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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第六十一話 密謀

宇宙暦 795年 6月 17日  ハイネセン ミハマ・サアヤ



五月十七日、皇帝フリードリヒ四世が亡くなりました。帝国がそれを公式に認め発表したのは十八日ですが、そのニュースはその日のうちにオーディンからフェザーン、フェザーンからハイネセンへと伝わり最後に宇宙艦隊総旗艦ヘクトルに伝えられました。

そのニュースに接した時、総旗艦ヘクトルは一種異様な沈黙に包まれました。ヴァレンシュタイン准将が帝国軍に言い放った言葉“悪夢の中でのたうつと良い”、皆それを思い出したのだと思います。そしてフリードリヒ四世はヴァレンシュタイン准将に呪い殺されたのではないかと思った……。

非科学的な話です。現実にそんな事は有り得ません。そう思いますがそれでも思ってしまうのです、フリードリヒ四世は呪い殺されたのではないかと。そう思わせるほどヴァレンシュタイン准将とミューゼル中将達の会話は准将が圧倒しました。言葉だけで相手を身動きできなくする、言葉そのものにまるで力が有るかのように……。

あの会話が始まった時、多くの将兵が何故イゼルローン要塞を攻めないのか、何故ミューゼル中将の艦隊を攻めないのか、そう思ったはずです。余りにも同盟が有利な状況だったのです。攻めないことを皆不満に思ったでしょう。

ですが会話が終わるころには総旗艦ヘクトルの艦橋は皆が凍りついていました。准将は敵だけでなく味方さえも震え上がらせたのです。あの時、准将は間違いなくあの場を絶対的な力で支配していました。それは人の力ではない何か別のもの、魔力としか言いようの無いものだと思います。

ヴァレンシュタイン准将はフリードリヒ四世の死を知っても少しも驚く様子を見せません。僅かに小首をかしげるだけでその後は無言でした。そして艦橋を離れサロンで一人何かを考えていたのが印象に残っています。

何度か話しかけようかと思いましたが、その度に邪魔をするべきではないと思いとどまりました。後継者がエルウィン・ヨーゼフに決まったと分かった時も同じです。一人で何かを考え、そして時々薄く微笑を浮かべています。或いは嘲笑だったのかも……。

首都星ハイネセンは今回の戦いの結果を知ると嵐のような歓喜に包まれたそうです。先日の不名誉な第六次イゼルローン要塞攻略戦の結末は忘れられ今回の第七次イゼルローン要塞攻略戦の戦果にハイネセンは、いえ同盟そのものが勝利に酔ったように喜びを爆発させたと母が言っていました。

艦艇六万五千隻、兵員七百万人を捕殺。ヴァンフリート星域の会戦の倍の戦果です。しかも完璧なまでの包囲殲滅戦……、同盟市民が興奮するのも無理はありません。“ダゴン殲滅戦を超える戦果”とマスコミは騒ぎましたし続けてもたらされた皇帝フリードリヒ四世の死にも“わが軍の放った一弾は皇帝の心臓を撃ちぬいた”とセンセーショナルに書き立てたそうです。

もちろん賞賛だけではありません。イゼルローン要塞を何故攻略しなかったのか? 新たに援軍に来た三万隻の艦隊を何故殲滅しなかったのか、当然ですが非難が出ました。完勝出来るのにその機会を逃がしてしまったと……。

そんな非難を抑えたのがトリューニヒト国防委員長でした。
「今回の戦争の目的は遠征軍の殲滅とイゼルローン要塞駐留艦隊の殲滅であり、シトレ元帥率いる宇宙艦隊はその作戦目的を完璧なまでに達成した。作戦目的以外の事で詳細な事情も知らずに非難することは不当である」

このトリューニヒト委員長の発言は多くの人に驚きを持って迎えられたそうです。委員長とシトレ元帥が協力体制を取っている事は皆が知っていますが、今回の大勝利で委員長がシトレ元帥に嫉妬するのではないか、協力体制が崩れるのではないかと思ったのでしょう。

トリューニヒト委員長はシトレ元帥との協力体制を維持することを選びました。シトレ元帥の軍事的成功を背景に自らの政治家としての影響力を拡大する。そしていずれは最高評議会議長へ……、それが委員長の青写真なのだとマスコミは報じています。そして予想以上にトリューニヒト・シトレの協力体制は強固だと……。

宇宙艦隊への非難もすぐに収まりました。イゼルローン要塞を攻略しなかったのも、敵艦隊を攻撃しなかったのも彼らを利用して帝国内部を混乱させようというヴァレンシュタイン准将の謀略だと理解したからです。

そしてカストロプ公の事は皆が驚きました。あの会談は同盟全土に流れたそうですが、ヴァレンシュタイン准将の言葉の前に蒼白になるミューゼル中将を始めとする帝国軍士官達が映っています。あれを見れば謀略ではありましたが事実の公表でもあると皆が理解しました。事実であればこそ効果は大きいと思います。

これまでヴァレンシュタイン准将は自分の両親の死に関して貴族の相続争いに巻き込まれたとは言っていましたが、帝国の為政者達によって用意された道具に殺されたなどとは一言も言っていませんでした。改めて帝国の統治の酷さが同盟軍、そして帝国軍将兵の前で明らかになったのです。多くの帝国人は自分達が何のために戦うのか、疑問に思うでしょう。おそらく帝国はこれから混乱するはずです。

六月十二日、首都星ハイネセンは帰還した宇宙艦隊を嵐のような歓喜の声で迎えてくれました。同盟市民は口々にシトレ元帥、ビュコック提督を初めとして各艦隊司令官、そしてヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将の名を讃えました。戦闘詳報はヴァレンシュタイン准将が作ったのですが、そこではヤン准将がシトレ元帥に対して的確な助言を行ったことになっています。

どうして、そのような事実とは違う事を記載するのか……。ヴァレンシュタイン准将に問いかけると准将は溜息交じりにこう言いました。“出世させて責任を持つ立場にしないとヤン准将は何時までも仕事をしませんからね”

ヤン准将は戦闘詳報の内容に不満そうでした。シトレ元帥が戦闘詳報を承認するのを苦虫を潰したような表情で見ていたのです。ヴァレンシュタイン准将はヤン准将の表情に気付いていたはずですが素知らぬふりでした。ワイドボーン准将も同じです。

どうやら出世させて責任を持つ立場にしないとヤン准将は何時までも仕事をしない、と言うのはヴァレンシュタイン准将だけではなくシトレ元帥、ワイドボーン准将も同意見のようです。

言わせてもらえば私も同感です。どう見ても今回の戦争ではヤン准将にはヤル気が感じられませんでした。能力は素晴らしいものが有るのですから否応なくその能力を使わざるを得ないようにする。ヴァレンシュタイン准将にとっては自分だって否応なく帝国との戦争に放り込まれたのだからヤン准将だって……、そんな気持ちが有るのかもしれません……。



宇宙暦 795年 6月 20日  ハイネセン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「君がヴァレンシュタイン准将か、話はこの二人から聞いている。若いがなかなかの人物だとね」
目の前に座った男は飄々とした感じで話しながら横に座っている二人に視線を向けた。彼の視線の先には愛想の良い笑顔を浮かべた男と渋い表情をした男がいる。

ヨブ・トリューニヒト、ジョアン・レベロ、ホアン・ルイ、そして反対側に座っている俺の隣にはシドニー・シトレ……。この四人が俺の協力者という事になるのだろうが、まあ何と言うか一癖も二癖も有る連中だ。プライベートで仲良くしたい連中じゃない。

しかし問題はそこではない。問題は此処にサンドイッチが無い事だ。何故だ? 前回同様シトレに拉致同然に連れ出された。連れて行かれた場所も同じだ。時間帯もほとんど同じ……。それなのにサンドイッチが無い! 俺の楽しみを何処にやった!

代わりに置いてあるのがピザだ。ピザが二枚置いてある。こいつらは客のもてなし方を知らん。ピザなんぞ冷めたら美味くないだろうが、それとも冷める前に話しが終わるという保証が有るのか? おまけに飲み物はコーヒーと水か……。ピザには合うのかもしれんが俺はコーヒーは嫌いだ。それに比べればサンドイッチは……。

「今回の作戦は完璧すぎるほどに上手く行った。人事面でモートン中将、カールセン中将を抜擢したことに不満を漏らした人間も大人しくなるだろう」
仕方がない、ピザを食べるか。二つのピザの内一つはツナ、もう一つはミートソースが主体のナスのピザだ、先ずはツナを一切れ……。

うむ、マヨネーズが、ベーコンが美味い! それとコーンだな、やっぱりツナとコーンはマヨネーズが合う。問題は、手が油でべとべとする事だ、だからピザは嫌なんだ。でも美味いんだな、冷める前に食べよう!

「もっともあまりに完勝すぎて何故イゼルローン要塞を攻略しないのかと不満が出たのには参ったがね」
トリューニヒトが俺を見て軽く苦笑を漏らす。文句あんのかよ、要塞は攻めない、そう決めただろ。俺がむっとするとトリューニヒトは直ぐに顔を引き締めた。

「イゼルローン要塞を攻略して帝国領へ攻め込む千載一遇のチャンスだと、そのチャンスを失ったと何人もの人間が不満を言ってきた。実際にイゼルローン要塞を攻略していれば専守防衛どころか大規模な出兵案が出ていたかもしれない。危ない所だった……」
トリューニヒトが溜息を吐いた。

「イゼルローン要塞はビンの蓋だ。あれが有るから帝国領出兵などという馬鹿げた案は抑えられているが、蓋が無くなればあっという間に出兵論は壜から吹き出す、気が付けばビンは空になっているだろう」
今度はレベロが首を振っている。

「まあ連中も君が帝国に毒を流し込んだと分かってからは大人しくなったがね。それにしても随分ときつい毒を流し込んだものだ」
「毒かもしれませんが真実でもあります」
だからこそ効き目が有る。トリューニヒト、お前さんに皮肉られても痛くも痒くもないな。嬉しそうな顔をしても無駄だ。

「知らないほうが幸せだと言う真実も有る、違うかね」
「だから一生盲目の奴隷で居ろと……。民主共和政を信奉する政治家の言葉とは思えませんね。専制君主の有能な忠臣の言葉ですよ、それは。第二のリヒテンラーデ侯です」
俺の皮肉にトリューニヒトは苦笑を漏らした。他の三人も苦笑している。ピザが美味いぜ。

原作では出兵案が出ている。その所為で同盟は亡国への道を歩き始めた。イゼルローン要塞は同盟にとっては鬼門と言って良いだろう。それがようやくこの連中にも実感できたらしい。結構な事だ。

少しの間沈黙が有った。皆が難しそうな表情をしている。流石に俺もピザを食べるのは控えた。誰か沈黙を破れよ、ピザが冷めるぞ!

「さて、ヴァレンシュタイン准将、以前君が言っていた不確定要因、フリードリヒ四世が死んだ。世間では君が呪い殺したと言っているようだが、この後君は帝国はどうなると見ている?」

嬉しそうに聞こえたのは俺の耳がおかしい所為かな、トリューニヒト君? 君の笑顔を見るとおかしいのは君の根性のように思えるんだがね、このロクデナシが! 何が呪い殺しただ、俺は右手に水晶、左手に骸骨を持った未開部族の呪術師か? お前を呪い殺してやりたくなってきたぞ、トリューニヒト。 俺は腹立ちまぎれにミートソースのピザを一口食べて、水を飲んだ。少し塩辛い感じがする。釣られたのか、他の四人も思い思いにピザを手に取った。

「帝国は混乱するでしょうね」
俺の言葉にトリューニヒト、レベロ、ホアン、シトレが顔を見合わせた。ピザを食べながら微かに目で何かを話し合っている。こいつら、既にある程度話し合っているな。これが最初と言う訳じゃない。

「先ず現状を確認しましょう。本来ならエリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイムのどちらかが女帝になるはずでした。その過程で帝国内で内乱が起きる可能性が有った……」

「そうなれば良かったんだがな。しかしエルウィン・ヨーゼフ二世が即位した。内乱は回避された……」
レベロが探りを入れるように呟いた。口の周りが油でギトギトしている。レベロ、髭にミートソースが着いているぞ、ナプキンで拭えよ。

「エルウィン・ヨーゼフ二世が即位した、いや即位できた……、考えられる可能性は二つです。一つはブラウンシュバイク、リッテンハイム両家に匹敵する有力者が後見に付いた。或いはブラウンシュバイク、リッテンハイム両家が皇位を望まなかったか……」
俺の言葉に四人がそれぞれの表情で頷いた。

「今回の場合はどちらか……。まず、有力者が後見に付いたと仮定した場合ですがエルウィン・ヨーゼフ二世の後見についているのはリヒテンラーデ侯だと思われます」
「待て、それ以外の有力貴族が後見についている可能性は無いか」

「有りませんね、レベロ委員長。もしそうならリヒテンラーデ侯は既に失脚していますよ。後見に付いた有力貴族はそうすることで国内の不満を多少なりとも抑えようとするでしょう」
レベロが唸り声を上げた。

おそらくそれに反対する貴族は居ないはずだ。そして国内の不満が収まったと見ればブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は皇位を望むだろう。つまりエルウィン・ヨーゼフの後見に付くにはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回せるだけの力が要る。とてもじゃないがそんな貴族はいない。

今時点で両者がリヒテンラーデ侯を粛清しないのは何故か? 考えられる理由は一つだ、リヒテンラーデ侯を粛清するだけで国内の不満が収まるかどうか確信が持てない、それだろう。

つまり帝国内部はかなり不安定な状況に有ると見て良い。そしてリヒテンラーデ侯を粛清すれば次に矢面に立つのは粛清した人間になる。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の両者はリヒテンラーデ侯粛清後の帝国の舵取りに自信が持てずにいる……。

不満を抑える方法は有るのだ、国内の政治改革を行えばよい。平民の権利を拡大し貴族達の権利を抑制する。だがそれをやれば貴族達の反発は必至だろう、やらなければ平民達の不満が少しずつ臨界点に近づいていく。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も身動きが取れずにいる……。

だがそれも今だけだ。どう動くかは別としていずれは彼らは動かざるを得なくなる。そしてその時がリヒテンラーデ侯の最後だろう。今度はリヒテンラーデ侯が帝国を守るための犠牲になるという事だ。因果応報だな、リヒテンラーデ侯。もっとも本人はある程度覚悟の上だろう。

「ではリヒテンラーデ侯は軍と手を組んだという事かな? 君は以前、それならブラウンシュバイク、リッテンハイムを抑えることも可能だと言っていた」
レベロ……。こいつは財政家としては有能なのかもしれないが、この手のパワーゲームについてはセンスゼロだな。道理で原作じゃ酷い事になったはずだ。

「それも有りません、カストロプの一件で軍は一千万以上の戦死者を出しているんです。おまけにミュッケンベルガー元帥は責任を取って退役、クラーゼン元帥は戦死です。この状況でリヒテンラーデ侯に協力できると思いますか? 無理ですよ。何より帝国の宇宙艦隊は精鋭部隊を失っています。今現在、軍がブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回してまでリヒテンラーデ侯に協力するとは思えません」

「軍が優先するのは宇宙艦隊の再建だろう。この上戦力を磨り潰すような事はしたがらない筈だ」
シトレが低い声で俺の考えを支持した。もっともピザを食べながらだ、行儀悪い。だから会議には一口サイズのサンドイッチの方が向いているんだ。

「となるとエルウィン・ヨーゼフの即位はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が皇位を望まなかったから、君はそう思うのだね」
「その通りです、国防委員長。エルウィン・ヨーゼフはリヒテンラーデ侯という極めて弱い後見人に担がれた皇帝なんです。リヒテンラーデ侯も仕方無く彼を担いでいる。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は何時でも彼らを排除することが出来ます……」

トリューニヒトが頷いている。他のメンバーも驚いたような表情はしていない。レベロも納得したような表情だ。或る程度見当はつけていた、ただ確証が無かった。そんなところか……。

「彼らがそれをしないのは……、今後の帝国統治に自信が持てないから、かね」
窺うようにホアンが問いかけてきた。皆の視線が俺に集まっている。
「おそらくはそうでしょう、それ以外に彼らが躊躇う理由は無いと思いますよ」
俺が頷くと周囲から溜息が漏れた。帝国の内情が予想以上に酷いと認識したのだろう。

「現状は理解した。我々も大体そうではないかと思っていたが、君と話をして確信が深まった。帝国は混乱しつつある、我々にとって悪い状況ではない。ただこの混乱がどう動くのか、我々はどう動くべきなのか、君の考えを聞きたい」
トリューニヒトが珍しく生真面目な表情を見せた。明日は雨だな、洗濯は明後日だ……。


 
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