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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第六話 フェザーンにて

宇宙暦 792年 9月24日 後方勤務本部  ミハマ・サアヤ



部屋には重い空気が漂っています。大尉は何処か困ったような表情をしていました。ヤン中佐に会った当初の嬉しそうな笑みはありません。キャゼルヌ大佐が場をとりなすかのように声を出しました。

「さあ、立ってないで座ってくれ、それでは話もできん」
ヴァレンシュタイン大尉は私を見ると微かに頷きました。そして折り畳みの簡易椅子を二つ用意してくれます。こういうところは割りと優しい、というか口を開かなければかなり優しいように思えます。

ヤン中佐は私達が座ると椅子に腰を降ろしました。表情は相変わらず硬いです。
「ミハマ中尉ですね、ヤン・ウェンリーです」
「お会いできて光栄です、ヤン中佐」
ニッコリと微笑むとヤン中佐もぎこちなくだけど笑顔を浮かべてくれました。

ヤン中佐、エル・ファシルの英雄。宇宙暦七百八十八年、エル・ファシル星系で帝国軍との間に戦闘が起きたけど同盟軍は敗北、惑星エル・ファシルは帝国軍に包囲されました。その時、帝国軍の目を欺きエル・ファシルの住民三百万を脱出させたのが、当時未だ中尉だったヤン中佐です。あの時私は士官学校の生徒だったけど若い英雄の誕生に本当に興奮した事を今でも覚えています。

場の空気がほぐれたと思ったのでしょうか、キャゼルヌ大佐が話し始めました。
「貴官らに来てもらったのは新しい任務に就いてもらうためだ」
新しい任務……、一体なんだろう? また何処かの艦隊に乗り込むのでしょうか? そして帝国軍の眼を引き寄せるための囮? 何となく嫌な予感がしました。

ヴァレンシュタイン大尉はキャゼルヌ大佐とヤン中佐を交互に見ています。少し小首を傾げているから納得できていないのでしょう。私と同じような疑問を抱いているのかもしれません。

「フェザーンに行ってもらう。大尉がマスコミにうんざりしているのは分かっているからな。ほとぼりを冷ますためにしばらくハイネセンを離れたほうが良いだろう」
「……」
大尉は黙って聞いています。

「昔こいつもエル・ファシルで英雄扱いされて大分苦労した。あの時もほとぼりを冷ますのにいろんな事をやらせたな」
「……」
ヴァレンシュタイン大尉もヤン中佐も沈黙しています。空気が重いです……。キャゼルヌ大佐も困っています。

「いろんな事ですか?」
思い切って尋ねてみると大佐が救われたように言葉を続けてきました。
「そう、ブルース・アッシュビー元帥の事とかね……」
「アッシュビー元帥!」

ブルース・アッシュビー元帥! 帝国とは長い年月を戦っているけど、その戦争の中で最も活躍した軍人の一人です、数々の伝記や映画が製作されているし、元帥が戦死した十二月十一日は戦勝記念日として休日となっています……。

アッシュビー元帥の事って何だろう? 何か調べ物? 訊いてみようと思ったときでした。ヴァレンシュタイン大尉が口を開きました。
「フェザーンには何の用でしょう」

静かな声です。だけど声には何処か苛立たしげな響きがありました。大尉にとってはアッシュビー元帥の事などどうでも良い事なのでしょう。それともヤン中佐の沈黙が気になるのかもしれません。

「物資の調達だ。それほど難しい仕事ではない、あくまでほとぼりを冷ますための仕事だ。往復で約二ヶ月、十分だろう」
「了解しました。では小官はこれで失礼します」

大尉が椅子から立ち上がり敬礼しました、私も慌ててそれに倣います。その時です、それまで沈黙していたヤン中佐が話しかけてきました。
「ヴァレンシュタイン大尉、貴官はアッシュビー元帥をどう思う?」

問いかけられた事が意外だったのかもしれません、大尉は困惑したように少しの間ヤン中佐を見詰めました。
「どう思うですか、御質問の意味が良く分かりませんが?」
「いや、用兵家としてのアッシュビー元帥を貴官はどう思うかと思ってね」
「……亡命者の大尉に国民的な英雄であるアッシュビー元帥を評価しろと?」

部屋の空気がまた重くなりました。ヤン中佐もヴァレンシュタイン大尉も静かな、穏やかな声で話しているのに空気が重くなっていきます。キャゼルヌ大佐が厳しい表情をしているのが見えました。

「難しく考えないでくれ、ただ貴官の意見が聞きたいだけだ」
「……優れた戦術家だと思います、情報の重要性を理解していた人でもある……。宜しいですか?」
「ああ、有難う」

答え終わってもヴァレンシュタイン大尉はヤン中佐から視線を外しません。今度はヤン中佐が困惑を表情に浮かべました。
「ヤン中佐、私はスパイでは有りませんよ。中佐の敵でもない。もう少し信じて欲しいですね」
「そうであって欲しいと私も思うよ。貴官は敵に回すには危険な人物だからね」

ヴァレンシュタイン大尉は椅子を片付けると“失礼します”と言って部屋を出て行きました。私もその後を追います。
「どうも誤解されてる、困りました」
呟くような声でした。本当に困っているのかもしれません。

大尉、残念ですが誤解されるのは日頃の行いが悪い所為です。誰のせいでも有りません、大尉御自身の悪行が誤解を招いているんです。それにあながちヤン中佐が誤っているとも思えません。大尉が危険人物なのは間違いないのですから……。



帝国暦 483年10月 6日 オーディン  ギュンター・キスリング


店のドアを開けると部屋の奥のテーブルから手を挙げる男が見えた。そちらに向かって歩く。小さな店だ、直ぐに彼の前に着いた。彼の正面に座ると冷やかすような声がした。

「随分遅かったじゃないか、ギュンター」
「分かりづらい店だ、随分と探した」
俺の言葉に目の前の男、アントン・フェルナーは苦笑を漏らした。

「憲兵隊、ギュンター・キスリング中尉でも迷うか? まあその分安全だと思ってくれ。此処は俺の知り合いがやってる店なんだ。多少の我儘は聞いてもらえる」
分かっている。今俺達に必要なのは安全だ。敵は強大で危険だ、臆病なほどに慎重で良い。

「ギュンター、例のサイオキシン麻薬の件、本当なのか?」
俺は黙って頷いた。アントンが呆れたように溜息を漏らす。“信じられんな”そう呟く声が聞こえた。同感だ、全く信じられない、呆れた話だ。

アルレスハイム星域で帝国と自由惑星同盟を名乗る反乱軍との間で戦闘が起きた。そして、その戦いで帝国軍は一方的に敗れた。残念な事ではある、しかしこれまで敗北が一度もなかったわけではない。数ある敗北の一つで終わるはずだった。

だが、今回の敗北は数ある敗北の一つでは終わらなかった。反乱軍は帝国軍がサイオキシン麻薬を所持していた事、そのサイオキシン麻薬を同盟領にばら撒こうとしていたと非難した。

“サイオキシン麻薬は人類の敵であり、それを兵器として利用した帝国軍の非道は到底許されるものではない……”。帝国にとっては寝耳に水だった。否定は容易い、だが否定して良いのか? 此処近年、帝国の辺境ではサイオキシン麻薬の汚染が確実に広まっている。今回の一件が何処かでそれに絡んでいないか……。イゼルローン要塞に帰還した艦隊の残存部隊に対して調査が行なわれた。

「辺境星域にボルソルン補給基地が有る。此処にサイオキシン麻薬の製造工場があった。無人惑星の上、辺境に有るため人もあまり来ない。犯罪を行なうには理想的な場所だな」

「酷い話だ、軍人が私腹を肥やすために麻薬ビジネスに手を染めるとは……」
アントンが顔を歪めた。
「憲兵隊は今回の件を徹底的に調べるように命じられた。帝国軍上層部はこれを機に辺境にはびこるサイオキシン麻薬を一掃するつもりだ」

サイオキシン麻薬の撲滅は軍の上層部が強く願ったらしい。放置すればまた同じ事件が起きかねない。軍上層部にとっては悪夢だろう。日頃仲の悪い帝国軍三長官―軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官―が一致して行動を起した。徹底的に捜査する事になるだろう。

「ギュンター、エーリッヒは元気そうだな」
「ああ、元気そうだ。安心したよ」
少しの間無言になった。俺はエーリッヒのことを考えた。こいつは……、こいつもそうなのかもしれない。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、士官学校の同期生にして親友。誰よりも信頼できる男だったが、約五ヶ月前反乱軍に亡命した。それ以後、あいつの消息は分からなかった。だが今回の会戦で帝国軍がサイオキシン麻薬を扱っている事を暴いたのはエーリッヒだった。

反乱軍はエーリッヒが両親を貴族に殺されたこと、彼自身も殺されかけたことを宣伝している。帝国に裏切られた少年、その彼が帝国の非人道的な陰謀を暴いた。エーリッヒは悲劇の英雄で暴虐なる帝国の犠牲者として宣伝されている。

「例の件、何か分かったか」
アントンが声を潜めて尋ねてきた。俺は黙って首を横に振る。アントンの顔が歪むのが見えた。
「駄目だな、何も分からない。情報が有るとしたら憲兵隊ではなく内務省だろう」
「内務省、つまりは警察か……」

エーリッヒの両親を財務尚書カストロプ公が殺した。そしてエーリッヒ自身もカストロプ公の部下によって殺されかけた。エーリッヒを帝国に戻すためにはカストロプ公の犯罪を暴き、エーリッヒの亡命が止むを得ないものだったと周囲に納得させるしかない……。

エーリッヒの両親が誰に、何故殺されたのか? 今俺とアントンはそれを調べている。俺は憲兵隊の力を利用して、そしてアントンは仕えているブラウンシュバイク公の影響力を利用して……。

「アントン、一つ気になった事がある」
「なんだ?」
「エーリッヒの両親が殺されたときなんだが、当時の司法尚書ルーゲ伯爵が辞任している」

アントンは訝しげな表情をしている。そして小さく“辞任”と呟いた。
「ルーゲ伯爵は権力を利用して私腹を肥やす事にしか興味を示さないカストロプ公に強い反感を持っていたらしい。彼のやり方を“見事な奇術”と皮肉っていたそうだ」

「そのルーゲ伯爵が辞任した……。関係が有るのかな?」
「分からん、しかし気になる。確認してくれないか」
憲兵隊の一中尉が尋ねたところで門前払いが落ちだろう。しかし皇帝の娘婿であるブラウンシュバイク公の部下が尋ねれば或いは話してくれるかもしれない。何か知っているのであれば……。

「分かった、やってみよう」
そう言うとアントンは力強く頷いた。



宇宙暦 792年10月27日 フェザーン ミハマ・サアヤ


今、同盟軍中尉ミハマ・サアヤはフェザーンに到着しました。当然ですがヴァレンシュタイン大尉も一緒です。これから私達は同盟の高等弁務官府に行き挨拶をしなければなりません。

私と大尉がフェザーンに行くという事は周囲にはちょっとした騒ぎを引き起しました。第四艦隊に乗り込んだときは一応任務? だったけど、今回は半分以上遊びである事は衆目の一致するところです。なんと言ってもフェザーンまでは民間船を使っての移動です。観光旅行といわれても仕方がありません。後方勤務の女性士官からはかなり盛大にブーイングが出ました。

士官学校の同期生からも冷やかしの連絡が有りました。ヴァレンシュタイン大尉は同盟の英雄、その英雄とフェザーンへ旅行……、婚前旅行じゃないのとか冷やかされました。まあ誰だって怒るだろうし、冷やかしたくなるに違いありません。でも私は大尉の素顔を知っています。

どうしようもないほど意地悪でサディスト、偽善者……。私は彼の作るお菓子は好きだけど彼自身には警戒心を解いたことはありません……、時々美味しいお茶の時間を過ごすと怪しいけれど、それでも時々です……。

大体私が一緒と言う事は情報部は未だ大尉をスパイとして疑っているということです。バグダッシュ大尉に聞いてもヴァレンシュタイン大尉から眼を離すな、どんな小さなことでも必ず報告しろと言われています。何時までこの任務は続くのか……。まさかとは思うけど、ずっと?

フェザーン、帝国と同盟の中間にある中立国家。表向き帝国の自治領となっているけど実質は独立国家である事は皆が知っています。戦争をする帝国と同盟の間で利を追求する事に専念するフェザーンには多くの同盟人が良い感情を持っていません。それは帝国も同様でしょう。

ハイネセンでは目立たない軍服もフェザーンではかなり目立ちます。ヴァレンシュタイン大尉の軍服が周囲から奇異の目で見られました。私にも視線が集まります。余り面白くはありません。私はベレー帽をかぶっていますが大尉はかぶっていません。ヴァレンシュタイン大尉が軍服を着てベレー帽をかぶると可笑しなくらい可愛くなってしまうのです。本人もそれを気にしているのでしょう、大尉がベレー帽をかぶる事は滅多にありません。

弁務官府に着くと早速部屋に案内されました。どうやらキャゼルヌ大佐が弁務官府の人達に私達に十分に良くしてくれるようにと頼んでくれたようです。おかげで私達に用意された部屋は本来なら将官クラスの人が使う部屋でした。キャゼルヌ大佐、有難うございます。

その後、首席駐在武官のヴィオラ大佐のところへ挨拶に行きました。大佐は長身で肥満しています、それなのに余り重そうな印象を受けません。妙な人です。
「明日から一週間ほどフェザーンに滞在すると聞いている。分からない事が有ったら何でも聞いてくれ、キャゼルヌ大佐からも協力して欲しいといわれている」

「有難うございます、その時はよろしく御願いします」
ヴィオラ大佐とヴァレンシュタイン大尉が話しています。こうしていると大尉は誠実で生真面目な少年にしか見えません。この偽善者め、私は騙されないから。

挨拶が終わり、部屋に戻ろうとしたときでした。ヴァレンシュタイン大尉が不思議そうな声を出しました。
「ヴィオラ大佐、その招待状は何でしょう、帝国の物のように見えますが?」
私は慌ててヴィオラ大佐の机の上を見ました。確かに帝国の紋章の入った招待状が有ります。

「その通りだよ、ヴァレンシュタイン大尉。帝国の高等弁務官府からの招待状だ。今夜弁務官府でパーティを開くらしい」
「行かれるのですか?」
大尉の質問にヴィオラ大佐が大声で笑い声を上げました。

「まさか、行くわけがない」
「……では、小官がその招待状を頂いても構いませんか?」
え? と私は思いました。私だけじゃありません、ヴィオラ大佐も驚いています。大尉、分かってます? 貴方のスパイ容疑は消えたわけではないんです、それなのにパーティに行く? 一体何を考えてるの?

 
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