人理を守れ、エミヤさん!
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戦場の王、大国の王
戦場の王、大国の王
アルスター王の妹の子として生まれ、戦士としての道を志し、いつしか英雄としての栄光を掴んでいた。
妬まれ、僻まれ、様々な禁忌に縛られた。
高まった名声は鬱陶しいだけで、意識して誇ったことはない。ただ己の信条に肩入れし、英雄として生きる己を誇った。
赤枝の騎士として、己は一戦士なのだと自らを規定した。斯く在れかしと望まれても、それに流されることはなく。己に相応しいと思った生き方を貫いて鮮烈に生きた。
その生涯に疚しさはないと断言できる。男は信じた道を貫けたのだ。
――戦士として戦い続け、英雄として名を馳せるにつれて、多くの人間、神、妖精を知ることになった。
コノートの王アリルと、女王メイヴ。アルスター王にして自らの伯父でもあるコンホヴォル。三州のそれぞれの君主。妖精郷の神々――己の知る王という人種に、ろくな奴はいなかった。
アリルも、メイヴも、三州の三人の君主も、最低で最悪な、性根のひん曲がった外道ばかりだった。己が傲慢な王を嫌うのは、無意識の内に生前関わった王を思い出してしまうからなのかもしれない。
中でも特に酷かったのは、こともあろうに「権威・悪・狂気」の三位を司る女王メイヴではなく、自らが仕えたアルスターの王その人だった。
クーリーの牛争いが勃発した時、アルスターの戦士達全てが体を痙攣させて身動きを取れず、コノートを含めた四カ国連合の侵攻を前に無力だったのは、アルスター王コンホヴォルが妊婦だった女神ヴァハに無体を働き、その怒りと憎悪を買って「国難の時、国中の戦士全てが戦えなくなる」という呪いをかけられていたからなのだ。
その時、己は影の国にいた。だからこそ、その呪いに掛からずに済み――呪いに掛からなかったからアルスターを守るため、単身で戦うことになったのである。
妊婦に暴行を振るい、初夜権を行使して国の新婦を抱き、思うがまま振る舞う外道。それがコンホヴォルという男だ。
甥であり国一番の戦士だった己には気を使い、己の妻には手を出さなかったが……もし手を出したり、戦士として無能で、為政者として最悪で、伯父ではなかったら、きっと自分もまたフェルグスと共にアルスターから出奔していたかもしれない。
だがコンホヴォルは外道だったが、身内には甘く、優しい男だった。王としての能力もあった。戦士としての力量も備えていた。ただ、それ以外が最悪だっただけだ。
ガキの頃から知っていて、自分には特に目をかけてくれた恩人でもある。だから見捨てられなかった。どんなに最悪の糞野郎でも、裏切りだけはしなかったから、自分もコンホヴォルを裏切らなかった。
狗のようだ、とコノートの戦士に罵られたことがある。即座に殺したが、同時にこうも思った。最悪の野郎を裏切る。――それは自分がそれ以下の存在に成り下がることにはならないか?
コノートの側についたフェルグスは別にいい。フェルグスは元々アルスターの王だったが、コンホヴォルの母に王位を掠め取られた過去を持つ。コンホヴォルに従う道理はないのに、彼からの背信があるまで騎士団の若頭として武勇を振るっていたのだから、充分以上に義理は果たしていた。
だが、自分はそうでない。ただ、それだけの理由でクー・フーリンはアルスターの為に戦ったのである。
生前は、主に恵まれなかった。
生前に、まともな王はいなかった。
座にある膨大な記録の中で、覚えている限り、唯一まともだったのは冬木の本来の女マスターだけ。これも、やはり縁はなかったのか、一度も肩を並べて戦う機会はなかった。
だが――どうだ? この、人類史に纏わる大戦で、遂に己は望みうる中で最高のマスターを得られたではないか。
いい戦いといい獲物、加えていい主人がいたら番犬は満足である。その全ての条件を満たしてくれたのは今生のマスターだけであった。
気骨があり、人の使い方に長け、知略に秀でる。死する場を心得、博打を知り、死地に自ら飛び込む胆力を備える。――最高の戦いと、最高の獲物を同時に揃え、己の命運を躊躇いなくこちらに委ねてくる信頼もあった。
なら……これに応えずして何が英雄か!
男――クー・フーリンは高鳴る鼓動にうっかり最終宝具しかけてしまったが、御者のロイグが一睨みをくれると我に返り、わりぃ、と謝った。
そうだ。所構わず暴れるなんてつまらない真似はできない。なんたってオレは、騎士として仕えるという誓いを立てたんだからな、と自重する。
今の己は生前の狂戦士ではいられない。理性と業と忠誠を持って戦う槍兵なのだ。戦いの狂気すらも御して、全霊を振り絞り戦いに徹するのみ。
――そうだろ? ロイグ。
語りかけるも、手綱を握り、戦車を操るロイグは何も答えない。戦車の一部として宝具化し、自我が稀薄になっているとはいえ、元々が寡黙な男だった。
照れ臭いが、親友、と言える数少ない男である。自我が稀薄でも、彼が何を思い、何を感じているのか、手に取るように感じ取ることができた。
口数が少ないくせに、たまに喋ったらと思うとやけに辛辣な性質である。ロイグはきっと、「大した頭でもなかろう。御託を並べる暇があるなら、黙って槍でも振るっていろ」とでも言うに違いなかった。
声を出して笑い、クー・フーリンはロイグに言う。
――まったくだ。そろそろ奴さんも本気で来るだろうし、オレらも本気出していくかね。
世界を相手に戦え、なんて馬鹿げた命令を受けた。それを快しと受諾した。
今、己はどこを駆けているのか。指令を受け戦いをはじめて既に二日が経っている。乱立する樹木、押し寄せる大樹を粉砕しながら進み、打って出てきた生身の敵兵を一万は蹂躙しただろう。ローマ全土を虱潰しに駆けずり回り、破壊した城は四つを数え、討ち取った指揮官は二十七を数えたか。国土は半壊、大将の潜んでいそうな場所もだいたい見えてきた気がする。
襲いかかってくる樹木の津波を正面から突撃して破壊し、見えてきた新たな都市の前に隊列を組んでいる敵軍十万――いや二十万か?――の姿を目視する。
そこだけは、森ではなく、開けた空間になっていた。
なんともまあ、雑魚ばかり揃えられたものだと感心する。
肌の所々が樹木と化し、霊体への攻撃を通せるようになっているらしい奴さん。
シャドウサーヴァントの影もちらほら見えた。暗殺者、騎兵、狂戦士に獣に槍兵の小娘。それにあれはダレイオス三世のシャドウまでいやがる。
流石に雑魚と言うのは過小評価か。雲霞の如く並みいる軍勢はまさに総力の結集だ。ここが決戦の場と定めたらしい。
遥か彼方の大都市、その城壁の上に、恰幅のいい赤い装束のサーヴァントがいるのが見える。
あの巨人的な存在感。二十万の大軍を自らの規格に組み込む統率力。あれが、カエサルか。なるほどローマ最大の英雄の名は伊達ではないらしい。狂気のきの字も見られない。これは、手強そうだ。
しかし二十万の大軍を一ヶ所に集めるなど正気ではない。こんな大胆な布陣を取れるという事は、兵站を気にかける必要はないと言うことだろうか? であればあの兵も、ここに来るまでに散々見た人面樹と同じで死んでるようなものなのだろう。
なら遠慮はいらねえな――呟き、クー・フーリンはロイグに突撃を指示しようとして――ふと、気づく。気づいてしまった。
気づかねばよかった。このまま突撃し、蹂躙してしまえば良かったのだ。
だが、気づいてしまった。
生身の、完全に生きている、人間の、子供。
身なりからして奴隷の、少年。
――見るな!
ロイグが叫んだ。自我の稀薄さを感じさせない、往年の猛々しい声。だが遅い。既にクー・フーリンは気づいてしまっていた。
少年が、叫んだ。――ねえ、一緒にご飯を食べようよ。
は。と、笑う。有名すぎるのも考えものだな。
黒と灰の二頭の竜馬と、死の棘を持つ豪炎の戦車。そして己の姿と紅い槍。更にここまで散々に暴れ回ったことから得られる情報。
例え、宝具を使ってなくても分かるだろう。この身が持つ呪いを。
苦笑して、クー・フーリンは戦車を止めた。ロイグは自我を持つが、扱いは宝具の一部である。クー・フーリンの意向を妨げることはない。
そしてクー・フーリンは己のゲッシュに従う為、戦車を降り、少年の誘いに乗って、隠されていた台に近づき、少年が席について肉料理を食べ始めるのを見守った。
そして、自分のために用意された――犬の肉料理をみる。少年が食べ終わるのを見計らって、躊躇わず肉を摘まみ一気に咀嚼し飲み干した。
途端、左手から力が抜ける。ゲッシュを破らされ、呪いが働いたのだ。左手に握っていた赤い盾が地に落ち消え去る。クー・フーリンは苦笑して、怯えていた少年の頭を握り、軽く揺さぶる。あっさり気絶した少年を担ぎ、戦車に戻って少年を確保。
左半身が麻痺している。久しい感覚だ。腕と、耳が死に、目も見えない。右半身は無事で、幸い左足は生きているので踏ん張りは利きそうだ。
――やってくれるぜ、あのデブ野郎……。
苦笑し。
激怒する。
「殺す」
クー・フーリンは躊躇う素振りもなく右の耳を潰した。これで無粋な誘いの声は聞こえない。
更に戦いの狂気を呼び起こし、意図的に狂熱に浸って目に映る全てを敵と認識する。
クー・フーリンはロイグに言った。加減は無しだ、全力でいくと。本気の中の全力。あの野郎は確実に殺す。
こともあろうに、騎士としての初陣で……こんな醜態を曝させられるとは屈辱の極みだった。
クー・フーリンは吠える。精霊が怯え、混乱に落ちて狂騒を齎す。ローマの地は、クー・フーリンの赫怒に染まった。
敵兵の士気が目に見えて落ちた。恐慌に陥った。カエサルによって冷静を取り戻したが、それでもクー・フーリンへの畏れが消えたわけではない。
死の槍を掲げ、光の御子が。
戦場の王とまで讃えられた勇者が。
今、溢れ出る殺意と共に、大国の王に決戦を挑む。
「――『轢き潰す死棘の蹄』ッッッ!!!」
開戦の号砲。それは、死の戦車の本領発揮であった。
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