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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第五話 パンドラ文書

宇宙暦 792年 9月 7日  ハイネセン 後方勤務本部 バグダッシュ大尉


後方勤務本部補給担当部第一局第一課を訪ねた。何処となく部屋の中はピリピリしている。正面にはキャゼルヌ大佐が疲れたような表情で座っていた。俺の顔を見ると溜息をついて立ち上がる。そして私室へと足を運びはじめた。俺も後を追う。

部屋に入り折り畳みの簡易椅子に座る。俺が座るのを待ちかねたようにキャゼルヌ大佐が疲れたような声を出した。
「そっちは大変じゃないのか?」

「蜂の巣を突いたような騒ぎですよ。情報部だけじゃありません、憲兵隊、監察もこの件を捜査する事になりました」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。溜息を吐きたいのはこっちも同じだ。

「この件はシトレ統合作戦本部長が責任者となります」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は眼を剥いた。
「本当か?」

「そうでもなければ捜査が滅茶苦茶になりかねません。全ての捜査情報は本部長に集められます。この捜査に混乱は許されない」
「……」
大勝利の直後にスパイ摘発のために統合作戦本部の本部長が捜査の指揮を執る。おそらく同盟軍史上最初で最後の事だろう。

「軍内部だけじゃありません。外に対しても本部長の力が必要なんです」
「? 外?」
「警察もこの件に関心を抱いています。元々サイオキシン麻薬の取り締まりは警察の仕事です。おそらく縄張り争いになる、こちらが一つにまとまっていないと足元を掬われかねない」

俺の言葉にキャゼルヌ大佐が顔を顰めた。
「会戦の直後、第四艦隊があの星域の警察に連絡を取りました。その所為で警察はかなり強硬になっています」
「また面倒な事を、なんだって警察なんかに……」

キャゼルヌ大佐が呆れたような声を出した。同感だ、軍の警備部隊でも使えばよかったのだ。軍上層部でも第四艦隊が警察に連絡した事を問題視する人間は多い。だが警察に連絡しろと助言した人間がいる……。ヴァレンシュタイン、彼がその人間だと知ったら大佐は如何思うだろうか……。

「大佐、軍上層部が何を心配しているか分かりますか?」
「いや……」
「この問題が政界に繋がっているんじゃないかと恐れています」
キャゼルヌ大佐が眼を見開いた。そして“本当か?”と小声で尋ねてきた。

「艦隊の配置状況を容易に知る事ができる者、しかし今回の極秘情報を知る事が出来なかった者……。軍令の上層部ではない、実戦部隊の上層部でもない……。もしかすると国防委員会、政治家が絡んでいるのではないか……。そんな恐れを皆が持っているんです。それもあって本部長を上に持ってきた……」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。

「……とんでもない事になったな」
「藪を突いて蛇を出したような気分ですよ、しかもこの蛇、何処にいるのか、どれだけ大きいのか、誰も分からない……」
「知りたくもない……」
首を振りつつ大佐が呟く。陰々滅々、そんな言葉が頭に浮かんだ。

「大佐のほうは大丈夫だったんですか?」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は“なんとかな”と頷いた。
「ヴァンフリート4=2の件をヴァレンシュタイン中尉が知っていた、一昨日の情報部からの通知で情報源は俺じゃないかと最初疑われた」

「それで?」
「だが俺は中尉と話すときはミハマ少尉を必ず同席させていたし、彼がスパイの可能性があると知っていたからな……。俺が漏らした可能性は先ず無いと判断されたよ、ミハマ少尉には感謝している」
思わず安堵の溜息が出た。

「それを聞いて安心しましたよ」
「問題は俺以外に機密を漏らした人間が居た事だ」
「……」

「“君だけに話すんだが”、そんな事を言って機密を漏らした馬鹿が三人居た。他にも似たような例があるんじゃないかと密かに調査が行なわれている」
なるほど、部屋に入った時ピリピリした感じがしたのはその所為か……。

「そいつらは次の異動で左遷だ、まあ当然の処置ではあるが……」
少しの間沈黙が落ちた。おそらく大佐は左遷される人間たちの事を思ったのかもしれない。“君だけに話すんだが”、この特権を使用する優越感はかなりのものだ。大佐だって一度ぐらいはそんな経験が有るのかもしれない。

「大佐、ヴァレンシュタイン中尉はヴァンフリート4=2の件を自分で調べたと言っていますが……」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐が頷いた。

「彼のデータへのアクセス記録を調べた。此処へ配属されてから一週間ほどでヴァンフリート4=2の事を調べている。いささか早すぎるのが気になるが事実だ。それとかなりあっさりとヴァンフリート4=2で基地を建設していると見破っているな」

僅かに考え込むような表情をした。何処となく面白くなさそうに見える、あるいは輸送計画にはキャゼルヌ大佐も関わったのかもしれない。だとしたら確かに面白くは無いだろう。

「有り得るのですか、そんな事が。配属されて一週間でしょう?」
「いささか腑に落ちんが有り得るのだろうな」
「……大佐、見ていただきたいものが有ります」
「?」

俺はキャゼルヌ大佐に持ってきた報告書を差し出した。A4用紙で五枚程度の報告書だ。大佐は受け取る事無く報告書を見ている。
「これは?」

「ミハマ少尉がアルレスハイム会戦後に送ってきたものです。通称”ミハマレポート”、もっとも情報部では”パンドラ文書”と呼ばれています。」
「パンドラ文書?」

「読んでいただければ分かります。いや、大佐には読んでもらわなければなりません」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は幾分訝しげな表情を見せたが、報告書を受け取って読み始めた。

読み進むにつれて大佐の顔が強張る、手が震え始めた。ミハマ少尉が送ってきたレポートは大きく分けて三つの構成からなっている。最初にアルレスハイム会戦の詳細、次にヴァレンシュタイン中尉とミハマ少尉との会話、最後にミハマ少尉によるヴァレンシュタイン中尉への観察……。

「冗談だろう! 全て分かっていたというのか! 今回の騒ぎは俺と大尉に対する仕返しだと!」
最後まで読んではいないだろう。というより最後まで落ち着いて読む事のできる人間が居るとは思えない。レポートは大佐の手でクシャクシャになっている。

落ち着かせなくてはならない。
「この報告書は一昨日、情報部に届きました。当然ですが情報部だけではなく、憲兵隊、監察にも、シトレ本部長にもコピーが渡されました」
「シトレ本部長にも?」

俺は黙って頷いた。大佐は首を括って自殺しそうな表情をしている。気持は分かる、俺もこのレポートを読んだ時には死にたくなった……。
「彼方此方で怒号と悲鳴が起きましたよ、シトレ本部長は机を叩いて激怒したそうです」
「……」

パンドラ文書だ、この報告書には災厄が詰まっている。報告書を読んだ人間は全てを呪い恨むだろう。そして何故この文書を読んだのかと後悔することになる。パンドラの箱には希望が残ったが、この文書には希望など欠片も無い。エーリッヒ・ヴァレンシュタインとミハマ・サアヤ、事件関係者にとってこの二人の名前は今や災厄と同義語だ。

「無理も有りませんよ、軍内部をまとめ、警察対策、政治家対策を考えている最中にこの事件が我々に対するしっぺ返しだと分かったんですからね」
「死にたくなってきた……」
頼むから死なないでくれ、大佐が死んだら俺まで後を追わなきゃならなくなる。俺はまだ死にたくない。

「有り得るのか、こんな事が……、彼は未だ十七歳だろう。士官学校を卒業して二年に満たない。その彼が同盟軍を振り回している」
「……」

「これからどうなる?」
「このままです。確かにヴァレンシュタイン中尉の狙いは我々に対するしっぺ返しかもしれません。しかし、同盟軍の上層部にスパイが居る可能性がなくなったわけではありません。彼にとっては遊びでも我々にとっては重大な問題です」

情報部でも憲兵隊でもヴァレンシュタイン中尉の危険性を訴え、彼の排除を声高に叫ぶ連中が出た。しかしヴァレンシュタインは可能性を指摘したのだ。それがどんな動機からだろうとその可能性を否定はできない。

ヴァレンシュタイン中尉が指摘しなければ第四艦隊は何も気付かずに終わった可能性が高いのだ。それを思えばヴァレンシュタインは同盟に警告を発したとも言える……。

「ヴァレンシュタイン中尉の昇進が決まりました」
「昇進か、ヴァレンシュタイン大尉になるのか……」
何処となく面白くなさそうだ。無理もない、俺も必ずしも面白いとは思えない。

「帝国軍はヴァンフリート4=2に来ませんでした。ヴァレンシュタイン中尉は帝国に情報を漏らしてはいなかった……。そして今回、スパイの可能性を指摘した。完全とは言えませんが彼がスパイの可能性は低いだろうというのが情報部の見解です」
キャゼルヌ大佐が渋々ではあるが頷いた。

「同盟軍は今回のサイオキシン麻薬の件を帝国の陰謀として徹底的に利用する事に決めました。ヴァレンシュタイン中尉にも協力してもらいます」
「協力?」

「帝国の陰謀を見破ったのはヴァレンシュタイン中尉です。彼は両親を帝国貴族に殺され、自身も殺されそうになった。その悲劇の人物が帝国の陰謀を見抜いた、そういうことになります。本人は嫌がるかもしれませんがこの程度は協力してもらいましょう」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。
「狸と狐の化かしあいだな……」
全くだ。俺は黙って頷いた。


宇宙暦 792年 9月24日 後方勤務本部  ミハマ・サアヤ


昇進してしまいました。今日から私はミハマ・サアヤ中尉です。アルレスハイムの会戦の大勝利、帝国の陰謀を暴いた事がその理由だという事だけど私は何にもしていません。

戦闘をしたのは第四艦隊の人達でサイオキシン麻薬を見破ったのはヴァレンシュタイン中尉、いえ大尉。私は大尉の作るクッキーを食べお茶を飲んでいただけ……。出世ってこんな簡単なものなの?

アルレスハイムの会戦後、第四艦隊の人達の私達に対する態度は一変しました。それまでは全く無視だったのに、会戦以後はチラチラ見ながらこちらから声をかけようとすると避けようとします。そんな変な態度で終始しました。

ヴァレンシュタイン大尉はそんな周囲に全く無関心でした。毎日勉強とお菓子作り、そしてお茶。どう見ても有能な士官には見えません、やる気ゼロの落ちこぼれ士官です。そんな大尉と一緒にお茶を飲んでいた私は色気より食い気の新米士官、駄目駄目コンビです。

士官学校を卒業し少尉に任官すると一年後には自動的に中尉になります。いわゆる万歳昇進ですが、私はその前に昇進しました。これって凄いアドバンテージなのです。今後のキャリアで誰かと昇進で競い合う事になった時、自力で中尉に昇進した、少尉任官後一年以内で功績を立てたとして優遇されます。

士官学校の同期生からも一杯メールが来ました。皆から“おめでとう、サアヤ”、“やったね、サアヤ”ってたくさん来ました、嬉しかった。ヴァレンシュタイン大尉はそういう事ってないんだろうな。ちょっと可哀想、だから私がメールを送ってあげました。次の日、大尉がちょっと恥ずかしそうに“有難う”と言ってきました。そうしていれば、可愛いのに。

大尉はハイネセンに戻ってからは大変忙しい日々を送っています。毎日のように軍の広報課に頼まれマスコミのインタビューに答えているのです。大尉は帝国の陰謀を見破った英雄で、両親を貴族に殺され本人も殺されかけて亡命した悲劇の英雄と言う事になっています。

私は大尉の素顔を知っているからちょっと複雑な気分。友人達からも“ヴァレンシュタイン大尉ってどんな人”って聞かれるけど根性悪でサドとはちょっと言えません。おかげで“まあ、良い人よ”と当たり障りのない答えを返しています。

大尉はマスコミが嫌いみたいです。仕事が終った後は輸送担当課に疲れたような顔をして戻ってきます。そして溜息をついて水を飲むのです。うんざりしているのでしょう。

今日はキャゼルヌ大佐からヴァレンシュタイン大尉と共に私室に来るようにと言われています。私はちょっと気が重い、なんと言っても例の伝言はバグダッシュ大尉からキャゼルヌ大佐に行っているのです。大佐は私達に何の隔意も表さないけど本当はどう思っているか……。

大尉が部屋をノックして中に入りました。私も後に続きます。中には先客が居ました。後姿しか見えませんが未だ若い男性のようです。

「キャゼルヌ大佐、お客様のようですのでまた後で来ます。中尉、出直しましょう」
「はい」
帰ろうとするとキャゼルヌ大佐が声をかけてきました。

「二人とも気にしなくていい」
「?」
「ヴァレンシュタイン大尉、大尉は既に面識が有ったな。ミハマ中尉、紹介しよう、ヤン中佐だ」

大佐の紹介と共に後姿の男性が振り返りました。中肉中背の若い男性です。これがヤン中佐? エル・ファシルの英雄なの? ヴァレンシュタイン大尉とは違う、本物の英雄に出会えた。今日は凄くラッキー。

大尉を見ると大尉も嬉しそうに笑顔を浮かべています。
「ヤン中佐、久しぶりです」
「そうだね、久しぶりだ」

ヤン中佐とヴァレンシュタイン大尉が話しています。大尉は嬉しそうなのに中佐は何処となく構えるような表情です。大尉も笑みを浮かべるのを止めました。この二人、顔見知りのようだけど一体何が有ったのか? 部屋に何となく重い空気が落ちました。大尉、貴方一体何をやったんです?

 
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