至誠一貫
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第二部
第一章 ~暗雲~
九十五 ~猛将たち~
前書き
いろいろとご都合主義です。
10/2 一部修正しました。
「殿! 敗残兵共が、宮中に逃げ込もうとしているようですぞ!」
駆けてきた彩(徐晃)の知らせに、協皇子と盧植の顔が青ざめる。
「なんたる事だ……」
「土方殿、最早一刻の猶予もないようですぞ。速やかに宮中へ」
確かに、容易ならざる事態のようだ。
だが……。
「妙だな……」
「何がじゃ、土方?」
「いえ。此までの事を考えると、あまりにも都合が良過ぎぬかと」
協皇子と盧植が、顔を見合わせた。
「土方殿。よもや、これも罠じゃと仰せか?」
「可能性がある、と申し上げております。雛里、どう思う?」
「あわわわ、わ、私ですか?」
「お前は我が軍師。思うところを述べよ」
「は、はい……」
雛里は、帽子を被り直してから、私を見上げた。
「もし、これが誘いの罠だったとすればですけど……。ご主人様に、朝敵の汚名を着せる事が狙いだと思います」
「朝敵だと! 殿に何の落ち度があると言うのだ!」
「ひっ!」
彩の剣幕に、雛里は慌てて私の背に隠れた。
「落ち着け。雛里の話はまだ途中だぞ」
「……は。申し訳ありません」
「雛里。続けよ」
帽子の上から、そっと頭を撫でてやる。
「はふぅ」
む?
何やら、妙な溜息が漏れたようだが。
「済まぬ。嫌であったか?」
「い、いえ……。そんな事ありません、全然!」
「ならば良いが。続けよ」
……何やら皆の視線が痛い気がするが、今はそれどころではない。
「はい。李カク、郭シ軍とご主人様の軍では、最初から勝負にならない事はわかっていた筈です」
「それは妙ではないか? ならば何故奴らは軍を催し、土方殿の前に立ち塞がったと申すのじゃ?」
「軍を、この洛陽に引き入れる為だった……と、私は思います。盧植さん」
「勅令もないのに、軍を率いて洛陽に攻め入ったとでも? しかし、此度の事は殿下もワシも見ておる。そのような濡れ衣を着せようとも無駄じゃ」
「どうでしょうか? 殿下を力尽くで脅してと決めつけるとか……ヒッ!」
また、雛里は私の背中に隠れてしまった。
彩だけでなく、愛紗らまでもが険しい顔になっている。
「雛里の推測、十分にあり得る事でしょうね」
「ですねー。そんな顔で、雛里ちゃんを怯えさせてはいけませんねー」
「う……わ、悪かった」
気持ちはわからぬでもないが、どうも喜怒哀楽が顔に出やすいのは何とかして改めさせたいものだな。
「禀。打開策は?」
「はい。まず、何進殿をお連れしましょう」
「成る程。もう屋敷の包囲も解かれていよう」
「星に、一隊を率いて向かわせました。事後報告で申し訳ありませんが」
「構わぬ。何進殿と共に、宮中に入れと申すのだな?」
「そうです。大将軍であれば、非常時に兵を率いて宮中に入る事は問題ないでしょう」
「うむ。だが、奴らの企み全てが露見した訳ではない。迅速に事を運ばねばなるまい」
「宮中にさえ入れれば、後はやりようがありますよー」
と、風。
「よし。ならば星の帰還を待ち、行動する。宮中には可能な限り、敵を入れるな」
「御意!」
半刻後。
「主、お待たせしました」
星と共に、何進が姿を見せた。
「久しぶりだな、土方」
「は。……だいぶ、お窶れになりましたな」
髪には白いものが混じり、眉間には皺が増えていた。
それに、見事な体躯が見る影もなくやせ衰えている。
「どうにか生き存えているが、そろそろ俺の役目も終わりのようだな」
「何進! そのような事を申すでない!」
協皇子の言葉に、何進は弱々しく頭を振る。
「いえ。愚妹のやった事とは言え、止められなかった責任から逃れるつもりはありません。それに」
何進は私を見遣って、
「白兎(董旻)にも可哀想な事をしました。……土方、すまん」
「いえ。白兎も何進殿への恨み言一つなく、逝ったのでござる。お気になさいますな」
「……そうか。だが、せめてもの償いだ。俺にも手伝わせて貰いたい」
「はっ、是非にも」
僅かばかりだが、何進の顔に生気が戻ったようだ。
「では、何進、土方、盧植が共に参るのじゃな?」
「いえ。殿下は此所に残っていただきたいのでござる」
「何故じゃ!」
血相を変えて、協皇子は私に詰め寄った。
「宮中で何が待ち構えているかわかりませぬ。御身は掛け替えのないもの、この場にてお待ち下され」
「土方、私を案じてくれるのは嬉しい。だが、宮中を自在に動き回るのであれば、私がいた方が何かと都合が良かろう?」
「いえ。恐れながら、殿下をも害し奉る事を企んでいるやも知れませぬ。此所であれば、我が軍が指一本触れさせませぬ」
「嫌じゃ! 盧植、何進!」
縋るように、協皇子は二人を見た。
「申し訳ありませぬ。土方殿が仰せの通りかと」
「土方の言、最もです。この場にてお待ち下され」
「……私は、足手まといにしかならぬと申すか?」
「殿下。先般にも申し上げた筈です、もっとご自身を大切になされませ」
「…………」
口惜しげな協皇子。
「盧植殿。殿下をお頼み申しますぞ」
「お任せあれ。さ、殿下彼方へ」
「彩、鈴々。お二方を頼むぞ?」
「はい!」
「合点なのだ!」
あの二人がいれば、何者も手出しは叶うまい。
「では土方。ぐずぐずしている暇はなかろう、行くぞ」
「はっ!」
「お、お待ち下さい! まさか、お二人だけで行かれるおつもりですか?」
慌てて、愛紗が立ちはだかった。
「如何に非常時とは申せ、宮中に無位無冠の者が濫りに入る事は許されぬ。何進殿と私だけで参るしかあるまい」
「危険です! 何と仰ろうとも、それだけは認められません!」
「愛紗の申す通りですぞ、主。処分は覚悟の上でお供仕ります」
「そうですわ。全員とは申しません、ですがせめて誰かがお連れ下さい」
皆が、口々に同行を願う。
その気持ちを無にはしたくないが、然りとてそのような事で罰を受けさせる訳にもいかぬ。
「歳三殿。ならば、私が同行します」
と、疾風(徐晃)が姿を見せた。
獅子奮迅の戦いの直後とあって、疲労は隠せるものではない。
返り血すら洗い落とす間もないのだが、当人は意に介する素振りも見せぬ。
「疾風。その身体で何を言うのです、無茶に決まってます!」
「いや、幸い私は何進殿のお陰で、元の官職を取り戻せているのだ。私ならば問題はない」
「無理は許さぬと申した筈だぞ、疾風」
以前の黄巾党との戦いの折、疾風には無理をさせてしまった。
普段は激務にも音を上げる事なく働いているが、あの時の光景が脳裏に焼き付いてしまっている。
「歳三殿。お気遣いはありがたいのですが、他に妙案でもありますか?」
「……だが、後れは取らぬつもりだ」
「それで、皆が納得しますか? 少なくとも、私自身は歳三殿だけで行かれる事は認められませぬ」
愛紗らが、疾風の言葉に頷く。
「御身を大切に、それは歳三殿にも当てはまる事です。ご案じめさるな、私とてまだ死ぬつもりはありません……白兎の為にも」
「主。疾風の申す通りでござる」
「そうね……。歳三様、疾風ちゃんをお連れ下さい」
「疾風、ご主人様を頼んだぞ。そして、お前も無事に戻ってこい」
「……わかった。疾風も共に参れ」
「はっ!」
だが、決して無理はさせまいぞ。
「良かったですねー。では、風もお供しますねー」
「は?」
その場の空気をぶち壊すような発言に、一同が唖然とする。
「風さん? でも、風さんも官位はお持ちではなかった筈ですが……」
風は口に手を当て、ほくそ笑む。
「いえいえ。ちゃんと、この通りいただいているのですよ」
そう言って、懐から竹簡を取り出した。
「御史中丞代行を命ず……風、あなたいつの間に」
「こんな事もあろうかと、殿下にお願いしましてですねー」
何とも、手回しの良い事だ。
偽物ではないだけに、誰にも文句はつけられまい。
「御史中丞か。どのような役職なのだ?」
「官吏の監察と弾劾を司るお役目ですねー。ですから、宮中に入る事は不自然ではないのですよ」
風の事だ、その場の思いつきではあるまい。
「お兄さん、これならお連れ下さいますよねー?」
「ふっ、退路を全て断っておいて良くも申す」
「風は何事も一流なのですよー。では、参りましょうかー」
ふう、と禀が溜息をついた。
「わかりました。留守は預かります、歳三様を頼みましたよ」
「はいー」
ともあれ、これで顔触れは決まったな。
門を潜り、宮中へと進む。
あちこちに、敵兵と近衛兵の死体が転がっていた。
「酷いものだな……。恐れ多くも、宮中で刃傷沙汰とは」
溜息混じりに、何進が言った。
「土方。もう、漢は終わりだな」
「何進殿。滅多な事を仰せになられては」
「良いのだ。なあ疾風、お前だってそう思っているのだろう?」
「い、いえ……その……」
「口には出しにくいか。だが、これでは権威も何もない事を天下に露呈してしまった……ただでさえ、黄巾党の一件があったというのにな」
自嘲気味に、だが何処か寂寥感のある何進の物言い。
自暴自棄になっているのではなく、寧ろ悟りを開いた……とでも言うべきか。
「さて、まずは月を探すとするか」
「何進殿。恐れながら、まずは陛下をお守りせねばなりますまい」
「ふふ、程立。敵も同じ事を考えるとは思わんか?」
何進に振られた風は、動じる素振りも見せずに即答した。
「ですねー。玉を取るのが、何よりも最優先と考えるのが普通でしょうか」
「ならば、もし宮中で何か事を起こすつもりだとすれば、だ。まずは陛下を狙って動いている筈だ」
「しかし、何進殿。それならば尚更、陛下のところに急がねばなりますまい?」
「いや……。もし陛下の御前で鉢合わせなどすれば、却って陛下の御身に危険が及ぶかも知れん。それに、陛下に手をかけるような真似まではするまい」
「何進殿。……しかし、陛下は貴殿の」
「わかっているさ、俺だって甥の事を思わない訳じゃない。ただ、月は何としても守り通したいのだ」
何進の言葉には、熱が込められている。
真名を預ける程の仲だ、月が何進を信頼しているのはわかる。
だが、単なる信頼関係ではない何かがある。
……それを問いかけられる雰囲気ではなさそうだが。
「歳三殿。……何やら、剣戟の音が聞こえませぬか?」
疾風の言葉で、思考を中断する。
成る程、剣戟の音だけではなく、血臭も漂ってくる。
「……いかん。土方、急ぐぞ」
そう言うと、何進は駆け出した。
突然の動きであったが、ともあれ付き従うより他にない。
「何進殿。一体何が?」
「その方角は、太傅の部屋があるのだ!」
「では、月が襲われていると?」
「そうだ!」
「あああ、お兄さん待って下さいですー」
案の定、風が遅れ始めた。
「風、私の背に乗れ!」
「わかったのですよー」
しゃがんで風を背負い、すかさず駆ける。
「疾風、先に行け!」
「はっ!」
疾風はともかく、何進が思いの外敏捷なのには驚かされた。
大将軍の肩書きは、伊達ではないという事であろうか。
……いや、あれは火事場の馬鹿力の類いやも知れぬな。
「て、敵は一人だぞ!」
「取り囲んで一気にかかれ!」
飛び交う怒声。
「甘い!」
「ぐはっ!」
敵兵が一人、宙を舞っていた。
その向こうに見える扉。
その前に、一人の将が立ち塞がっていた。
身体には数本の矢を受け、その顔や鎧は返り血に染まっている。
「あ、あれは……」
「閃嘩(華雄)、だな」
義経を守る弁慶もかくや、と思わせる光景であった。
「何進殿。風を頼みます」
「わかった、任せておけ」
風を下ろし、兼定を抜いた。
「疾風。私が合図したら敵に斬り込め」
「御意!」
疾風が回り込むのを待ち、懐から取り出した物を敵に投げ付けた。
敵に当たったそれは、派手な音を立てて破裂する。
「うわっ!」
「な、何だ?」
敵に動揺が走るのを見て取って、片手を掲げた。
「土方軍が将、徐公明見参!」
名乗りを上げ、疾風が大斧を一閃。
疲労を感じさせぬその動きに、敵兵はバタバタと倒れていく。
「閃嘩!」
「と、歳三様!」
閃嘩の顔に、一瞬だけ安堵が浮かんだ。
そして、
「遊びは此処までだ! 死ねっ!」
まさに鬼神の如く、暴れ始めた。
無論、私もただ傍観を決め込むつもりはない。
「おらっ、喧嘩上等だ! かかってきやがれ!」
啖呵を切り、手近な敵を薙ぎ払った。
ふっ、昔を思い出すな。
「おおー、お兄さんがいつもと違うのですー」
「そ、そのようだな……」
風と何進が目を白黒させているようだ。
……まぁ、確かめるのは後で良いが。
数百はいたであろう敵は、四半刻も経たぬうちに壊滅した。
まさに、死屍累々という光景だ。
「ハアッ、ハアッ……」
「ぜえ、ぜえ……。せ、閃嘩、大丈夫か?」
「お、お前こそ辛そうだぞ、疾風。ハァ、ハァ……」
私も兼定に血振りをくれ、鞘に収めた。
「二人ともご苦労だった。閃嘩、月は中にいるのだな?」
「は、はい!」
「わかった。風、閃嘩の手当を頼む」
「はいー」
戸を開き、中を覗き込んだ。
「お、お父様?」
「え? と、歳三がどうして?」
月と詠が、私を見て驚いている。
「二人とも、怪我はないか?」
「……は、はい」
「良かった……助かったみたいね」
安堵の溜息を漏らす二人。
「月!」
「何進様?」
「おお、無事のようだな。良かった、本当に良かった」
月に駆け寄り、その身体を抱きしめる何進。
……まるで、実の父親のようだな。
「月、陛下は?」
「……わかりません。駆けつけようとしたところに、部屋を囲まれてしまいまして」
「咄嗟に閃嘩がボク達を部屋に戻して、戸に立ち塞がったのよ」
「ええ。閃嘩さん、ありがとうございます」
「……いえ。月様がご無事で、本当に……」
ドサリと閃嘩が倒れ伏した。
「閃嘩さん!」
「息はあります。どうやら、気力が限界だったようですね」
「疾風、お前も少し休むが良い。これ以上の無理は許さぬぞ?」
「……は」
……む?
これは……殺気?
「……こ、この……死ねっ!」
倒した兵の一人が、弓を構えているのが目に入った。
「いかん!」
急いで月を突き飛ばす。
間一髪、間に合ったようだ。
「ぐっ!」
肩に、鋭い痛みが走る。
「お、お父様!」
「歳三殿!」
「ちょ、ちょっと。歳三?」
「……大事ない」
立ち上がり、矢を放った者を睨み据える。
「ひっ!」
「許さぬ……」
いかぬ、目が霞む。
これしきの傷で、なんたる事だ。
……と。
「ギャッ!」
短い叫び声と共に、敵兵の首が、胴を離れた。
薄れ行く意識の中、確かに私は見た。
……ふっ、戻った……か。
後書き
風の官職は架空です。
この時代、代理や代行などの職名があったとは記憶していないので。
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