。
少々、強引な手段を用いることで有名な男であるが、その強引さはプライベートでも遺憾なく発揮された。その尤もたる例が桐生の呼び名である。ダウランドや彼が呼んだ『ロック』と言う愛称だ。桐生の名は発音し難いらしく、名前をもじった上に駄洒落のようなノリで強引に決められてしまった。桐生はその時、なぜ自分の周りには女性にしろ男性にしろ強引で気が強い人間しかいないのか、自分の人脈を呪った物だった。
桐生が普段あまり飲む機会のない紅茶に舌鼓を打っていると、唐突に。レイ・バークリーの口から、その事実が告げられた。
「おまえとアスナの遺伝子情報が持ち出された」
その瞬間。レイの前にあるカップが、音もなく真っ二つに割れた。レイは息を呑む。だが、それも一瞬だった。
「落ち着け、ロック」
「……どこに落ち着ける要素があるんです?」
背筋に冷たい物が伝う。全身を見えない手で、鷲掴みにされているような感覚。
「いいから落ち着いて話を最後まで聞け。アスナが絡むと本当に人が変わるな。……犯人は確保してあるし、データがどこにあるのかも把握してある」
「……すみませんでした」
桐生は後悔するように、俯いてしまう。レイは悪戯をしてしまった子供を見るような目で、桐生を見つめると優しげに口を開いた。
「いや、いい。こうなってしまったのは、私の責任だ。すまなかった」
「いえ、頭を上げて下さい。ですが……なぜ、そんなものを」
「データを持ち出したのは、ウチの研究施設に勤めている人間でな。こいつが、ある犯罪者と繋がっているらしいとの情報を掴んで、内偵を進めていた矢先だった。迂闊だったよ」
「データはどこに?」
「実はな……今、現在どこにあるかは、わからん。だが、一週間後にアグスタの地下駐車場へ運び込まれるそうだ。我々には然程価値の無い研究成果と一緒にな。骨董品に偽装した上で、引き渡す手筈らしい」
「なぜ、一週間後なんです? 運び込まれる前に確保すれば良いだけの話です。その男の記憶を読みましょうか?」
「死んだよ……自殺した。重ね重ね、すまない」
「運び込まれたところを確保するしかありませんか……」
桐生は諦めたかのように、天を仰ぐ。
「実はな? 一週間後にアグスタで骨董美術品のオークションが開かれる。密輸取引の温床になっているという噂もある、きな臭いものだがな。それ自体は問題無いんだが……当日のオークション会場を警備するのが、その、機動六課らしい」
「だから、私ですか」
「バークリーは、一民間企業に過ぎん。派手に動くわけにはいかんし、機動六課の警備網を掻い潜って、確保するのも骨が折れるだろう。一般の警備員もいるだろうしな。何より見つかった時の言い訳が出来んし、アスナとの関係を勘ぐられるのも避けたいのだ……アスナの立場が悪くなるのは、忍びないからな」
桐生は腕を組みながら、暫し考えに耽る。遺伝子情報の使い道は、予想通りのものだろう。自分に関しては問題無い。自分のクローンを作ったとて、能力のない一般人が出来上がるだけだ。だが──── アスナは不味い。厄介以前の問題だ。アスナのクローンなど許容出来るものでは、ない。
「……わかりました。幸いにも一週間ありますし、計画を練ってみます」
「すまない、恩に着る。アグスタの見取り図などのデータは、後で転送しておく」
「はい、お願いします。そうそう、その男と繋がっていたらしい犯罪者って……把握しているんですか?」
「あぁ、恐らく間違いないだろう。おまえも名前くらいは聞いたことがある筈だ。そいつの名前は────」
「──── ジェイル・スカリエッティ。写真を見せるのは初めてやな。私らにとっては、因縁がある相手や」
ホテル・アグスタで行われるオークション会場の警備及び警戒。それが、今日のあたし達の任務だ。アグスタへと向かうヘリの中で、あたし達は本日の任務内容と……ジェイル・スカリエッティに関する説明を、八神部隊長から受けていた。八神部隊長は、あのキャンプ場での一件で暫く落ち込んだ様子を見せていたが、見事復活したようだ。
ミッドチルダでの初任務で回収したガジェットドローンを調べた結果、制作者はスカリエッティとほぼ断定。レリックの収集目的は不明だが、碌な事には使わないだろう事は予想できる。そしてこれも予想通りではあるが、スカリエッティに関する捜査はフェイトさんが行うとのことだ。そして会場警備任務だが────
<ねぇ、ティア? 今日の任務を軽く考えるつもりはないけど……フルメンバーで出る必要があるのかな? 地球での派遣任務の時も思ったけど>
<リイン曹長から説明されたでしょう? 取引許可を受けたロストロギアに反応して、ガジェットが出現する可能性もある。それに長期戦を考えなければ、持ち得る戦力を投入して短期決戦を計るのは、戦略として間違ってはいないわ>
<そっか……そうだよね。ザフィーラまでいるから、ちょっと疑問に思ったんだ。先行してるシグナム副隊長やヴィータ副隊長達と同じとは聞いてるけど……アスナもそう思うよね?>
「……なにが?」
こら、念話しなさい。そのアスナは八神部隊長やリイン曹長の説明をそっちのけで、ザフィーラと戯れていた。
あたしは改めて考える。今までも度々、考えていたことだ──── 六課の戦力。八神部隊長が六課を立ち上げる際に、プライベートでも親交の深い人間に声を掛け……結果的に過剰とも言える戦力になった。それは、果たして真実だろうか。
その戦力故、各方面から六課設立を危険視する声が上がったと聞いている。にも拘わらず、八神部隊長は六課を立ち上げた。そうまでして、強行に六課を設立した理由は──── なんだ?
「今、考えるべきはそんな事ではない。違うか?」
「え? えぇ、ごめんなさい、ザフィ……え゛」
アグスタへと向かう緊張感に包まれたヘリの中。主にあたし達新人組の驚きの声が、爆発した。人語を理解しているのは普段の様子からわかってはいたけど。まさか、話せるとは思っていなかった。スバルなどは、さん付けで呼び始めたが、本人に普段通りで良いと言われている。アスナは……いつも通りだった。
「彼女たちは相変わらず賑やかですね」
『アスナはどことなく気付いていたようだが、皆は驚いたようだね』
ホテル・アグスタを眼下に見渡せる小さな丘。そこに──── 周辺にある木々の影と同化するようにして『黒い男』が佇んでいた。
「緊張して体が動かなくなってしまうよりは、余裕があるくらいの方がいいですからね」
『緊張感がなさ過ぎのような気もするが。それにしても……桐生は黒いな』
アスナにも同じようなことを言われた桐生は、困ったように頭を掻いた。あの世界にいた頃。その能力を買われ諜報活動も多く熟していた。それにも今して戦場では物資が貴重だったのだ。桐生としては夜間に目立たず、長く着ていても出来るだけ汚れが目立たない物を選んでいたら、結果的に真っ黒になってしまっただけであった。そして──── 思い出すのだ。あの頃の感覚を。
「大きなお世話ですよ。彼女たちは?」
『あと、十五分ほどで到着だ。で、どうするんだい? 桐生』
「あなたはアスナのサポートを。こちらは放っておいてくれて構いません。それと」
桐生はそう言いながら、自分とは反対側に位置する場所を見つめると目を細める。
「誰かいますね。男性と……少女。距離があるので、気付かれてはいないでしょうが」
『便利だね。【千里眼】だったか。誰かわかるかい?』
「……いいえ。見たことはありませんね。一見すると親子のようにも見えますが」
『我々も人のことは言えないが、不自然だね』
「放っておきましょう。私の邪魔にならなければ問題ありません」
『いいのかい? 君が良いのであればそれで構わないが……了解だ』
桐生はボブの声が聞こえなくなるのを確認すると、アグスタへと視線を向け──── 『跳んだ』。
「ティア、隊長達見た? 綺麗だったねぇ」
「スバルも会場警備にして貰ったらよかったじゃない。ドレス、着られたわよ?」
「ドレスって柄じゃないしね。でも、なんでドレス?」
「オークション会場内はドレスコードが厳しいし、仕方ないでしょ。……隊長クラスを三人、会場内に配置する必要があるのか、疑問だけど」
「ティアは、またそんなこと言って……あれ? アスナは?」
あたしは無言で、指を指し示す。その先には、珍しく制服を着崩していないアスナがいた。彼女はアグスタへ着くや否や、周りを取り囲んでいる木々の前をうろうろしたり、じっと見つめたりと挙動不審な行動を繰り返していた。何をしているのかはわからないが、やがて満足したのか子供のような足取りで、あたし達の元へ戻ってきた。
「あ、アスナも綺麗だったと思うよね?」
「……なんのこと」
「見なかったの? 隊長達」
「……しらん」
「ふっ。興味ないな」
「ティア? 誰の真似、それ」
「六課に来たスパイ君」
任務遂行中だというのに、少々不謹慎だと思うが、この方があたし達らしい。さて、それぞれの持ち場へ着こうと考えていた時。幾分緊張を孕んだシャマル先生の声が、あたし達の鼓膜を揺らした。
「前線各員に通達します────」
桐生はアグスタ裏手の外壁まで跳ぶと、躊躇なく壁を『抜ける』。進入した先は無人の配電室。桐生は部屋の中程まで歩を進めると、『何か』を確認するように床を見つめ……今度は床をすり抜けた。
無骨な天井から烏のように舞い降りる黒い影。桐生は音もなく地下駐車場へと降り立つと、監視カメラや巡回する警備員に注意を払いながら、無人の地下駐車場を歩く。目的は輸送用のトラックだ。該当するトラックを【千里眼】を使いながら、次々と『中』を確認していく。無い。違う。これも違う──── 見つけた。
それは、何の変哲もない一台のトラックだった。
「あらら。随分と出てきちゃったね、ガジェット。……何で彼はこういう時にいないんだろうね」
「さあ。『俺には他にやることがある。それとも俺がいなきゃ何も出来ないなどと、言うつもりではあるまいな?』とか言ってたじゃない。あるまいな? って。……よし、バリアジャケットとデバイスの起動許可が降りたわ」
「何で最後だけ二回言ったの。やめて、笑っちゃうから」
今回の総指揮であるシャマル先生から、前線のモニタを回して貰い状況を確認する。かなりの数だ。ヘリで八神部隊長から説明された通り、スカリエッティが噛んでいるとみて間違いないだろう。
「あたし達の役目は、ここの防衛線を維持すること。ここを抜けられたら終わりよ、気合い入れなさい。エリオとキャロも合流するわ。スバルはあたしとツートップ。アスナは遊撃。キャロが合流したら彼女を守りつつ、ここに接近するガジェットを片っ端から叩き落としなさい。以上、質問は?」
「前線は?」
「シグナム副隊長とヴィータ副隊長が当たってる。あたし達は二人が撃ち漏らしたものだけ墜とせば良いわ。他には? ……ないわね。それじゃいくわよ」
「Setup」
「……Expand Start」
さて、借りを返すという名目の『八つ当たり』をさせて貰いましょう。
実のところ、ガジェットドローンと呼称される機械は、然程脅威ではない。ガジェットの真の怖さは『数』だ。オーバーSランクを誇る優秀な魔導師であっても、経験豊富なAランク魔導師十人を相手にして勝利するのは至難の業だろう。それと同じだ。にも拘わらず、彼女たちが互角以上の戦いを見せている事実は、驚愕に値すると言っても良かった。だがそれも、イレギュラーな事態が発生しなければの話である。
「ヴィータ!」
戦場にシグナムの鋭い声が飛ぶ。
「わかってる! クソ、何だこいつら。急に動きが」
つい先ほどまで、蚊を墜とすが如く簡単に撃墜されていたガジェットが、まるで別の『何か』に変わったような動きを見せていた。ヴィータの鋭い視線が、ちらりとホテルの方角を向く。
「心配いらん、ヴィータ」
「べ、別に心配なんかしてねー」
「いざとなれば、主はやて達もいる。それにあの三人は……恐らく私達が考えているよりも強い。……特にアスナ」
「わかってる。なのはなんか、あたしの顔見る度にボヤくんだよ。「優秀すぎてつまんない」って。知らねーっつうの。だけど……まだまだだ。危なっかしくて見てらんね。……特にアスナ」
二人一緒に顔を見合わせ、暫く笑いあう。そうしている間にも数機のガジェットが、彼女たちへと迫り来る。
「守んなきゃな」
「無論だ」
二人同じタイミングで、刹那の如く振り返る。走る銀閃と鉄槌。銀閃は真一文字にガジェットを両断し──── 鉄槌は弧を描きながらガジェットを叩き潰した。
「……あるまいなー」
アスナは気の抜けるようなかけ声を上げながら、一機のガジェットを殴りつける。冗談としか思えないような勢いで吹き飛ばされたガジェットは、別の機体を巻き込んで爆散した。殴りつけた瞬間を狙った別の機体の接近を許したアスナは、そのままベルト状の触手に捕まってしまう。だが、彼女は力任せに引きちぎると触手をそのまま掴み、振り回し始めた。
「……わははははは」
楽しそうで何よりだわ。振り回すのに飽きたのか、目が回ってきたのかはわからないが、アスナは振り回していたガジェットを別の機体へと叩きつけ、その勢いで更に別の機体を巻き込んでスクラップと化していく。
「何、あのアスナ無双。あと、ティアはアスナの前で変なこと言わないで。すぐ真似するから。……それにしても、急に動きが良くなったね。耐久力も少し上がってるみたいだ。何で元気になったのかな、ガジェット」
「さぁ? やばいクスリでも打たれたんじゃないの。……あぁ、もう面倒臭い」
あたしは二発のカートリッジをロードすると、自分の周りに魔力弾を生成する。その数──── 二十。スバル、そこにいると危ないわよ。文字通り、弾丸の如く撃ち出されていく魔力弾。それは、ガジェットに回避する暇さえ与えず、十五機いたガジェットに次々と風穴を開けていった。はい、終了。……スバルが変な顔をしながら、変な動きで、変な声まで上げて必死に回避したのが面白かったわ。
「面白くないよっ、あたしの体にも穴が空くとこだったよ」
「だから、危ないって言ったじゃない」
「うわ、ねぇ聞いた? 今の」
「……ティアナはこわい。今に私もねらわれる」
「何で、あんたを狙わなくちゃいけないのよ」
「……私はこの通り人もうらやむ美貌の」
「五月蠅い。……どうしたの、キャロ?」
「はい……近くで、召喚魔法を使った人がいます」
キャロがおずおずと差し出した左手。そこには不安がるように明滅を繰り返すケリュケイオンのコアがあった。召喚、ね。ガジェットの動きが急に良くなった事と関係あるのかしらね。
「召喚魔法を使った人間に関しては、シャマル先生達に任せましょう。あたし達は警戒レベルをAからBへシフト。引き続き警戒に当たる。いいわね? アスナも……アスナ、どうしたの?」
アスナは、ここに来た時と同じように木々を見つめている。その時。風が吹いてもいないのに──── 森が騒めいた。
リインフォースⅡは自分の迂闊さを呪っていた。召喚魔法を行使したと思われる場所と人物を特定する為に、単独で索敵していたところ……襲撃を受けた。明らかに自然にいる虫とは違う……銀色の『蟲』。
それが、召喚虫だと理解するのに、それほど時間は掛からなかった。せめて召喚した人間を特定しようとも考えたが、それもままならない状態だった。何の感情も、意思も伺い知ることの出来ない無機質な『蟲』が、リインへと襲いかかっていた。攻撃をかわしきれず、右脇腹へとダメージを受ける。
「痛った……数が多いです。でも、なんとか」
後方から迫る数匹の『蟲』を振り切るべく、スピードを上げようとした時。彼女は動きを止めた。止めざるを得なかったのだ。前方に、彼女を逃がさんとばかりに数十匹の『蟲』が不気味な羽音を立てながら漂っていた。
「うそ……まだ、いたですか」
リインが左右どちらかへ逃れようと体を捻った時。銀色の『蟲』は恐ろしいほどのスピードを伴い、前後からリインへと襲いかかった。
「あ……」
リインが目を瞑った瞬間。それは青空から彗星の如く飛来した。力強い羽音と共に。
一向に襲ってこない痛みを不思議に思いながら、恐る恐る目を開けたリインの視界に飛び込んできたのは、今正に自分へと襲いかかろうとしていた『蟲』が、上空から次々と飛来する『虫』に叩き落とされている光景だった。
「な、何が起きてるですか」
彼女が戸惑っている間に、銀色の『蟲』は唯の一度もリインへと牙を剥くことは叶わず、リインが落ち着いた頃には全て終わっていた。そして、それを成し遂げた数匹の『虫』が、シューティングゲームの自機に於けるオプションの如く、リインの周りを飛び回っていた──── 彼女を守るように。
『bullet・bug』と呼ばれるミッドチルダに生息する固有種。カブトムシなどと同じく堅い外骨格に覆われており大きさも同程度だ。甲虫目に属するこの昆虫は、機器などから発生する一定の周波数に反応して、時速150㎞以上で飛び込んでくると言う傍迷惑な習性を持っており、ミッドチルダでも年間数人規模ではあるが、必ず怪我人の報告が上がる昆虫である。基本的に夜行性であるはずなのだが────
「なんでこの虫さん達はついてくるですか……取り敢えず帰投しましょう」
──── その理由はきっと『彼女』が知っている。
桐生はトラックの荷台へと『転移』すると、目的の木箱と共にトラック外へと再び転移した。しかし、ここで桐生はミスを犯す。木箱をそのまま、バークリーへと転移させるか、自分と共に転移すれば良かったのだ。トラックの脇に木箱を運び出した桐生は、蓋を開けようと試みる。しかし、それは叶わなかった。何者かの気配を感じ振り返った視線の先に──── 『異形』がいた。まるで人に昆虫の鎧を着せたかのような異形が。
明らかに人ではない。だが、桐生の思考が真白に染まったのは一瞬で、彼は賭に出た。
「あぁ、彼の使いだな? 話をしていた物はこれだ。中身を確認してくれ。確認できたら、持って行ってくれて構わない。俺も危ない橋を渡ってるんだ、とっととこの場から離れたいからな」
桐生は立て板に水を流すように早口でまくし立てると、木箱の上蓋を外し、そのまま数歩後ろへと下がった。異形の目からは何も読み取ることは出来なかったが、それはゆっくりと木箱へと近づき、中身を確認するように覗き込む。数分か、それ以上か。暫く微動だにしなかった異形は中身を取り出すと、唐突にその場から消え失せた。転送用の陣が一瞬見えたので、転移魔法だろうと当たりを付ける。
桐生は大きく息を吸い込むと、盛大に息を吐いた。どうやら、上手くいったようだ。桐生は手に持っている木箱の上蓋をひっくり返す。そこには──── 自分とアスナの遺伝子情報が納められたデータディスクが、テープで貼り付けられていた。
「持ちだした人間が小細工をしてくれていた御陰で助かりました。それにしても」
中身をろくに確認もせずに持って行ってしまった。骨董品とだけ聞かされていたのかも知れない。あの異形が、思考するだけの知能がない可能性もある。いずれにせよ────
「目的は達しましたし、帰りますか」
先ほどから外が何やら騒がしい。少しだけアスナの樣子を見たい衝動に駆られるが、気持ちを切り替える。桐生は上蓋を大事そうに小脇へ抱え込むと、無人の駐車場から──── 消えた。
「ティア。前線のガジェットは、シグナム副隊長達が全て撃墜したって。召喚士はやっぱり追えなかったみたい。あと、リイン曹長が軽傷。虫に襲われて、虫が助けてくれたとか、何とか。あたし達は念の為に、このまま警戒態勢を維持だって」
虫、ね。
「……了解。スバル、エリオ、キャロはここに残って。あたしとアスナは裏手の警備に廻るわ。アスナ? 行くわよ」
アスナの顔を見る。半分ゴーグルで覆われているから表情なんかわからないけど。
「アスナ……何かした?」
「……べつになにも」
あたしはきっと腑に落ちないような顔をしていたはずだ。だけど、リイン曹長が助かったのは事実で、この娘が何も言わないのなら無理に聞き出すことでもないと判断した。
「アスナは右手側をお願い、あたしは反対側ね」
よく見なければわからないくらいの仕草でアスナは頷くと、あたしに指示された場所へと歩を進める。
「……ボブ、おにいちゃんは今日なにしてた?」
『桐生は朝から工房にいたよ、いつも通りだ。どうかしたかい?』
「……べつに」
遠ざかって行くアスナの背中を見ながら、あたしも持ち場へと就く。ボブと話していたようだが、内容までは聞き取れなかった。また、あの娘は何か考えているような気がする。キャンプ場の一件から八神部隊長は立ち直ったようだが、アスナは何か引きずっている。考えれば考えるほど、腹が立ってくる。今回はあたし達の勝ちだ。だけど八つ当たりが、これで終わると思ったら大間違いよ。
「ふむ」
「どうかなさいましたか、ドクター」
「いや、『ガリュー』が運んでくれたものなんだがね……ルーテシアを呼んでくれるかい」
「はい、少々お待ちを」
ウーノにドクターと呼ばれた白衣の男……スカリエッティは、やがてスクリーンに映し出された人形のように表情を変えない少女へ笑みを向けた。
『ごきげんよう、ドクター』
「ご機嫌よう、ルーテシア。度々呼び出してすまないね。ガリューが運んでくれた骨董品に関して幾つか聞きたいことがあってね、いいかな」
ルーテシアと呼ばれた少女はモニタの中で静かに頷く。
「木箱に入っていたと思うんだが……中には骨董品だけだったかな? ディスクのようなものは入っていなかったかい」
『箱の中には骨董品だけ』
「そうか……他に誰かいなかったかい?」
『いた』
「どんな人だったかな?」
スカリエッティには、ルーテシアがどう言ったものか、考え倦ねているようにも見えた。
『黒い男の人。暑いのに全身真っ黒で……黒のハーフコートまで着ていた。小さめの丸い眼鏡を掛けている。危ない橋を渡っているから早く持って帰ってくれって。……ドクターの協力者じゃないの?』
「なるほど……ありがとう、ルーテシア」
スクリーンから少女の姿が消える。それと同時に男の──── ジェイル・スカリエッティの狂ったような笑い声が木霊する。違う、まるで違う。バークリーの裏切り者で、小心者のあの研究者ではない。だとしたら、誰だ。スカリエッティは愉快だった。本命であるデータディスクを自分の裏を掻いた上に、まんまと回収してみせた男がいる。それは、いったい──── 誰だ。
ジェイル・スカリエッティは笑っていた。どうしてこうも楽しいことばかりなのかと。空を駆ける少女、桐生アスナ。タイプゼロ・セカンド、スバル・ナカジマ。見事爆弾を解除して見せた、ティアナ・ランスター。自分へ向ける憎悪が堪らなく心地よい、フェイト・T・ハラオウン。そんな優秀な人材達を当たり前のように集めて見せた、八神はやて。まるで、自分を楽しませる為に生まれてきた存在ではないか、と。まるで──── 自分の敵になるべくして生まれてきたようだ、と。彼は、ジェイル・スカリエッティは、心底愉快だと言わんばかりに──── 笑っていた。
~活躍と暗躍 ホテル・アグスタ 了
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