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至誠一貫

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第二部
第一章 ~暗雲~
  九十六 ~再会~

「土方、覚悟!」
 障子を破り、数人の男が侵入してきた。
「攘夷浪士共か……いい覚悟だ」
「はん! 余裕だな!」
「同志の恨み、晴らしてくれるわ!」
 少々厄介だな。
 退路は……背後の襖のみか。
 だが、その前に一人二人、倒さねばなるまい。
 兼定に手を伸ばし、鞘から抜こうとした。
 ……む、抜けぬ。
 何かに憑かれたかのように、びくともせぬ。
「死ねっ!」
 不逞浪士が、上段に構えた刀を振り下ろしてきた。
 クッ、よもやこのようなところで……。
「お父様!」
 不意に、声が聞こえた。
 そしてその刹那、刀が私の目前に迫った。

「……様。お父様!」
 身体が激しく揺さぶられている。
 ゆっくりと眼を開けると、そこは見知らぬ天井だった。
「お父様!」
 誰かが、必死に叫んでいる。
 聞き覚えのある、いや知らぬ筈のない声。
「……月」
「ああ……お父様!」
 それは、紛れもなく月本人だった。
「此所は……?」
「はい。洛陽の、私の屋敷です」
 少しずつ、意識がはっきりしてきた。
 そうか、私は月を庇い、矢を受けたのだったな。
「気がついたか」
 月の背後にいた人物が、声をかけてきた。
 赤い髪に、澄んだ目をした少年。
「華佗、か」
「ああ。全く、相変わらず無茶をする奴だ」
 呆れたように、華佗は肩を竦める。
「矢には毒が塗られていたようだ。幸い解毒は間に合ったが、もう少し治療が遅れれば命に関わるところだったぞ」
「そうですよ。お父様、私を助けていただいた事はお礼を申し上げます。……でも、こんな無茶な事、絶対にしないで下さい!」
 いつになく、月は険しい顔をする。
 ……が、全く迫力がないな。
「後は傷の回復を待つばかりだ。尤も、数日は絶対安静だぞ?」
「数日……? 華佗、私はどのぐらい眠っていたのだ?」
「丸二日だな。俺の見立てでは、後一日ぐらいは眠っているかと思っていたのだがな」
「……そうか」
「ああ、言っておくが絶対安静の意味、取り違えるなよ? 起き上がる事は勿論だが、それ以外にも余計な事は一切考えるな」
 釘を刺す華佗。
「そうもいかぬ。寝ているのはやむを得ぬが、確かめなければならぬ事もいろいろある」
「お父様。華佗さんの仰る通りです、まずはお休み下さい」
「月、では一つだけ教えてくれ。陛下は、如何なされた?」
「……そ、それは……」
 口籠もる月。
「言いにくければ俺から話してもいいぞ?」
「いえ、大丈夫です華佗さん。……お父様、落ち着いて聞いて下さいね」
「うむ」
 月はフッと息を吐き、自らを落ち着かせた。
「陛下は、ご無事と思われます……恐らくですが」
「どういう事だ?」
「はい。陛下は、洛陽にはおわしません」
「……では、どちらに行かれたと申すのだ?」
「長安との事です。気づいたときには、もう……」
 十常侍め、流石に陛下に手をかける真似だけはしなかったようだな。
 だが、長安に逃れて何をするつもりか。
「申し訳ありません。私がついていながら、何も出来なくて」
「お前が責めを感じる事はない。ただ、奴らの方が悪知恵が働いた……それだけの事だ」
 ふと、気配を感じた。
「お兄さん、お目覚めですかねー?」
「……大丈夫?」
 部屋の入り口に、風と……恋が立っていた。
「うむ。恋、久しぶりだな」
「……(コクッ)」
 意識が途切れる前に見たのは、幻ではなかったようだな。
「幽州にいたお前が、よもや此所に現れるとはな」
「……月と兄ぃ、危ない。そう思ったから、来た」
「そうか。礼を申す」
「……ん」
 恋は嬉しそうに、眼を細めた。
「風は、何か報告があるようだな」
「はいー」
 チラ、と風は華佗を見た。
「ああ、俺は外した方が良さそうだな。何かあったら呼んでくれ、外に出ている」
「済まぬな」
 華佗は頷くと、鍼道具を持って出ていった。
「では聞こうか」
「えっとですねー。まず、宦官さん達の大半を捕らえてあります」
「……どういう事か」
「御史中丞代行の職務に従ったまでですよー。勝手に宮中の財物を持ち出そうとしていましたので、職務権限で逮捕した次第なのですよ」
 ……そういう事か。
 風がその職務を願い出たのも、そして同行をせがんだのもこれで合点がいく。
「だが、よく奴らが大人しく縛についたな?」
 すると、風は口に手を当ててほくそ笑んだ。
「いえいえ、威光を笠に着て散々脅されましたよー? 勿論、風は聞くつもりはなかったですけどね」
「ふっ、奴らも災難であったな。して、十常侍全員を捕らえたのか?」
「いえ、張譲さんと趙忠さんにだけは逃げられましてー。行方は今捜して貰ってますが」
 大物二人は取り逃がしたか。
 身の危険を感じて、己だけが真っ先に……という訳だな。
 見苦しいとも言えるが、その身軽さはある意味、賞賛にも値する。
 無論、このままのうのうと生かしておくつもりはないが。
「わかった。引き続き、二人の追跡は続けよ」
「御意ー」
 そこまで話すと、不意に睡魔が襲ってきた。
「さ、お父様。もうお休み下さい」
「……そうさせて貰う」
 私は臥所に横たわり、眼を閉じる。
「……兄ぃは、恋が守るから」
「ああ、頼むぞ」
 重ねての身の危険はあるまいが、恋がいれば鬼に金棒という奴だ。
 ……また、昔の夢を見る事にならねば良いが。


 数日後。
「順調のようだな。もう起きてもいいぞ」
「そうか。いろいろと世話になった」
 私が頭を下げると、華佗は笑って手を振る。
「なに、これも医者の務めだ。だが、動いてもいいが激しい運動は駄目だ」
「ああ、心得ているつもりだ」
 暫し剣を振れぬのは残念だが、致し方あるまい。
「……本当に、大丈夫だろうな?」
「何がだ?」
 華佗は咳払いをしてから、小声で言った。
「夜の事だ。傷に差し障るぞ?」
「夜?……成る程」
「お前も、お前のところの将も皆若いから仕方はないが。俺がいいというまでは控えろ。いいな?」
「わかった。そうしよう」
 確かに、皆ともご無沙汰ではある。
 性欲が衰えた……とは思いたくないが、皆は私などよりも更に若い。
 ……寝込みを襲われぬよう、釘を刺しておくか。
 そんな他愛もない事を考えながら、部屋を出た。
「……歳三。もう、起きていいの?」
 恋が、戟を手に立っていた。
「ああ。ずっと見張りを?」
「……鈴々や愛紗達と、交代で」
「そうか。これから軍議を行う、お前も参加せよ」
「……わかった」

 月の屋敷にある奥まった一室。
 ……とは申せ、かなりの広さはあるが。
 主立った者が皆、一堂に会していた。
「朱里、ご苦労だったな」
「いえ。ご主人様が無事で良かったです」
 混乱の中、朱里は呉から送り届けられていた。
 聞けば、思春が洛陽まで警護してきたとの事。
 睡蓮(孫堅)の事があり、余裕もない筈だが……雪蓮の誠意、と受け取っておこう。
「では、始めたいと思います」
 禀がそう言った時。
「ちょい待ち! ウチ忘れてへんか!」
 霞が、そこに飛び込んできた。
「霞さん!」
「月、歳っち。久しぶりやなぁ」
 変わらず、陽気な霞そのままだな。
「涼州から参ったか」
「せや。歳っちが洛陽に向かったちゅう話聞いてな、翡(馬騰)はんに話つけたんや」
「そうか、では騎馬隊も伴ってきたのだな?」
「勿論や。ウチがしごき上げた連中や、そんじょそこらの騎馬隊には負けへんで!」
 その言葉に、詠が頷く。
「それは大きいわね。ボク達の欠点が、騎兵の少なさだったからね」
「そうですね。紫苑さんの弓兵に張遼さんの騎兵、戦力としてもかなり望ましい形かと」
「ふふ、雛里ちゃん。もう立派に軍師の仲間入りだね」
 嬉しそうな朱里。
「歳三様。霞も来たところで、改めて始めたいのですが」
「おお、済まぬ。禀、頼む」
「はい」
 向かって右側には、愛紗、鈴々、星、疾風(徐晃)、彩(張コウ)、紫苑、閃嘩(華雄)、恋、そして霞が。
 左側には禀、風、朱里、雛里、詠、ねね。
 そして私の隣には、月が。
 ……錚々たる顔触れ、という言葉以外には思いつかぬな。
「まず、我が軍が洛陽に入ったところから改めて整理したいと思います。歳三様、宜しいですね?」
「うむ」
「……知っての通り、李カク、郭シ軍は我が軍に敗れ、二人は討ち取られました。兵も一部は洛外に逃れたようですが、壊滅と言っていいでしょう」
「宮中に逃げ込んだ兵は、全員討ち取りました。……歳三殿に傷を負わせてしまったのは、甚だ残念ですが」
 疾風が唇を噛む。
「仕方ありませんわ。歳三様が動かなければ、今頃は……」
「紫苑、その事はもう良い。続けよ」
 禀が頷く。
 皆に気づかれぬように、そっと月の頭を撫でてやる。
 一瞬驚いた月だが、すぐに安心したように眼を閉じた。
「ともあれ、戦闘はそれで終結しました。我が軍の被害ですが、戦死七十五名、負傷者が約五百名との事です」
「規模の割には、比較的軽微で済みましたね。勿論、戦死者を出してしまったのは残念ですが……」
「それは仕方あるまい、朱里。抵抗する敵を相手にした戦闘だったのだからな」
「彩の言う通りなのだ。鈴々達も必死に頑張った結果なのだ」
「そうだよ、朱里ちゃん。私達、そういう時代に生きているんだから」
「……う、うん」
 ふっ、先輩の筈の朱里が、雛里に諭されるとはな。
「風からも報告しますねー。宦官さん達のうち、張譲さんと趙忠さんを除いた皆さんは逮捕したのですよ」
「な、なんやて? ホンマかいな?」
「勿論ですよー」
「風と踏み込んだところ、金銀財宝を無断で持ち出して逃げようとしていたのだ。だから、捕縛してある」
 いくら疲労していたとは言え、宦官共に疾風に刃向かうだけの力があろう筈がない。
「全く、下衆にも程がある。余力さえあれば、私が素っ首を刎ね落としてやったものを」
「言うではないか、閃嘩。傷が癒えたら、一勝負せぬか?」
「望むところだ、愛紗!」
「二人とも、話をわき道に逸らさないで下さい」
 窘める禀。
「それで風。宦官共は、何か吐いたのか?」
「はいー。お兄さん包囲網に失敗したとなった後、陛下に迫って逆賊討伐の勅令を出すつもりだったようですねー」
「逆賊だと! 主の何処が逆賊だ」
「全くですな。歳三殿も月殿も、何の落ち度もありませんぞ」
 憤る星とねね。
「ただ、陛下はそれを頑として拒んだようですねー。その間にお兄さんの軍が迫ってきたので、それで慌てて陛下を連れ去ったみたいですよー」
 なんたる不敬だ。
 連中には、敬意の欠片もないのであろう。
「ですが、まだ油断は出来ません。陛下の身柄を、張譲らが抑えているとすれば」
「……強引に勅令を出させる事もあり得るわね」
 禀と詠が、顔を見合わせて溜息をつく。
「もし、私や月がその対象にされたとしよう」
「殿!」
「歳っち、何ちゅう事を!」
 詰め寄る彩と霞を手で制し、私は続ける。
「あくまでも、仮の話だ。まず、誰が応じると思うか?」
「応じるとは……。勅令にて、歳三様や月殿に対して兵を向ける……という事ですか?」
「そうだ。全てがその筋書に沿ったもの……そう考える方が自然であろう」
 全てが後手後手に回ったが故に、少なからぬ犠牲も払ってきた。
 流石に、まずは朝敵ありき……その前提で動けと申す方が酷としか言えまい。
「……そうですね。まず、袁術さんは応じるでしょうね」
「あと、劉表さんも可能性は高いと思います。ご自身の意思かどうかは別にして、軍を把握している方を考えると」
 朱里と雛里の意見に、詠が憮然となる。
「……考えたくはないけど、その通りでしょうね。後は、曹操も応じると思うわ」
「むー、一理ありますねぇ。曹操さんはお兄さんを認めているところもありますが、事ある毎に配下になれと仰せですしー」
「孫策殿はないでしょうな。今は軍を維持する事もままならないと聞いていますぞ」
「うむ、ねねの申す通りだろうな。他の者はどうか?」
 武将らからも、様々な意見が出た。
 主な諸侯として挙げられるのは、白蓮、翡、劉璋、それに麗羽あたりであろう。
 劉璋以外は面識があり、私か月、どちらかが浅からぬ縁がある。
 その三者については、私としても動向を見極めきれぬ部分がある。
 麗羽は、私を師と仰ぐ身故、私に敵対する事を望むまい。
 ……だが、何と言ってもこの国でも指折りの名家である事に変わりはない。
 それに、袁術が勅令に応じるとなれば、果たして他の一族を従わせる事が出来るであろうか?
 白蓮は、個人的に好意を寄せている事は間違いあるまい。
 とは申せ、勅令に反してまで動けるか否か。
 月と関係の深い翡ですら、同じ事が言える。
 それ程に、勅令というものは未だ逆らう事の出来ぬ効力を持つ。
「いずれにせよ、最悪の事態には備えねばなるまい。引き続き、情報収集を怠るな」
「御意!」
 大きな戦になるやも知れぬが、決して負けはせぬ。
 いや、負けてはならぬのだ。

 半刻後。
 私は月と共に、洛陽の外れにやってきた。
 警護として、霞が同行している。
「お父様、傷は痛みませんか?」
「大事ない。華佗の治療にかかれば、な」
「せやけど、歳っちの事を聞いた時は気が気やあらへんかったで?」
「うむ。もう、あのような真似は致すなと皆から口々に叱りを受けた」
「当たり前や。歳っちに万が一の事があれば、悲しむのは月だけやない。ウチも恋も、みんなもや」
「ふふ、お父様は本当に愛されてますね。……でも、霞さんが仰る通りです」
 キュッと、つないだ手に力が込められる。
 ……と、空いた方の腕に霞の腕が絡まった。
「霞。お前は警護役だぞ?」
「そないな事わかっとる。けど、月を見とったら何や羨ましゅうなったんや」
 全く、そのような顔をされては拒めるものも拒めぬではないか。
「なあ、歳っち。久々に会うたんや……な?」
「いや、完治するまではならぬと華佗から止められている。無理を申すな」
「ええー、ええやんちょっとぐらい。な、月?」
「へ、へう~」
「止さぬか。月が真っ赤になっているではないか」
「つれないなぁ、歳っちは。ほな、華佗にきばって貰うしかあらへんな」
「……言っておくが、華佗に無理難題を申すのではないぞ? 如何に名医とは申せ、限界はあるのだぞ」
 むう、霞がこれでは他の者も危ういな。
 華佗に、注意するよう伝えておかねばならぬな。
「着いたな」
「……此所、ですか」
 土饅頭に、粗末な墓標。
「白兎(董旻)の墓やね」
「……此所に、白兎ちゃんが」
 そっと、月は墓標を撫でた。
「言い訳はせぬ。白兎を死に追いやったのは、私に責めがある」
「いいえ。白兎ちゃんは、そんな事でお父様を恨んだりはしない筈です」
「せや。白兎かて、本望やったと思うで?」
「……そうか」
 墓標の前に、一束の花が添えられていた。
 恐らくは、疾風であろう。
「さ、お参りしましょう」
「せやな」
 二人に挟まれながら、私は墓に向かって手を合わせる。
 暫し、静かな時が流れた。
 ……尤も、それはほんの一時に過ぎぬものであったが。
「土方様、董卓様! 至急、お戻りを!」
 急を知らせる使い番に頷くと、私は踵を返した。
 いよいよ、来るべきものが来たようだな。 
 

 
後書き
番外編もそろそろ書こうかな、と思っています。 
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