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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第六十二話 蛟竜

帝国暦 486年 6月25日    オーディン オフレッサー元帥府     オフレッサー



目の前に銀河星系図が有る。帝国、イゼルローン回廊、要塞、反乱軍、フェザーン……。早期に勝利を求めるか……、反乱軍が要塞に攻め寄せて来るなら難しい事ではなかろう。イゼルローン要塞に籠って防衛戦を展開すれば良い。だがそうでなければ敵を求めて反乱軍の勢力範囲に踏み込んで戦わねばなるまい。敵を引き摺り出して戦う。

ミューゼル中将の艦隊が三万隻、新規編成したイゼルローン要塞駐留艦隊が一万五千隻、そして今編成中の艦隊が二個艦隊三万隻……。イゼルローン方面に集められる兵力は合計七万五千隻か……。

反乱軍はどの程度の兵力を動かすか……。前回の戦いでは十万隻を動かした、向こうはそれほど大きな損害を受けていない。となれば同数、或いはそれ以上という事も有り得るだろう。

それに対してこちらは最低でも二個艦隊、三万隻はイゼルローン要塞に張り付ける必要が有ると統帥本部は警告している。一個艦隊、一万五千隻では敵が前回と同じ作戦を取る可能性がある、場合によっては本気でイゼルローン要塞を攻略する可能性も有ると……。

厄介な事だ、これまでとは状況が違う。これまではどれほど兵力的に不利だろうとイゼルローン要塞の堅固さを信じて兵は戦った。だが今なら圧倒的に不利な状況で要塞攻防戦を行えば、要塞内で反乱軍に通じる者が出る可能性も有るだろう。統帥本部の警告を無視はできない。

三万隻をイゼルローン要塞に残すとなれば侵攻用の兵力は四万五千隻、反乱軍の動員兵力の半分以下という事になる。何より今は帝国軍将兵の士気は嫌になるほど低い、帝国で最精鋭と言えばミューゼルの率いる三万隻の艦隊だろうが、その部隊でさえ士気の維持には苦労している。

この状況で二倍の反乱軍と戦うなどと知ったら逃亡兵が続出するだろう、特に相手がヴァレンシュタインともなればなおさらだ。反乱軍と戦う前に艦隊は融けかねない、銀河帝国史上、いや人類史上でも前代未聞の珍事だろう……。

勝算を高くするには兵力は集中して使う必要が有る。となれば敵をイゼルローン回廊内に引き摺り込むしかない。引き摺り込んで要塞攻防戦に持ち込む……。ある程度の兵力を擁しての要塞攻防戦なら兵も安心するだろう、士気を上げる事は難しくないはずだ。

駄目だな、敵がそれに乗ると言う保証は何処にも無い。そんな馬鹿が相手ならあのような大敗などしない。お手上げだ……、どうにも勝算が立たない。兵力、練度、士気、いずれも反乱軍の方が勝っている。おまけに敵は兵力を集中しやすく、こちらは兵力を集中し辛いという状況に有る。唯一互角と思えるのは指揮官だけか……。

イゼルローン要塞が足枷になっている。要塞を守るために兵力を割かなければならない。だがこの状況では兵力の分散、遊兵化でしかない。思わず溜息が出た、出兵を決めて以来、この事を何度も考えている。そして結論は出ない、出ないからまた考える。同じ事の繰り返しだ。

「殺しておくべきだったか……。馬鹿な、何を考えている」
またこの言葉を呟いてしまった。前回の敗戦から何度も考えてしまう。殺しておけばあの敗戦は無かったと。誇りと矜持、そのためにあの男を反乱軍の元に帰した。あれは間違っていたのか……。だが俺にあの男を殺せただろうか? 殺せば俺は俺ではなくなっていただろう。

このオーディンでもあの男を帰したことを非難する人間が居る。無理もない、あの男一人に帝国は滅茶苦茶にされているのだ。帝国は舵を失った船のように右往左往している。非難が出なければその方がおかしい……。また溜息が出た。

澄んだ目の男だった、緊張も怯えもなく自然だった。何処かで自分の命を見切っているようにも見えた。誰かのために命を投げ出すことが出来る男だった、そしてあの男のために命を投げ出す人間が居た。手強い相手だとは分かっていた、危険な男だと言うのも分かっていた。だがまさかここまで酷くなろうとは……。

考えるな、考えても仕方がない事だ。起きてしまったことを後悔しても何にもならん。死んだ者は生き返らん、生きている人間の事を考えろ。ミューゼルは良くやっている。反乱軍と戦うにはあの男の力が必要だ。出来るだけ後ろ盾になってやらねばならん。

あの男を殺さねばならない、その事がこれからの俺の責務になるだろう。宇宙艦隊司令長官……、そのための地位も権限も得た。そして頼りになる部下もいる。どうやら俺の死に場所は地上ではなく宇宙空間で艦の中になりそうだ。おそらくトマホークを振るうことなく死ぬことになるだろう、それもまた運命か……。



宇宙暦 795年 6月 26日  ハイネセン  ユリアン・ミンツ



「准将、良いんですか?」
「たまには外で食べるのも良いさ。ユリアンにはいつも食事の用意をさせてるからね。今日は家事から解放してあげるよ」
「はあ」

眼の前にあるレストラン、三月兎亭はハイネセンでも美味しい事で有名なレストランのはず。当然だけど値段もそれなりに高いと思う。ヤン准将は若いけどお給料は多くもらっているはずだから大丈夫だろうけど良いのかな、こんな贅沢して……。

ヤン准将は僕の心配なんか気にする様子もなくレストランの中に入っていく。後を付いて行くと威厳と体格、美髯に恵まれた老ウェイターが出てきた。
「二名様でいらっしゃいますね、申し訳ありませんがただ今満席でしてしばらくお待ちいただくことになりますが……」
「どのくらいかな」
「二時間程度はお待ちいただくかと」

どうやら准将は予約を入れていなかったらしい。
「平日だから大丈夫かと思ったんだが」
「申し訳ありません」

准将が頭を掻いている。困ったときの准将の癖だ。僕の方を見ると僅かに肩を竦めた。
「仕方ないね、他を当たろうか」

「ヤン准将」
帰りかけた僕達を止めたのは女の人の声だった。振り返ると赤いドレスを着た若い女性が微笑んでいた。准将の知り合いかな? でも准将も驚いた表情で女性を見ている……。

「ミハマ少佐……」
「よろしければ御一緒に……、ヴァレンシュタイン准将もそう言っています」
「ヴァレンシュタイン准将が……」

ヤン准将が困ったような表情で店内に視線を向け、誰かを探すようにして一点で止まった。薄暗い照明の下で全てのテーブルにはキャンドルが灯されている。僕もヤン准将と同じ方向に視線を向けると奥のテーブルから若い男性がこちらを見ていた。ヴァレンシュタイン准将だ、何度かTVで見たことが有る。

「いや、しかし、御邪魔だろう」
「そんな事は有りません。さあ、遠慮なさらずに」
ヤン准将が困ったような表情で僕を見た。ミハマ少佐はドレスアップしている。とっても綺麗だ。もしかするとヴァレンシュタイン准将とデートなのかもしれない。ヤン准将もそう思っているんだと思う。

困ったな、邪魔しちゃ悪いだろうけどヴァレンシュタイン准将にも会いたい。それにヤン准将、ヴァレンシュタイン准将と一緒に食事なんて夢みたいだ。もじもじしているとヴァレンシュタイン准将が席を立ってこちらに歩いて来た。小柄で華奢な姿は軍人には見えない。准将は黒のフォーマルを着ている。やっぱりデートだったのかな、邪魔しちゃった?

「ヤン准将、遠慮なさらずに」
「しかし、迷惑では……」
「そんな事は有りません、さあ」
ヴァレンシュタイン准将は優しく微笑みながら僕達を誘ってくれた。ヤン准将は困ったようだったけど最後には頷いて“では御好意に甘えようか”と言ってテーブルに向かった。

テーブルには手編みのクロスが掛かっていてキャンドルが置いてあった。薄暗い照明の下でキャンドルの火が灯っていると何とも言えず幻想的な感じがする。同盟でも最も高名な軍人二人と一緒に居るんだという事が余計にそんな気持ちにさせた。席に着くと直ぐにヴァレンシュタイン准将が話しかけてきた。

「君がユリアン君だね、フライング・ボールのジュニア級で活躍していると聞いている。年間得点王は取れそうかな?」
「このままいけば取れるんじゃないかと思います」
驚いた、ヴァレンシュタイン准将は僕の事を知っている。絶対に年間得点王にならなきゃ。

「そうなのか、ユリアン」
「御存じなかったのですか、ヤン准将。ユリアン君はこの都市ではちょっとした有名人ですよ」
ミハマ少佐がちょっとヤン准将を冷やかすとヴァレンシュタイン准将がクスクスと笑いだし、ヤン准将が面目なさげに頭を掻いた。

老ウェイターが注文を取りに来た。僕とヤン准将は肉をメインに、ヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐は魚をメインのコースを頼んだ。飲み物は二杯の七百六十年産の赤ワインと二杯のジンジャーエール。

「ユリアン君が年間得点王を取れる事を祈って、その時にはまたこうして集まってお祝いしましょう」
「はい、有難うございます」
ヴァレンシュタイン准将がジンジャーエールのグラスを掲げて言葉をかけてくれた。皆が軽くグラスを掲げて僕に言葉をかけてくれた。“頑張ってね”、“頑張れよ”、……絶対に年間得点王になる、もう一度誓った。

「ところで今日は何か御祝い事でも有ったのですか?」
そうヤン准将がヴァレンシュタイン准将に問いかけたのは何皿目かの料理が運ばれた時だった。デートだと思うんだけど准将はそうは思わなかったのかな、でもさっき躊躇っていたけどあれは何でだろう? 邪魔しちゃ悪いと思ったんじゃないの。

僕の疑問を他所にヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐は顔を見合わせ微かに苦笑を漏らした。ほらね、准将も鈍い。
「御目出度い事が有ったのです、それで御祝いを」
「喜んでいるのは少佐だけです、私にはとてもそうは思えない」
「そんな事は有りません。御目出度い事です」

ヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐が話している。准将は半ばぼやくように、少佐は宥めるような口調だ。デートじゃないみたいだ、ヤン准将が正しいの?

「御目出度い事ですか、何かな」
ヤン准将が重ねて問いかけるとヴァレンシュタイン准将が困ったような表情を見せた。
「まだ内定ですが今度中将に昇進する事になりました。私だけじゃありませんよ、ヤン准将とワイドボーン准将もそうです」

眼が点になった。二回、ヤン准将とヴァレンシュタイン准将を交互に見てしまった。ヤン准将も唖然としている。
「私達三人は昇進とともに司令部参謀から艦隊司令官に転出することになります。ミハマ少佐、いやもうすぐミハマ中佐ですが彼女は目出度い事だと言っているんです」
またびっくりだ、ヤン准将が中将になって艦隊司令官? 凄いや!

「よろしいんですか、そんな事を言って。まだ極秘では?」
ヤン准将が周囲を憚るように声を潜めた。僕も慌てて周囲を見た。大丈夫、誰も気付いていないみたいだ。

「明日にも内示が出るそうです。そうなれば同盟中に広まるでしょうね」
何処か他人事みたいな口調だった。ヴァレンシュタイン准将は不満なのかな、昇進だし、出世だと思うのだけれど。

前回の戦いでヤン准将、ヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将が作戦立案、実行において大活躍したことは知っている。二階級昇進するんじゃないか、そんな事を言う人もいるけどまさか本当にそうなるなんて……。

「しかし、貴官は司令部に居た方が良いのでは。前線指揮官よりも参謀としてシトレ元帥の補佐の方が合っているように思うが」
ヤン准将が困惑したような声を出すとヴァレンシュタイン准将が首を横に振った。

「面白くないのでしょうね、二十歳そこそこの若造に指示されるのが……。結構反発が有るようです。それを抑えるためにも……」
「前線で苦労をして来いと……」
「私だけじゃありません、ヤン准将、ワイドボーン准将もです」

「……しかし貴官はヴァンフリートでもイゼルローン要塞でも最前線で戦った。その事は誰もが知っている」
そうだ、ヤン准将の言うとおりだ。ヴァレンシュタイン准将がフォーク中佐などとは違い最前線で戦う事を厭わない軍人だという事は皆が知っている。

「艦隊を指揮したこともない人間が艦隊司令官の人事に口を出している。国防委員長の元には結構苦情が出ているようです。委員長はそれを逆手に取った、司令部から外し二階級昇進させて艦隊司令官にした。シトレ元帥の要請も有ったようです」
「……トリューニヒト国防委員長ですか」

ヤン准将の口調が渋くなった。准将はトリューニヒト委員長が嫌いだ。委員長がTVに映ると直ぐにチャンネルを変えてしまうくらい嫌っている。
「ヤン准将は国防委員長が嫌いですか」
「嫌いですね、あの男の下品な扇動演説を聞くとうんざりする。シトレ元帥もいつか後悔しなければ良いが」

露骨に顔を顰めたヤン准将を見てヴァレンシュタイン准将が笑った。
「本人と話したことは無いのでしょう」
「もちろん」
「政治家なんて外見と中身は違いますよ」
そう言うとヴァレンシュタイン准将はもう一度笑った。ヤン准将はますます顔を顰めている。

「ヴァレンシュタイン准将はトリューニヒト委員長と親しいのですか」
「親しくは有りませんね。ただヤン准将よりは知っています。なかなか他人を利用することが上手だ。今回も上手くしてやられました。私が艦隊司令官とは……」

「軍も政府も准将を高く評価しているんです。艦隊司令官になるのは准将の本意ではないかもしれませんがもう少し喜んではと申し上げています。せめて今日だけでも……」
ミハマ少佐はヴァレンシュタイン准将を宥めるように話している。そして准将がまた苦笑を漏らした。

「私にはそうは思えません……、理由はお分かりでしょう。ミューゼル中将と直接戦う事になる」
ヴァレンシュタイン准将の言葉にヤン准将もミハマ少佐も黙り込んでしまった。ミューゼル中将? 確か帝国軍の指揮官だったはず、有能だって言われているけど……。

「あの、ミューゼル中将というのはそれほど強い指揮官なのですか?」
「ユリアン」
僕の質問にヤン准将が少し強い声を出した。訊いちゃいけなかった? でもヴァレンシュタイン准将は僕を見ると僅かに微笑んでくれた。

「彼が戦場で敗北するところを私は想定することが出来ません。それほどの名将です。そして彼の周りには彼を助ける有能な人間が集まりつつある。徐々に彼は力を蓄えつつある」
思わず、音を立てて唾を飲んでしまった。英雄とまで言われるヴァレンシュタイン准将がそこまで言うなんて信じられない!

「でも今は同盟が圧倒的に優勢でしょう。軍事的なダメージだけじゃない、貴官の謀略により政治的にも帝国は混乱している。それにフリードリヒ四世が亡くなった……」
ヤン准将が説得するような口調でヴァレンシュタイン准将に話しかけている。ミハマ少佐は黙って聞いているけど少し表情は暗い感じだ。ヤン准将に同意していない?

「帝国がどうなるか、はっきりと予測できる人間は居ないでしょう。余りにも不確定要素が多すぎるし、判断材料が少なすぎる。……混乱しているからこそ混乱を収める人間が必要とされる。場合によっては蛟竜雲雨を得れば、終に池中の物に非ざるなり、そんな事になるかもしれない……」
溜息交じりの口調だった。“蛟竜雲雨を得れば”と言うのは良く分からなかったけど多分ミューゼル中将の事だと思う。

その後、ほとんど会話が無いままに食事は終わって散会した。
“蛟竜雲雨を得れば、終に池中の物に非ざるなり”
ヤン准将に聞いたら人類が地球を唯一の住処としていたころのことわざだった。小さな水たまりにいる蛟や竜は、雲や雨水を得ると天に上り強大な力を発揮する。それと同様に英雄が好機をつかんで力を発揮する事を言うらしい。ヴァレンシュタイン准将はミューゼル中将を時期を得ていない英雄だと思っているみたいだ。

家に帰る途中、ヤン准将が星を見て呟くのが聞こえた。
「彼だけに背負わせるわけにはいかないか……。確かにその通りだ、ワイドボーン。ヴァンフリートの一時間から目をそらすことはできない……」






 
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