ソードアート・オンライン 穹色の風
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アインクラッド 後編
流星の終着点
前書き
当たり前のように文字数が増えて戦闘終了まで辿り着けず。まあいつものことだし大丈夫だよね(震え声)
一体、どれくらい歩いただろう――なんて、そんな決まり文句を言えるほど、彼女から離れられてはいない。せいぜい数十分もあれば最奥に辿り着ける洞窟を、たったワンブロック移動しただけなのだから。しかし、見下ろした先で何かに憑りつかれたみたいにひたすら踏み出し続ける二本の足と、気を抜けばすぐにでも背後から飛び掛ってきそうなソプラノの声が、もう何十時間、何百キロも歩き続けているかのような錯覚をマサキに見せ続けていた。
坑道めいた通路が開け、半径十メートルほどの円形のフロアに辿り着いたところで、マサキは壁に倒れこむように座った。安全地帯ではないが、探索の過程でこの辺りのPOPは枯渇させてあるため、もうしばらくはこのままでも問題ないだろう。
――『わたしね、ずっとマサキ君のことが……』
そんな推測を押しのけて、ついさっき聞いたばかりのソプラノがフラッシュバックを起こした。
エミの言葉は途中で途切れたが、それが自分に対する告白なのだということくらいは解る。マサキは他人の感情というものに無関心だが、一切を理解できないわけではない。
だが、だとしたら、もっと早くに気付けていたはずだ。
攻略に毎日着いて来たがる。
わざわざ家にまで押しかけて、料理を振舞う。
頻繁に手を握る、あるいは、腕を絡める。
どれもこれも、好意を抱いていなければするはずのないこと。
だが、結局自分は、こうなってしまうまで気付けなかった。
何故?
違和感が全くないほど、エミのアプローチが自然だったから?
彼女が自分にどんな感情を持っていようが構わないと思っていたから?
否。それらは全て不正確だ。
今まで気付けなかったのは、気付こうとしていなかったから。……いや、その言い方もまた、少しだけ正確ではない。本当のところは、わざと目を逸らし続けていたから、だ。
同時に、思う。
もし、このまま彼女の意図に気付くことなく過ごしていたら。
今までのように彼女と攻略へ赴き。
今までのように彼女の作った食事を食べ。
今までのように、誰も立ち入らせなかった近い距離にエミという存在が在り続けたら。
それは恐ろしい想像だった。
彼女と過ごす時間がガン細胞みたいに増殖していく。
いつの間にか、彼女と過ごすのが当たり前になる。
そして最後に、恋に落ちる。
今まで何だかんだでエミと行動を共にしていたことも、そのことに違和感を覚えなかったことも、全ては彼女に恋をする兆候だったのだ。
「天才が、聞いて呆れる」
マサキは自分の学習能力のなさを嘲った。
項垂れた顔の表面に張り付いていた唇が斜めに歪んでいた。
彼女の感情に気付いた以上、もう数十分前までのようにはいられない。今すぐにエミと手を切る必要がある。幸いと言うべきか、これだけ探し回っても目的の場所は見つからないのだ、探索の断念を提案しても不自然ではあるまい。
マサキは立ち上がり、歩いてきた道を戻ろうとする。その瞬間、目の前にエミの顔が浮かび上がってマサキの両脚を硬直させた。
別れ際、最後に見た顔だった。
全体が真っ青に汚れ、今にも泣き出しそうな顔。
マサキは視線を下に逸らして、息を大きく吐き出しながら顔を左右に振った。
まさか、ここまでエミに侵食されていたとは……。
数秒地面を見つめてから顔を上げると、視界の隅を何かがちらりと横切ったのが見えた。首を捻りつつ見上げると、マサキが見たのであろう何かは既に消えてしまっていたが、それとは別の、新しい光の筋が天井に吊り下がった星々の間を翔け抜けていく。
「流星……?」
マサキの発言は、厳密に言えば誤りである。この洞窟で見ることのできる光の正体は、星ではなく天井から吊り下がった虫型のクリッターなのだから。ということは、今見ている光の筋は恐らく、羽化したワームが飛び回っているとか、そういう類の現象なのだろう。しかし、青みがかった淡い光を放ちながら頭上を流れていく様には、そんな些細なことなどどうだっていいと思わせてしまうほどの魅力があった。
マサキが見つけた光は、流星にしては短い尾を引いて彼方へ飛び去っていく。すると、それに導かれるように、一つ、また一つ、新たな星が流れ出した。それらは瞬く間に洞窟の空を埋め尽くし、雨の様な濃密さで同じ方向へがむしゃらに翔けて行く。
マサキはふと、この現象は果たして流星を再現するためだけのものなのかと疑問を抱いた。現実の流星には放射点と呼ばれる座標が存在し、星はその点を中心に外側へ向けて流れていくものなのだが、現在頭上を流れる光の筋は全て同じ方向を向いている。
それは、普段のマサキであれば気にも留めないような疑問だった。その先に何があるかはもちろん、何かが存在するのかさえ分からない。そもそも何かが存在していたとして、それはマサキにとってどうだっていいことだ。
しかし、マサキは流星の流れ落ちる方向を見、エミを残してきた方向を見ると、身体を反転させて星の流れに追従する道を選んで歩き出した。
行った先で見つかるかもしれない「何か」に期待を持っているわけではない。ただ一つ言えるのは、もし星の向かう先とエミのいる方角が同じだったら、マサキが星を追うことは絶対になかっただろうということだ。
辺りに再湧出し始めたモンスターを倒しながら進むこと約五分。結論から言えば、やはりこの流星群は単なる天候イベントではなかった。《星空の回廊》は洞窟系ダンジョンの例に漏れず道が多少曲がりくねっているのだが、そこを通る流星もまた、道に沿って曲がりながら進んで行っていた。つまりは、どこか決まった目的地が存在するということになる。
そしてその目的地は、何の前触れもなく現れた。
数多のクリッターたちがこぞって目指していたのは、特に何があるわけでもない、全く以って平凡な坑道の壁であった。傍目には何もないようにしか見えないが、天井を埋め尽くすほどに数の増えた光の筋たちは、そのポイントに差し掛かった途端一斉に進行方向を九十度変更して壁へ飛び込んでいく。
「どういうことだ……?」
マサキは眉を怪訝そうにひそめつつ、光が飛び込む辺りの壁に触れてみる。するとあろうことか、マサキの手は岩壁の感触を確認することなくすり抜けてしまった。そして、そのせいでハイドレートが低下したのだろう、どこからどう見てもただの岩壁だった光景がゆらりと揺らめき――一瞬のうちに、それまで存在しなかった横穴へと姿を変えた。
「これは……」
マサキがもう一度記憶を探るが、こんな横穴は見たことがない。一応マップと見比べてみるが、この横穴を探索した記録はなく。それどころか、この横穴の先は未踏破区画だった。が、それは明らかにおかしい。何故なら、マサキとエミは出発前、このダンジョンの全フロア踏破済みマップを購入していたのだから。
……となれば、もう可能性は一つしかない。この先に、求める隠しボスフロアが存在するのだ。
そこまで考えたマサキはしかし、嫌そうに顔をしかめていた。と言うのも、今回レアインゴットを欲しているのはマサキではなくエミであるから、目的を達成するためには彼女がこの中に進まなくてはならない。しかしこの場に彼女がいない以上、マサキが呼びに行く必要があるわけで。
「…………」
今のマサキにとって、その場所はまさに地獄だ。メッセージで場所だけ伝えるという案も、二人ともダンジョン内にいるため不可能。マサキだけが中に入り、入手したインゴットを彼女に渡すという選択肢も浮かんだものの、どの道最後にはエミと会う必要がある。
――要するに、詰み。万事休す。
実際そんな状況にでくわすと、人間というのは得てして自暴自棄になるものだ。そしてそれはマサキも例外ではなく、マサキの頭の中を徐々に後ろ向きの思考が支配しだす。
マサキがエミと会い辛いように、エミもまたマサキと会うのは気まずいはず。そして、マサキは彼女と疎遠になることを望んでいるのだから、気まずい雰囲気のほうが得だ。……であれば、このまま素知らぬ振りをしつつ帰ってしまうのが一番ではないか。メッセージが使えない以上、先に帰ることをエミに伝えられないが、パーティーを解消すれば彼女だって解るだろう。仮に解らなかったとして、彼女のレベルとプレイヤースキルであれば、この程度のダンジョンでどうにかなることはあるまい。
などと、完全に思考がマイナス方向へ振り切ってしまったマサキが、エミとのパーティーを解除すべくパーティー設定のタブを開こうとすると。
「マサキ君っ!」
迸る電撃の如く一瞬で脳全体を貫いた高い声に、今まさに《パーティー脱退》コマンドを選択しようとしていた人差し指が痺れて硬直した。麻痺のバッドステータスから回復するや身体を振り向けると、先ほど安全地帯で別れたエミの姿。ここまで走って来たのだろうか、両膝に手を当てて息を整えている。
「エミ……」
呻くようなマサキの声にピクリと肩を震わせて反応したエミは、暫しのインターバルの後に大きく息を吸い込みつつ顔を振り起こしてこちらを見据え。
「え、えっと……ごめんなさい!」
と、勢いよく頭を下げた。まさか謝られるとは思っていなかったマサキが呆然としていると、今度はおずおずと頭を上げ、縋るような上目遣いで言う。
「えと、その、さっきのは、雰囲気に流されたと言いますか……本心じゃない……ことはないけど! でも、そんな、悩ませる意図はなかったっていうか……よく考えてみれば、まだ期間的にも短いし、あんまり気にしすぎないでくれると嬉しいかなって……」
やはりエミとしても言い辛いのだろう、単語を吟味しながら話していることがありありと解る。マサキはこちらを見るエミの視線から逸らすように目線を落とすと、小さく数度頷いた。
「……ああ。分かった」
「……ありがと」
安心したようにはにかんでみせるエミ。一連の言動は恐らくマサキを気遣ってのものなのだろうが、それで彼女との後腐れが少しでもなくなるのならよしとしよう。今後手を切る相手との後腐れを気にするのもおかしな話ではあるが、「関係を修復したい」などの理由で付きまとわれるのも厄介だ。
「とりあえず、これを見ろ」
「え? ……あれ、こんな横穴、さっき通った時にはなかったよね? それに、流れ星がどんどんこの中に……」
話題を変える意味も含めて、マサキは背後の横穴をエミに示した。続けて、疑問を浮かべるエミに「この先に目指す隠しボスフロアが存在する可能性が高い」と伝えると、彼女の大きな瞳に明るい色が戻っていく。
「そうと分かれば、行くしかないよね! レッツゴー!」
やはりそう簡単に元通りとはいかないのだろう、少しばかり空回り気味のエミに手を引かれ、二人はその横穴に足を踏み入れる。
穴自体はかなり短く、殆ど歩かずに出口が見えた。その向こうからほのかに漏れ出る青白い光を目指して横穴を抜けると。
「凄い……」
「…………」
二人の目に飛び込んで来たのは、今までの暗い坑道が一転、全体がほのかに青白い光を放つ鉱物に覆われた長方形の部屋だった。星のようで、蛍のようで、それでいてクリスタルのような淡い輝きに包まれた空間。頭上では今まで同じ方向に流れていた光点が、今度は自らの美しさを誇示するように乱舞を始めていて、それはまるで海の底から宇宙の星々を直接眺めているような、幻想的で、生命の神秘が垣間見える美しさを醸し出していた。
「……マップに位置は記録されず、か。事前情報とも一致するな」
一足先に我に帰ったマサキが手元に呼び出した現在地には大きく《NO DATA》と表示され、ルート追跡機能を用いてここまでの道のりを辿ってみるも、記録はここに通じる横穴の前で途切れてしまっている。となると、ここは地図上には存在しない、いつ、どこに現れるかが完全に無作為な隠し部屋なのだろう。そして、その部屋を見つける唯一の道標こそが、あの流星群というわけだ。
「これだけ採掘ポイントが多いと、強化用の追加素材もここだけで賄えそうかな?」
「かもな。だが、その前に……」
「うん、解ってる。まずはボスを倒さないと、でしょ?」
そんなエミの言葉をトリガーにしたわけではないだろうが、そうとしか思えないタイミングでフロア全体に変化が生じた。どこからともなく白い霧が漂い始め、フロアの床部分を中心部に向かって流れ込む。流れ込んだ霧は徐々にその濃さを深め、同時に人の形を成していく。一分と掛からずフロア中央に降り立ったのは、身体と顔をそれぞれ一枚布とヴェールで覆った、身長五メートルはあろうかという巨大な女神だった。
その頭上には、ピンク色のカーソルと三本のHPバー。そして、ボスモンスターであることを示す定冠詞付きの名前。
《The Mist traveler Merope》――霧の旅人メローペ。それが、音もなく降臨した女神の名前だった。
「――愚か者共よ。我に更なる恥辱を強要するか」
低くエコーのかかった、頭の中に直接響いてくるような声。ヴェールに隠された表情は読み取ることができないが、その声からは湧き上がる怒りが感じ取れた。無論、単なるプログラムでしかないこの女神に感情なんてものが備わっているはずがないのだが、腰に帯びていた直剣にゆっくりと手を掛け抜き放つ仕草は意思を持った何者かが動かしているとしか思えないほどに精緻だ。
次の瞬間、部屋の空気が一瞬にして張り詰める。部屋を覆う鉱石と同じく青白い光沢を放つ両刃剣を、女神がマサキたちに向けたのだ。
剣の放つ輝きの鋭さから、あの女神のドロップ品に高ランクインゴットが存在する可能性が高いことを目ざとく推察しつつ、マサキは蒼風を抜く。静まり返った部屋の中に、鞘と刃が擦れ合う音が二つ。
「とりあえずはモーションを見極めつつヒットアンドアウェイ、モーションが変わったら一旦様子見。基本的にスイッチはしないが、ポーションでの回復が必要になったら言え。他に何かあったら大声で叫べ」
「了解っ!」
隣から威勢のいい返事が届いたのと同時、マサキは持てる限りの敏捷力で地面を蹴り飛ばした。
後書き
本当はもう一話で終えるつもりでしたが、戦闘が次話にずれ込んだ関係で二話かかるかもしれません。
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