すれ違い
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
6部分:第六章
第六章
「共に語ろう。そのこと以外でな」
「何のことだ?」
「話すことは他でもない」
明人がまた腕を組んで厳かな調子で言ってきた。
「近頃のことだが」
「近頃のこと?」
「露西亜が変わったな」
話は国際情勢のことであった。
「あの国についてだが」
「露西亜だと!?」
「何が起こったのかは当然君も知っているな」
「うむ」
既にこのことは彼もよく知っていた。当時長い間日本が怯え続けていたあのロマノフ朝はなくかわって共産主義者達が権力の座についていたのである。そのことを話すのだ。
「革命が起こったな」
「共産主義革命というらしいな」
「言っておくが」
幸次郎は既にその顔を四人に向けていた。そして咎める顔で言うのだった。
「共産主義は止めておけよ」
「あれは駄目か」
「危険だ」
これまでのぼんやりとした声が鋭いものになった。
「あまりにも危険だ。あれは」
「危険だというのか」
「あれは人を殺す思想だ」
強い言葉で告げる。
「それも大勢な。殺す宗教だ」
「宗教か?あれは」
「確か共産主義といえば」
「そうだったな」
四人は幸次郎の言葉を聞いて顔を見合わせて言葉を出した。
「宗教を否定していた」
「それで宗教だというのか」
「自分達以外の存在は認めない」
幸次郎は共産主義のそうした性質を既に見抜いていたのだ。
「そして哲学を強制する。それが宗教でなくて何だというのだ」
「それを聞くとキリストのようだが」
「そういえば似ているか」
「あれもまた宗教だ」
幸次郎は顔を見合わせる四人にまた告げた。
「そう考えてもいい。自分達こそが最高の思想を信じているとさえ思っている」
「うむ、それはわかる」
「確かにな」
このことは四人にもわかった。彼等の主張を聞いていればだ。
「労働者や農民を救うか」
「資本家や地主、貴族を打倒して」
「そこだ」
幸次郎は今の昭光の言葉をしてきた。
「そこにこそ問題があるのだ、共産主義のな」
「打倒にか」
「何とでも言える」
幸次郎の主張には理想や夢といったものはなかった。あくまで現実だけを見て語っている。政治はまた別だと言わんばかりの変わりようであった。
「レッテルを張ればな。ブルジョワだの反動主義者だのな」
「そういえば聞いた」
友喜の目も剣呑に光りだした。
「何でも露西亜では多くの人間が死んだそうだな」
「そんなにか」
「その労働者や農民もだ」
このことは既に知っている者は知っていたのだ。
「革命に反対しているという理由でな」
「労働者や農民の為ではなかったのか?」
達哉はあえて共産主義者のスローガンを述べた。この時代にはまだ福音として聞こえた言葉であった。これが虚構であるとわかったのは彼等が今いるこの時代よりも遥かに後のことである。
「その彼等を殺したというのか」
「粛清だ」
ここで幸次郎はこの言葉を出した。
「そういう名目でな」
「だが殺したのだな」
「そうだ」
ここでも事実のみを語る。
「殺した。その労働者や農民をな」
「そもそも自分達に反対しているというのにか」
「大体おかしいのではないのか?」
明人がいぶかしむ顔で言ってきた。
「労働者と農民の政権だな」
「うむ」
幸次郎は明人が言ったそのお題目に頷く。
「そうなっている」
「何故それで反対者が出る?」
「それはその政権がおかしいのではないからではないのか?」
「確かにそうなるな」
達哉と友喜も言う。
「それに意見したからという理由で粛清か」
「我が国より酷いではないか」
当時の日本もある程度の検閲や統制はあった。しかしそれで人が殺されたということはなかったのだ。だからこそ彼等は言うのだ。
「そうした国が出て来たのか」
「名前はソ連だったな」
「ソビエト社会主義共和国連邦という」
幸次郎はこのいささか長い国名を一同に告げた。
「どうやら。恐ろしい国家のようだな」
「しかしだ。最近」
「どうした?」
達哉の言葉に顔を向ける。
「その共産主義を理想だという連中もいるぞ」
「馬鹿だ」
一言で切り捨てた幸次郎だった。
「何もわかっていない奴等だ」
「何もわかっていないか」
「ああ。僕はそう思う」
己の考えを否定しない。はっきり見せてさえいる。
「連中は何もわかっていない。全くな」
「そうなのか」
「そのうちわかる」
幸次郎は確信を持って言った。
「共産主義が何なのかな。いや」
「いや?」
「既にわかっている者はわかっている筈だ」
「君のようにか」
「おそらく。これから共産主義やソ連を賛美する連中がどんどん出て来る」
読んでいる目だった。これからの流れを。
「そうした連中の中にはとんでもない奴等もいるだろう」
「とんでもない奴等か」
「共産主義の本質をわかっていてあえてそれを押し通そうという連中だ」
「待て、それは」
「恐ろしいことだぞ」
「うむ」
四人もここで気付いた。幸次郎が何を言ったのかを。
「自分達が権力を握る為にか」
「共産主義を押し通すというのか」
「共産主義は支配される者達にとっては暗黒そのものだ」
まさにその通りだった。ソ連の正体は収容所群島だった。既にこの時代においても話は漏れ伝わっていたのだ。情報を完全に統制することは不可能なのだ。
「しかし支配する側にとっては」
「このうえなく甘美なものか」
「絶対者になれる」
ここにあった。
「それならば支配を望む側にとっては有り難いことだな」
「そういうことか」
「それではやはり」
「共産主義を許してはならない」
また言う幸次郎だった。
「彼等の跳梁跋扈を許せば日本は終わるぞ」
「わかった」
「では。今後はあの思想をな」
「敵とみなそう」
幸次郎のこの読みは当たった。後に日本においても共産主義が流入し戦前から危険視されていた。戦後はまさに彼等を信仰する知識人の天下だった。その中には論戦相手を革命が起これば牢につながれると恫喝した者もいるしソ連の侵略を韜晦し続けた者もいる。ソ連の悪事には目をつぶり平和勢力とさえ呼んでいたのだ。呆れ果てた話であるが全て事実である。彼の指摘通り日本は共産主義を信仰する卑劣漢達により蝕まれたのだ。
ページ上へ戻る