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処女神の恋

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5部分:第五章


第五章

「アルテミス様」
 その青年オリオーンはアルテミスの下に片膝を着いた。彼女はその彼の前に立っていた。
「オリオーンでございます」
「オリオーン、いえオリオーン殿ですね」
「はい」
「!?」
 従者達はアルテミスがオリオーンに『殿』とつけたのを不思議に感じた。だがアルテミスはそれに構わず話を続ける。
「話は聞いております」
「はい」
 オリオーンはそれに従い応える。顔は俯いたままである。
 アルテミスはそれを残念に思った。オリオーンの顔が見られないことに不満を覚えた。それであらためて声をかけた。
「顔を上げて下さい」
「宜しいのですか?」
「はい。そして立ち上がるのです」
「わかりました」
 神の前に立ち上がる、本来なら不遜な行為であるのだが当の神がそう言うのであるからそうしないわけにはいかなかった。オリオーンはそれを受けて立ち上がった。
 立ち上がったその姿は実に立派なものであった。少女にしてはかなりの長身のアルテミスより遥かに大きい。女神は顔を大きく上げて彼の顔を見なければならなかった。
「貴方は。狩の名手だそうですね」
「人はそう讃えてくれます」
 オリオーンはアルテミスを見下ろして答えた。
「左様ですか。では命じます」
 アルテミスはオリオーンを見上げたまま言った。彼女が顔を見上げるということは滅多にないことであった。神の中ではかなりの長身である兄アポロンに対してもそうであった。だが今彼女は大きく見上げていた。それでオリオーンがどれだけの長身であるかがわかるのであった。
「貴方を。私の狩のパートナーに」
「パートナーに」
「異存はありませんね」
「無論です」
 それを命じられる為にここに来たのだ。オリオーンとしても断る気持ちは毛頭なかった。
「では。すぐに出ましょう」
「すぐに」
「はい、二人で」
 アルテミスは朗らかな笑顔をオリオーンに向けて言った。
 二人はその狩で早速見事な獲物を次々としとめた。鹿に猪に鷲にと。獅子ですらも二人の相手ではなかった。
 これだけの獲物を捕らえたのはアルテミスにとってもはじめてであった。彼女は思いも寄らぬ成果に顔を紅潮させていた。
「凄いわ、こんなに」
「はい」
 そしてそれはオリオーンも同じであった。
「流石は狩猟の女神。御見事です」
「いえ、私の弓だけではありません」
 嘘を言わない神である。この時も素直に自分のものではないものを認めていた。
「ここまでやれたのは。オリオーン殿のおかげです」
「いえ、私はその様な」
「謙遜をされる必要はありません」
 アルテミスは彼にうっすらと笑ってそう声をかけた。
「私は一人でここまで出来たことはありませんから」
「では」
「オリオーン殿」
 狩に出る前と今では言葉すら変わっていた。そして彼を見る目も。何もかもが変わっていた。
「これからも。お願いしますね」
「わかりました」
 彼はアルテミスにとってはなくてはならない狩のパートナーとなった。それは彼にとって非常な名誉であり、そしてメロペーにとっても喜ばしいことであった。メロペーはそんなオリオーンの評判を聞くと顔を綻ばせるのであった。
「やはりそうなのですね」
 彼女はオリオーンの活躍を聞き笑顔になっていたのである。
「オリオーン様ならば。きっとそれだけのことはして下さると思っていました」
「嬉しいのですね」
「ええ」
 それを問う者達にも応える。今にも天に昇りそうであった。
「その様な方が私の夫になって下さるのですから」
「左様ですか」
「オリオーン様」
 そして今は女神の側にいるオリオーンに向けて言う。
「何時までも。待っております」
 彼女はさらにオリオーンに恋焦がれるようになっていた。これはアポロンにとって大きな誤算であった。そして彼の誤算はそれだけではなかった。
 彼のもう一つの誤算、それは妹アルテミスに対してであった。彼女は処女神である。だがやはり女であることに変わりはなかった。そう、男に恋をすることもある女であったのだ。
 彼女は狩の時はいつもオリオーンと一緒にいた。そしてそれ以外の時も。遊ぶ時も食事を摂る時も。いないのは寝る時に水浴びをする時、そして彼女の第一の仕事である月の馬車を引く時だけであった。そうした時以外は常にオリオーンを側に置いていたのだ。
 その話すこともオリオーンのことばかりであった。それを見てアポロンは妹がオリオーンに対してどういった感情を持っているのかすぐに察したのであった。
「まずいことになったな」
 彼は僕である烏の話を聞いてその整った顔を顰めさせていた。丁度今は彼は太陽を引き終えたばかりで夜になっていた。その上にはアルテミスがいる。
「あいつが。オリオーンにか」
 上にある月を見上げて呟く。そこに妹がいるのだ。
「はい、間違いありません」
 彼に忠実な烏はそう報告していた。
「アルテミス様はオリオーン様のことが」
「それだけはならないな」
 アポロンの口調が強いものになった。
「アルテミスは純潔でなくてはならない」
「はい」
 表向きはその理由であった。アルテミスは処女神なのだ。その彼女が男に恋をするということはあってはならないのだ。アポロンの言っていることはそうした意味においては正しい。
 だがそれはあくまで表向きの理由である。実は彼には本当の理由があった。
(おのれオリオーン)
 彼は彼を憎んでいたのだ。
(メロペーだけでなく我が妹まで)
 自分が手に入れるつもりだったメロペーだけでなくアルテミスの心まで奪った彼が憎かったのだ。男として、そして兄としての嫉妬が彼の心を支配していた。
(そうはさせるか)
 彼がそう思うのは必然であった。兄として、そして男として。
 だが彼が直接手を下すわけにはいかなかった。そうすれば怪しまれる。ではどうすればいいか。それが問題であったのだ。
 しかしこれといって手段が思い浮かばない。オリオーンは強く、そしてアルテミスが常に側にいる。刺客を送ろうにも毒を盛ろうにもそれは不可能な状況であった。正直手がないように見えた。

 
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