人理を守れ、エミヤさん!
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真紅の神祖
真紅の神祖
――んぅ……マスター、猪は好きか? 仕留めたは良いが、あまり好きではないことを思い出した。
敵首魁の座する帝都に近づくにつれ、次第に緊張を露にし始めてきたネロに対し、アタランテがそんなことを言っていた。
悪魔と同一の反応を持つ柱を退け、ガリアを過ぎ、山脈を躱して、二日間でマッシリアからメディオラヌムに進んだ頃である。
国土は樹林に侵され、生態系は狂い、幻想種がどこからともなく現れ自らの縄張りを張っている。そこを通りかかった俺達は格好の獲物であり、魔猪やキメラなどの類いに幾度も襲われていた。
陽も暮れ、辺りも暗くなり、そろそろ腹が減ってきた時分でもある。ネロとアタランテに、それを譲ってくれと頼んだ。
ネロは訝しげに俺を見たが、別にネロ自身に猪をどうこうすることなど出来る訳ではない、とこちらに快く譲ってくれた。
……アルトリアがいきなりそわそわし始めたが、俺は気づかないフリをして、魔猪の体を解析する。
信じがたいことに、どうやら人間が食べても問題はないようだった。普通の猪よりも肉は柔らかく、むしろ豚に近しいと言える。幻想種化する前はただの豚だった可能性もあった。
今の面子はアルトリア、マシュ、オルタ、ネロ、アタランテ……味覚的な意味でネロとオルタが難敵だったが……まあ同時に二人を満足させることも出来なくはない。
ジャンクでありながら豪奢、贅沢でありながら雑味のある肉料理……中東の少年兵からヨーロッパのお貴族様までご満悦だったのだから、間違いあるまい。
俺はまずマシュに召喚サークルを設置させ、カルデアから米と野菜、調味料各種を転送して貰う。
アタランテには焚き火を二つほど作って貰い、アルトリアとオルタには魔猪――いや呼び方は豚でいいか。豚の手足を縛らせて俺の腕ほどもある太い枝に吊るさせた。俺は専用の包丁を投影。腕を巻くって豚の肛門を切開し、手を突っ込んで内臓を引きずり出す。
思い出したように「見ない方がいいぞ」と言ったが全員特になんともなさそうで、アタランテは特に興味深そうにこちらの下処理を観察していた。
逞しい女性陣だことで……と呆れるやら感心するやら、俺は肩を竦めて豚の毛を綺麗に削ぎ落とす。
マシュとネロに言って内臓の下処理をさせておく。これも旨いので、無駄にする気はない。ネロはおっかなびっくりだったが、マシュも素人であるし、こっちはこっちで作業しながら下処理のやり方を口頭で教える。流石に器用で危なげなく作業をしていた。
それを横目に、空になった豚の腹の中に、薄く味付けをした白菜で包んだ米と、ホウレン草の包みで覆った米と香辛料を詰める。
豚の腹がパンパンに膨れ、何も入らなくなると肛門を糸状の強靭な紐でぎゅっと縛り上げ、焚き火に火種を放り込んで火を強くしてから、吊るしていた豚をこんがりと焼き上げ始めた。
暫くすると、香ばしい薫りが辺りに充満し始め、幻想種の獣が釣られてきたとロマニから通信が入る。
アルトリアとオルタに目配せし、三十分後には戻ってこいよ、と言うと二人は猛然と駆け出した。飢えた獣は、それ以上に飢えた二頭の獅子に狩られてしまうのだろう。ご愁傷さまである。
豚を吊るす火の前に陣取り、豚の体を回しながら満遍なく火が通るようにしておく。少し包丁を通すと香辛料の風味と、肉の香ばしい薫りが混ざり合い、なんとも腹を刺激する匂いが漂った。
ごくり、と誰かが生唾を飲み込む。
肉汁が滴り始める直前、薄く肉を削いで口に運ぶ。その焼き加減を吟味して、マシュにあと十分ゆっくり回しながら全身を焼けと伝え、その場を離れる。慌てて後を引き継いだマシュから目を離し、今度は内臓を使って串焼きを作り始める。
この頃になると、早くも獣の殲滅を終えたらしいアルトリアとオルタが帰還し、まだかまだかと勝手に皿とナイフとフォークを人数分用意し始めた。
苦笑し、ネロとアタランテを手招きし、豚モツの串焼きの調理手順を教授して、一本作ると後はネロ達に任せた。
素人にやらせてよいのか!? と戸惑ったように言うネロだったが、アタランテという狩人が共にいるなら任せてもいいと答えておく。実際アタランテほどの狩人が、狩った獲物を解体し料理したことがないはずもなく、手本さえあれば問題なくやれていた。
俺は武器庫に向かい、ごそごそと物色して、隠していた葡萄酒を取り出した。
またか、と呆れた視線を受けたが、気にしない。酒なくしては人生の半分は損している。というか俺から酒を取ったら何が残るというのか。
肉汁がぽつぽつと火元に落ち、じゅ、じゅ、と音を鳴らし始めると、マシュと変わって火を消した。
吊るした豚の肉を薄く削ぎ、アルトリアがさっと差し出してきた皿によそい、ナイフで切り分け、食べてみる。
うん、上等。呟きながら葡萄酒の瓶を呷り、旨い、と口の中で溢した。
シロウ! 物欲しそうなアルトリアにデコピンし、怯んだサーヴァントを放置する。
腹を切り分け、中から野菜に包まれた米を取り出して、それをアタランテの皿によそい、手渡す。彼女は猪が苦手らしいので、たっぷりと肉汁と香辛料の染み込んだ米と野菜を食べて貰うことにしたのだ。
恐る恐る一口食べ、旨いと囁くように言い、その仏頂面に笑みが浮かんだのを見て、俺は微笑して皆に言う。各自、勝手に肉を切って、勝手に食い始めていい、と。
アルトリアとオルタ、双方があっという間に肉を切り取り、米と野菜を取って、いただきますとお行儀よく挨拶して食べ始める。
その様から、食の好みが正反対のはずの二人が満足できているようで、俺はひとまず安心した。
ネロも美味であると笑みを溢していた。うん、いい仕事をしたと満足しておく。
暫し取り憑かれたように皆が黙って貪り続ける。ロマニが「ボクも食べたいな……」と呟いたが無視した。無理な話である。
俺はそれを見守り、少ししてから手拭いで入念に手を拭き、手と口許をべとべとにしていたマシュに近づいて、口許を拭いてやる。
「あ……」
恥ずかしそうに頬を染める。夜の焚き火に照らされていたから、その頬は橙色に染まって見えていた。
旨いか、と聞くと、マシュはこくりと小さく頷く。言葉では言い表せません、と。
「先輩と、それから皆さんと一緒に食べてると、とても胸が温かくて……」
そこまで言って、マシュは不意に、ぽろぽろと涙を流し始めた。
辛い道程だ、溜め込んでいたものもあるだろう。俺はマシュを抱き寄せ、胸の中で嗚咽を溢すマシュの背中をそっと撫でた。
時の流れはまったりとしていた。
和やかな空気だ。
やがて泣き止んだマシュは、すっきりしたような、照れたような、恥ずかしげな表情をしてありがとうございました、と頭を下げた。
気にするな、と返す。誰もが通る道だからな、と。
そう言うと、マシュは周りを見渡した。アルトリアとオルタ、ネロとアタランテ。それぞれが無言で、しかし目を逸らさずに苦笑していた。
よし、食うか! と俺も食べ始める。モツの串焼きと葡萄酒を合わせ、ひとり堪能していると、アルトリアが物欲しげに見てきたが……
「悪いな、この酒はマスター専用なんだ」
と言って断っておく。アルトリアは悔しげにしながらも、その食欲は衰えを知らず、ゆっくりと、されど確実に豚を食らっていった。
ネロにもやれない。ネロはまだ現代の酒に慣れていないので、容易に酔い潰れるのが目に見えていた。
肉を切り取り、米と野菜と一気に食べる。我ながら旨いと思えた。特にこの、かりっとした皮が堪らん。酒が進む進む。
「――なんというか」
ふと、ネロが小さな声で言った。
「シェロの料理は、胸がぽかぽかとするな」
「……そうか?」
「そうだろうとも。シロウだからな」
首をかしげた俺に、オルタがしたり顔で頷いた。
……わからん。気分的なものなら、それは受け取り手次第なので、俺には何も言えなかった。
しかし、そういえば、昔にも同じことを言われた覚えがある。確かあれは――
――と、何かを思い出そうとしていた時だった。
「ふむ。これもまた、浪漫であるか」
――聞きなれぬ、されど無視できぬ声がした。
「……っ!!」
最初に反応したのはアルトリアだった。瞬時に立ち上がり、聖剣を構え――それを、俺は目で制した。
ちらりとロマニの映るモニターに目をやると、ロマニが慌てたように言った。
『そ、そこにはなんの反応もない! そこにいるのはなんだ!? まるで幻だぞ!』
褐色の、見惚れるような偉丈夫であった。
筋骨逞しく、されど物々しくなく。雄大で、偉大な英雄の存在感。……しかし、ロマニの言う通り、酷く儚かった。
格としては彼の英雄王にも匹敵するものがある。俺はそれに内心圧倒されながらも、静かに手にしていたものを置き、冷静に誰何した。
「……何者だ?」
「私は、ローマである」
その独特な物言い。ネロをみると、土気色の顔色で呆然とその超人を見ていた。
「……神祖、ロムルスか」
「如何にも。カルデアのマスターよ。私が、ローマだ。そして――」
こちらに歩みより、どっかと腰を下ろした超人は、並んで座っていた俺とネロを見据え、はっきりと言った。
「――聖杯に取り込まれ、暴走した私が英霊としての私を切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、残滓であるこの私である」
「……」
俺は、とりあえず敵ではないとだけ理解し、酒を口に運んで、言った。
「……もう一度、分かるように言ってくれ」
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