ソードアート・オンライン〜Another story〜
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GGO編
第167話 冥界を司る女神
シノンは我に返ると同時に、即座に振り向こうと行動した。
腰のホルスターに挿したもう1つの自分のサブアームであるハンドガンに反射的に手が伸びる。
背後を取られた以上、勝敗は喫しているも同然だが、自分はまだ生きている。……つまり、戦える。
――この相手にはもう負けたくない。
例え、実力の差がかなりあったとしても、勝算など0だとしても、相打ち覚悟でも撃ち抜いてやるつもりで、グロッグを抜き、構えたのだ。
だが。
『止めなさい。ここで、人間同士、争っても何も益は無い。無駄に体力・弾丸を浪費するだけですよ。我々の敵はアレです』
男に、シノンは 構えたグロッグのスライド部分を掴まれてしまった。
その距離までははっきりと判っていなかったが、まだ少しは離れていた筈だ。ライフルを構えていたから、伏射姿勢だったから、と様々な言い訳が頭の中に浮かぶが決して言葉にはしない。例え、立っていたとしても。……例え、向き合っていたとしても。
ここまで、接近されてしまえばもう勝機は無いとまで言えるのだから。
『アンタは、やっぱり あの時の……』
シノンは、搾り出す様にそう言葉を発する。
この時だけ、自分自身の声に違和感が無かった。外見に似合わない様な掠れた声だからだ。
『やはり……、狙撃手である事、そして 見覚えのある外見でしたから、よもやと思いましたが、貴女でしたか』
そう言うと、シノンのグロッグからゆっくりと手を離した。そして、シノンの全身をゆっくりと見る。男に至近距離から見られていて、普段なら不快に思うがこの時はそうは思わなかった。
ただただ、あの時の敗北感を再び頭の中で蘇らせていた。
そして、男は一頻り、シノンを見た後、その目を見ると一言。
『腕を、上げましたね』
そう答えていた。
それは、賛辞の言葉のつもりだろうけれど、今のシノンには嫌味にしか聞こえない。
『……圧倒的に、有利な立場だったのに、即効で背後を取られた挙句、銃を制され、ホールドアップ状態。こんな有様の私の何処が?』
敗者同然の自分なのに、そんな愚痴言う資格も無いと思った。でも、シノンは、言わずにはいられなかったのだ。
それに、言われたくないのなら、即座に殺せばいい事だ、とも思っていたから。
それに、ここまでの敗北は、ベテランの域に達したと 自負をしてから、これまでに無かったのだから。
それも、同じ相手に2度も。
『見れば判りますよ。アバターとは言えこの世界の貴女其のものですからね。佇まいから雰囲気まで証して、腕を上げた。と感じただけです。……仮想世界とは言え、視えるもの、なんですよ。これは請け売り、ですがね。ただ……、私に勝とう、私を殺そうと思っているのなら、やはりまだまだですが』
はっきりと言われて、シノンは、思わず眉が ぴくっ! と引きあがりそうになる。
そんな中で、男は続けた。
『どうでしょう? ここは以前の事は一先ず置いておいて、共闘、と行きませんか? 私もここまでくるのに、弾薬を大分消費したらしく、アレを倒せるまでの残弾が心許ないので』
『……私がそれに乗る義理は無いけど?』
『確かにそうですね。ですから、最終的な判断は、お任せしますよ。ただ……私を攻撃するのであれば、動けなくさせてもらいます。ゲームとは言え、女性を撃つのは好ましくないので。 ご安心を、安全地帯にまでは運ばせてもらいます』
シノンはそこまで言われた所で、はぁ……とため息を吐いた。
確かに、戦っている間に横から、後ろから襲撃すれば、倒せる可能性は高いだろう。勿論、この男が言うようにあっという間にやられてしまって、拘束される可能性の方が遥かに高い。そして何よりも、この状態での1対1は望む所、とは言えないのだ。
……だが、シノンには元々そんな選択肢は無かった。
なぜなら、自分が求めているのは、そんな卑怯者の強さなんかじゃない。決して、そんな気持ちではたどり着けない場所を目指しているのだから。それに、あのボスモンスターを倒してみたいと思っているのは同じだ。
そして、何よりも、後ろから男の戦いを見て 目に焼き付けたいとも思ったのだ。
今後の参考に、データにするために。
『判った』
『それはありがとうございます。援護射撃を任せてよろしいですかな?』
『……ええ』
シノンはこくりと頷く。
……正直に告白をすると、この男はこの世界では珍しい部類に入るタイプの男。無益な戦いを望まないのだ。
そして、以前全滅をさせられたあのスコードロンのメンバーたちについては、ちょっと癖のあるメンバーだった。
所謂 《初心者狩り》をしていたからだ。
そんな場所で一度でも組んで戦った事に若干後悔すらしていたシノンだったが、あまりに熱心な(しつこい)誘いがあった事、そしてそのメンバーの内の何人かは、BoB予選上位まで連なっている者達だったから、1回だけを条件に参加したのだ。
プレイスタイルは、最悪だが シノン自身はこれを情報収集の為に、と割り切って加わっていた。
そんな中で、この男に出会ったのだ。
この男は、用心棒スタイルと言う訳ではなく、まだこの世界に入ってきたばかりで、右も左もわからない初心者達、数名にいろいろとレクチャーしていた所、自分達のスコードロンが襲撃した。……が、瞬く間に壊滅させられたのだ。
だから、正直な所 恨みまがいな事を言うのも思うのもお門違いなのだ。
だけど、あの時は仲間たちの大半が殺られてしまった後、残ったのはもう数える程だったが、逃げる選択肢は捨て、真剣に勝負に望んだ。人数差をものともしない、足でまといがいてもものともしない。そんな強者と。
あのスコードロンに入って、初めての事だ。
メンバーの殆どが狼狽えてしまって、チームとして機能出来てないに等しかったが、その中でも比較的落ち着いて攻撃する事が出来たのだが……、
ここから先は割愛する。
『同士撃ちには注意してください』
『判ってる!』
こうして、シノンと男の共闘が始まった。
戦いの時間はそこまで長くは無かった。
MMORPGでの大規模なボス戦であれば、それも少人数であれば数時間かかっても不思議ではないのだが……、時間にして58分。
視界の端に表示されている時刻を確認したから、間違いない。
――……シノンは、スタジアムを見渡しその上部にある排気口を選んで身を伏せた。
それを横目で見た男は、良い位置取りだと笑っていた。
あんな巨躯を相手にしていると言うのに、一体何処にそんな精神力があると言うのだろうか。……だが、それは知りたい事でもあった。その心の強さを。
――……戦場で笑える者は強い。
この共闘は、彼女の中でそう強く想う切欠でもあった。
そしてボス戦。
敵の攻撃の全てはシノンが潜んでいる排気口までは届かない。
熱線、鉤爪、有毒ガス等、多種多様な攻撃パターンを披露してきたが、その全てが僅かに届かなかった。そして、自分自身のライフル弾はギリギリだが射程範囲内だ。弱点は、無線のやり取りで把握した。
どうやら、額の小さな目が弱点。
男は、弱点である目をそこまで狙わなくとも、確実に当てるだけで構わないと言っていたが……、そこでもスナイパーとしてのプライドを大いに刺激させられた。
『狙った場所に当てる事が出来なくて、何が狙撃手だ』と。
1発、2発と続けて額に命中させていくのを見た男は、その表情をほんの少しだけ、驚愕していた。少しでも鼻を明かせてやれた、と思ったシノンは更に意識を集中させた。
――……そう、自分は氷。
氷の様な冷静さと集中力。
あの男と出会って、随分と乱されたがこれが本来の自分、の筈なのだから。
そして、最後の一弾は自分の最後の弾丸であり、ラストアタックボーナスは自分の手に渡った。それは、見た事の無い程の大きさ、巨大なライフル。設定としては、現時点ではNPC、プレイヤーの工房では製造する事が出来ず、街で売られてる事も無い武器。今回のように、遺跡に潜り、強力な敵モンスターを倒して、ドロップさせるしかない、所謂 発掘武器と呼ばれているものだ。
シノンが手に入れたのは、その中でもレアリティの高いライフル。
《ウルティマ・ラティオ・ヘカートⅡ》
対物狙撃銃と言う冠を持つ銃は、シノンのへカート以外にも確かに存在する。
《バレットM82》《マクミランM87R》《OSV-96》……etc
これらがあげられるが、このレア銃の群は、サーバーに僅か10丁しか存在しないと言われている代物だ。
……だが、シノンは手放しでは喜べなかった。
あの最後の一撃は、確かに自分が放った弾丸だ。だが、明らかに譲られた感がするのだ。……物凄く、するのだ。
『……最後の一撃、何で私に譲ったの?』
だからこそ、シノンは、ずしり……と重みのあるそのライフルを両手に持ちつつ、戻ってきた男にそう聞いていた。
『なぜ、譲った。と?』
『あなたのその銃。《Spas-12》だったら、十分に、あのボスの残HPを吹き飛ばす事が出来た筈よ。私のライフルが弱点をついた時のダメージとそこまで変わらなかったし、機動性は明らかにあなたが上。……なのに、最後の方は明らかに攻撃速度も、発射回数も減ったわ。そう思ってしまうのは極自然な事だと思うけど』
□ Spas-12
カテゴリーは、散弾銃。
これは、イタリア軍で行われた軍用散弾銃開発計画に沿って設計された軍・警察用の散弾銃だ。完全なる戦闘用の散弾銃、小型の大砲、とも呼ばれている。
このゲーム内でのその武器の扱いは勿論レア銃に分類される代物。
散弾銃のカテゴリーで言えば、最強クラスであり、即ちヘカートⅡと同族の様なものだ。そんな高性能武器を持っていて、最後のHPを削りきれないわけが無い。
だからこそ、そうシノンは訝しんだのだ。
そんな彼女を見て、男は更に微笑みを浮かべた。その前に、驚愕な表情を残して。
『やはり素晴らしい。あの極限の中での狙撃の精度もそうですが、それ以上にそこまでの観察眼を持っていましたか。……正直、貴女の事、見縊っていた所がありました』
羽織ったマントのフードの部分をとる。
そのアバターの素顔は、思ったよりも年老いた姿、初老を迎えた男の姿だった。
『もう一度、言います。貴女は本当に素晴らしい腕ですね』
『答えになってないわ。……それに、施しのつもりだったら、私は要らない』
そういってそのレア銃を下に下げた。
正直、勿体無いという気持ちも勿論あった。この時のシノンの知識でも、このカテゴリーの武器が相当なレアなものだと言う事はわかっていたからだ。
だけど、男は首を左右に振った。
『……そのつもりは毛頭ありません。ただ、戦いの最中で、貴女がどんどん凄みを増し、鋭さを増した、こちらにまで伝わってくる集中力。何をとってもそうです。……それを見ていたら、戦う事よりも、楽しくなりましてね。……初めてお会いした時は、貴女には色々と荒削りな所が多かったですが』
そう言うと、シノンの肩にやさしく触れた。
『その銃は、貴女にこそ 相応しい。強い意志を持った瞳を持つ貴女に。冥界を司る女神は貴女の物です。貴女が勝ち取って得た物です。……誇りなさい』
シノンにとって、この時は本当に教師、教官の様に思えていた。最初の頃の感情に比べたら、随分丸くなった気がする。アバターは現実世界の姿をトレースした者ではない。だが、その精神は現実世界で受け継がれている物だ。だからこそ、この世界で鍛え上げれば、現実世界に還っていくと信じている。
目の前の男は、現実世界でもこの世界でも、こうやって誰かを導く人なのだろう。
誰かを支えてあげられる強さを持った人なんだろう。
シノンはそう思った。そして、同時に知りたいとも思った。どうやったら、その強さが手に入るのか、と。
だけど……。
『まぁ、例えそのヘカートⅡを装備した所で、今の貴女が私に勝つのは100年早いですが』
にやりと笑う顔と共に、人差し指でシノンの額を軽く突いた。その言葉、そして軽めの一撃は、シノンの頭を突き抜けた。その一言が台無しにしたのだ、さっきまでの好印象の全てを。
『っっ! み、見てなさいよ! いつか、いつか必ず、この銃を使いこなして、あんたのその頭、ふっ飛ばしてやるんだから!』
軽くバックステップをすると まるで、子供のようにそういったのを覚えている。久しく無かった感覚だ。
『ほほ。……楽しみにしてますよ。ですが』
『?』
『私が此処に居られる時間も、少なくなってきましたので、あまり機会が無いかもしれません』
『なっ、勝ち逃げをする気??』
『そんなつもりはありませんが……良いではないですか。私以上のプレイヤーはこの世界には、ごまんとおりますよ』
『……そんなに居る筈無い。私が出会った中で、間違いなく最強は貴方』
シノンは視線を細めつつそう言った。つまり、完全に認めたのだ。自分の中に秘めているだけでなく、相手に言ったのだ。
確かに、他には? と訊かれれば 第1回BoBでの優勝者の事を思い浮かべる。……男の強さも一線を凌駕していたからだ。
だが、その頃はまだまだ初心者も良い所であったため、そこまで感じていなかったのだ。それなりに、強くなった今だからこそ、強く強く感じる。
『……なら、1つ、予言しておきましょう。もう直です、もう直に、強い男が、男達がこの世界へとやってきます。……私よりも強い男達が』
『っ……』
その男が嘘を言っているようにはまるで見えなかった。
真剣そのものであり、それは予言ではなく、確信だと思った程だ。
『……まぁ、また何処かで会いましたら、その時は私が受けて立ちましょう』
笑ったその顔を見て、再び殺意に似た闘志が湧き起こる。
『本当にみてなさいよ! あんたも、そのあんたが認めてる相手も、片っ端から吹っ飛ばしてやるから!』
『ふふ。御健闘を』
これが2回目の出会いだった。名前も知らない男との。名を聞く事を忘れていたが顔はしっかりと覚えた。目に、脳裏に焼き付けた。
次こそは、必ず打ち抜くその顔を思い浮かべつつ、ヘカートⅡを操ってきたのだ。
そして、場面は地上の戦場へと戻る。
あの件があり、ヘカートⅡを手に入れてから、シノンは只管腕を磨いた。
あの時言っていた 冥界を司る女神の真の意味、ギリシャ神話で出てくる女神から取っていると言う事を知り、改めて、この銃を最初で最後の相棒にしようと、心に決めた。この相棒と共に、幾つもの強者の屍を築き、真の強さを手に入れるために。
シノンはゆっくりとスコープの中を覗き込む。
標的のパーティーはまだ移動を続けている。そして、高台から確認できる2つの集団の距離が除除に狭まる。2000m以上合った距離も1000mを切り、今では700mまで迫っている。
――……頃合か。
シノンは再び右眼にスコープを当てて、ダインからの指示を待った。あの距離から考えて、もうそう遠くは無いだろうと確信をしながら。
そして、その数十秒後、ヘッドセットから雑音交じりの声が聞こえてくる。
『――位置に付いた』
「了解。敵はコース、速度共に変化なし。そちらとの距離400.こちらからは1500」
『1500か。まだ遠いな。いけるか? シノン』
「……問題ない」
シノンはダインの問いに素っ気無く応じた。
『……よし、狙撃開始』
「了解」
短いやり取りを交わした後、シノンは口を噤み、右手の人差し指をそっと大きなトリガーガードに添えた。
狙うはミニミを装備した男。
確か、以前にもこの男とは一度やり合っている筈だった。
その時は、スナイパーライフルではなくアサルトライフルを装備し後方支援ではなく、直接支援をしていたからだ。だが、それでも記憶には薄れてしまっている。自分の中での一番大きな記憶、この世界での記憶はあの男との戦いや共闘の時の事であり、そのせいもあってか、殆どどんな相手でも小さく見えてしまうのだ。
だが、それは慢心と言うべきものだ。
……また、あの男に出会う事になれば、そこを指摘してくるに違いないから。
シノンは、全ての邪念を捨ててスコープを覗き、射撃体勢に入った。
心臓の鼓動が波打つ音は、着弾予測円の動きに連動している。まだ視界に表示されていないが、その動きを見るまでも無い程、しっかりとこの耳にまで聞こえてくる。そんな中で、シノンはただ機械的に照準線の十字を動かした。距離、風向き、そして標的の移動速度。
全ての情報を考慮、完全に頭の中で制御して、スコープの視界に見える標的の姿の左上1m程外して固定。この距離からの射撃となると、cm、mm単位で大きなずれとなってしまうから、動く標的対しては、ある程度の予測を立てる、次の動きを加味して照準を合わせるのが定石だ。
そして、着弾予測円が視界に現れ、あの男の身体の約3割程がその円内に捕らえた。
この円の範囲内に、ランダムで命中するシステムとなっている。つまり、3割程入っているのであれば、男に命中する確率は30%と言う事になる。……が、如何に対物狙撃銃の威力を持ってしても、ヒットさせた場所が四肢、末端部に当たった場合は、その部位を吹き飛ばす事が出来ても、即死させることは不可能だ。
つまり、人体の急所に当たる可能性は更に低くなる。この円の大きさ、伸縮範囲は標的との距離や銃の性能、天候、光量、スキル・ステータス値といった要素によって変動するのだが、その中で最も重要なのが先ほども言ったように、心臓の音、心拍数だ。
つまり、狙撃手の心臓の鼓動。
現実世界で、どんな事であっても、極限に緊張している状態の行動と言うものはどうしても硬さが生まれてしまうのと同じであり、この世界ではその判定が一段とシビアだ。心臓の音が“どくんっ”と脈打ったその瞬間に、円は最大まで広がる。そして、徐々に縮小し、次の脈でまた広がる。その繰り返しだ。故に緊張し、脈打つ速度が増す、つまり心拍数が上がればあがる程、困難となってしまうのだ。
命中率を上げようと思ったら、狙撃は鼓動と鼓動の谷間を狙うのが一番だ。
だが、それは机上の空論ともいえる。
人間誰しも、ここ一番に集中しなければならない状態に陥れば、脈打ちは早くなる。訓練に訓練を、練習に練習を重ねた者達が行き着く領域に、その鼓動の抑制と言うものが出来る様になるのだ。一介のゲーム好きなプレイヤーであれば、そんな事はほぼ不可能だ。それが、この世界で狙撃手が居ない最大の理由でもある。
如何に、落ち着け と自身に言い聞かせても、当たらないから。
だが、シノンは心の中でつぶやく。
この程度のプレッシャーがいったいどの程度のモノだろうか?強敵と相対した訳でも無い。ただ、距離が遠いだけの相手。気づいてさえいない相手。距離1500?そんなもの、丸めた紙をくずかごに投げ込むようなものだ。あの強い男を前にした時に比べたら、小さい。
そして、何よりも、それ以上に。
――……アノトキニ、クラベレバナンデモナイ。
シノンの記憶の奥底、深層域にまだそれは寄生し、根付いているのだ。それを思った瞬間に、まさに彼女は氷になった。
氷の狙撃手。
人間のぬくもりなど一切無い。ただ冷たい氷で出来た機械。
着弾円の変動サイクルが一気にスローダウンする。
同時に時間間隔も引き伸ばされ、円が最小サイズになる瞬間がはっきりと判る。縮小した円が、ミニミを持つ男の心臓のみをポイントした瞬間、シノンはヘカートⅡのトリガーを引いた。
それは、まるで雷鳴にも似た咆哮。
ヘカートⅡには、そのあまりの威力から受ける反動の衝撃を緩和させるために、制退器と言うものが設けられている。発射の瞬間、巨大な炎が迸り、その役目を果たした。
弾丸は、音よりも早く、銃声すらも振り切って突進。如何に、制退器があるとは言っても、その想像を絶する威力の対物狙撃銃の反動だ。シノンの身体事、後方へ後退しようとするが、そこはしっかりと踏ん張り、こらえた。相棒と決めたその時から、このコの事を誰よりも知ろうとしていたシノン。そんな体たらくは見せない。
そして、1500mと言う遠距離から放たれたのだが、そのヘカートⅡの巨大な発射炎に気づいたのか、男がふっと顔をあお向けた瞬間。
ヘカートⅡの咆哮が男の身体を襲った。
恐らく自分が撃たれたのだと言うことは、身体がバラバラになった後で実感しただろう。狙ったのは心臓部だが、ヘカートの威力は男の上半身を吹き飛ばした。そして、少し遅れて下半身が赤い硝子片となって消滅した。
足元には、ランダムドロップである高額銃であるミニミが落ちている。……今頃、死に戻りをして総督府にいるであろう男は、殺されたショック、高額な銃を失ってしまったショックの2つの苦しみを味わっている事だろう。
シノンはそれを無感動に確認すると。
『狙撃成功……』
と心の中で呟いた。
そして、標的である他のパーティーメンバー達は、突然仲間が粉砕された事に驚愕・硬直していた。通常であれば、そこから精神状態を立て直して狙点を認識し、回避行動に取る。が、それはそう早く見積もっても、5秒はかかるだろう。その混乱を突けば、とシノンは素早く次弾装填にかかる。
このヘカートⅡは、対物狙撃銃の作動方式は 単発式となっている為、半自動式と違い、連射は出来ない。
だが、精神を立て直すまでの時間よりは早くへカートⅡの咆哮を再び起こす事が出来る。
ボルトハンドルを引いて、金属音と共に、巨大な薬莢を排出させた。
次に狙うのは勿論、不穏な気配を纏うあの巨漢のマントの男。スコープでその姿を捕えた時、改めて認識した。
――……この男、強い。
そう認識した。
その理由が、メンバーの全員が慌てていると言う状況にも関わらず、男は慌てる素振りを全く見せない。そして、そのマスクの下の素顔にある大型のゴーグルの奥からまっすぐシノンを見据えていた。
どんな状況になっても、対応出来る自信がそのには満ち溢れているかの様だったのだ。
シノンは、その男に向かってヘカートⅡを再び撃ち放った。
この時点で、敵側にはスナイパーの存在を認識出来ている為、その視界の中には《弾道予測線》が薄赤い半透明の光の筋となって表示されているだろう。その一撃は、あの巨体の男をも難なく貫く威力を秘めている。……が、その強靭な精神力を見たシノンは、この一撃が当たらない事はもう判っていた。その予想通り、男は落ち着いた動作で 火を噴き飛んでいくヘカートⅡの弾丸を躱した。
そして、通り過ぎ、男の背後にあるコンクリートの壁を削り、いや、抉りとった。
これ以上は無意味だと、シノンは判断。
「第一目標成功。第二目標失敗」
スコープを覗いたまま、口許のレシーバーに囁いた。
そのヘカートⅡの無慈悲な咆哮は、仲間達にも聞こえている為、直ぐにダインからの応答はあった。
『了解。 アタック開始。……ゴーゴーゴー!!』
ダインの叫びと共に、地面を蹴って駆け出していく音が微かに届いた。課せられた任務はこれで終わりだ。だが、シノンはあの男から目を離す事が出来なかった。当初より感じていた違和感。……嫌な感じ。それが杞憂であれば良い、と思うが。
それは悪い意味で当たる事になった。
「あっ……!!」
シノンは思わず声を漏らしてしまう。
見張っていた男が、迷彩マントを跳ね上げ、身体から剥ぎ取ったのだ。男の両手には武器はなく、腰にもない。武器は、その広い背中に担がれていた。
ダイン達は、あれはアイテム運搬用のバックパックだと思っていた物体。それこそが、あの男の武器だったのだ。いや、武器と表現するより、兵器、重器と表現する方がしっくりとくる程の代物。
現実世界で言えば、軍用ヘリコプターの地上目標に対する制圧射撃用に使われる代物である《GE・M134ミニガン》。勿論、武器カテゴリは重機関銃であり、このガンゲイル・オンラインに存在する銃器の中で最大のモノの一つだ。6連の銃身が高速回転しながら装填・発射・排莢を行うことで、7.62ミリ弾を秒間100発と言う狂気じみた速度でばら蒔く。
そして、本体だけの設定で重量は18kgあれだけの弾薬と一緒なのであれば、ゆうに40kgを乞えているだろう。現実では2人以上の歩兵による携行運搬を主眼に置かれている事から判る様に、幾らゲームとは言え、筋力値一極型とは言え、あれだけのものを重量制限に収めるのは不可能だ。
つまり、あのメンバーの歩行速度がのんびりに見えたのは、あのミニガン使いの過重状態のペナルティに合わせて、移動していたのだ。
これらの状況を確認、そして把握している間に男はもう動いていた。ミニガンのハンドルを握り、巨大な機関銃が滑らかに動く。どっしりと構えると同時に、男は初めてゴーグルの下の口を動かした。
それをはっきりとシノンは見た。
獰猛な笑みを浮かべているのを。
そこから先は、これまでと違い、形勢逆転だ。
まさに蹂躙されるとも言える怒濤の弾幕を浴び、まず突入していたギンロウが蜂の巣にされ、身体を散らした。
如何にあのミニガン使いとは言え、筋力値一極にステ・振りをしている為、速度は極端に鈍い筈だ。だから、中間距離であっても、正面に立たず、絶え間なく動き続け、高速で移動をしながら攻撃すれば倒せないことはない。
……が、それはあの男1人であれば、の話だ。
レーザーブラスター使い達もいる為、こちらの防護フィールドが効力を失う近距離まで肉薄されれば、そちらの相手をしなければならない。八方塞がり、詰み。そう言われても不思議ではなく、撤退しても文句は言われないだろう。それに、これまでの経緯があり、卑しく稼いでいた者達の報いだとも取れる。
だが、シノンは走り続けていた。
ずしりと、背中にくい込むヘカートⅡの重みを感じながら戦場へと向かって。
彼女の中にあるもの。
それは、仲間達の窮地を助けたい、と思ったわけじゃない。
それはそうだ。以前いたスコードロンよりは マシだとは言え、元々、このスコードロンのスタイルと自分は合ってなかったのは事実であり、打算的に入っていた面があるのだから。
彼女の脚を突き動かしたのは、あの男の笑みを見たからだ。
――……あの男は、戦場で笑えるだけの強さがある。
それは、圧倒的優位であるから出る余裕の笑みではない事はシノンも判った。
《ミニガン》と言う、《ヘカートⅡ》やあの男の《Spas-12》と同じか、それ以上のレア銃を手に入れるだけのプレイ時間。恐ろしいまでの装備要求である筋力値を積み重ねる忍耐力。更には戦闘中の狙撃に対しても、眉一つ動かさず、冷静に対処するだけの胆力。全てが強者たる者に持つべきスキルを備えているのだ。
そういう強い相手と戦い、そして殺すことであまりによわいもうひとりの自分、そう……、今でもシノンである内側で泣きじゃくっている、幼い《朝田詩乃》を消滅させる為。
それが、彼女をこの世界に刈りたててる全てだった。
以前には、その機会があった。2度もあった。
この獰猛な笑みを浮かべる男とはまた違う種類の雰囲気を持ち合わせている、歴戦の猛者、老気横秋の兵士との戦いだ。
あの時、圧倒的な力の差を前に、敗北したが、あの男と戦った頃よりも自分は強くなっている。
「――……今度こそ」
相手に取って不足はない。
シノンは、過去を振り払う様に戦場を駆け抜けたのだった。
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