至誠一貫
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第一部
第六章 ~交州牧篇~
八十八 ~波乱の始まり~
前書き
暁移転後、初の新規投稿となります。
改めて、本作を宜しくお願い致します。
「ひでぇもんだな」
「……うむ」
両親を失い、呆然と座り込む子供。
家財を全て奪われた上、惨殺された一家。
翌朝、城下にはそんな光景が広がっていた。
「紫苑。官吏や兵らの生存者は?」
「…………」
紫苑は、静かに頭を振るのみだ。
「首領は、区星とかぬかしたよな?」
「そうだ」
「……絶対に、楽には死なせねぇぞ」
睡蓮(孫堅)の怒り、手に取るように伝わってくる。
「歳三殿」
「疾風(徐晃)か。その後、賊軍の動きは?」
「はっ。ほぼ全軍で、武陵の県城に向かっている模様です」
「む。零陵郡からは引き上げたという事か?」
「そうです。零陵郡は兵もそれなりに強いようで、より弱い武陵郡を奪ってしまおうという目論見のようです」
「紫苑。武陵の太守は確か、金旋という者であったな?」
「ええ。軍事には明るいと言えないのですが、そのくせ血の気が多い方ですわ」
「何だそりゃ。じゃあ、ひたすら防備に徹して俺達を待つなんて真似が出来ないんじゃ?」
「そう思いますわ」
紫苑の答えに、睡蓮は盛大に溜息をついた。
「歳三。俺の軍は先に出立するぜ」
「待て。我が軍も此所が片付き次第、すぐに出立の準備にかかるのだぞ?」
「いや。お前のところは桂陽、長沙と戦いずくめだろ? 兵の疲労もあるだろう、その点俺のところはまだ元気だ」
睡蓮の申す事は道理であろう。
目に見えて疲労困憊、とまではいかぬが、それでも兵らの表情には疲労が浮かんでいる。
更なる強行軍を取れば、いざ戦闘となった際に思うような戦果を上げられぬという懸念はある。
「私も、睡蓮殿の意見に賛成です」
「そうですわ。此所で無理をさせるよりも、十分に体制を整える方が私も宜しいかと思います」
「……そうか。睡蓮、では任せて良いか?」
「ああ。賊どもなんぞ、鎧袖一触だぜ。任せな」
睡蓮の言葉は、自信に満ち溢れている。
無論、それは十分な根拠あっての事ではあるのだが。
睡蓮自身が率いているせいもあって兵の士気は高い。
将も祭に飛燕、明命と揃っているのだ。
しかも、主力は此所長沙で撃破している。
強いて言うならば、得意の水戦ではなく陸戦で臨まねばならぬ事ぐらいか。
「じゃあな歳三。武陵で待ってるぜ?」
言うそばから、睡蓮は歩き出していた。
「歳三様。何か不安でもおありですか?」
「……いや」
勘の良い睡蓮の事だ、何か危急に遭っても案ずる事もあるまいが。
睡蓮軍が出立した後も、城内の後始末は続く。
兵らの動きも決して機敏とは言えぬが、現状ではやむを得まい。
私も座して待つばかりではなく、城下の様子を見て廻る事とした。
「稟。その後、劉表から何か言って来る様子は?」
「いえ、今のところ何も。我らの動きに無関心でいるとは思えないのですが」
「そうだな。このままでは州牧としての面目は丸つぶれであろう」
「はい。疾風(徐晃)も、その挙動には眼を光らせているようですが」
劉表がどのような人物かは知らぬが、己の庶人を守る気概が皆無……という事はあるまい。
私の行為はやむを得ぬとは申せ、越権行為として弾劾する事も可能な筈。
ましてや、朝廷の実権を握る十常侍どもからすれば目の敵でしかない私を追い落とす事も出来よう。
それ故、疾風や風らも神経を尖らせている。
「ところで歳三様。この城には何時まで残るおつもりですか?」
「うむ……。それは私も考えていたところだ」
「幸か不幸か、住民の多くは犠牲に遭っています。再建するにも、相当の期間を要しましょう」
「それに、その再建をお兄さんがする義務もありませんしねー」
ぬっと、稟との間から顔を出す風。
……もう驚かぬ事にした、いちいち身が保たぬからな。
「いずれにせよ、長居は無用だな」
「はい。睡蓮殿が仰せの通り、兵の休養は必要ですが」
「ただですねー。お兄さん、稟ちゃん。ちょっとお耳を拝借しますよ」
つまりは、私に屈めという事か。
私だけでなく、稟も必然的にそうせざるを得ない。
「フーッ」
「ひゃっ!」
いきなり息を吹きかけられた稟が、小さく悲鳴を上げる。
「な、何をするのですか風!」
「おやおやー、稟ちゃんは耳が弱いのですねー」
「風。戯れは後にせよ」
「むー。風はただ、場を和ませようとですねー」
「……風。本気で怒りますよ?」
稟が眼鏡を直しながら言うと、風は肩を竦めた。
「最近の稟ちゃんはつれないのです」
「いい加減にせぬか。それで?」
「はいー。実はですね、生き残った方の中に挙動不審な方が混じっているようでして」
「ほう」
他者の観察にかけては我が軍随一、と言っても過言ではない風だ。
そもそも、思い込みだけでそのような報告を私にする筈がない。
「何か証拠でもあるのですか?」
「例えばですねー。兵士さん達の目を避けるように、数人で集まってコソコソ密談しているですとか。賊軍さんに痛めつけられた風なのに、突然走り出して城外に出るとか」
「……確かに怪しいな。疾風は気付いているのか?」
「多分まだだと思うのですよ。疾風ちゃん、城外の方で手一杯みたいですしねー」
「よし。ならば、私が参ろう」
「歳三様! お一人で無茶は駄目と、皆から言われているのをお忘れですか!」
「忘れる訳がなかろう。だが、邪な企みを持つ者は、周囲への警戒心も強い。風が勘づいたと知れば、逃す事にもなりかねぬ」
「しかし……」
稟が私を案ずる気持ちも、わからぬではない。
とは申せ、何か企みを持つ者がいて、何やら策動しているのだ。
捕らえて目的を吐かせねばなるまい。
「では、こうしましょうー。稟ちゃんは、すぐに星ちゃんか愛紗ちゃんを連れて来て下さいね」
「歳三様と風はどうするのです?」
「とりあえず、その怪しげな方々のところにお兄さんを案内するのですよ。場所は、このあたりですねー」
と、城内の地図を示す風。
「では、星らを呼んで参ります。歳三様、私が戻るまで決して、手出ししないとお約束下さい」
「決して、か。それは出来ぬ」
「ならば、私は歳三様の傍を離れる訳にはいきません」
「早合点するでない。臨機応変に、と申しておる」
そう答えながら、私は立ち上がった。
「稟。気持ちは嬉しいが、此所で議論をしていても始まらぬ。私は参るぞ」
「……止めても無駄のようですね。わかりました」
「心配要りませんよ、稟ちゃん。風もついていますから」
「ふふ、そうでしたね。では」
体力のない稟に、斯様な真似をさせるのは好ましくないが……やむを得ぬ。
「風、参るぞ」
「御意ですよー」
そう言いながら、風は私の手を握る。
「風?」
「ああは言いましたけど、風だってちょっとは怖いのです」
その言葉が偽りではない事は、身体の震えが証明していた。
「……わかった」
その手を握り返すと、私は歩き出す。
「あれか」
「はいー」
一見、焼け出された難民と言った風情の男女が、路傍に座り込んでいる。
衣服も襤褸であり、その姿を見て疑う者はおらぬであろう。
……だが。
「目付きが気に入らぬな」
「ですよねー。途方に暮れたり、自分を見失っている人ならもっと生気がない筈ですよ」
それに、頻りに辺りを窺う様といい、不審極まりない。
「しかし、良く気がついたものだな」
「いえいえ。猫さんと交流を図ろうとしていたのですが」
「……それで?」
「猫さんがですねー。見慣れない人間がうろうろしていると教えて下さったのですよ」
何処までが本当の話かはわからぬが、今は置いておく。
「一味はあの全員か?」
「いえいえ、もう一人いる筈ですけどねー」
「ふむ……」
と、一味の一人が立ち上がった。
その向こうから、我が軍の兵が一人、やって来るのが見えた。
「風。あの兵、妙だと思わぬか?」
「…………」
風はジッと、その兵を見つめる。
「ですねー。風もお兄さんに賛成です」
「残る一人とは、あの兵ではないのか?」
「……みたいです。風は見た時とは、髪型とか服装が違いますけどね」
一味は何やら話しているが、此所までは声が届かぬ。
そして、再び周囲を確認すると、連れ立って歩き出した。
星はまだか。
「お兄さん。どうなさいますか?」
「やむを得ぬ。風、済まぬが手伝ってくれ」
「御意ですよー」
歩き出した一味の行く手を、私は遮る。
「おい」
「これは土方様」
慌てて礼を取る兵。
「そこの者、貴様の知り合いか?」
「いえ。この城下の者らです。賊に襲われたとの事で、保護したところです」
「そうか。ところで貴様、誰の麾下か?」
「はっ。趙雲様の麾下です」
淀みなく答える兵。
「ふふふ。それで言い逃れたつもりか?」
「は?」
「貴様の纏っている鎧、確かに星麾下のものだ。だが、何故そのように傷一つついておらぬのだ?」
「……そ、それは……。私は運良く、剣を交える事がなかったのです」
「ほう。だが昨夜は星も、先陣を切ってこの城に突入した筈だ。その麾下で戦闘の機会がない申すか?」
「う……」
言葉に詰まる兵。
「く、クソッ!」
そして、剣に手をかけた。
「覚悟あっての事であろうな?」
「おい! 此所は俺が防ぐ、お前らは逃げろ!」
後ろにいた三人は、慌てて反対側へと駆け出す。
が、数歩進んだところで、先頭の一人が盛大に転んだ。
「うわっ!」
「キャッ!」
無論、他の二人も。
「な、何だこれは!」
立ち上がろうとして、再び転んだ。
呆然とする兵は、隙だらけだ。
「む!」
「ぐは!」
抜きざまに峰打ちを浴びせる。
兵は堪らず、その場に倒れた。
「さて、貴様らも大人しくして貰おうか」
風が撒いた油まみれの一味は、それでももがこうとする。
「その水は、火を付けるよ勢い良く燃える。試してみるか?」
「…………」
「風」
「御意ー」
建物の影から、松明を手にした風が姿を見せた。
一味の顔に、恐怖が浮かぶ。
「さて、返答は如何に?」
その時、不意に殺気を感じた。
兼定を振るうと、一条の矢が足下に落ちた。
「何奴だ!」
「チッ!」
舌打ちと共に、繁みが動いた。
「がっ!」
そして、短い悲鳴が上がる。
「主! 曲者は捕らえましたぞ!」
そして、一足遅れて兵らの靴音が近づいてきた。
半刻後。
頭を振りながら、疾風がやって来た。
急を知り、駆けつけて連中の尋問に当たっていたところだ。
「どうだ?」
「はい。殊の外しぶとい奴らで」
「そうか。ならば私が代わろう」
「ならば、私も参りますぞ」
すかさず、星が言う。
「捕虜の尋問だ。警護は要らぬぞ?」
「は。しかし万が一、という事もござりますからな」
「ではでは、風もお供しますねー」
皆が同行を願い出た。
「皆、それぞれに役割があろう。それを果たすが良い」
「それでしたら、私は歳三殿と共に当たらなければいけませんね」
「疾風ちゃんだけじゃないのですよ。風もですからねー」
「では、私も筆頭軍師として、事態を把握する必要があります」
「私は主をお守りする。これに勝る役目はござらぬよ」
「……わかっているのだろうな。私が何をしようとするのかを」
口を割らぬ者に、容赦するつもりは毛頭ない。
間違いなく、私の尋問はこの国で尤も苛烈なものであろう。
少なくとも、疾風はその事を承知の筈だが。
「歳三殿。我々の事をご案じいただく気持ちは嬉しく思います」
「でも、風はお兄さんの全てを受け入れると決めているのです」
「それに、手段を選ばずに事を運ぶしかない場は当然あります。その判断が出来るからこそ、歳三様はお強いのですよ」
「生死と共にすると誓った仲ではありませぬか」
……全員、覚悟の上か。
「一切泣き言も恨み言も聞かぬぞ。良いのだな?」
皆、黙って頷いた。
「……良かろう」
一味は、男が三人に女が一人。
無論、全員が縛り上げられている。
入ってきた私を見ても、微動だにせぬ。
だが、服のあちこちが破けていたり、肌が赤くなっていた。
「疾風。少し、打ち据えたか?」
「はい。頑として口を割ろうとしませんので……些か」
「そうか」
男の一人を立たせ、柱に縛り付けるよう命じた。
そして、兼定を抜き、構えた。
男の顔に恐怖が浮かぶが、それでも懸命に歯を食いしばっている。
根性は見上げたものだが、いつまで耐えられるものか。
「ふんっ!」
兼定を一閃し、男の肌を浅く斬った。
「……くっ」
そのまま、何度か斬りつける。
浅傷故、痛みも然程ではない。
だが、当然男は血まみれと化していた。
「どうだ。話す気になったか?」
「…………」
「そうか。あれを持て」
「はっ!」
私の合図で、兵らが樽を運んできた。
「やれ」
「応っ!」
口を開けた樽の中身を、二人がかりで男に浴びせる。
「う、うぎゃーっ!」
忽ち、男が凄まじい悲鳴を上げる。
「主。これは、まさか……」
「そうだ、星。これは酒だ、無論一切加水しておらぬ」
消毒薬を一度に塗布したようなものだ、痛みも尋常ではなかろう。
「うぐぐぐ……」
「どうだ、まだ言わぬか?」
嫌々をするかの如く、男は頭を振る。
「では仕方あるまい。今度は、その女をそちらへ」
「は、はっ!」
暴れる女を押さえつけ、兵らが別の柱へと縛り付けた。
「さて、お前はどうするつもりか?」
「ぺっ!」
女は、強気にも唾をを飛ばしてきた。
それは私の顔には届かず、襟元を汚したに過ぎぬが。
「それが答えだな。では、望み通りにしてやろう」
私は小柄を取り出すと、女の足に突き立てた。
「ひぎっ!」
悲鳴は上げるものの、その眼は私を睨み付けている。
「疾風。その燭台を持って参れ」
「はい」
燭台を受け取ると、それを女の足の上で傾けた。
溶けた蝋が、滴り落ちる。
そのまま、小柄を伝い……傷口へと至る。
「ぎぇっ! あ、ああっ!」
耳を聾する叫び声が上がる。
だが、私は手を止めるつもりなどない。
……兵の中には目を逸らす者もいるが、四人はジッと私の一挙一動を見ているようだ。
無理はするな、と声をかけるつもりもない。
当人達が望んだ事、好きにさせるよりあるまい。
……と。
不意に漂い始めた異臭で、私の思考は遮られた。
女が、失禁してしまったようだな。
そして、最初の男も、
それを確かめ、残る二人の男を振り返った。
「次はお前達の番だが。望みがあれば申せ」
だが、答えはなかった。
既に、気を失っていたようだ。
「蔡瑁の手先でしたか」
苦虫を噛み潰したような顔で、疾風が呻く。
「庶人に紛れ込んで、我が軍の兵士が狼藉を働いたと触れ回る……。悪辣な策を考えたものです」
「馬鹿な事を。主の兵が如何に厳しい規律で従っているか、知らぬ訳でもあるまい」
「でも、これが的中していたら、お兄さんを弾劾する口実にはなったでしょうねー」
蔡瑁か……やはり、この世界でもそのような存在という事なのであろう。
「星、皆を集めてくれぬか」
「はっ!」
「疾風、襄陽に探りを入れよ」
「わかりました」
「稟、風。お前達は……」
と、その時。
「申し上げます!」
急を知らせる兵が、駆け込んできた。
「何事か!」
「はっ! 孫堅様が、戦死されたとの知らせが!」
……予感が、的中してしまうとは。
睡蓮とは、今生の別れになってしまうとは……やはり、無理にでも引き留めるべきであったか。
思わず、卓に拳を打ち付けてしまう。
「すぐに情報収集にかかりますねー。稟ちゃんも手伝って下さい」
「わかりました」
部屋を飛び出して行く皆の背を見送りながら、私は悔恨の念に苛まれていた。
後書き
星が捕らえた五人目は、次話で登場します。
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