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至誠一貫

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第一部
第六章 ~交州牧篇~
  八十七 ~決死の攻城戦~

「行け、者共! 一気に蹴散らせっ!」
「我らも後れを取るな!」
 彩(張コウ)と星率いる騎馬隊が、賊軍を引き裂く。
「だ、駄目だ! 強すぎる!」
「に、逃げろっ!」
 既に、勝負は決したようだ。
「鈴々! 相手は獣だ、容赦はいらぬぞ!」
「応なのだ! 愛紗も遅れるななのだ!」
 そして、鈴々と愛紗の歩兵隊が敵を揉み上げていく。
「うぉりゃあっ!」
「はいはいはいはいっ!」
「はぁぁぁぁっ!」
「うりゃりゃりゃりゃりゃっ!」
 名だたる豪傑が先陣を切り、その一閃する度に命が狩られていく。
 無論、それに手向かいできる者などいる筈もない。
「やれやれ、これでは軍師の出番などありませんね」
「まー、賊さん達があれでは当然ですけどねー」
 本陣も気の緩みこそないが、どこか余裕が感じられた。
「歳三様。そろそろ宜しいのではありませんか?」
 紫苑の問いに、頷いて見せた。
「では、合図を」
「はっ!」
 鉦が鳴り響き、控えていた弓兵隊が前へ出た。
「構え!……放てっ!」
 矢の雨が、賊軍の頭上に降り注いだ。
 乱戦寸前で、我が軍は退いている。
 間一髪に見えて、実に巧妙な動きである。
 すなわち、被害が出るのは賊軍ばかり。
 我が軍も全くの無傷ではないが、許容できる範疇に収まっているようだ。
「歳三殿! 敵は白旗を掲げておりますぞ!」
「うむ。武装解除の上、主立った者は頸を刎ねよ」
「はっ!」
 疾風(徐晃)は一隊を率いても立派に務まるだけの器量はあるが、今はこうした役回りに徹している。
 一度、寝物語に訊ねた事があるが、当人は寧ろやり甲斐がある、と言うのみであった。
「適材適所、か」
「は?」
 私の呟きに、稟が視線を向けた。
「いや、何でもない。それより、長沙の郡城はどうか?」
「はい。五万ほどが立て籠もっているとの事です」
「五万か」
 ほぼ無傷でここまで来ている我が軍だが、それでも倍する籠城軍を相手にするには厳しいと言わざるを得ない。
「お兄さん。孫堅さんと一旦合流してはどうですかー?」
「ふむ。睡蓮(孫堅)の軍は今どの辺りだ?」
「凡そ十五里です、歳三さま」
 明命がいつの間にか、目の前に跪いていた。
「知らせに参ったか、ご苦労」
「はっ! ではこれより、郡城の偵察に向かいますので」
「警戒は厳重のようだ。用心せよ」
「お気遣いありがとうございます。では!」
 ますます以て、忍びの者としか見えぬな。
「睡蓮と合流次第、直ちに軍議を開く。睡蓮が来た以上、長期戦は避けねばなるまい」
 稟が、大きく頷く。
「はいー。そうしないと、お兄さんに可愛がっていただけませんしねー」
「ふ、風! あなたは少し自重して下さい!」
「おやおやー? 稟ちゃんはいいんですか、お兄さんの寵愛いただかなくても?」
 ……全く、緊張感のない奴だ。
 尤も、この程度の戦であまり気を張り詰めているよりは、この方がいいのかも知れぬがな。


 その夜。
 睡蓮らを加えた軍議でも、これといった妙策は出なかった。
 数の上ではほぼ互角か、やや此方が多いとは申せ、城攻めにはやはり困難が伴う。
 攻城兵器でもあれば別だが、衝車や投石機の類など用意がある訳もない。
 原理ぐらいならば知っていても、それを実際に開発するとなれば相応の技術者と費用、それに期間が必要となろう。
 交州に腰を落ち着けてまだ日も浅い我らには、そんな余裕などあろう筈もなかった。
 それはまた、睡蓮も同じであったのだが。
「数は五万、それに変わりは無しか」
「はい。賊将の区星は不在でしたが、糧秣は近隣から強奪した物が山積みになっていました」
 明命の報告に、一同から溜息が漏れる。
「つまり、兵糧攻めって訳にはいかねえんだな」
「その通りじゃな、堅殿。そして、儂らにはそれに抗するだけの糧秣はない」
「となれば、敵をどうにかして城から誘い出すか、内応を試みるか……稟、どうだ?」
「はっ。挑発も手ですが……ただ、賊軍は我々に連戦連敗です。そのぐらいで打って出てくるかどうかは……」
「ふむ。風は?」
「ぐー」
「寝るな!」
 彩に小突かれ、風は眼を見開いた。
「おおう。つい、皆さんの熱気にウトウトと」
「熱気で眠くなる奴があるか、全く。ご主人様がお訊ねだぞ」
「そうですねー。紫苑さんにも聞いてみてはどうでしょうー?」
「地の利、か。……星、紫苑のところに参り、すぐに来るように申せ。その間、輜重隊の警護はお前が務めよ」
「御意!」

 程なく、紫苑が姿を見せた。
 ……が、天幕に入ってきたのは一人ではなかった。
「おいおい、璃々まで連れて来たのかよ?」
 睡蓮が肩を竦める。
「申し訳ありません。どうしても、と聞かないものでして」
「むー、璃々だけ仲間外れはいやだもん」
「まぁ良い。璃々、大人しくしていられるな?」
「うん」
「わかった。早速だが紫苑、長沙の郡城を攻めたいのだが」
 頷く紫苑。
「特に堅固な城、という訳ではありませんわ。城壁もあちこち破損したままですし」
「ですが、人が通れる程の穴とまではいきませんよね? 紫苑殿?」
「ええ、流石にそこまでは。それに、壊れたところがそのままという事もないと思うわ」
「でしょうね。私の方でも偵察して来ましたが、そうした箇所はありませんでした」
「内応も難しいと思います。そういった隙は見当たりませんでした」
 疾風と明命の言葉が、雰囲気をより重くする。
 とにかく、手の打ちようがないのだ。
「もう一度、策を練ってみます。何か、手がある筈です」
「ですねー」
「こんな事なら、冥琳でも連れてくるんだったな」
「いや、如何に公瑾でもこの二人以上の策がすぐには浮かばぬじゃろう。堅殿、何か勘働きはないのか?」
「そうだなぁ……」
 と、睡蓮が天幕の中を見渡す。
 そして、璃々で視線を止めた。
「なあ、璃々。あの城に入る方法、何か知らねえか?」
「んーとね……」
 少し考えてから、璃々はニコリと笑った。
「あるよ。秘密の抜け道」
「え? でも璃々、私も知らないわよ、そんな物があったなんて」
「だって、璃々とお友達だけの秘密だもん。いくらおかあさんでも知らないでしょ?」
 ふむ、これは盲点だった。
 一縷の希望を見いだせるやも知れぬな。
 ……だが、子供の言葉だ。
 皆、不安と期待がない交ぜという表情をしている。
「璃々。その場所に案内して貰えるか?」
「うん、いいよ!」
「よし。紫苑、疾風、二人は璃々と共にその場所を確かめて参れ」
「わかりました」
「ははっ!」
 飛び出して行く三人。
「でも、睡蓮おばちゃんの勘は相変わらず凄いのだ」
「んー? そうか?」
 まんざらでもないのか、照れたように頭を掻く睡蓮であった。

 半刻後、三人は無事に戻ってきた。
 が、紫苑と疾風の気配は厳しい。
「如何致した?」
「……はい。確かに、抜け道はありましたわ。璃々の話だと、城内の古井戸に通じているらしいです」
「侵入にも気付かれにくい場所にありました。……ただ」
「奥歯に物が挟まるような言い方は止せ。何か問題があるのだな?」
「……ええ」
「……実は、その穴が非常に狭いのです。璃々ならば問題ないのですが」
 子供しか通れぬ穴、か。
 それでは、城内の者が気付かなくても無理はなかろう。
「でも、紫苑も疾風も別に太っている訳ではなかろう?」
「勿論よ、愛紗ちゃん。……でも、あなたでも無理だと思うわ」
「むう。それは、私が無駄な肉を付けているとでも言いたいのか?」
「とにかく、一度見てみなくてはわからぬな」
「はい。ただ、何度も行けば気付かれる恐れがあります。採寸を取り、同じ大きさを再現してみました」
 そう言って、疾風はくり抜かれた一枚の板を取り出した。
「璃々の話では、これを潜れれば大丈夫との事です。試しに、私がやってみます」
 頭は難なく通り抜けられるようだ。
 ……だが、肩を過ぎたところで引っかかってしまっている。
「私も、同じでしたわ」
「……つまり、二人とも胸でつっかえてしまう、という事ですか」
「ええ。稟ちゃんでも難しいと思うわ……ほら」
 同様に星、彩、愛紗も無理であった。
「う~ん、俺も駄目だな」
「私もです」
 そして、睡蓮と飛燕も。
「鈴々は平気なのだ!」
「……私も大丈夫です……ハァ」
 はしゃぐ鈴々と対照的に、明命は大きく溜息をつく。
 何となく、恨みがましい眼で紫苑らを見ているような気もするが……。
「どれ。私も試してみるとしよう」
 どうやら、私も大丈夫のようだな。
「よし。では鈴々と明命、それから私。兵も百名ほど選抜せよ」
「ご主人様?」
「お待ち下され、殿。鈴々と明命だけで十分ではありませんか」
 愛紗と彩が諫める。
「いや、鈴々や明命、兵にばかり危険を押しつけるつもりはない。可能な事がわかった以上、私は参るぞ」
「良いではないか、二人とも」
「星! しかしだな」
「こうなれば、我が主は止めても無駄。そのぐらいの事、わかるであろう、愛紗?」
「む、むう……」
「私だって行けるものならば行きたい。だが、これではな」
 星は苦笑する。
「大丈夫なのだ、お兄ちゃんは鈴々が守るのだ。なあ、明命?」
「勿論です」
「では璃々ちゃん、紫苑さん。具体的な場所と、突入後の事を決めたいので見取り図で説明して貰えますかー?」
「うん!」
「わかったわ」
 少人数での斬り込みか……ふっ、何やら懐かしいな。
 危険よりも、血が騒いでならぬ。

 更に一刻後。
 お誂え向きに、月が雲に隠れていた。
 城外の一角にある石を動かすと、確かに奥へとつながる通路が現れた。
 ずっと這っていかねばならぬが、やむを得まい。
「では歳三さま、私が先頭で」
「いや、鈴々が先に参れ。その後に私が続く」
「何故ですか? 失礼ですが、こうした任務は私の方が慣れています」
「それは否定せぬ。が、這っていく事、そしてお前の衣装を考えよ」
「……あ。はぅぁっ!」
 気付いたのか、短く叫ぶ明命。
 それでも声を抑えたのは流石だが。
 ……暗くてわからぬが、恐らく顔を真っ赤にしている事であろう。
「にゃ? どうかしたのか?」
「い、いえ! わ、わかりました。では私は殿(しんがり)を務めます」
「では鈴々。頼むぞ」
「応なのだ」
 そして、鈴々は通路へと飛び込んだ。
 得物はいつもの蛇矛ではなく、あの鍛冶屋に作らせた脇差しを背負っている。
 城内に突入したら、敵から槍などを奪えば良い。
 さて、私も続かねばならんな。
 鈴々が松明を手に、進み始めた。
「お兄ちゃん、大丈夫か?」
「ああ。だが、狭いな」
 抜け穴というのは、もう少し広く作るものだが……何を意図して作られたのであろうか。
「思いの外声が響くようだ。何事もなければ、以後城内に出るまで声を立てるな」
 返事はないが、それで良い。
 皆の息づかいだけが聞こえる中、黙々と先へと進む。
 途中、微かに灯りの漏れている箇所があった。
 出口にしては狭すぎる故、恐らくは空気穴であろう。
 ……と、不意に鈴々が止まった。
「お兄ちゃん、着いたみたいなのだ」
「うむ。気をつけて外に出よ」
 そして、ゴトゴトと音がして、前方から光が差した。
 鈴々に続き、城内へと足を踏み入れた。
 璃々の話通り、薄暗くて目立たぬ一角であった。
 周囲を警戒しながら、皆が揃うのを待つ。
「では、手筈通りに。急げ!」
「応っ!」
 それぞれが、指示通りに散っていく。
「では歳三さま。私は城門を」
「頼んだぞ、明命」
 我らだけでは城内を制圧するつもりなど、最初からない。
 城内に混乱を巻き起こし、然る後に城門を開けて我が軍が突入する手筈だ。
「さて、では始めるとするか」
「合点なのだ」
 懐から小瓶を取りだし、中身を辺りに振りまく。
 そして、鈴々が松明をそこに投げ込んだ。
 途端に、勢い良く炎が上がる。
「にゃあ? す、凄いのだ」
「見とれている場合ではないぞ、鈴々。次だ」
「わかったのだ!」
 これは草生水(そうず)、所謂燃える水。
 薬品として扱った事はあるが、菜種油よりもよく燃えるという特徴がある。
 無論、その分だけ使えば危険も大きいが、少量でも炎を上げる為にこのような場合は効果覿面だ。
 鈴々は素早く次の場所でも火を付けた。
 家屋に放火するのは庶人に危害が及ぶ恐れもあり、それに万が一真相が知られると好ましい事はない。
 それ故、城壁や延焼の恐れが低い場所を選んでおいた。
「火事だ!」
「裏切り者が出たぞーっ!」
 それに合わせて、我が軍の兵士があちこちで騒ぎ立てる。
「誰が裏切りやがった!」
「おい! あっちからも火の手が!」
 忽ち、城内が騒然となる。
「何だテメェらは!」
 その一部が、我らを見咎めたようだ。
「そうだな。貴様らのような屑を成敗しに参った、と言えばわかるか?」
「て、テメェ土方軍だな!」
「そうだと言えば、どうする?」
「しゃらくせぇ! ぶっ殺せ!」
 全員が抜刀し、向かってきた。
 人数は……凡そ二百というところか。
「鈴々」
「任せろなのだ!」
「ぐわっ!」
 抜き打ちに一人を斬り倒す鈴々。
「このガキ! 死ね!」
「へへーん。そんななまくらでは鈴々は斬れないのだ」
「うぎゃっ!」
「がはっ!」
 巧みに身を躱しつつ、鈴々は次々に賊を斬り伏せていく。
「な、何だこのガキは!」
「なら、テメェからだ!」
 数十人ほどが、私に打ちかかってきた。
「皆、相手は人に非ず。容赦はするな」
「応!」
 兵らも抜刀し、忽ち激しい乱戦となる。
「む!」
「ぎゃっ!」
 月が雲から顔を覗かせたようだ。
 その光に、兼定が青白い光を放つ。
「あの剣……まさか」
「それに、このチビ……」
「ふっ。どうかしたか?」
「て、敵の総大将だぜ!」
「馬鹿野郎! そんな訳ねえだろ!……うぐわっ!」
 そう言いながら吶喊してきた者を、一刀のもとに斬り捨てる。
 だが、その叫びが切欠になったのか。
 群がる賊の人数が増えた気がする。
「フクロにしちまえ!」
「いくら強くても、数はこっちが圧倒的なんだからな!」
 勢いづいた賊どもに、一人また一人と、兵が斬られていく。
「お兄ちゃん!」
「今少しの辛抱だ」
 だが、長くは持たぬぞ。

 と。
 バン、と大きな音が響き渡った。
 続いて、喊声が上がる。
「皆、続け!」
「一人も逃すな!」
 彩と愛紗の声。
 どうやら、城門を開ける事に成功したようだな。
 途端に、取り囲む賊共が混乱に陥った。
「くそっ! せめて、テメェだけでも道連れにしてやる!」
「にゃっ! させないのだ!」
「生憎だが、貴様らに呉れてやれる程この命、安くないのでな!」
 向かってくる者を一人、また一人と斃していく。
「死ね!」
「させん!」
「がっ!」
 背後に感じた殺気は、一瞬にして霧散した。
「ご無事ですか、歳三殿」
「疾風か。助かった」
 もう、掃討戦に移行し始めたようだ。
「歳三に負けるな! 揚州兵の強さを見せてやれ!」
「応!」
 遠くから、睡蓮の叫びが聞こえた。
「もう良かろう。疾風、速やかに火を消せ」
「はっ」
 これで、長沙郡は治まるであろう。
 犠牲も生じてしまったが、それを悔いても始まらぬ。
 せめて、その者らの冥福を祈るばかりだ。 
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