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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第四話 アルレスハイム星域の会戦

宇宙暦 792年 8月 10日 第四艦隊旗艦 レオニダス  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「いいんですか、ヴァレンシュタイン中尉? 毎日こんな事をしていて」
「いいと思いますよ、命令に従っているだけですから」
そう言うと俺はココアを一口飲んだ。サアヤはクッキーを手にとって口に入れる。“美味しい”と眼を細めた、猫みたいだ。

第四艦隊は八月一日にハイネセンを出立した。俺とサアヤはそれ以来仕事らしい仕事は何もしていない。キャゼルヌ大佐の話では参謀長のタナンチャイ少将が色々と教えてくれる事になっていたが、少将にはそんな気はまるでなさそうだった。

パストーレ中将に着任を申告する俺達に向かって“貴官等は何もする事は無い、邪魔をせず大人しくしていろ”とだけ言うと後は無視だった。パストーレ中将も何も言わない、かくて俺とサアヤのアルレスハイムへの優雅なる観光旅行が始まった。

毎日厨房を借りてクッキーやケーキを作る。そしてサアヤや他のレオニダスに乗り込んでいる女性兵士をお茶に誘って食堂で無駄話をするのが日課だ。一度タナンチャイが食堂まで来て嫌味ったらしく咳をするから“仕事、したほうが良いですか”と聞くと何も言わずに帰りやがった。ちなみに今日はサアヤと二人でお茶だ。

「こんな日が何時まで続くんでしょうね?」
マッタリとした口調でサアヤが尋ねてきた。また一つクッキーを口に入れる。この観光旅行を満喫しているのは俺よりもサアヤだろう。俺がお茶の用意ができたと誘うと嬉しそうに食堂についてくる。

「ずっとですよ、あの人達は亡命者が嫌いらしいですからね」
真実は違う、亡命者が嫌いなんじゃない、スパイが嫌いなんだ。或いはスパイの疑いの有る人間が嫌いか……。

「お勉強、進んでますか?」
「ええ、まあ」
俺は暇な時間は弁護士になるための勉強をしている。おかげでまったく退屈はしない。暇を持て余しているのはサアヤのほうだ。他の女性兵士と話をしているようだが、時々戦術シミュレーションをやろうと俺を誘ってくる。可哀想なのでこれまで二回ほど相手をした。

「んー、美味しい。これならいくらでも食べられそう」
「それは良かった」
「良くありません、太っちゃう」
そう言うとサアヤはエクボを浮かべてニコニコした。可愛いんだよな、大丈夫、まだまだいける。全然太ってない。

同盟は今ヴァンフリート4=2において後方基地を建設している。この基地建設には補給担当部はまったく関わっていない。基地を建設しているのは基地運営部だ。物資の手配から輸送船の運航まで全て基地運営部が行なっている。

輸送計画も緻密なものだ、ヴァンフリートまで直接行く輸送船は無い。少なくとも二回は物資を積み替えて運ぶ用心深さだ。原作知識が無ければ到底分からなかっただろう。輸送計画をヴァンフリートから逆に追う事でようやく理解できた。大したもんだ、計画したのはシンクレア・セレブレッセ中将かな?

まあそんな訳で同盟としては帝国にヴァンフリートの基地建設を気付いて欲しくない。だから帝国の眼をヴァンフリートから逸らすためにアルレスハイムへ艦隊を動かしたわけだが、此処で俺を役立てようと考えた人間が居る。あの根性悪でお調子者のバグダッシュだろう。

俺がスパイなら当然帝国軍の眼はアルレスハイムに行くだろう、ヴァンフリートは安全だ。それに俺にハイネセンでスパイ活動をされるのも面白くない。第四艦隊に隔離したほうが安全だ、そんな事を考えたに違いない。

当然だが第四艦隊司令部にも俺の事は伝えたのだろう。スパイの可能性が有る俺が居る以上、何時帝国軍が攻撃をかけてくるか分からないと。おかげで第四艦隊司令部の俺を見る眼は冷たい。というわけで俺は日々御菓子を作ってお茶を飲んでいるのだ。

残念だな、バグダッシュ。俺はスパイじゃない、だから帝国軍の眼はアルレスハイムには向かない。しかし此処でカイザーリングが出てくるはずだ。サイオキシン麻薬でラリパッパのアホ艦隊だ。

宇宙暦792年、帝国軍カイザーリング中将の艦隊がアルレスハイム星域で自分たちより優勢な同盟軍を発見した。カイザーリングは奇襲をかけようとしたが、艦隊の一部が命令を待たずに暴走、数で劣る帝国軍艦隊は同盟軍艦隊の反撃に遭い、6割の損傷を出して敗走している。

暴走の原因だが補給責任者であるクリストファー・フォン・バーゼル少将が艦隊にサイオキシン麻薬を持ち込み、それが気化したことから兵士が急性中毒患者となったためだ。

原作どおりに行けば同盟軍の大勝利で終わるだろう。俺も異存は無い、同盟の勝利は望むところだ。勝利はお前らにくれてやる、俺は別なものを貰う。どっちが得をするのか、後の楽しみだな。



宇宙暦 792年 8月30日 第四艦隊旗艦 レオニダス  ミハマ・サアヤ



「完勝だな」
「はい、こうまで楽に勝てるとは思いませんでした」
第四艦隊司令官パストーレ中将と参謀長のタナンチャイ少将が話しています。二人の声は何処か弾んでいて艦橋の雰囲気も極めて明るい。私も実戦は初めてだけど、初陣が勝利なのは素直に嬉しいです。

スクリーンには破壊され放棄された帝国軍艦艇が映っています。アルレスハイム星域で同盟軍第四艦隊は帝国軍と接触しました。同盟軍第四艦隊九千隻に対し帝国軍は六千隻。第四艦隊は一部が別行動を取っていたけれどもそれでも敵の五割増しの兵力、勝利は戦う前から見えていました。

あっけない勝利だったと思います。初陣の私でもそう思える勝利です。戦闘が始まるや否や帝国軍艦隊の一部が他の部隊を考慮しない形で同盟軍に突進、攻撃を開始してきました。統制の取れていない攻撃、数で劣る帝国軍艦隊は第四艦隊の反撃に遭い潰走しました。

ヴァレンシュタイン中尉は平静な表情で戦況を見ていました、周囲の興奮からはまるで無縁です。既に戦闘は終了しています。どんな気持なのだろう、かつての味方が敗北するところを見たのは……。そう考えていると中尉が口を開きました。

「司令官閣下、捕虜に対して確認していただきたい事が有ります」
艦橋の人間の視線が中尉に集中しました。
「何を確認したいのだ、ヴァレンシュタイン中尉」

「帝国軍の統制の取れていない攻撃はあまりにも不自然です。あるいは何らかの要因で興奮状態にあったのかもしれません」
「何らかの要因とはなんだね? 敵を見て興奮したとでも言うのかね」
パストーレ提督の嫌味っぽい言葉に追従するかのように笑い声が起きました。皆中尉を馬鹿にしています。

「薬物等による興奮状態が引き起こした可能性があります。例えばですがサイオキシン麻薬……」
ヴァレンシュタイン中尉の声が艦橋に響きました。声からは中尉の感情は分からないけど、平静で落ち着いた声です。

今度は皆が視線を交し合っています。パストーレ中将もタナンチャイ少将も困惑を隠そうとしません。サイオキシン麻薬?

パストーレ中将とタナンチャイ少将が顔を見合わせています。ややあってパストーレ中将が捕虜の薬物検査を命じました。結果が分かるまでに三十分以上かかりましたが居心地は悪かったです。司令部の人間がこちらをチラチラと見ます。しかしヴァレンシュタイン中尉は平然としていました。

通信士のナン少佐が報告を受けています。受けながらヴァレンシュタイン中尉を見ていました。報告を受け終わったときにはナン少佐の顔面は強張っていました。
「閣下、軍医から報告がありました。ヴァレンシュタイン中尉の言う通り捕虜にサイオキシン麻薬の中毒症状を起している兵士が居るようです」
「……」

「それも一人や二人では有りません。かなりの人数が中毒症状を起しているそうです。中尉の推測は当たっているようです、敵の一部が暴走したのはサイオキシン麻薬が原因だと思われます」
「……」

皆居心地が悪そうにしています。先程まで有った勝利の高揚感は何処にもありません。時折ヴァレンシュタイン中尉を見ていますが中尉は平然としています。タナンチャイ少将が困惑したような声を出しました。
「どういうことだ? サイオキシン麻薬などを服用すれば戦闘にならん事は分かっているだろう。それなのに何故……」

「彼らにとっても予想外の事だったのでしょう」
「予想外?」
タナンチャイ少将が鸚鵡返しに問い返すとヴァレンシュタイン中尉は頷きました。

「たまたま戦闘前に気化したサイオキシン麻薬が艦内に流れ出した。かなりの艦が同じ状態になったことを考えるとサイオキシン麻薬の保管装置の設定は旗艦で行っていたのかもしれません。その設定を誤った、だから同時に気化した……」

「しかし、何故サイオキシン麻薬など積んでいる?」
「売るためでしょうね」
「売るだと?」
パストーレ中将が驚いています。

「ええ、代償は貴金属、アクセサリー、或いは情報……」
「情報!」
「サイオキシン麻薬を同盟に流す事で同盟の社会の弱体化を図る、代償として同盟の機密情報を入手する。一石二鳥ですね、帝国軍の極秘作戦か、或いはあの艦隊が勝手にやったのか……」

艦橋が静まり返りました。皆顔面を蒼白にしています。そんな中で中尉の表情だけが変わりません。いえ、むしろ微かに笑みを浮かべています。嫌な予感がするのは何故でしょう。
「早急に周辺の星域を警察に調べさせたほうが良いでしょう。おそらくは帝国軍からサイオキシン麻薬を購入しようとした人間がいるはずです」

パストーレ中将がナン少佐に視線を向けました。ナン少佐が慌てて何処かに連絡を取り始めます。多分近くの警察でしょう。
「しかし困りましたね。一体何処から情報を得ようとしていたのか?」
「どういうことだ? 何が言いたい」

唸るような声でパストーレ中将が問いかけました。不機嫌さが面に出ています。でもヴァレンシュタイン中尉は気にする様子もなく言葉を続けました。もしかすると面白がってる?

「敵の領内にサイオキシン麻薬を持ち込むなどキチガイ沙汰です。戦闘中に被弾して麻薬が漏れればそれだけで大変な事になる。にもかかわらず帝国軍はサイオキシン麻薬を持ち込んだ……」
「……」

「同盟軍に見つかる危険性が無いと思っていたのでしょう。おそらくは取引相手から同盟軍の情報を得ていた。問題は取引相手が誰から同盟軍の情報を得ていたかです。同盟軍の艦隊の配置を知る事ができる立場にある人間、或いはその周辺……」
「……」

誰も何も言いません、いや、言えません。顔面を蒼白にして沈黙しています。中尉の言うとおりなら軍の中枢部に情報漏洩者がいる事になります。重苦しい雰囲気の中、中尉だけが笑みを浮かべて話し続けました。

「今回のアルレスハイムへの哨戒任務は極秘だったと聞きました。情報源はその事を知る事ができなかった。当然取引相手も情報を得る事が出来なかった。そして今回の戦闘が起きた……」
「もういい!」

パストーレ中将が顔面を震わせています。
「小官は少し疲れましたので部屋で休ませてもらいます、宜しいでしょうか」
ヴァレンシュタイン中尉が退出を求めました。誰も何も言わないけど中尉は気にする事も無く艦橋から出て行きます。パストーレ中将が床を強く蹴るのが見えました。慌てて私は中尉の後を追いました。こんなところに居たくない……。


「中尉、待ってください」
「食堂へ行きましょう」
私が呼びかけるとヴァレンシュタイン中尉は振り返る事無く返事をしてきました。食堂に行くと適当なテーブルに座ります。

「あれは、本当の事なのですか?」
「あれと言うのは情報漏洩者の事ですか?」
私が頷くと中尉は微かに苦笑を浮かべました。

「さあ、どうでしょう。本当かもしれませんし嘘かもしれない。私は可能性を指摘しただけです」
「可能性……」

「今、同盟軍はヴァンフリート4=2において後方基地を建設しています。ヴァンフリートはイゼルローン回廊に近い、イゼルローン要塞攻略の戦略拠点にするつもりなのでしょう」
「本当なのですか、私は知りませんが」
本当だ、とでも言うように中尉は頷きました。

「この基地建設には補給担当部はまったく関わっていません。基地を建設しているのは基地運営部です。物資の手配から輸送船の運航まで全て基地運営部が行なっています。そして極秘扱いとされている」
「……極秘ですか」

「おかしいですね、少尉が知らないのは。少尉は以前は基地運営部に居たと思いましたが?」
「……意地悪です、中尉」
中尉はニコニコしています。私が基地運営部に居なかった事を中尉は知っているのに。相変わらず意地悪です。しかし、どうやって知ったのでしょう? まさか、やはり中尉は……。

「違いますよ、私はスパイじゃ有りません。物資の流れと輸送船の動きに不自然な点があったので調べたのです。膨大な量の資材がヴァンフリート4=2に送られている。そして管理しているのは基地運営部、となれば基地を建設しているという答えが出ます」

いつも思うのだけれど、中尉はとても他人の心を読むのが上手です。それとも私は表情が出やすいの?
「同盟軍は帝国の眼をヴァンフリートから遠ざけたい、だからアルレスハイムへ艦隊を動かしました。御丁寧にスパイの可能性がある私まで乗せてです。バグダッシュ大尉はまだ私を疑っているようですね。私がスパイなら帝国の注意はアルレスハイムに向くと考えた。キャゼルヌ大佐もそれに同意した……」
「……全部分かっていたのですね、あの艦隊の事も知っていたのですか?」

私は今、恐ろしい事を考えています。この戦闘は全て中尉が演出したのではないでしょうか?
「さあどうでしょう」
ヴァレンシュタイン中尉が柔らかく笑みを浮かべました。有り得ない、有り得ないと思うけどそれでも疑念が湧いてきます。

「まあ、今回の件で大尉も私に関わっている暇は無くなるでしょう。軍の中枢部にスパイが居る可能性が出てきたのですからね。その可能性の真偽を確認するまでは同盟軍は思い切った軍事行動など出来ません。情報部は必死になるはずです」
「……」

「少尉、バグダッシュ大尉に伝えてください。大分暇なようなので仕事を作って差し上げた、気に入っていただければ幸いだと。そして私がヴァンフリート4=2について知っていたと。大尉もキャゼルヌ大佐も明日からは当分眠れない日々が続くでしょう。今回の件のお返しです」
そう言うとヴァレンシュタイン中尉はクスクスと笑い始めました。

バグダッシュ大尉、ヴァレンシュタイン中尉は間違いなく破壊工作員です。帝国のスパイかどうかは分かりません。もしかすると余りにも危険なので帝国から追放されたのかもしれません。有り得る話だと私は思います。

彼は最強にして最凶、最悪な存在なのです。人類史上、彼ほど危険な人物は居ません。能力もそうですが何より性格が危険です。意地悪でサディスト、他人を追い詰め苛めるのを何よりも楽しみにしています。私達が苦しんでいるのを見て喜んでいるのです。

でも誰もそれに気付こうとはしません。彼は天性の偽善者で自分を有能で誠実で信頼できる人間だと周囲に思わせるのです。そして女性にはあの優しげな微笑を向けることで虜にしてしまいます。

中尉が私にお茶にしましょうと優しく誘ってきます。私は断わる事ができません。美味しいお茶と美味しいお菓子、そして優しげな微笑……。危険だと分かっていても断わる事ができないのです。私が断われば彼は他の女性を誘うでしょう。犠牲者を最小限にするには私が犠牲になるしか有りません……。

艦隊がハイネセンに戻るのが何時になるのか分かりません。ですがその間、ミハマ・サアヤ少尉はヴァレンシュタイン中尉とお茶を飲み続けます。それが私の任務だと信じています……。


 
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