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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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百十一 激震

紫苑は声も無く、その光景を凝視していた。
彼女の白い頬は、血を浴びて赤く濡れていたが、それ以上に青くなっていた。
「あ…あ…あ…」

予知通り、いやむしろ紫苑によってナルトが死んだ。死んでしまった。
恐怖が紫苑の全身を激しく貫き、心臓を凍りつかせる。

意図することではなかった。鈴の力なんて知らなかった。故意ではなかった。
様々な理由が紫苑の脳裏を廻るが、そんなものただの言い訳だ。
結果は見ての通り、目の前の惨状が紛れもない事実。

衝撃が紫苑を襲う。
私のせいだ。私のせいだ。私の…。

あらゆる感情が渦を巻いて紫苑の喉元を圧迫する。呼吸をも忘れ、頭の中が真っ白になる。
へたりこんで呆然と仰ぐ紫苑の前で、首元から血を流したナルトがぐらり、崩れ落ちた。彼が後ろ手に握っていたらしい何かが、カツンと音を立てる。

「せっかくのチャンスをもふいにしよって。所詮、クズはクズか」
黄泉が軽く鼻を鳴らす。同時に、白煙がナルトを包み、次の瞬間に現れた人物の姿に、紫苑は眼を丸くした。


「…ナ、ルトじゃない…?」
「そやつは我の部下だった愚か者よ。結局、何の役にも立たなかったがな」

非情にも嘲笑う黄泉と、ナルトに変化していたらしい人物を、紫苑は何度も見返した。
ナルトに扮していた彼は、もはや息は無く、横たわっている。その手元には、鈍く光るクナイがあった。

ナルトに変化して紫苑を殺すつもりだった人間の骸を、紫苑は暫し呆然と見下ろしていた。変化が解けたその容姿は、よくよく見ると見覚えがあった。
巫女である彼女の館を襲撃してきた一味の一人。


やがて、予知の過ちを理解し、青褪めていた頬にじわじわと血の気がさしてゆく。多大な安堵感が一気に押し寄せ、紫苑は息を吹き返した。
上手く呼吸出来ずにいた彼女は、はぁはぁ、と何度か荒く息をして、うわ言のように繰り返す。

「アイツじゃなかった…アイツじゃなかった…」
ナルトじゃなかった。

鼓動を思い出したかのようにバクバク動く心臓。今更になって身体が震える。胸を押さえ、紫苑は深く息を吸った。
「まだ、まだ……ナルトは生きている」

己自身に言い聞かせることで、ようやく正気を取り戻す。呼吸を整え、自分が果たすべき義務を果たす為、紫苑はキッ、と黄泉を見据えた。
震える足を叱咤して果敢に立ち上がる彼女を、黄泉は鼻で嗤う。


「己の力も知らぬような小娘が、我を封印できるとでも?」
「こ、この日の為…来る日も来る日も、私は…っ!!」
「術を、磨いた…?」
ゆうるりと眼を眇め、黄泉はククク、と喉を震わせた。哄笑が洞窟にこだまする。
「フッ…ならば此処に来て、我を封印してみせよ」


黄泉の挑発めいた発言は、紫苑の巫女としての誇りを刺激する。紫苑は胸元の鈴を改めて握り締めた。
つい寸前、ナルトに変化した人間を殺した凶器とは思えぬ鈴が、りん、と涼やかな音を立てる。
母の形見であるその鈴こそが、今の紫苑を支える力であり、同時にナルトとの約束が彼女を奮い立たせていた。


湖畔で交わしたナルトとの約束。『俺が守る』という彼の声が紫苑の耳元で反響する。
「本当だな、ナルト…」

信じて、いいんだな。



























封印の祠。その前でわらわらと群がる幽霊軍団が、小さな人影を圧し潰さんと迫っていた。

巫女の命を狙う青銅の武人達は、その行く手を阻むようにして祠の入り口を守る存在を消そうと動く。それらの攻撃を尽く避け、一体の武人の肩に乗ったナルトは、不意に何処とも知れぬ方向へ視線を投げた。


瞬間、祠の前に満ちていた冷気が一気に濃くなる。
ピキピキ、と音を立てて祠の前の荒涼とした岩場が、瞬く間に氷原と化した。


地面に立っていた幽霊軍団達の足が一斉に凍りつく。身動き取れなくなった武人達の間を縫うように、誰かが俊敏な動きで駆け抜けた。
その存在が駆けた後ろで、青銅の石像がぐらりと傾く。足場を凍らされたそれらは為すすべもなく、その何者かの攻撃を受け、青銅の破片を撒き散らした。


「「お待たせしました」」
一人は冷気を纏い、一人は骨の刀を掲げ。
背中合わせで現れた二人の少年に、ナルトは笑みを浮かべた。


氷原を作った白と、幽霊軍団の兵を打ち砕いた君麻呂。

ナルトと紫苑に追いついた、白く儚い印象を醸し出す双方に、ナルトは軽く頷く。それだけで意思疎通を交わした二人は、ナルトに力強く頷き返した。


幽霊軍団の武人の肩を足場に、跳躍したナルトはそのまま空中でくるりと回転し、祠の前に張り巡らされた注連縄の上へ軽やかに降り立つ。祠の奥へ向かおうとするナルトを幽霊軍団はすぐさま追おうと動き出した。

その前に立ちはだかるのは、彼に付き従う二人の少年。

「ナルトくんの力になるのは僕だ」
「ナルト様をお守りするのは僕だ」


似通った宣告をすると、白と君麻呂はお互いに顔を見合わせて嫌そうな表情を浮かべた。即座に双方顔を背けるが、目的が同じである以上、仕方なく手を結ぶ。


封印の祠の前を埋め尽くす数多の兵を前にして、同一の主を守護する白の双璧は背中合わせに攻撃態勢を取った。




















輿に乗せられ、肘置きにぐったりと身体を寄りかかっている黄泉の顔はとても青白かった。
虚ろな眼で此方の動向を眺めている男から、紫苑は慎重に距離を取る。若き巫女の警戒する様が面白かったのか、黄泉がクッと笑った。


「教えてやろう…。我にお前を殺すことはできぬ。だが同様に、お前もまた、我を消し去る力は無い。何故なら…―――」
黄泉が流し目で此方を見遣る。妙なことを口走る男から、紫苑は眼を離すことが出来なかった。


「―――我らは、元は一つ、であったからよ…」
「う、嘘じゃ!!」
黄泉の言葉に、紫苑は間髪容れずに反論した。
「でたらめを言って惑わすつもりか!」


巫女の戸惑う姿に、「嘘を言う必要があるか…?」と黄泉は益々口角を吊り上げる。紫苑は黄泉の言葉に耳を貸さず、己のやるべきことを為さんと足を動かした。


黄泉が座る輿の背後にある石の祭壇。其処には封印の紋章が描かれており、その中央には棺が沈んでいる。
祭壇の下に隠されているそれこそが、【魍魎】の肉体を封じる棺であった。


「い、今すぐにお前を…」
黄泉の後ろに回った紫苑が、一段高い場所にある祭壇へ上がる。自分を封印しようと動いている巫女の様子を気にも留めず、黄泉は淡々と言葉を続けた。

「『封印』とは――我とお前が、一つになることを言う…お前の母―弥勒は、それを受け入れた。そう、弥勒は…お前の母は、」
そこで一端言葉を切って、黄泉は声を聊か大きくさせて紫苑にとっての衝撃的な発言を述べた。


「…――我の中にいる…」



堪らず、紫苑は息を呑んだ。素知らぬ顔で祭壇に上り、封印の儀式を始めようとしていたのに、黄泉の言葉一つ一つが彼女の心を揺さぶる。

「あまりの力に、自らその力の使い方を誤らぬよう…二つの心・思想に分かれ、互いに互いを戒め、思い、見つめ合って存在してきた…」
いわば、陰と陽の間柄なのだろう。陰が魍魎であり、陽が巫女であるのは明らかだった。
「何時の間にか、【巫女】と【魍魎】に、名は変わってしまったがな…」


背を向けている黄泉が自嘲気味に笑ったのが、紫苑にも感じ取れた。けれども、話し続けているにもかかわらず、微塵も動かない黄泉の背中を、紫苑は後ろから訝しげに睨み据える。
人間ならば、呼吸していれば多少は揺れるだろうその身体が、先ほどからピクリとも動かない。にもかかわらず、黄泉は抑揚のない声で語り続けている。その異常さが不気味だった。


頭を軽く振って、儀式に集中しようと気を取り直した紫苑の耳に、今度こそ、求めてやまない声が届いた。

「―――紫苑」


凛とした声が聞こえるや否や、紫苑は弾かれたように洞窟の出入り口へ視線を投げた。其処に佇む存在を認めた途端、肩の力が抜ける。
しかし、途中で思い返した彼女は確認の言葉を問わずにはいられなかった。
「ナルト!本物の、ナルトか!?」


紫苑の質問に、ナルトは怪訝な表情を浮かべ、周囲に視線を走らせる。
封印の祠の入り口を守るのを、つい今しがた白と君麻呂に任せてきた彼は、溶岩が湧き立つこの異様な空間に足を踏み入れたのだ。

紫苑の無事な姿を遠目で確認してから、通路の端に横たわる黄泉の配下であった四人衆の内の一人が死んでいるのを見て、ナルトはなんとなく成り行きを察した。
「…約束、しただろ」

湖畔で交わした、守るという約束を口にする。二人しか知り得ない内容を告げたことで、紫苑はあからさまに安堵の息をついた。そしてようやく、黄泉の存在を思い出す。

自分の身を案じて追って来てくれたナルトにばかり気を取られていた彼女は、慌てて黄泉に注意を向けた。しかしそれは杞憂であった。


黄泉は何をするでもなく、ただ、ナルトを凝視していた。


やがて、話す際にも身動ぎ一つしなかった黄泉の肩が大きく震える。そのかさついた唇は弧を描き、身体からは黒い靄のようなものが滲み出ていた。
「まさか…たかが人間に、これほどの逸材がいたとは…」

独り言のように何事かをぶつぶつ呟く黄泉の顔は、先ほどまでの無表情に反して、狂気にすら思えるほどの喜悦の色を浮かべていた。

黄泉の身体ではもうとても抑え切れないのか、それともその器では満足できないのか、男の肉体から黒い蒸気なのか汚泥なのか判別出来ぬモノが滲み出る。
妖気と瘴気を孕んだ闇が、黄泉のぐったりとした肉体を操っているのは確かだった。黄泉の体内に【魍魎】の魂が宿っている事実に気づいていた紫苑が思わず後ずさる。


顔を顰めたナルトに向かって、黄泉の唇が薄く開いた。寸前までは辛うじて人の声だったものが、もはや別のものと化している。
かつて大陸を蹂躙したとされる魔物と初めて対峙しても、ナルトは何の反応もない。
けれども、次に黄泉の口から語られる【魍魎】の一言に、常に冷静沈着なナルトの顔が僅かに歪んだ。




『貴様の身体こそ我が理想。その身を明け渡せ、小僧』

絶大な力を宿す闇の魔物が渇望する。瞬間、紫苑は己の胸元の鈴が激しく鳴るのを聞いた。





「…―――今、なんと言った?」

今まで生きてきた中で、これほど激しく警報を鳴らす鈴の色を、紫苑は聞いたことが無かった。
鈴から放たれる光が彼女を守るように包み込む。それはかなり高度で強固な結界だったが、【魍魎】から身を守る為のものでは無いようだった。


紫苑の鈴の音が洞窟中に響き渡る。その中でのナルトの声は、酷く小さいものだったが、そこから感じられる感情がこの洞窟の空間内を一瞬で満たしていた。


「俺の身体を、器にでもするつもりか」


刹那、実体を持たぬ【魍魎】の身が地に伏せられた。

今はまだ、黄泉の肉体と繋がっているからだろうが、いずれにしても、半分ほど身体から滲み出ている黒い靄までもが、地面に押し付けられる。
それほどの重圧が洞窟内に溢れ、殺気が凄まじい冷気となって周囲へ奔った。


『わ、我より深い闇を、ただの人間が、何故…ッ』
【魍魎】の戦慄の響きを伴った声音が、黄泉の口を伝ってナルトに問われる。
それを黙殺して、ナルトは紫苑に訊ねた。

「……巫女とは、妖魔【魍魎】を封印するのが義務だったな」
何の脈略も無いナルトの問いに、紫苑はほぼ反射的に頷いた。
何がナルトの逆鱗に触れたのかわからなかったが、【魍魎】を宿した黄泉を見た時以上の何かが、紫苑の全身をわななかせていた。

「残念だが、その役目、果してやれそうにない」







漆黒の闇を前に、少年は嗤う。
蒼い瞳の奥で闇より昏い光を宿して。




「この場で俺が消す」
 
 

 
後書き
ナルト、キレました。
何が彼を怒らせたかの理由云々は、ナルトの過去でわかりますので、申し訳ありませんがお待ちください。

今年最後の更新でございます。大変お世話になりました。
今年はほぼ映画編で終わってしまいましたが、来年も完結目指して書き続ける所存ですので、どうぞよろしくお願い致します。
良いお年を!! 
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