人理を守れ、エミヤさん!
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敗将、枯れた赤薔薇
レイシフト完了直後、周囲の光景に視界の像を結ぶ前に、青と黒の影が瞬時に動いて左右にバラけ警戒する。双剣を抜き放ち、素早く辺りに目を走らせる男の傍らには、大盾を構えて防御体勢を取る少女の姿。
場所はまたしても名も知らぬ森林。やがて辺りに動くものがないことを確認すると、男が双剣を下ろすのと同じくして青と黒の騎士、盾の少女もまた警戒体勢を解除した。
(こちらアサシン。周囲十メートルから百メートルに敵影はない)
レイラインを通し、切嗣の声が脳裏に響く。問題なく念話も機能しているようだが、騎士達の反応の薄さからサーヴァントからサーヴァントには声が届かないらしい。
(引き続き警戒を頼む。これより北西に進み霊脈を確保、その後に召喚サークルを設置する)
(了解した。通信限界域を見極めるため、継続的に通信を入れる)
頼むと返すのと同じくして、切嗣は北西の方角に先行していく。
やはりリアルタイムに情報を更新できることへの安心感は大きい。後は……ダ・ヴィンチが言っていた通り、どこからでも念話が通じることを期待するしかない。
しかし所詮は理論しかないアイテムだ。慎重に性能を測らねばならない。またいざという時を想定し、あまり依存しすぎるのも宜しくないだろう。
俺はアルトリア、オルタ、マシュの顔を見て目を合わせ、しっかりと頷く。アイコンタクトをし、素早く移動を開始する。
チーム全体に周知してある行動方針は、第一に転移直後の周囲警戒、第二に危機がなければ霊脈の特定と召喚サークルの設置である。カルデアからドゥン・スタリオン号とラムレイ号を送って貰うためだ。
足を確保してから、漸く本格的に行動を開始できる。――と、ここまでが基本行動。今回は召喚サークルを設置後に、かねてよりカルデアと連結した召喚システムを起動し特定の英霊を召喚することになっていた。
クー・フーリンである。
俺の中で最強の英霊は誰かと言われたら、文句なしに英雄王だ。
しかしあれは些か特例的であり、戦力としての運用は厳しい。最強だがサーヴァントとしては論外という存在。
ヘラクレスもまた最強だが、あの大英雄は宝具からして規格外。とてもじゃないがあの常時発動型の『十二の試練』の消費魔力量を賄える気がしなかった。
ヘラクレスのマスターは、イリヤにしか無理だと今でも確信している。
そもそも両者ともに触媒がない。確実な召喚が出来ない以上、選択肢にも入らないのだ。その点クー・フーリンの場合、本人の髪の毛というこれ以上ない触媒がある。
しかもその戦闘能力は、冬木という知名度皆無の土地であるにも関わらず狂戦士のヘラクレスに対する勝機を有し、ギルガメッシュという人類史の特異点そのものである最上級の英雄を相手に半日も戦闘し、少なくない消耗を強いた戦士として最高格の物だ。
戦士としてのキャリアはケルト神話最強の名に恥じず、また腕っぷしだけでなく教養も一流。そして人柄は知っての通りとても頼りになる兄貴肌。聖杯戦争の開催地が、知名度の高いアイルランドであったなら、アーサー王以上の霊格を有し理性のあるヘラクレスとも互角に戦えるだろう。
経験豊富にして百戦錬磨。戦場を選ばない実力、知性、人柄、宝具、燃費と五拍子も揃った大英雄。――告白するとだ。あの魔槍に宿った記憶と経験を解析、知識として蓄積している身としては、ぶっちゃけた話アーサー王が一人では確実に敗北し、アーサー王と同格の英雄が二人がかりでも仕留めきれず、三人でかかればあっさり離脱されるだろう、というのが俺の所感だった。
ずばり俺にとっての最強はクー・フーリンである。
アルトリアやオルタには絶対に言えないな、と思った。正直、アルトリアとオルタは望外の存在だった。ぶっちゃけ来てくれて大いに助かったわけだが、当初の考えではいないものとして作戦を練っていたわけだ。本命は今も変わらずクー・フーリンである。
そして、彼の召喚のために俺はこのブリタニアを転移地点に指定したのだ。
ブリタニア。それはグレートブリテン島の古い呼び名である。そしてグレートブリテン島には、アイルランドが含まれていた。つまりクー・フーリンのホームである。しかもご丁寧に時代は一世紀。流石に本人は死んでいるだろうが知名度はそれはもう色濃く残っているだろう。最新の伝説として、だ。
そして一度全盛期の状態で召喚してしまえばこちらのもの。カルデアの霊基一覧に完全体クー・フーリンが登録され、他の時代や国に移動しても実力が衰えることはない。
これはもう勝ったな、と慢心しても許されるレベルだった。
――それが大きな間違いだと気づかされたのは、すぐだった。
(士郎。緊急事態だ。森を出て開けた場所に出るのにあと百メートル。森から出たらすぐに南東の方角を見ろ。大至急だ)
「……?」
切嗣の機械的な、しかし緊急性を感じさせる報告に眉を顰める。
南東、ちょうど進行方向の真逆。いったい何があったというのか。俺は嫌な予感に冷や汗を流し始めている自分に気づく。
……嫌な感じだ。まるで、腑海林の領域に侵入した時のようだ。正直死ぬかと思ったあの時の記憶が甦る時点で、俺の危機感は最高潮に達している。
――今ここに「殺人貴」はいない。あの時のような奇跡はもう起きない。
自然、早足となった俺に、アルトリアらは追随しながら不審げに訊ねてきた。
「どうかしたのですか、シロウ」
あと少しでわかる、と短く応じる。その様子に、確かな危機感を感じた彼女達も気を引き締める。
あと十メートルで森から出る。足が重くなる。
あと八メートル。歩行が遅くなる。
あと、一メートル。立ち止まって、深呼吸する。
森から出た。日差しが俺達を照らし出す。嫌に熱いが季節は夏なのだろうか。
俺は更に進み、額から脂汗が溢れてくるのを手の甲で拭う。
ゆっくりと、振り返った。
――そして俺は、この特異点での戦いが、決して一筋縄でいくものではないと確信した。させられた。
「……召喚サークルの設置を確認しました。先輩、いつでも英霊召喚は可能です」
固い声で、マシュが報告してきた。
俺はそれに頷く。召喚サークルが置かれ、カルデアと繋がると、すぐさまドゥン・スタリオン号とラムレイ二号が送られてくる。
そして、ロマニの声が届けられた。
『やあ、今のところは順調みたいで何よりだ。何か変わりはないかな?』
「……」
『……何かあったみたいだね。どうしたんだい?』
「……ロマニ。南東、ローマ帝国の首都がある方角をモニターしろ。それで分かる」
『? 南東だね、わかっ……?! な、なんだこれは……!?』
驚愕に引き攣った声を上げるロマニに、俺は深く溜め息を吐きながら応じた。
「見た通りだ。……紅い大樹が、ローマ帝国の国土、その大半を覆い尽くしている」
目に見える異常。第一特異点とは比較にならない明確な、特大規模の特異な光景。
地形変動どころの騒ぎではない。国土侵食とでも言うべき、歴史の根幹から崩壊する変化だった。
俺の言葉に、向こう側では絶句して言葉もない。
「正確な大きさが知りたい。ロマニ、呆けてないで頭と手を動かせ!」
一喝すると、ロマニは我に返ったようだ。慌てて手元の装置を弄り、データを取り始める。
『なんだこれは……信じられない! 士郎くんの目測は正しい、その大樹はローマ帝国を呑み込んでいる。そして今も拡大を続けている! 君たちのいる方に向けてだ!』
「……」
『しかも……これはただ事じゃないぞ!? この反応は宝具だ、その大樹からは宝具の反応がある!!』
「……、なるほど。やはりあれはサーヴァントの仕業で、あんな出鱈目が成されているということは……」
『ああ、聖杯だ、こんなこと、聖杯でもない限り絶対にあり得ない! しかもなんだ、この反応は明らかに暴走――』
「ロマニ? ……ロマニ! 応答しろ、ロマニ!」
唐突に通信が途絶える。
俺は何度か呼び掛けるが、返答はない。やがてカルデアとの通信が完全に途絶えていることを悟ると、俺は一瞬瞑目し、不安げに瞳を揺らすマシュを。凛然と背筋を伸ばすアルトリアを。露ほどの動揺もないオルタを見渡す。
「……聞いての通りだ。事態はどうやら予断を許さないらしい。あんまりのんびりとはしていられないぞ」
「もとより速攻こそが本分でしょう。むしろ除くべき異常が明確なことを喜ぶべきだ」
不遜なオルタの物言いに、俺は少し緊張が緩まる。
なるほど、物は言いようだなと頷いた。
確かに聖杯を探し、歴史を修正するために東西南北を駆けずり回るよりはいいかもしれない。
発覚した問題が手に負えるかどうかは別として。
「……」
暫し沈黙し、俺は首を左右に振った。どうするべきか一通り考えたものの妙案と呼べる閃きはなかった。
聖剣であの大樹を焼き払いながら進むのもいいが、その場合、俺の魔力の方が先に尽きる。他の手段はなにもない。なにせ、相手がシンプルに過ぎるのだ。
単純に、規格外の質量を拡大させ続けている。それだけだ。それだけだから取れる方策が限られてしまっている。
……ダメだな、まるで思い付かん。
俺は一旦思考を破棄し、脳裏に描いていた策の全てを白紙に戻す。
「……とにかく、さっさとクー・フーリンを召喚しよう。話はそれからだ」
マシュの盾に呼符と触媒をセットする。後はシステムを作動させるだけだが……そこで、またしても待ったがかかった。
(少しいいか)
それは切嗣だった。今度はなんだ、とうんざりしかけた俺に、彼はまたしてこの特異点での大殊勲を挙げたことを報せてくれた。
その報せは、特異点修復のために欠かせないピース。
計らずも手に入った最初で最後の希望だった。
(ネロ帝を保護した。こちらを見るなり短剣で喉を突き自害しようとしたから無力化し、意識を奪ってある。指示を仰ぎたい)
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