SAO--鼠と鴉と撫子と
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30,自己欺瞞のアルタリズム
吹き荒れる炎の中で俺はたった独り、横たわっていた。
体の末端から感覚が溶けていく。
周囲で揺れる赤い煌めきは既に壁と天井を炎で包み、俺を飲み込まんとゆっくりと進んでいる。
――ヤメロ。
分かっているのに必死に腕を動かそうとした。
何度こうやって抵抗してもやっぱり無意味。どれだけの力を込めようとも俺の体はびくともしない。
酸素を求めて、俺の肺が悲鳴を上げた。大きく開かれた口を熱波が焼き、酸素を取り込まンとした肺は煙と一酸化炭素によって蝕まれていく。
炎は焦らすようにユックリと周囲を飲み込み、俺を人呑みにするタイミングを見計らっている。
――ヤメロ!!!早く、俺を焼き殺せ!!
渇き切った喉から、意思に反してゴホゴホと咳が流れでた。
何度もやった過ちだ。この僅かな気配を感じて彼女がこちらにやってくるんだから。
「――――」
俺の前に、とうとう■■がやってきた。
顔をのぞかせた■■を見て、俺の景色はゆらぎ出す。
この涙は懺悔の涙だ。
俺がこの後で彼女をどうするかを知っているから、変えられない夢の中で俺は悔しくて、申し訳なくて、涙を止め処なく溢れ出させる。
彼女がそんな俺の頭を優しく撫でてくれるのも全く同じ。だから、結末もどうしようもなく一緒になる。
頭上から降り注ぐ炎のイメージとともに、俺の意識は遠のいていった。
落ちてくる火炎を避けようと跳ね起きた所で、ここがあの場所ではないこと、さらに言えば厳密な意味では地球ですら無いことを思い出した。
目の前のオークの壁は全く燃えることはなく、唯一の火の手である暖炉も温かい今の季節に炎は灯っていない。
ギルドハウスで待つ時間が長く、つい居眠りをしてしまったようだ。
それにしてもアインクラッドでも夢は見るのか。まあ、考えてみれば現実で俺の体は常に寝ているようなもので、この世界自体を夢の延長線上と考えている奴もいる。
もっともそれは間違いで、ナーヴギアの創りだした五感データが俺の頭に直接信号として叩きこまれ、それを観ているのが今のこの世界なのだから、やはりこれはどこまでいってもゲームというのが俺の考えだった。
まあどちらかと言えば、ゲームの中で見る夢よりは悪夢の中で見る悪夢のほうが分かりやすいかもしれないが。
息を吐き出してイスに座ると、古いものなのかギイギイと鈍い音を立てて軋んだ。備え付けの家具は最低限のグレードのもので、お世辞にも上等とは言いがたい。
そもそも家具のグレードを上げて、家はもう少し小振りなものを探すという選択肢もあった。
今の黒猫団のメンバー7人ではこの家は広過ぎで、確実にその倍は入るだろう。
リーダーのケイタ曰く「これから人数が増えても大丈夫なように」ということだが、当面はこの大きさを持て余すことになる。
そんな日はこのまま攻略組にかけ上がっていけばすぐになくなる筈だ。もっともその時に、俺がこの場所にいるかはわからないが。
これからたくさんの思い出を積めていく部屋で俺はたった一人、皆を待って佇んでいた。
25層の事件があってからかなりの月日が流れた今でも、まともに戦闘を行うことは出来ない。
剣を構えた瞬間に思い出すのは、斬られる事での痛みに似た不快感でも自分の死の恐怖でもない。
アルゴの泣き叫ぶ声とそれを無力に見ることしか出来ない自分の姿、そして純粋に俺を案じてくれる優しい声だ。
もしも、俺が死にかけたらアイツは身を呈してでも俺を守るだろう。
そんなのはゴメンだ。もしも、それでアルゴが死んだらどうなる?
俺が誰かを救うために別の誰かを犠牲にするなら、それは誰も救えていないのと一緒だ。
それは悪夢の焼き直し。
俺はもうあんな地獄は味わいたくない。
「しかし、遅いな」
独りでいるせいか、嫌な記憶を拭い去ることが出来ない。
振り払うことの出来ない恐怖がじわじわと沸き上がってくる。
そんなはずはない。あのキリトがついている以上、黒猫団は、そしてサチは安全なはずだ。
一応、メッセージを飛ばしておくか。
ギルドメンバーへと一斉メッセージを送ろうとして、手が止まった。
メッセージ欄の見慣れたギルドリストの一覧。その中で一人、文字が灰色になっている。
βテストならばログアウトの意味を示すものだが、ログアウト不能の本サービスでは別の意味になる。
「ダッカーが……死んだ」
俺は本能のままにホームを飛び出していた。
轟々という風切り音がいつの間にか響きわたっている。
何も考えないままに、俺は転移門から28層へと移動し、さらにそこから圏外へと走り去っていた。
いつの再来か、モンスター達が俺の後ろから大量に追いすがってくる。
振り向いてはいけない。
今回は、相手をする時間も腕を震わせて立ち止まる時間もない。
そのまま見たこともない迷宮区の中へと走りこみ、闇雲に走り続ける。
マッピングデータは持ち合わせていない。
今日は商談だけと思っていたから、短剣だって二本しか持ち合わせていない。
何より、俺が行った所で戦えないのだから、何も出来ないかもしれない。
たどり着く前にモンスターに挟まれれば、俺は間違いなく死ぬだろう。
だけど、どうせ無理だ……なんて諦めていられるか。
助けられない公算なんていらない。
助けるんだ。
今度こそ、完璧に!!
これは、特攻だ。
だけど、自己犠牲でも利他主義でもない。
これは俺の自己欺瞞――後生大事に抱え込んだ約束を守るための、必要な利己主義だ。
ただ、ひたすら風の如く走り続けた所で、俺の視界に妙なものが写り込んだ。
急ブレーキをかけ、床へとしゃがみ込む。
拾ったのは食べかけのホットドッグ。
ソーセージの上についたケチャップを指ですくって舐めてみると、店売りよりもずっと旨味があった。
この数ヶ月、何度も食べた彼女の味は間違えるわけがない。
ホットドッグはすぐさま、耐久度を全損して形を失った。
ありがとう。もしもあと1分遅ければ、ここで俺が立ち止まることはなかったよ。
辺りを見渡すと、純白の内壁の中で一箇所だけ僅かに赤みを帯びている壁を見て取ることが出来た。
指で壁をタップしてみると、ウィンドウが表示される。
『システムによる扉の開閉遮断中。残り時間33:56』
右の数字がカウントダウンしているから34分で開くってことか?だけど、ダッカーが死ぬような仕掛けが中にあってサチ達が閉じこめられるなら一刻を争う。
思わず、扉を素手で叩いた。
――ドン。
感触は本当に硬く冷たい。しかし、僅かながらの手応えがあった。
《体術》を習得したあの岩はもっとずっと硬かったんだ。なにより、破壊不能オブジェクトなら出るであろう《immotal object》の表記は出現しない。
「壊せるのか?」
明確な攻撃の意図を持った瞬間、俺の胃がギュッと収縮するのを感じた。
幻想が顔をのぞかせる。残忍に笑うPoHの顔。響き渡る金切り声。そして、俺が生き残ったことを喜ぶ優しい一言。
吐き気と幻想を押し込んで短剣を抜き、久しぶりのソードスキルを放つ。
扉からは僅かな火花が飛び散っただけで、全く変化は見られなかった。
だけど、手応えとしてはもしかしたら、壊せるかもしれないと感じてしまう。
せり上がってくる吐き気で目の前が眩む。
それでも壁は壊れない。
短剣の刃が異常な速度で削れていく。
それでも壁は壊れない。
一撃、一撃。その手応えが僅かにでも残る限り、俺はぶら下げられた人参を諦めることなんて出来ない。
――ほんとうにもう戦えないのか
キリトはこんな俺を追いかけて、攻略作業を何ヶ月も休んでくれた。
――それじゃあさ、うちのギルドに入らないか?
ケイタには理想がある。まだ、死んでいいやつじゃない。
そして、夜な夜な死の恐怖に震えていたあの少女。
死にたくないと願い、逃げたいと泣いたあの少女。
いつの間にか短剣は全損して、俺は両腕で扉を叩き続けていた。
武器はもうないのか?もしかしたら、一本くらい俺の忘れている剣があるんじゃないか。
何でもいいとメニューのスクロールを早め、その装備を見つけた。
触れたのはたったの二度。そして、戦闘で使ったことも能力値すらも知らない謎の遺刀――メリッサ。
オブジェクト化した刀は昔のままの謎の形状だ。
短剣にしては珍しいオレンジ色の柄頭。装飾のない鍔。
何よりも鋭く尖ってしかるべき刀身は先端で直角に折れ曲がり、まるでアンティーク造りの鍵のよう。
何を持ってこのメリッサがログイン時に持ち込またのかはさっぱりわからない。
だけど、これが短剣であるというのなら……短剣で蛮勇を誇った大馬鹿者には丁度いい。
――私は、生きたいよ
聞こえないはずの言葉が聞こえた気がした。
ならば答えは決まっている。
生きることが彼女の望みならば、もはや躊躇うものは何もない。
「――おおおおお」
放つのは、俺にとって最高の攻撃力を誇る中級突進技《ラピッドバイト》。
体の芯から拒絶反応が起こり、俺の目の前がグッと霞む。構うものか、全身全霊を込めて俺は力を開放した。
その時、霞む景色の中で異様なことが起こった。
構えた短剣の周りで空気が揺らぎ、メリッサの刀身がプリズムのように周囲に拡散していく。
ヘックス状に保たれた剣先は鍔を中心として放射状に拡散しているので、まるで花びらのようだ。
咲き誇る一輪の剣の花。
スキルエフェクト音は幾重にも重なりあって、花に集まる蜜蜂の羽音となる。
打突の衝撃が体の芯を突き抜けていく。
扉は中心からゆっくりとヒビ割れていき、目の前で木っ端微塵に砕け散った。
飛び込んできたのは、2つの光景。
フロア全体にひしめき合う二種類のモンスター。
そして、その頭上から地面へと墜落するサチの姿。
地面とサチとの間に体を滑り込ませる。筋力値の低い俺がそんなもの受け止められるわけもなく、二人重なりあって扉の外にまで吹き飛ばされた。
数秒たっても、抱きしめた体からガラスの破砕音が消えて来ることは無かった。
代わりにイヤリングとしてつけていた鈴がチリン、と鳴り響く。
サチはうっすらと目を開き、俺を見た。
その目には驚きと安堵が9:1くらいで混合されている。
「《旋風》推参、ってな」
説明は後だ、とポーチからヒールクリスタルを取り出し、サチに使った。
数ドットまで追いやられていたサチのライフが瞬時に全快する。
すぐさま立ち上がると扉の方へと駆け寄った。
中には相変わらずモンスターであふれているがこちらへと向かってくるものはいない。
恐らくは、この隠し部屋の中にいるプレイヤーを殲滅する様にアルゴリズムが書き換えられているのだろう。
「外に出れば助かるぞ。入り口まで走れ!!」
叫びはフロアの中に響き渡り、僅かな時間差を持って剣の舞によって答えられた。
2つの突進系スキルの煌めきとともに、キリトとケイタが同時に走りこんでくる。
「他は!!??」
「――コレで全員だ」
キリトは顔を上げずに答えた。その姿が、何が起きたのかを雄弁に語っている。
「転移結晶使うぞ。転移、ダフト!!」
4つの結晶は、同時に砕け散った。
光の奔流を経て、主街区の転移門へと飛ばされる光景。
そんなはずの数秒は
『System alert. jail program start. ID:9998 Player Name:クロウ』
無機質な声によって凍りついた。
後書き
祝、30話&総合評価1500pt!!
下手の横好きですが、これからもよろしくお願いします。
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