| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

至誠一貫

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二部
第一章 ~暗雲~
  九十四 ~哀しき別れ~

「入れ」
「…………」
「入れと言っている!」
 苛立ったように、兵が少女の背を押した。
「あっ!」
 そのまま、天幕の中に倒れ込む少女。
「これ。手荒く扱うでない」
「はっ、しかし」
 兵は、憎々しげに少女を見ている。
「もう下がって良い」
「はっ!」
 天幕には、皆が揃っていた。
 無論、協皇子と盧植もいる。
「お前が、彼の覆面の軍師か?」
「フン。だったらどうだと言うの?」
 嘲るような物言いに、彩(張コウ)が激高する。
「貴様! 自分の立場がわかっているのか!」
「止さぬか」
「し、しかし!」
「止せと申しておる。……さて、まずは名を聞こうか」
「…………」
「どうした? 私の名を勝手に呼んだのだ、お前も名乗るべきであろう」
「そんなの知ったこっちゃない。さっさと首を刎ねるがいい」
「……そうか。では、望み通りにしてやろう」
 愛紗から受け取った兼定を抜き、少女に突き付ける。
 雛里だけが顔色を変えたようだが、風が制したようだ。
「言い残す事があれば聞いてやろう」
「余裕だな。でも、お前もここにいる連中も、もうすぐ死ぬんだぞ?」
「何だと! どういう意味なのだ!」
「そのままの意味だ。精々、苦しむがいいさ」
 少女の高笑いに、愛紗や星らの顔にも怒りが浮かぶ。
「……その声。そうか、お前は李儒だな」
「殿下。ご存じなのですか?」
「ああ、黄忠。嘗て、月の麾下だった者だ」
 李儒か。
 確かに、董卓の軍師として知られる人物であったな。
 だが、今の今まで名前すら聞かなかったのだが。
「嘗て、と仰いましたな。殿下?」
「そうだ、趙雲。今は追放され、月とは何の関係もない筈だ」
「で、その赤の他人の筈の貴様が、何故このような大それた事をしたのだ?」
 愛紗が、李儒に詰め寄る。
「そんな事、どうだっていいだろうが。さあ、斬れよ」
 ふむ、虚勢を張っている訳ではないようだな。
 刃先が目の前に迫っても、顔色一つ変えぬとは。
 ひとまず、私は刀を収める事とした。
「殿下。追放された、との事ですが……理由はご存じでござるか?」
「私も詳しくは知らぬ。だが、詠との確執が原因とは聞いた事がある」
 と、李儒の顔に憎悪が浮かんだ。
「どうやら、詠ちゃんがお嫌いのようですねー」
「当たり前だ。奴さえいなければ、あたしが……あたしがっ!」
「だが、詠は月と幼馴染みだ。その間に割って入るなど、どだい無理な話ではないのか?」
「そんな事はわかっている! だから、あたしは董卓様の一番は諦めていた。例え二番手でもいい、認めて貰えればそれで良かった」
 一気に捲し立てる李儒。
「そんなある日、あたしに千載一遇の機会がやって来た。賈駆が不在の折、異民族が攻め込んで来た。あたしが軍師として、そいつらを迎撃するように言われた」
「その合戦でしくじりを犯したのか?」
「違う!」
 凄まじい形相で、李儒は疾風(徐晃)を睨む。
「合戦では勝利を得た。此方の被害も少なくはなかったが、文句なしに勝ったと言えるだけの戦果は上げた。だがな! 賈駆の奴は、凱旋したあたしを罵倒したんだ!」
「詠が? 確かに詠は容赦のないところもあるが……」
「ああ、容赦なかった。あたしは、異民族を打ち破った後、徹底的に叩くよう進言したのさ。降伏も許さない方がいいと」
「……それを、詠に叱責されたと?」
「そうだ。奴らには、生半可な懐柔策も、温情も通じやしない。だから、完膚無きまでに叩きのめすしかないんだ。……なのに、賈駆はあたしを責めた」
 なるほど、李儒の申す通りやも知れぬ。
 詠は己の感情ではなく、月の事を思ったに相違あるまい。
 月の性格からすれば、そのような苛烈で残忍な真似は耐え難い筈だ。
 だが、月はあのような性格故、事実を包み隠さず報告したとて、李儒を叱責する事はまずあり得ぬ。
 詠は、己が嫌われ役になる事で、月を傷つけまいとしたのであろうな。
「それで、董卓さんのところを追われたんですね……」
 雛里が、同情の眼差しを向ける。
「はん、同情なんて御免だね。けど、あたしは諦めなかった。いつか、董卓様も判って下さる筈だと。……けど」
 再び、私を睨む李儒。
「突然、お前が董卓様の前に現れた。そして、あっという間に父娘の契りまで結んでしまったな」
「そうだ」
「おかげで、あたしの計画は全部台無しさ」
 李儒は、自嘲の笑みを浮かべた。
「計画?」
「そうだ。董卓様は有能な御方だが、線が細い。賈駆みたいに甘やかすだけの軍師じゃ、役不足なのはわかりきってる。だから、奴さえ始末してしまえば事は足りるとな」
「…………」
 あまりの事に、皆は呆然としている。
「だが、土方が現れた事で董卓様は変わってしまわれた。……もう、賈駆を排除したとしても、何の意味もなくなってしまった」
「それで、土方殿に対して謀略を巡らせたと申すのじゃな?」
「ああ。どうせ手に届かない董卓様なら、望み通り父娘仲良く始末してやろうってな。はっはっは、あーっはっは」
 狂気じみた笑いが、天幕の中に響き渡る。
「ふむ。それだけか?」
「……何?」
 李儒は笑いを収め、私を睨む。
「お前は、結局月に認められるだけの人物ではなかったというだけの事だ。これだけの策謀を巡らすだけの才を持ちながら、惜しい事だ」
「黙れ! お前なんかに、あたしの何がわかる!」
「わかっておらぬのはお前の方だ。……然様ですな、殿下?」
「うむ。李儒とやら」
「…………」
 不敬にも、顔を背ける李儒。
 だが、協皇子は構わず続ける。
「詠……賈駆が甘い、そう申したな。だが、それはお前の見込み違いだ」
「何ですと……?」
「確かに、詠は月の為ならどのような苦難にも立ち向かうであろう。だが、それは月を甘やかしているという訳ではない。寧ろ、詠は月に厳しく当たる事も屡々だ」
「…………」
「それに、この土方はそこまで狭量な男ではない。お前が月に認められようとするならば、それだけの機会は与えた筈だ」
「……だから、どうだと仰せなのですか」
 李儒は、冷たく言い放つ。
「今更、あたしに悔い改めよとでも仰せですか? 無駄な事です、もう何もかも手遅れなのですから」
「小娘、それはどういう事じゃ」
「そのままの意味ですよ、盧植様」
 そして、私を見据える。
「もう話す事はない。さっさと首を刎ねろ」
「本当に、それで良いのか?」
「諄い!」
 聞く耳持たぬ、か。
 既に死を覚悟した者、翻意させるのは難しいであろうが……だが、やはり一度は月に会わせてやるべきだな。
「連れて行け。見張りは厳重にせよ」
「土方! この期に及んで情けをかけるつもりか!」
 引っ立てようとした兵に抵抗し、李儒は私に詰め寄る。
「お前など、いつでも斬れる。だが、月に言いたい事があるのであろう? ならば、それぐらいは叶えてやろうと思ってな」
「……つくづく度し難い奴だな」
「おのれ。主がここまで仰せというに、重ねての侮辱は許さん!」
「星。良い」
「主!」
「はは、首すらも刎ねて貰えないか。ならば、仕方ない……ぐっ!」
 李儒が、不意に苦い表情になる。
 そして、ふらふらと倒れ込んだ。
「……いかん。毒を飲んだか」
「な、何ですと!」
「吐き出させろ!」
 慌てて愛紗と疾風が駆け寄る。
「む、無駄だ……。このまま逝かせて貰う……」
 歯を食いしばり、最後まで抵抗する李儒。
 奥歯に毒を仕込んでいたとは……迂闊であった。
「言い残す事はないのか?」
「殿!」
「無駄だ。恐らくは即効性の毒であろう」
「……ひ、ひとつだけ……」
「聞こう」
 李儒は、フッと口元を歪める。
「と、董卓様に……。真名を許していただきたかった……と」
「相わかった。月に伝えよう」
「……ば、馬鹿な奴だ……。地獄で待っている……がはっ!」
 そして、李儒は大量の血を吐いた。
 脈を診たが、既に事切れている。
「馬鹿はお前だ、李儒!」
「勝手に策謀を巡らして、一人勝手に死ぬとは……」
「落ち着け、星、彩。死者を冒涜する事は許されまい、例えそれが悪辣な事を巡らした者であったとしても」
「……は」
「……申し訳ありません」

 皆が持ち場に戻り、天幕には協皇子と盧植だけが残った。
 李儒については、改めて首を落とした上で遺体は火葬の上、遺骨を葬った。
 死人に鞭打つ真似となるやも知れぬが、自ら罪を認めての死では致し方あるまい。
「土方。これから、どうなると見る?」
「は。李儒が自害した事により、月の挙兵が濡れ衣である事を証明できる者がいなくなりました。……問題は、十常侍の出方にござろう」
「そうじゃな。陛下は如何されておいでか……」
 二人は、溜息を漏らす。
「ともあれ、洛陽に向かうより他ありますまい。恐れながら、殿下の御名を使わせていただく事になりますが」
「その程度、造作もない。責めは私が負う、良きに計らえ」
「はっ!」
 もう躊躇している猶予もない。
「誰か!」
「ははっ!」
 外で警護に当たっていた兵が、天幕に入ってきて跪く。
「出立だ。彩らに申し伝えよ!」
「はっ、直ちに」
 敵軍は月の旗を掲げてはいるが、月が指揮を執る事はまずあり得まい。
 何より、詠と閃嘩(華雄)がそれを許す筈もない。
 ならば、速やかに打ち破るのみだ。
 李カクと郭シがどれ程の才覚を持っているかはわからぬが、我が軍が後れを取る事はまずない。
「歳三殿!」
 そこに、疾風が駆け込んできた。
「何事か」
「はっ! 白兎(董旻)が参りました!」
「真か。すぐに連れて参れ」
「……そ、それが……」
 口籠もる疾風。
「何か、異変があったのだな?」
「……はい。此方へ」
 不吉な物を感じつつ、疾風に従って駈けた。

「白兎!」
「……ち、父上……」
 私の姿を認めると、白兎は弱々しく笑みを浮かべた。
 地面に寝かされ、その背には黒ずんだ布が巻かれていた。
 どうやら、矢傷を受けたままで此所までたどり着いたようだ。
「何があった」
「……はい。何進様の命で、父上に……これを」
 そう言って、白兎は懐に手を入れようとする。
 が、その腕は震え、思うように動かぬらしい。
「疾風。取ってやれ」
「はい」
「あ、義姉上……。上着の内側に、縫い込んであります……」
「此処だな。わかった」
 疾風は白兎に布をかけてやり、それから上着を裂いていく。
「歳三様」
「うむ」
 血に染まった紙片を受け取り、中身を改める。
「…………」
「白兎。これだけの深手を負いながら、よくも此所まで……」
「それが、私の命ですから。……でも、こうして父上と義姉上にお会いできて……」
「くっ……」
 歯がみをする疾風。
 いや、私も同じ想いだ。
「疾風。何進殿は、李カクらの手勢に屋敷を囲まれ、軟禁同然との事だ」
「何と。洛中でそのような無法が罷り通っていると?」
「そのようだ。何者も近づけぬらしい」
「……そうですか。では、月殿の事は?」
「そ、それは直接お話しします……」
 白兎が、か細い声で話そうとする。
「無茶を言うな! その傷では」
「い、いえ……。いいんです、一度は死んだ身ですから」
「ならぬ。お前は我が娘、死なせる訳にはいかぬ」
 華佗はすぐには見つからぬであろうが、最善の手は尽くさねば。
「……父上。ど、どうか……。娘の、たった一つの我が儘を聞いて下さい……」
「白兎。ならぬと申した筈だ」
「……い、嫌です……」
 頑なに頭を振る。
「歳三殿。お気持ちは察しますが……」
「疾風。お前まで何を申す」
「お聞き届け下さいませ。……義妹の、最後の願いを」
 下唇を、ギュッと噛んだ。
 血の味が、口の中に広がる。
「……わかった。申すが良い」
「……はい」
 かすかに頷くと、白兎は話し始めた。
「あ、姉上は……。陛下と共に、幽閉されています」
「何故だ。何故、急にこのような事に」
 疾風が呟く。
「何進様が仰せの通り……け、荊州の反乱は全て、十常侍の差し金です……。交州に追いやった筈の父上が、交州で更なる力を得ようとしている事に……」
「恐れを抱いた、というのだな?」
「は、はい……。そ、それで、越権行為の咎で……」
 だが、その企みは全て失敗に終わった。
 それどころか、蔡和という生き証人まで我が手に落ちたのだ。
「そ、それで十常侍は、陛下に迫って父上を逆賊とする勅令を出すように、と……」
「逆賊は宦官共の方ではないか! なんたる思い上がりだ!」
 憤懣やるかたない疾風。
 私も憤りは覚えるが、白兎の言葉を聞いてやるのが先だ。
「で、ですが、陛下はそれを拒みました。……そして、業を煮やした十常侍は……」
「……では、月は無事なのだな?」
「……はい」
 そこまで話すと、白兎は眼を閉じた。
「白兎?」
「……あねうえ……。いままで、ありがとうございました」
「何を言うのだ! 気をしっかり持て!」
「い、いいんです。……ちちうえ……」
「此所にいるぞ」
 私は、白兎の手を握った。
 既に、温もりは失われつつあるのがわかる。
「おねがいです……。あねうえを、あねうえを……」
「心配致すな。万難を排してでも、必ず救い出す」
「……ありがとう……ございます。そ、それから……だきしめてください……」
「ああ」
 その小さな身体を、腕の中に包み込んだ。
「あったかい……」
「白兎。済まぬ、父らしき事は何もしてやれなかった」
「……いいえ。こうして……」
 ガクリと、白兎の身体から力が抜ける。
「白兎? 眼を開けるんだ!」
 その頬を、疾風が懸命に叩く。
「白兎!」
「……無駄だ……」
「白兎ーっ!」
 疾風は絶叫し、地面を何度も叩いた。
 私は白兎の身体を抱いたまま、立ち上がる。
 十常侍共……我が娘を殺めた罪、必ず贖わせてやる。

 怒濤の如き勢いで進軍した我らは、程なく李カク、郭シ軍と衝突。
 白兎の死、そして洛中での事は全軍に知れ渡り、士気はいつにも増して上がっていた。
 そして何より。
「貴様ら! 一兵たりとも逃さんぞ!」
 戦斧を振り回しつつ、疾風が敵を薙ぎ倒していく。
 日頃は冷静な疾風も、今日ばかりは鬼と化していた。
「ひ、ひぃぃぃ!」
「逃すかっ!」
 すっかり逃げ腰になっている敵兵がまた一人、二人とその手にかかる。
 まさに、一騎当千の暴れぶりであった。
 将がその有様で、兵が奮い立たぬ筈もない。
 数の上では劣勢だった筈の我が軍だが、死体の山を築いているのは敵軍ばかりだ。
「流石に、止める訳にはいきませんね」
「……はい。本来、策なしで正面からの力押しは勧められないのですが」
 雛里と禀は、顔を見合わせて溜息をついた。
「お兄さん、ですがこれを利用しない手はないと思うのですよ」
「……うむ。愛紗、鈴々に、敵兵が洛陽に逃げ込むのに乗じてなだれ込めと伝えよ」
「応!」
 使い番が、すかさず駆け出す。
「星。愛紗らが突入する直前に、城内の様子を探っておけ。伏兵の可能性は低いと思うが」
「御意!」
 彩と紫苑も、一隊を率いて敵を蹂躙している。
 時折、自暴自棄になって此方に攻めかかってくる者もいるが、散発的な攻撃故に脅威とはなり得ぬ。
 李カクと郭シさえ捕らえるか討ち取れば、後は烏合の衆であろう。
 と、協皇子が溜息混じりに頭を振る。
「……まさか、洛陽が外から攻められる姿を見る事になろうとはな」
「殿下。これも全て、悪しき者らの所業故の事ですぞ」
「わかってはいるが……。これでは、朝廷の権威も何もあったものではないな」
「殿下! 滅多な事を仰せられますな!」
 窘める盧植の顔にも、疲労が感じられた。
「土方様! 城門を突破しました!」
「うむ。くれぐれも、城内の庶人には手を出すな。一切の略奪も暴行も許さぬ」
「はっ!」
 使い番に指示を与え、私は振り返った。
「では殿下。参りましょうぞ」
「うむ。頼むぞ、土方」
 私は一礼し、馬に跨がった。
 追い詰められた宦官共が、更なる暴挙に出る前に防がねばならぬ。
 月、待っておれ。 
 

 
後書き
覆面軍師の正体は李儒でした。
司馬懿と勘違いされてしまったようですが……。
白兎についてはどうすべきか考えましたが、疾風が洛陽に入り込めない以上、こんな展開となりました。
ちょっと幸薄い人生になってしまい、気の毒ですが……。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧