すれ違い
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3部分:第三章
第三章
「君は芥川をよく読んでいた」
「僕に芥川を紹介してくれたのは君ではなかったのか?」
昭光と明人が彼に問う。
「それでまたどうしてだ」
「その沈黙は」
「少しな」
しかし幸次郎は二人に対してこう返すだけであった。
「少し思うだけだ」
「思うだと?」
「そうだ」
口数少なく答える。
「それだけだ。今の僕は」
「意味がわからん」
「何だというのだ」
「やはりおかしい」
明人達三人はそんな彼の態度と言葉を見聞きして首を横に振るしかなかった。
「普段は僕達よりも熱いというのに」
「酔ったか?いや」
見れば杯は減ってはいない。殆ど口もつけていないようだった。
「まだそこまでいってはいないな」
「ではどうしてなのだ」
「何でもない」
しかし彼はここでも答えなかった。
「何でもない。気にしないでくれ」
「そこまで言うのならいいがな」
「僕達もだ」
「ああ、そうしてもらいたい」
やはり幸次郎の態度は彼等から見て非常におかしなものであった。
「今はな」
「よくはわからないが」
「まあ飲んでくれ」
「ああ」
酒は飲む。しかしそれはやはりいつもよりは遅い。どうにもこうにも全くわからない三人はここで達哉に対して問うのであった。
「然るに浜崎君よ」
「君に聞きたいのだが」
「今度は僕か」
「そうだ。林君の身に何があったのか」
「知っているか」
「残念だがそれは言うことはできない」
彼はこう答えるだけだった。
「申し訳ないがな」
「ふむ。そうか」
「ならいい」
これ以上聞くことは無理と見た三人はこれで言葉を止めた。そうして話を文学に戻すのであった。
「しかしまああれだな」
「うむ。折角飲んでいるのだ」
話はそこにいくのだった。
「さあ、どんどん飲もう林君」
「折角こうして集まっているのだかな」
「飲まなくてどうする」
達哉も入れて四人で幸次郎を誘う。
「さあ、つまみもある」
「楽しくやろう」
「楽しくか」
幸次郎は彼等の言葉を聞いてそれまでの頑なな雰囲気を少し和らげさせてきた。そのうえで杯を静かに口元に寄せたのである。
「そうだな。そうさせてもらうか」
「当たり前だ。飲む時に飲まなくてどうする」
「だからだ。さあ」
「どんどんやろうぞ」
「楽しくな」
こう言って彼に酒をどんどん勧める。次の日彼は二日酔いで学校に向かっていた。隣には昨日と同じで達哉がいた。やはり二人で登校している。
「酒はまだ残っているか」
「残念だがかなりな」
不機嫌そのものの顔で達哉に返す。そのことを隠そうともしない。
「もっともそれでもビールやワインの時よりはずっとましだが」
「あれは確かに酔うと辛いものがあるな」
達哉も今の幸次郎の酒の話には同意して頷く。
「西洋の酒もあれはあれで美味いが」
「酔うときつい」
彼が言うのはこのことだった。
「日本酒よりもな」
「しかし君は昨日随分と飲んだな」
達哉はあらためて彼に言った。
「一升瓶一本は空けているな」
「もっと飲んだだろうな」
だが幸次郎は自分でこう言うのだった。
「はっきりとはわからないが」
「そんなにか」
「だからだ。今はかなり辛い」
見れば顔が青い。
「歩いていれば酒も抜けるだろうが」
「それには少し先だな」
「風呂があればいいのだがな」
「ははは、それは贅沢だろう」
達哉は幸次郎の今の言葉は笑い飛ばした。
「幾ら何でもな」
「やはりそうか」
「歩いていればそのうち酒も抜ける」
彼が言うのはやはりこれだった。
「それだけでいいからな」
「そういうものか。どうも今は歩くのも辛いな」
「まあ少しずつ楽になるものさ。ところでだ」
ここで達哉は話を変えてきた。
「どうも最近芥川の作品が変わってきたかな」
「昨夜の話の続きか?」
「そうだ。今までは古典の作品が多かったが」
芥川の初期の作品の特徴である。鼻にしろ羅生門にしろそれは同じだ。今昔物語やそういったものから題材を取りそれを当時の、さらに言うなら芥川の味を入れる。そこに深い理知があり極めて特徴的な作品になっているのが当時の芥川の作品なのである。
「最近変わってきたな」
「そんなにか」
「うむ。日常の作品も出て来た」
こう幸次郎に言うのだった。
「作風を変えてきているな」
「それが上手くいけばいいがな」
幸次郎はそれを聞いて首を少し捻った。
「白樺派を意識しているのなら過剰に意識せずにな」
「白樺派か」
「特に志賀直哉だ」
彼はこの作家の名前を出した。
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