人理を守れ、エミヤさん!
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割と外道だね士郎くん!
割と外道だね士郎くん!
槍兵のサーヴァント、ディルムッド・オディナは落胆を隠せなかった。
主命を帯び、敵陣営の主従を釣り上げるべく街中を練り歩いた。サーヴァントの気配を隠しもせず、堂々と。あれで気づかぬのは節穴しか有り得ず、そうでないとなれば聖杯戦争に参戦したのはディルムッドの挑発に応える気概もない臆病者ばかりということになる。
ディルムッドにはそれが酷く残念だった。今生で主と仰いだ者へ敵の首級を捧げると誓ったというのに、敵の臆病がために果たせなんだとは。
それでも英雄か、聖杯を掴まんとする魔術師か。そんな弱腰でなんとする――ディルムッドは慨嘆しつつ、倉庫街まで移動して誰も応えねば今夜は諦め、次は手を変える必要があると考えていた。
そんな彼の嘆きは、晴らされる。望外の敵手を迎えることで。
「――よぉ、いい夜だな色男」
倉庫街に足を向けていたディルムッドの背後から声が投げられる。
ディルムッドは咄嗟に振り返った。
いとも容易く背中を取られた――その事実は一つの時代で最も武勲に輝いた騎士に驚愕を与えたのだ。
輝く貌の騎士は目にする。青みを帯びた髪を野生のままに伸ばし、されど貴人の血により色香に変じさせる神性のサーヴァントを。
身に纏うは蒼い戦闘服、ルーン石の肩当て。全身の戦闘服に刻まれたルーンの守り。
軽飄な獣の如き様。真紅の長槍を肩に、背中をビルの影に預け、好戦的な笑みを浮かべディルムッドを見ていた。
ぞわり、と背筋が粟立つ。
極大の戦慄。霊基がひしゃげるが如き圧迫。
目にした瞬間、目を離せなくなった。否、目を離した瞬間に死ぬと確信したのだ。
ディルムッドは、瞬きの内に観察を終える。装いは自分のそれと似ている、ケルトに連なる戦士だろう。身軽さを重んじた槍の使い手は、古代エリンに多かった。
自分より後の時代の戦士ではあるまい。己の時代以降にこれほどの戦士がいたとは考えづらく、瞳の神性は神代真っ盛りのものと感じられる。
「……その槍、よもやランサーなどと嘯きはしまいが。御身はライダーのサーヴァントか?」
「さてな。存外ランサーかもしれん。だが殺し合いにそんな区分は必要か? オレにとっちゃ余分だと思うがね」
「……その通りだ。果たし合いに於いて敵手のクラスなど些事。いや、つまらん問いだった。許されよ」
――はたと、気づく。
己の物腰が、目上の者に対するそれになっていることに。
まさか、と思う。
改めて、見る。真紅の瞳。蒼い戦装束に、真紅の長槍。生前の主より伝え聞いた耳飾り。そして魂で感じる戦慄と、目と経験で感じる敵手の武量。
声が、震えた。
「その威風。まさか、御身は――」
半神の槍使いは肩を竦める。
薄笑いと共に、挑戦状を叩きつけた。
「問うな。元より我らは戦う者。答えの真偽は槍で探るものだろう」
「――ならば」
「ああ。後は殺り合いながら、だ。敵と刃を交えるなら、ただ屠るのみ」
「此処で?」
「此処でだ。ルールは簡単だ。物を壊さず、他者に気取られず、槍兵らしく速さを競う。鮭跳びの秘術――修めてねぇとは言わねぇよな?」
「無論ッ!」
叫ぶように応えるや否や、ディルムッドは空気の壁を突き破って馳せていた。
幼少の頃。夢見た邂逅。時の果てに叶った憧れの輝き。武者震いと共に顔が歓喜に歪んだ。
クー・フーリン。全てのエリンの戦士の憧れ。死の象徴。最強にして死の境を越える者――双槍を操り打ち掛かり、術技を振り絞って挑戦する。
異邦の槍兵と、冬木の槍兵は、一陣の風すら置き去りに音速の遥か先で駆ける。虚空に無数の火花を散らしながら、ビルの壁を足場に、時には互いが衝突した衝撃を利用して空中で舞う。
それは、人の目には何も映らぬ神域の速さ比べ。
クー・フーリンは猛々しく笑い、己の槍を振るうに足る敵と認めた。
「この一撃、手向けとして受け取るがいい。
『刺し穿つ』――」
「ランサーのマスターだな?」
ぬ、と背後から伸びた手に肩を叩かれ、気安げにそう問い掛けてきた男にケイネス・エルメロイ・アーチボルトは自らの不覚を悟った。
ケイネスの婚約者ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは此処にはいない。ホテルの一室で待って貰っている。しかし単独でランサー・ディルムッドを運用し、いずれかの陣営を釣り出そうと目論んでいたケイネスが、容易く背後を取られるとは思いもしなかった。
慎重を期すのは当たり前。魔術を用い自らの姿を隠していたはずのケイネスを、この男は当たり前のように見つけ出し、背後を取った。冷や汗が流れそうになるのを、魔術師としての精神力で堪え、ケイネスは背中に膨大な神秘を感じながらも誰何した。
「――如何にも。私はランサーのマスター、ケイネス・エルメロイだ。後ろから素性を問うのがそちらの流儀なのかね? 些か野蛮だと指摘しよう」
「おっと。これは失礼した。なにしろ臆病者でね。名にし負うロード=エルメロイの正面に立つには、ある程度の精神的優位性がないとやってられんのさ」
流暢な英語による応答である。
ケイネスはそこに不愉快な訛りがないことにおや、と思いつつ、ゆっくりと振り返った。
其処には、東洋人がいた。若干の落胆を覚えるも、身に纏う礼装の質に気を持ち直す。
色素の抜けきった白髪と、鍛え上げられた肉体。赤い聖骸布と、籠手の礼装。現代風の衣装に仕立て、街中にいても不自然ではない格好である。加え、後ろ腰に下げた剣は明らかに尋常ではない魔力濃度だった。
「こちらは名乗ったのだ。貴様も名乗ってはどうかね?」
ケイネスが不敵に問うと男は慇懃に応じた。
「エミヤ、といえば伝わるか」
「――何?」
その悪名は時計塔にも鳴り響いていた。
曰く、魔術師殺し――野蛮な近代兵器を用い卑劣な手段で魔術師を屠る魔術師の面汚し。
もしも機会があればこの手で誅伐してやろうと常々考えていた野良犬。
不愉快げに歪んだ眉根に、男は苦笑した。
「おっと。誤解があるようだ」
「誤解だと?」
「如何にも。確かに俺はエミヤで、ロードの思い当たっただろう魔術師殺しではある。だが、俺は別に卑劣な手法で魔術師を狩る卑怯者ではない。大方、ロードの聞き及んだ俺の風評は、俺が自分で流した悪評だろう」
「自分で悪評を流しただと? なんのために」
「この秘密を露見させないためさ」
言って、エミヤは腰から螺旋状の剣を抜き放った。
白と黒の夫婦剣――ではない。それよりも高位の、神秘の位階の高い宝具。
そう、宝具だ。
ケイネスをして瞠目する。そして男の言に納得した。
「貴様、『伝承保菌者』か!」
「俺が自らの悪評を流してでも隠すものはこれで、そしてそれを知ったからにはただでは帰せなくなったぞ、ロード=エルメロイ」
「ふん。なるほど、『伝承保菌者』ならば相手にとって不足はない。いざ尋常に立ち会おうではないか!」
ふ、とエミヤは不敵に笑いつつ、言った。
「ああ――その前に。これは善意なんだが、足元に注意した方がいい」
「な、」
足元を見る。そこには、白と黒の夫婦剣が落ちていた。
これも宝具。看破したケイネスの眼力は確かで。次の瞬間、その剣が内包する神秘が暴走しているのに、咄嗟に水銀の礼装を解放し守りを固め。
現代の魔術師の礼装如きが、宝具による『壊れた幻想』を凌げる道理などなく。
あっさりと爆発に呑み込まれ、だめ押しに投影していた偽・螺旋剣を下投げで投げ込んで、跡形もなく消し飛ばした。
「……ランサーの宝具解放のタイミングに合わせはしたが、中々難しかったな」
爆風に煽られつつ、そう呟いた男の名は衛宮士郎。
二十年後の未来、魔術師殺しの再来と呼ばれた魔術使いである。
――彼は正直者なので、謙遜以外では何も嘘は言っていなかった。
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