魔法少女リリカルなのはStrikers~誰が為に槍は振るわれる~
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第一章 夢追い人
第6話 恋と日本文化と戦いと
前書き
ながらくご無沙汰していましたがようやく更新です。
時間の空いてしまった愚痴などが知りたい方はマイページのつぶやき覗けば分かります。
では、時間も空いてるのに前置きまで長くなるのはよろしくないので、前置きはこの辺で…
楽しかったはずのバーベキュー大会。シャマルの手料理によって一時期は恐怖と混乱の坩堝に陥ったものの、そこはそれ、長年の付き合いというか絆というか経験というかでシグナムとフェイトを復活させ、事なきを得た機動六課一同。
その彼女たちはいま、任務でかいた汗を流そうと海鳴市にあるスーパー銭湯、『海鳴スーパーラクーア』に来ているのであった。
「これが“スーパーセントウ”というやつか……」
そう呟いたのは、このスーパー銭湯というものに否定的だった少年、ラディオン・メイフィルス。
六課に来て早々、前準備の時間もほとんどなくこちらに飛ばされたせいで日本はおろか第97管理外世界そのものの文化にすら疎かった彼にとって、お金を払って風呂に入るというのはひどく奇異に思えるものだったらしい。
そもそもから、この銭湯というものを聞いての最初の一言からして、
—―金を払って風呂を利用する? 海の家でもないのになんだその詐欺商売。
というものだった。
その疑念をどうにかして晴らそうと地球組はあれやこれやとスーパー銭湯の話を聞かせたのだが、結果はすべて逆効果。話を聞けば聞くほど疑念はさらに深まり、初めのほうは取り繕えていた表情も徐々に崩れていき、最後には露骨に胡散臭そうにしていた。
しかしその疑念も予想していたものとは随分違うスーパー銭湯を目にして少しは和らいだようで、興味深そうにその外観を眺めていた。
「なんというか、デカいな。そこらへんのスーパーよりもデカいんじゃないか、コレ」
「でしょ~。こっちに住んでいた頃は、はやてちゃん達と一緒によく来たのよ~♪」
意外そうなラディに、隣にいたシャマルが笑顔で話しかける。
そのまま彼女は中に色々な種類の風呂があることや、風呂だけでなく卓球などの娯楽施設もあることなど、熱心にあれやこれやと話し始める。
それにラディは相槌を打ちながら、度々シャマルのほうに視線を向けて、楽しそうに話を聞いていた。
ふんわりとした雰囲気の美人さんなシャマルと、所々幼さを残しながらも、同時に大人の男性のスマートさを兼ね備えたラディの組み合わせは、少女マンガの一ページのように絵になっていた。
が、しかし。
それを一歩引いたところで見るなのは達の顔に浮かぶのは、熱を帯びたうっとりとした表情でも、お似合いの二人を暖かく見守る微笑でもなく—―頬を引き攣らせた苦笑だった。
「なぁ、あたしの勘違いだったらわりぃんだが—―」
気まずい雰囲気の中口火を切るのはヴィータ。
一拍の間を置き、言葉を続ける。
「—―惚れてないか? シャマル、ラディに」
その場の全員が頷いた。
恋だの愛だのが未だ絵本の中のお話であるキャロやエリオも含めての全会一致である。
確信してはいたものの、誰か一人くらいは否定してほしいと思ってたヴィータは、誰に憚ることもなく、盛大に溜息をつく。
「たく、シャマルのやつ……まだ会って数時間くらいしかたってねぇぞ。チョロすぎるだろ、いくらなんでも……!!」
「ま、まぁまぁヴィータちゃん。ほら、恋は唐突って言うし。ね?」
「会ってすぐに恋に落ちる一目惚れとかもありますし」
「いやでもよ—―」
不機嫌そうに頬を膨らますヴィータをなのはとスバルが宥める。
だがそれでもヴィータの気持ちは納まらないらしく、呆れたように再び溜息をつきながら言葉を吐き出す。
「—―惚れるならまだしも、“落としにかかる” っていくらなんでも手が早すぎだろ……」
ヴィータの言葉に今度は誰もシャマルを弁明するものはいなかった。
今回の地球での出張任務の拠点であるコテージの道すがら、シャマルは常にラディの隣をキープし、楽しそうに話し続けていた。
最初の方は、やけにご機嫌だなと不思議に思っていた一同も、次第に一人、二人と状況を察し始め、全員が察したころには、二人と一同の距離はもはや連れと言うにはあまりにもあまりな距離が空いていた。
そのことにラディのほうは気づいていたようで、時折こちらを不思議そうに見ていたのだが、シャマルは気づいてないらしく、ラディとの距離を気持ち詰めながらノンストップで話し続けていた。
その様はまさしく—―
「—―もうすぐ30歳になるのに独身で結婚を焦ってるOLさんが、合コンで好みの男の人を見つけて勝負を掛けてるみたい……ですぅ」
「「「「………」」」」
リインのあんまりにもあんまりな喩えにその場を痛い沈黙が包む。
今、目の前で上目使いをしたり服の裾を軽く引っ張ったり腕を前で組み胸を寄せてあげるシャマルには、確かに的確な喩えなのだが、いかんせん、その言葉のセンスも相まってあまりにも的確すぎた。
後ろにいるなのは達が沈黙に沈む中、そうとは知らないシャマルは相変わらず楽しそうに話し続け、その明るい声が妙に悲しく辺りに響く。
その声に背中を押された、というよりは引きずられたような重い声で、誰かが呟いた。
「行こっか」
こうして、とても明るいシャマル、ラディ組と、とてもとてもとても暗いその他のメンバーは海鳴スーパーラクーアの門を潜るのだった。
○●○●○●○●○●○
「はい、いらっしゃいませ。海鳴スーパーラクーアツーへようこそ!! お二人様ですか?」
「いえ、団体です」
自動ドアの向こうから現れたなのは達を見た店員は、距離間から考えて、ラディとシャマルの二人組と、その後ろから続くなのは達団体の組み合わせと思ったのだろう。当然のようにラディとシャマルの二人から受付を始めようとした。
その間違いを特に気にした風もなく、ラディは苦笑しながらなのは達に早く来てと手を振った。
目の前にぞろぞろと増えていく客を前に初めは訝しげな表情を浮かべていた店員も、自分の間違いに気づいたようで、何度も頭を下げた。
日本人特有の何度も頭を下げるその対応に、ミッドから来たラディは慣れていないのか、おろおろと慌てながら気にしていないと何度も体の前で手を振っていた。
そんなラディを放置しながら、はやては人数を確認し始める。
「えと……大人13人に……」
「子ども4人だね」
大人たちに埋もれ見え辛くなっていた背の低いチビッコ達を数えるところで行き詰まったはやてに代わり、フェイトが答える。
そこでティアナが首を傾げて、誰が子どもなのかを確認し始める。
「えと、エリオにキャロに・・・」
「私とアルフです!!」
「うん♪」
ティアナが数えたエリオにキャロに、自己申告したリィンとアルフがチビッコに認定された。
これにて人数確認と内訳の確認も終わり、さぁ風呂に入ろうかとした矢先、不満を持つ者が数名現れる。
「あれ? ヴィータ副隊長は子ども—―」
「—―あたしは、大人だ !!」
一人はスバル。
見た目からして子どもなヴィータをチビッコ枠に入れようとするが、心外だと眉根を釣り上げながらヴィータが即座に噛みついた。
そしてもう一人は、機動六課の新戦力、ラディオン・メイフィルス。
「13歳は流石に大人扱いか……高いな」
ヴィータとは逆に大人扱いされたことに顔をしかめるラディ。
話を聞いたときよりは大分印象が良くなったとはいえ、未だ風呂に入るだけなのにお金を払わなくてはいけないことには抵抗があるのか、納得いかなさそうに料金表を睨んでいた。
「ではこちらにどうぞ」
「先に会計済ませとくから、先行っててな」
そんな二人に構っていては話が進まないと感じたのか、受付を早々に済ませたはやてが、財布を取り出しながら他のメンバーを先へと促した。
はやてに会計を任せ、口々に礼を言いながらなのは達は奥へと進む。
夕飯から向こう色々あったものの、任務でかいた汗を流せることになのは達は一様に嬉しそうに顔を綻ばせていた。
しかしこのとき、誰も予想はしていなかっただろう。
この後、浴場へと進んだその先に、一つの小さなハプニングが待っていようとは……
○●○●○●○●○●○
エリオ・モンディアルは、絶体絶命の危機に陥っていた。
第97管理外世界にある惑星の一つ、地球。時空管理局の力の及ばないこの世界において、エリオ・モンディアルは、敵の奇襲に遭い、応戦していた。
敵の波状攻撃はエリオに休む間も思考する暇も与えず、今もまた奇襲部隊の主軸をなす一人が攻撃をしかけてきた。
「エリオ君。一緒にお風呂に入ろうよ♪」
いま一度、大事なことなので繰り返そう。
エリオ・モンディアルは、絶体絶命の危機に陥っていた。
事の発端は、キャロが注意書きのある部分を見つけてしまったことにあった。
『女風呂の男児入浴は11歳以下まで』
ミッド的に考えても地球的に考えても普通にありえない注意書なはずなのだが、ここではそれがルールとして罷り通っている。ルールとしてそれが通用しているのなら従うもの。そこに大義名分を見出したキャロがエリオを女風呂に誘い、そしてそこにフェイトが加わったのだ。
ただ一言恥ずかしいので嫌ですと言えばよかったのだが、そこは人の好さが災いしたのか断りきれず、他の女性陣からもなにか言ってもらおうと頼ってしまった。
しかし他の女性陣も、別に構わない、気にしない、という期待した答えとは反対の答えばかり。
挙句の果てには髪を洗ってあげると追撃を受ける羽目になってしまった。
守る術も、頼れる味方もなく、あるのはただ、男の子としての意地のみ。
そんな危機的な状況の中でもエリオはあきらめず、決意を固める。
言うぞ。言ってみせる。
これは決して自分のためだけではない。彼女たちのためでもあるのだ。
そう自分に言い聞かせ決心を固めながら、彼は息を吸い込んだ。
そして断りの言葉を言おうとしたその時、フェイトが口を開いた。
「昔みたいに、一緒にお風呂に入ってくれないの……」
その寂しそうな声と上目づかいに、エリオの決心は一瞬にして砕け散った。
それも仕方ないことだろう。
エリオにとってフェイトは母であり姉である人なのだ。
そんな女性に、寂しそうな顔をされてしまえば、反抗期もまだな彼は無下にはできない。
むしろ即座に首を縦に振らなかっただけよく耐えたと言えるだろう。
だが、決心が砕け散った今、エリオにはもう男の子としての意地を通すだけの気力は残っていなかった。
あきらめて、甘んじて男の子としての辱めを受けようか……。
そう悲壮な決意を固めたとき、エリオの肩に力強い手が乗せられる。
「ダメですよ~、フェイトさん。エリオはオレと一緒に入るんですから」
「ラディ陸曹……」
そう声を上げたのは、これまで静観を保っていたラディだった。
不安そうに自分を見上げてくるエリオに対し任せとけと軽く口角を上げながら、ラディは言葉を続ける。
「エリオがそっちに行っちゃったら、オレ一人で入らなきゃいけなるじゃないですか~。そんなの嫌です」
ラディの言葉になんとかエリオを取り戻そうと反論を考えるフェイト。
今日入ってきたばかりの新人に、流石に一人でお風呂に入ってこいとは言えず、頭は空回りするばかり。
なにか、なにかうまい言葉はないか……。
空回ってばかりの頭の歯車をどうにかして噛みあわせようと苦悩するフェイトの目に、家族連れと思わしき4人が目に映る。
その瞬間、彼女の頭の歯車がカチリと音を立てて噛みあった。
「家族のスキンシップだよ!!」
「家族のスキンシップ、ですか?」
首を傾げるラディに、勝利を確信したホクホク顔のフェイトが言葉を続ける。
「そう!! 家族のスキンシップだよ!! 日本にはね、裸の付き合いっていうお風呂で親睦を深めあう風習があってね、お風呂に入るのは家族の絆を強くするために絶対に必要なことなんだ!!」
「ほうほう。裸の付き合いで家族の絆を強くする……ですか」
得意げに捲し立てるフェイトに、うんうんと頷きながらラディは理解を示す。
腕を組み、視線を食うに泳がせて考え込む様子を見せるラディをフェイトとエリオは固唾を飲んで見守る。
意味の異なる両者の視線を受けながら考え込んでいたラディは、考えがまとまったのか、組んでいた腕を解きフェイトに向き合った。
「家族のスキンシップなら仕方ないですね。今回は引きましょうか」
「ラディ君!!」
「ラディ陸曹!?」
喜色溢れるフェイトの声と、絶望に染まったエリオの声がその場に響く。
満面の笑顔でハイタッチを交わすフェイトとキャロとは対照的に、最後の頼みの綱だったラディに裏切られ、エリオはガクリと肩を落とす。
そんなエリオの肩にラディは手を乗せた。
緩慢な動きで顔を上げ、やさぐれた目で自分を見上げるエリオに悪戯っぽくウインクをしてみせ、ラディは再びフェイト達に向き合った。
「でも、ということはオレは、一人で銭湯という未知の文化を体験しないといけないんですね~」
「え……?」
勝利したと思い込んでいたフェイトはラディのその言葉に固まる。
フェイトの予想通りの反応に一瞬目を光らせたラディは、わざとらしく肩を落として溜息を吐く。
「出向当日で隊に慣れていなくて、その上勝手のきかない知らない異界への地へと出張任務。そしてトドメとばかりに“銭湯”という現地の特有な文化に投げ込まれて色々といっぱいっぱいですが、まぁがんばってみます」
「う……」
効果音と効果線をつけたくなるほどに落ち込むラディにフェイトは言葉を失う。
だがここで退いては負けだと己を奮い立たせ、なんとか言葉を絞り出す。
「で、でも。ほら。エリオも、ね。銭湯は初めてだし、あんまり変わらないかなーなんて」
「一人と二人とでは心細さの度合いが全然違いますよー」
辛うじて絞り出した反論も捨てられた子犬のような視線とともに放たれた言葉に即座に潰された。
このままではエリオは向こうへ行ってしまう。どうにかして取り戻す口実を見つけ出そうと必死にフェイトは考える。
家族のスキンシップも使った。エリオ自身の攻略はそもそもできていない。上司と部下のコミュニケーション? それは向こうも同じだ。すぐに思いつく口実は全て出し尽くし、そして—―潰された。
完全に手詰まりだ。
「どうやら納得してもらえたようですね~フェイトさん」
話しはこれでおしまいと笑顔を浮かべるラディ。
悔しさに奥歯を噛みしめながらも、引き攣りそうになる顔の筋肉を意地で抑え込み、なんとか表面上は笑顔を取り繕いながら、フェイトはそうだねとだけ返した。
そんなフェイトの胸中を知ってか知らずか、馴れ馴れしくエリオと肩を組みながら、口元から輝く白い歯を覗かせながら、声音に宿る嬉しさを隠すこともせずに宣言した。
「それじゃあエリオはオレがもらっていきますね~♪」
「う、ん。どう…ぞ」
意気揚々とエリオの背中を押しながら男風呂へと向かうラディの背中を、がっくりと肩を落としながら、フェイトは恨めしさ半分、羨ましさ半分の複雑な視線で見送った。
当人たちからしてみればとても重要だった今回のライトニング分隊の内部紛争は、ライトニング分隊新人副隊長のラディの勝利で終わった。
しかし、目元に涙を微かに浮かべ、唇を噛みしめながら二人を見送るフェイトの様子に、これからライトニング分隊は荒れるだろうな~と、その場の一同は苦笑いを浮かべるのであった。
○●○●○●○●○●○
僕はさっきから驚いてばかりいる。
魔法がないにも関わらず、ミッドとさほど変わらない文化基準に。
“銭湯”というミッドにはない文化に。
そして—―ラディ陸曹の身体に刻まれたいくつもの傷跡に。
大きな傷、小さな傷、斬り傷に銃痕に火傷に、そもそもどうやってできたのか分からないような傷。そういった傷が、肩や太腿はもちろん、胸やお腹のような命に関わるようなところにまであった。
ラディ陸曹は、たぶん他のお客さんに遠慮したんだろうけど、すぐに傷跡を変身魔法かなにかで消してしまった。けれど、あまりにも衝撃が強すぎたそのいくつもの傷跡を、忘れることはできなかった。
壁に背中を預けて温かいお湯に肩までつかりながら、気の抜けた声をだしてくつろぐこの人が、新しい仲間で、頼るべき上司であるこの人が、僕にはなんだか怖い人に思えて仕方なかった。
「エ~リオ~」
「—―は、はい。なんですか?」
「いやぁ、なんだかずいぶん固くなってるようだからさぁ、ちょっと声かけてみただけだよ~」
「そ、そうですか……」
そんなことを考えていたせいで、いきなりのラディ陸曹の呼びかけにびっくりして、変な声がでてしまう。
でもラディ陸曹は気づかなかったのか気にしなかったのか、緩んだ顔で手を振っただけだった。
そしてラディ陸曹はまた、気の抜けた声を出しながらくつろぎ始める。
でも僕の方はどうしてもくつろぐ気にはなれなかった。
味方なはずなのに、この人の前で隙を見せてしまうと、そのままとってくわれてしまうように思えたから。
そうやって気を張っていたおかげだろうか。なんとなく、どこがどうとは言えないけれど、あ、またなにか話し出すなって気づくことができた。
「な~、エ~リ~オ~」
「なんですか?」
「少しさ、世間話でもしようか~」
「世間話、ですか……」
「そうそう」
ラディ陸曹の考えていることが分からなくて、僕は身構える。
でもそんな僕のことに気づいていないのか、ラディ陸曹はその “世間話” とやらを始めた。
「オレってさ~。スパイじゃ~ん」
「は、はい。そうですね」
世間話の内容としてそれはどうなのだろうか、と思いつつ、とりあえず返事をした。
「んでさ、スパイっていう仕事はさ~。色んなとこ駆け回って、人が知られたくないーって思ってる情報を集めるのが仕事なのよ~」
「……はい」
ラディ陸曹のスパイの話で、もしかしたらこの人は自分から六課の悪口を聞き出そうとしているのかもしれない、という考えがよぎる。
フェイトさんやはやて部隊長たちの夢を、僕の居場所を、壊させたりするもんか。きっといまの僕の顔には、そう書かれていると思う。
色々と気遣いのできるラディ陸曹なら気づいているはずなのに、けれどまったく気にした様子もなく話を続けた。
「だからさ~、知ってるんだよね~。エリオが、プロジェクトFの記憶転写型クローンだってこと」
「…………え?」
なにを言っているのか分からなかった。
お風呂の端に背中を預け、こちらを横目で見てくる“この人”の言葉が、頭の中でグルグル回って、なにを言ったのか分からなかった。
分からなかったから、ただボーっと、その顔を見ていた。
そうしていると、目の前の“この人”が、また、話しを始めた。
「今から約8年前、富豪で知られるモンディアル家の次男が、不幸な事故に遭い亡くなった。しする息子を亡くし、モンディアル夫妻は悲しみに暮れた。話がここで終われば悲劇で終わったんだろうが、現実にはそうならなかった」
そこで“その人”はいったん言葉を切り、壁から背中を離した。
「ある科学者が、多分金目当てだったんだろう、夫妻にプロジェクトFのことを話し息子さんを生き返らせようと話を持ちかけた。愛する息子を亡くして絶望していた夫妻はその話に乗り、お前が生まれた」
頭に入ってくる言葉を前に、なにも考えられなくて、僕はただ、黙って、無表情で、その話を耳に入れることしかできなかった。
けれど、次の“その人”の言葉に、それさえもできなくなった。
「そして—―“家族ごっこ”が始まった」
「—―っっ!!!」
その言葉に、思い出したくもない過去の思い出が蘇る。
近くの山に登ったピクニック。
雲一つない青空の下ではしゃいだ海水浴。
一生懸命応援してくれた運動会。
昼ごはんも食べずに夢中になってつくった雪だるま。
みんなで食べたご飯。
優しくて、眩しくて、暖かくて……上辺だけの、思い出。
「けれど、それも長くは続かなかった。どっから嗅ぎ付けたのかは知らないが、モンディアル家とプロジェクトFのことを知ったどっかの科学者が、エリオ・モンディアルを拉致しに来た。夫妻のほうは、初めのほうは抵抗したみたいだが、クローンのことを突きつけられて抵抗を止めた……もっとも、兄のほうは最後まで抵抗したけどな」
思い出す。あの絶望を。
これまでなんども見た、悪夢を。
ずっと箱に入れて蓋をして、頭の奥に追いやって、それでもなにかあるたびに隙間から漏れてきて僕を苦しめるトラウマが、いままた僕を苦しめる。
「残酷な科学者。無責任な親。悲劇の子ども。他人から見れば、そんなタイトルがつけられる悲しいニュースの一つってとこだ。でも、当事者からしてみればそんなもんじゃない。特に、お前が連れて行かれた後で受けた苦しみとかはな」
"その人"の言葉は情けも容赦もなく、僕の思い出したくもない日々を引きずり上げていく。
白い無機質な部屋の中で、朝なのか昼なのか夜なのかも分からずに、毎日毎日毎日、たくさんの血を抜かれて、抜かれたよりもたくさんの薬を打たれた。
泣いても、叫んでも、だれも助けてくれなかった。
みんな、みんな、いつも僕を冷たい目で見下ろして、手元の端末の上で指を走らせて、次の薬を決めていた。
体が震え出す。
温かいお湯に肩まで浸かってるのに体の震えが止まらなくて、膝を寄せて自分の体を抱き締める。
それでも体の震えは止まらない。
押し寄せる過去は体が温まるより早く熱を奪っていく。
寒い、寒い、寒い。
寒くて。寒くて。その寒さの中に、落ちたくなる。
そんな僕の頭に、温もりが乗せられた。
最初はそれがなんだか分からなくて、少したってから、それが “あの人” の手の平だと分かった。
なんでそんなことをするのか分からなくて見上げる僕に、“その人” は僕の眼を覗き込みながら、口を開いた。
「なぁエリオ。今の生活は、楽しいか?」
—―僕はなにも答えなかった。
“この人” がなんでそんなことを聞くのか分からなかったから。
でも答えを聞かなくも、“この人” には分かったみたいで、なぜか安心したように笑って、頭の上に乗せていた手で、僕の頭をポン、ポンと叩いた。
「なぁエリオ」
呼びかけるその声は、僕に残酷な過去を思い出させた人とは思えないほど優しくて、縋るようにその先に、僕は耳をそばだてた。
「人はさ、未来に向かって今を生きてくものだけどさ、その今の自分っていうのは、過去の自分が向かって生きた未来の自分なんだよな」
そこで “その人” はいったん言葉を切り、顔は僕に向けたまま、どこか遠い目をした。
「だから過去を忘れて生きろなんてことを、オレは言わない。ただ、過去に囚われて生きるのだけはやめろ。そんな生き方は――悲惨でつまらないもんだ」
その言葉に、僕はただ黙っているしかなかった。
頭では分かっているんだ。そんなこと。でも、過去を乗り越えるだけの—―あのトラウマに立ち向かうだけの勇気が、僕には……。
「だから、とりあえず過去を引きずって生きろ」
……いま、“この人”は、なんて言ったんだ?
引きずって生きろ。そう言ったんだろうか?
聞き間違いかと思ってその目を見るけれど、聞き間違いじゃなかったようで、もう一度同じ言葉を返された。
「過去を引きずって生きてみな、エリオ。引きずるだけなら、少なくとも未来は向いてる。だからとりあえずはそれでいいさ。過去を乗り越えるのは、乗り越えるときが来たらでいい」
過去は忘れて今を生きなさい。
過去は過去、今は今。
そうやって、過去を今を分けさせようとする人は、これまでたくさんいた。
でも、僕にはそれができなかった。
過去を乗り越えるどころか、過去に向き合う勇気さえもなかったからだ。
だけど “この人” は、その必要はないって言っている。
過去を乗り越えることも、向き合うこともしなくていいと。
過去があるから今があって、過去が作った今が、未来になっていくんだからって。
たとえその過去が、どんなに重くて苦しいものでも、乗り越えるときが来るまでは、存分に引きずられていいと。
それがただの逃げで、本当はよくないことだって言うことくらい自分でも分かっている。
分かっているけど、それでも、“ラディ陸曹” の言葉に救われた自分がいた。
「それにな、エリオ。実は男の場合、そうやって重い過去を引きずったほうがよかったりもする」
「……どういうことですか?」
これまでとは違う真剣な表情から出てきた言葉の意味が分からなくて、僕は首を傾げた。
ラディ陸曹は僕の頭に乗せていた手を降ろし、人差し指を立てて振りながら、悪戯っぽく笑った。
「男っていうのはな、エリオ。少しくらい陰があったほうがモテるんだ」
「…………はい?」
突拍子もないラディ陸曹の言葉に、思わず僕は固まった。
モテるのはたしかに男の子としてはいいのかもしれないけれど、わざわざトラウマを作ってまでするものなんだろうか? そんな心がそのまま顔に出てたみたいで、ラディ陸曹は眉根を寄せて顔を顰めた。
「おいおいおいエリオー。モテるかどうかっていうのは男の子にとってとっても大事なことなんだぞ? というか夢だな。全次元世界の男の夢だ。全ての男の理想といっても過言じゃないな~、うん。ちなみに!! オレも自慢だがそれなりにモテるぞ!!」
「はぁ……」
輝く白い歯をラディ陸曹なのだが、どうにも僕にはモテるというのがそこまでのことだとは思わない。モテるよりも大事なこととかか、夢にするようなものがあると思う。
それに自分でモテると宣言するのは、少し恥ずかしいことなんじゃないかと思う。
そのことを口にしようとして、はっとする。
さっきラディ陸曹は、少しくらい陰があるほうがモテると言った。
僕の場合、その “陰” っていうのは、自分の……生まれ方のことだった。
それは僕にとって触れてほしくないことで、触れたくないこと。
なら、ラディ陸曹の “陰” というのはなんなんだろう?
そう思った時、お風呂に入る前に見たあの傷だらけの身体を思い出す。
もしかしたらラディ陸曹も心になにか深い闇を抱えているんじゃ—―
「あ、ちなみにオレの陰の部分はスパイっていう身分だぞ。いや~ホント役得だよ♪」
――そんなことを考えていた自分がついさっきまでいた。
自慢げに胸を張ってサムズアップするラディ陸曹を見て、ホントにお気楽な人だなぁと呆れて思わず笑ってしまう。
でも、そんなお気楽な人に、僕は救われた。
自分の考えすぎかもしれないけれど、もしかしたらモテるとかなんとかいう話は、自分をリラックスさせようと気遣ってくれたのかもしれない。
こうして話をする前は、スパイだって言ってたからどこか不安だったけれど、ホントはとても優しくて気遣いのできるいい人なのかもしれない。
少なくとも、戦うときに一緒にいてくれると嬉しい人だ。
ラディ陸曹の戦い方とか、昔なにがあったのかとか、まだまだ分からないことが多いけれど、それでも、この人は信用できる人だと思う。
だからなにかお話しよう。
さっきはラディ陸曹から話しかけてくれた。だから今度は僕から話しかけよう。
せっかくだから、機動六課のみんなのことを話そう。
そう思って口を開こうとしたとき—―聞き慣れた声が、自分を呼んだ。
「エリオくーん!! お兄ちゃーん!!」
「――――キャッキャキャキャキャロォッ!!!!!」
考えるよりも早く身体が声の聞こえたほうに向いて—―そしてすぐに元に戻した。
一瞬、ほんの一瞬見えたのは、バスタオル一枚で体を隠したあまりにも無防備なキャロの姿。
声も聞いたし、姿も見てしまったから、どう考えても現実のことなんだけど、それでも僕は自分の聞き間違い見間違いであってほしいと思っていた。
しかし、残念ながらそうはなってくれなかった。
「お、キャロやっぱりこっち来たか?」
「はい来ちゃいました♪」
ラディ陸曹に楽しそうにこたえるキャロの声に、あぁ間違いじゃなかったんだ…と肩を落とす。
いや、その前に—―
「ラディ陸曹やっぱりってどういうことですか!?」
やっぱりと言ったってことは、ラディ陸曹はキャロがこっちに来ることを予想していたということだ。それなのに止めないし教えてくれなかった。だから僕はラディ陸曹にそれなりに怖い顔をしたつもりで詰め寄ってみたのだけど……
「えぇ~、だって注意書きの『混浴は11歳以下まで』っていうのは、別に女湯に限ったことじゃなかったしな。キャロなら来るんじゃないかな~とか思ってたんだよぉ」
と、なにが問題なのか分からないと無邪気にラディ陸曹は首を傾げる。
でもそれは絶対嘘だ。
だって口元は微妙に笑ってるし目はすごく悪い方向でキラキラしてるし声も完全におもしろがってる。
だからもっと噛みついてやろうと思った—―のだけれど……
「エリオ君、ちょっと落ち着いて、ね?」
いつの間にか近くに来ていたキャロに、エリオは思わず目が釘付けになる。
いつもはふわふわとしている髪は、籠った湯気のせいでか少し湿って顔に貼りついていて、白い肌はお風呂の熱気にあてられて、ほんのり赤みが差していて、肌を隠しているのがバスタオル一枚だけなせいで余計に目立っていた。
キャロ、かわいいな……。
そんなことを考えながらキャロのことを見つめていると、キャロが恥ずかしそうにもじもじし始めた。そこでようやく、キャロに失礼なことをしていたことに気付いて、慌てて謝りながら顔をそむけた。
僕らのその様子がおかしいのかお風呂場に響かないくらいの大きさで、声を出してラディ陸曹が笑った。
元を辿ればラディ陸曹が原因なのに、楽しそうなラディ陸曹が恨めしくて少しムッとした顔で非難の視線を送る。ラディ陸曹はまるで反省してないように肩を竦めると、そんな僕から目線を外してキャロのほうを見た。
「まぁでも、ココ一応男湯だしな。女の子のキャロがあんまり長くいるのもよくないかもな~。ということで、あそこを使えばいいんじゃないか?」
そう言いながらラディ陸曹が指さしたのは家族風呂へと続く扉。
たしかにあそこならまぁ大丈夫だとは思う。
でも—―
「13歳のラディ陸曹は入れませんよ?」
家族風呂の入浴は11歳まで。つまり、13歳のラディ陸曹は置いてきぼりになってしまう。
そうなるとラディ陸曹は一人きりになってしまう。
それが心配で反対したのだけど、ラディ陸曹は手をひらひらと振りながら、大丈夫と応えた。
「“セントウ” の勝手もだいたい分かったし、オレはもう一人でも問題ないよ。それよりせっかくの機会だし、同じ分隊の仲間として、二人でゆっくり話してきな」
「「はーい」」
ラディ陸曹ともう少し話したかったところもあるけれど、確かにキャロと二人だけで話したことはあまりなくて、こっちのほうが大事かなと思った。だから今回はラディ陸曹の厚意に甘えて、キャロと二人だけで話してくることにした。
腰にタオルを巻きながらお風呂を出て、キャロと一緒に色々と話しながら家族風呂と書かれた扉の方へ歩いて行く。
いまラディ陸曹とお話できなかったのは残念だけど、でも、残念なだけ……だった。
でも。なのに。なんでだろう。
すごくマズイ気がする。
一緒の部隊で、一緒の分隊でこれから仕事をするんだから、これからも話す機会はたくさんある。
そう自分に言い聞かせても、なぜだかすごくマズイ気がする。でもなにがマズイのかが分からない。
普通のおしゃべりではなかったけれど、話しはちゃんと終わった。マズイことなんてなかったはず。あったとしても、気づいた後でもう一度話せばいい。
なのに、不安は消えなかった。
気のせい。気のせいだ。僕は自分にそう言い聞かせる。そうすることしかできなかった。
だけどそれが言い訳だということも分かっていたから、不安は消えなかった。
胸の中に、なにかは分からない不安を抱えたまま、僕は家族風呂と書かれた扉を開けた。
後書き
いかがだったでしょうか。
今回は試験的に後半一人称オンリーで書いてみたのですが、これがなかなかに難しかったです。
次の更新は、まぁ……今月末に時間が少し空く予定なので、そこでできればなーとか思ってます。
では、読んでくださった方に感謝を送りつつ、これで失礼させていただきます。
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