すれ違い
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4部分:第四章
第四章
「芥川にとっては彼はとりわけ意識しない方がいい」
「それはまたどうしてだい?」
「作風があまりにも違うからさ」
彼の主張の根拠はここにあった。
「それに人間性もな」
「人間性もか」
「志賀直哉は強い」
よく言われる志賀直哉の作品の特徴だ。
「生粋の士族だからな。それが出ているのかもな」
「そういえば彼は仙台藩の家老の家の息子だったな」
「仙台は大藩だった」
東北随一の大藩であった。江戸時代はそれでその名を大きく知られていた。あの伊達騒動にしろ仙台藩で起こったからこそあそこまで有名になった。また寛永三奇人の一人と謳われその著作が幕府に発禁処分となった林子平も仙台藩の藩士であった。
「だからそれはどうしても出るのかもな」
「そういえば彼は兵隊にもなっていたな」
誇らしげに軍服を着た写真は今でも残っている。当時軍は徴兵制とは言いながらも実質的にはかなり厳格な選抜徴兵制であり兵士になることは非常に難しかった。志賀が例え仙台藩の家老の息子の出であってもだ。逆賊の家であったがそれでも仙台は格が上とされていたがそれでもだったのだ。だからこそ彼は軍にいた頃の写真の中では非常に誇らしげであったのである。
「耳が悪くすぐに除隊となったらしいが」
「そうだ。そういう部分も出ているのだろうな」
「人間としての強さか」
「しかし芥川はな」
ここで幸次郎はまだ酔いの残る顔を横に捻った。
「強いかというとだ」
「疑問か」
「かなりな」
こう答えるのだった。
「どうも強さは感じられない」
「そういえばそうだな」
達哉も話を聞いて彼の言葉に頷いた。
「少なくとも強さはな」
「芥川は繊細だ」
幸次郎は言った。
「それも何かを隠しているような。あらゆることを告白さえしてみせる志賀の真似をしてそれがおかしなことにならなければいいのだがな」
「そうなのか」
「僕はそう思うがな・・・・・・むっ!?」
話が一段落したところで幸次郎の様子が不意に変わった。
「あれは」
「どうした、林君」
「いや、何でもない」
咄嗟に帽子で顔を隠す仕草をした。
「何でもな」
「何でもないというわけではあるまい。一体何が」
「何でもないと言っている」
少し以上に意固地な言葉だった。
「何でもな」
「いや、あるだろう」
彼の態度からそれを察した。
「一体・・・・・・ああ」
ここで彼もわかった。
「そうか。そういうことか」
「わかったのなら言わないでくれ給え」
「そうしておく。しかし」
達哉はここで前を見た。そこにはやはり彼女がいた。
「こういうこともあるのだな」
「だから言わないでくれ」
幸次郎は帽子で顔を隠したまま言葉を返す。その彼の横を昨日の美女が通る。今日もまたすれ違いだったが達哉はそれでも顔を赤らめさせていた。
その日だけに終わらず次の日もまた次の日も。幸次郎は決まった時間にこの道を通り彼女とすれ違った。ただそれだけだったがそれでも彼は変わった。塞ぎ込むようになり学校でも外でも下宿先でも。ぼんやりとしていてそれでいて思い詰めた顔で空を見上げて物思いに耽るのであった。
「しかしだ」
今日も幸次郎の部屋に学友達が集まっていた。昼なので酒はなくただ集まっているだけである。幸次郎は部屋の中央で車座になっている仲間達から離れ窓のところに座って右手で頬杖をついている。そのうえでぼんやりと青い空を見上げている。その彼を見て明人が言うのだった。
「林君も変わったな」
「僕が変わったか」
虚ろな声で明人に返す。しかし顔は空を見上げたままだ。
「そんなに」
「うむ、変わった」
「変わったというものではない」
昭光と友喜も彼に言ってきた。
「まるで別人ではないか」
「何かあったのか?」
「ないと言えば嘘になる」
幸次郎は空を見上げたままだったがこう言ってきた。
「それはな」
「ふむ、やはりな」
「それでは一体」
三人はここで彼に対して問うた。当然この場には達哉もいる。しかし三人は幸次郎を見ているのであって達哉を見てはいなかった。
「林君」
その達哉が幸次郎に言ってきた。
「君が話すのか?」
「そうする」
やはり空を見上げたままだった。
「黙っていても何にもならないからな」
「そうか。それなら僕は黙っている」
「そうしてくれるか」
「うむ。それではな」
ここまで話をして一旦口を閉ざす達哉だった。幸次郎は静かに口を開きだした。
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