至誠一貫
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第一部
第四章 ~魏郡太守篇~
五十二 ~洛陽へ~
城に戻り、謁見の間にて袁紹と会った。
顔良に伴われて来ていた事もあり、今度は此方にも星が同席している。
「お待たせ致した」
「い、いえ。わたくしの方こそ、すぐに参れませんで」
血色はさほど悪くはないが、やはり以前の威勢の良さは見られない。
「あの……。二つ、お願いがありますわ」
「ほう。伺いましょう」
「一つは、普通に話していただけませんこと? わたくしの方も、もう土方さんに対して、名家だの血筋だのを振りかざすつもりはありませんわ」
「なるほど、承った」
「もう一つは、忌憚なくご意見、お言葉をいただきたいのですけど……」
「では、率直に意見を述べさせて貰う。それで良いのだな?」
「……はい」
拍子抜けしてしまう程、素直な反応だ。
……まぁ、話しやすいから良いのだが。
「さて、では先だっての事から聞かせて貰う。あらましは顔良殿からも聞いたが」
「わかりました。何なりと、お聞き下さいな」
「……何故、正攻法で戦わなかったのだ? 兵数では貴殿が圧倒していたのであろう?」
「……ええ、そうですわ」
「確かに、貴殿の麾下には軍師や都督と呼ぶべき者はおらぬやも知れぬ。だが、相手は賊と不満を持つ庶人の集団。所詮は戦の素人だ」
「…………」
「貴殿も、兵法なり軍記なりを、多少は囓っているのであろう?」
袁紹は、頷いた。
「だが、貴殿の采配はあまりにも稚拙だ。賊の中に多少機転の利く者が混じっていたと言うだけで、これ程までに追い込まれるとは、どうしても理解出来ぬのだ」
「……わからないんですの」
「わからぬ、とは?」
「わたくし、今まで戦は斗誌さんと猪々子さんに任せてきましたわ。あの二人は、腕は立ちますわ」
「それは認めるが」
「ですが、今回は人数が多かったので、わたくし自身が率いる事になったのですけど。……いざ、兵を動かそうとすると、頭が真っ白になったんですの」
「…………」
「それで、とにかく華麗に勝とう、それしか思い浮かびませんでしたわ。気がついたら猪々子さんが突撃を開始していて、わたくしも勢いでそのまま……」
荀彧を追いやった事が、斯様な形で影響を及ぼしたか。
……いや、あの者でも、未経験の将を補佐するのは至難の業であろう。
「袁紹殿」
「は、はい」
「……貴殿にも同情の余地はあるやも知れぬが、無為に死んだ兵らの事……如何か?」
「…………」
「冷たいようだが、貴殿の未熟さと、将器のなさが、此度の事に繋がった……そうとしか言えぬ」
袁紹は、唇を噛み締めた。
「……悔しいですわ」
「率直に、と言われたのは貴殿だが?」
「そうではありませんわ。……私の至らなさ、未熟さが、ですわ」
自らを省みるところはあるか。
……まだ、救いようがあるやも知れぬな。
「……わたくしは、袁家に生まれ、期待を一身に背負ってきましたわ。名家に相応しいのは華麗さと優雅さ。……ずっと、そう信じてきましたの」
「だが、斯様な名家ならば、人もいよう。貴殿の心がけ次第では、学びようがあったと思うが」
「そうかも知れませんわね。……今にして思えば、わたくしの周りには、わたくしを褒めそやす者ばかりでしたわ」
恵まれ過ぎた環境。
周囲の者も、それに咎めぬ者ばかりであったのであろう。
だが、この戦乱が収まらぬ世で、今のままの袁紹では……立ち行かぬな。
「土方さん。わたくしは、どうすれば宜しいのでしょう? もう、わからなくなりましたわ」
「……まず、ご自身で考えられよ。私は、貴殿に指図や指導をする立場ではない」
「…………」
「洛陽までの道中、また話す機会もあろう。一度、自分を見つめ直す事だな」
「自分を、見つめ直す……」
「然様。一度に多くの事を考えても、泥沼にはまるだけだ。宜しいな?」
「わかりましたわ……」
その夜。
執務室で愛里(徐庶)や朱里と話していると、
「土方様。典韋、と言う者が来ておりますが」
兵が、そう伝えに来た。
「うむ。此処へ通せ」
「はっ」
愛里と朱里が、眼を合わせて頷いた。
「歳三さん。例の子ですね?」
「はわわ……。わ、私もここにいていいんでしょうか……?」
「そうだ。二人とも、良いな?」
私は、短く答える。
そこに、典韋が案内されてきた。
「土方さま。先ほどは、失礼しました」
「いや。鈴々と文醜が迷惑をかけたな。此方こそ、済まぬ」
「い、いえ、そんな。……ところで、そちらの方は……?」
私は、二人に眼で促す。
「わたしは、徐庶と言います。歳三さんのところで、文官をさせていただいています」
「わ、私は諸葛亮といいましゅ。……あう、また噛んじゃった」
「ありがとうございます。私、典韋って言います。宜しくお願いします」
自己紹介を交わし、少しばかり雑談となる。
……しかし、三人とも見事に小柄だな。
並べてみても、ほぼ同じ背格好だ。
「典韋。出立は明朝だが、準備は良いか?」
「あ、はい。荷物は全部、まとめてきました」
「そうか。今宵は城内に泊まるが良い。部屋は用意しておいた」
「え? そ、そんな、申し訳ないです」
「いや、雇う以上、その程度は用意するのが当然だ。気にするな」
「ありがとうございます」
律儀に、典韋は頭を下げる。
「今日はもう休むが良い。兵に部屋まで案内させる」
「わかりました。では、お先に失礼します」
典韋が出て行った後で、朱里はふう、と息を吐いた。
「どうだ、朱里?」
「は、はい……。私や愛里ちゃんの事を、どこか探るような感じがしました」
「ふむ。愛里は?」
「そうですね。身のこなしにも隙がありませんし、何かの意図があるのは確かですね。ただ、悪意は感じませんでしたが」
「……恐らくだが。典韋は華琳……曹操から送り込まれた、間諜だな」
「え? ど、どうしてそう思われるんですか?」
「典韋と言えば、華琳の麾下である筈だ。この時期に、冀州にいる時点で不自然だ」
だが、朱里は釈然としないらしい。
「ですけど、それが何故、曹操さんの麾下だと?」
「根拠か。……愛里、追々説明してやるが良い」
「わかりました。では歳三さん、念のため、密かに見張りをつけておきます」
「うむ」
正直、間諜としては些か素直過ぎるきらいがあるが……逆にそれだからこそ、疑われにくいと思ったのやも知れぬな。
華琳が何を企んでいるか、お手並み拝見といくか。
翌朝。
我が軍と袁紹軍は、城門の外で集結。
袁紹は……顔色が幾分良くなっているようだな。
「行かれますか、土方様」
張世平、それに蘇双も見送りに出てきた。
「うむ。そなたらは、如何する?」
「手前共は商人。この街が盛んな限りは、此処を離れる理由はございません」
「それに、魏郡太守は依然として土方様のままです。大陸広しと言えども、この地より安心出来るところなど、そうそうございますまい」
「そうか。ならば、私が戻る日まで、励むが良い」
「はい。金子の事、何時なりともお命じ下さいませ」
「洛陽にも、手前共の出店がございます。何なりと、お申し付け下さい」
「わかった。その時は、頼りにさせて貰う」
「畏まりました。では、くれぐれもお気を付けて」
ふと、二人の後ろに、庶人が大挙して近寄っているのに気付いた。
「どうかしたか?」
「……あの。太守様、お戻りは?」
先頭の中年男が、恐々と尋ねてきた。
「わからぬ。半年か、数年か……」
「戻ってきて下さいますよね?」
「もう、ここは太守様以外の人に治めて欲しくないんです」
「お願いです。きっと、きっと、お戻りを」
皆が、口々に叫ぶ。
私は手を挙げ、それを制した。
「こればかりは、私の一存では決められぬ事だ。だが、どんな形であろうと、再びこの地を踏む事は、皆に約定しよう。それまでの間、暫しの別れだ」
「太守様!」
「土方様!」
任について短い間にも関わらず、皆がこうして慕ってくれるとは。
……まさに、感無量だ。
補佐役か、軍司令官が関の山、と思っていた私が……ふふ、運命とはわからぬものだ。
「元皓(田豊)。覚悟は定まったか?」
「……はい。太守様が築き上げた、庶人の皆さんからの信頼。損なわないよう、頑張ります」
うむ、いい顔をしている。
後顧の憂いがない、という事がどれほど心強い事。
それを、再認識させられた。
「みんな、元気でいるのだ!」
「また会おうぞ!」
鈴々が、愛紗が、ちぎれんばかりに手を振る。
「では、参るぞ。全軍、出立!」
「応っ!」
後ろ髪を引かれる思いを残しながら、我々は一路、洛陽へと向かい始めた。
ギョウから洛陽までの間には、黄河が横たわる。
無論、船で渡河する事になるが、これだけの規模となると、適した場所というのは限られるようだ。
「途中、進軍を遮るような賊などは見当たりません」
と、疾風(徐晃)。
「尤も、今の我らに襲いかかろうなどと言う、無謀な輩もおりますまい」
「星の申す通りでしょう。やはり、最短経路で行くのが望ましいかと」
「……うむ」
私は、地図を今一度、見つめた。
「歳三様。何か、気がかりでも?」
「いや。稟、渡河に適した地は何処か?」
「はい。この規模ですから、黎陽から船を使い、そのまま洛陽の北まで向かうのが宜しいかと」
「そうすれば、後は洛陽までは僅かな道のりですしねー」
「では、此処を通る経路はどうか?」
と、私は地図の一点を指し示した。
「白馬、ですか。確かに渡河出来る場所ではありますが……」
「でもですねー。そっちを通ると、渡河した後が大変なのですよ」
風の指が、地図の上をなぞっていく。
「御覧の通り、黄河の支流が複雑に入り組んでいて、とても動きにくい地形をしていますよ?」
「……つまり、官渡に砦を築けば、河北から攻め入られても守りやすい……そうだな?」
「ぐー」
……何故、そこで寝る?
「主。何か、お考えでも?」
「うむ。その辺りの地形を見ておきたいのだが」
「にゃ? お兄ちゃん、何か気になる場所でもあるのか?」
「うむ。些か、な」
稟は少し考えてから、
「ならば、軍を二手に分けましょう。我が軍の大半と袁紹軍は、やはり黎陽からそのまま黄河を遡る経路を取ります。一方、歳三様と警護の兵だけは、仰せの通り白馬へ渡河し、陸路洛陽へと向かえば宜しいかと」
「だが、軍を分けた理由はどうつける?」
「それは、考えてあります。袁紹殿の協力さえいただければ」
「……わかった。袁紹殿の説得は、私がすれば良いな?」
「御意」
数日後、黎陽に到着。
街としてはそれなりの規模ではあるが、交通の要衝だけに人の往来は多いようだ。
「では、此処で軍を分ける」
「お兄さん。あの娘に知られてしまいますけど、大丈夫ですかねー?」
風が、声を潜めて言う。
無論、典韋の事だ。
「構わぬ。華琳の事だ、むしろ私の意図を知りたがるだろうしな」
「しかし、ご主人様。怪しいのならば、理由を付けて別働隊に回す方が良いのではありませぬか?」
「私も賛成ですぞ、主。曹操殿が主を買っているとしても、何か企んでおらぬという証拠はござらん」
確かに、用心に越した事はない。
……だが、この数日間、典韋を見ていてわかった事がある。
決して武のみだけでなく、機転が利き、勘も悪くないようだ。
それに、性格が素直そのもの。
何かを言い含められたり、探るように指示されてくるならば、他の者を寄越す筈だろう。
「いや、予定通りで良い。では稟、風。手筈を頼むぞ」
「はっ」
「御意ですよー」
後の事は任せておけば良かろう。
「少し、黄河を見てみたい。愛紗、供をせよ」
「はいっ!」
黎陽の街外れ。
そこに鎮座する、蕩々たる大河。
文字通り黄褐色に濁っているそれは、対岸が見えぬ程の規模だった。
富士川や大井川がちっぽけに思えてしまう、そんな印象すらある。
「凄いものだな」
「ええ。この黄河があればこそ、古より洛陽が栄え、多くの者が大地の恵みを受ける事が出来たのですから」
愛紗も、眼を細めて川面を見つめている。
「……なればこそ、この流域を巡っての争いもまた、絶えぬのであろうな」
「……はい。中原を制す者、天下を制す。歴史は、その繰り返しです」
中原の定義も定かではないが、少なくともこの辺りは確実に含まれていると考えて良い。
「ところで愛紗。何故、お前を伴ったか……わかるか?」
「いえ。何か、お話でも?」
「そうだ。……私が知る関雲長は、この地で名を残したのだ」
「そうなのですか。どのような功を立てたのですか?」
「曹操の許で、袁紹軍との戦に臨んだのだ。そして、顔良を討ち取った」
「なんと……。では、ご主人様の知る関羽は、曹操に仕えていた、と?」
「いや。その関羽は、劉備という人物の麾下であり、義兄弟であったのだ」
「劉備……」
愛紗の視線が、宙を泳いでいる。
「その劉備なる人物、どのような御方だったのでしょうか?」
「……諸説あるが、人を惹き付けて止まぬ魅力を備え、意志が強い人物であったと聞く。漢王朝の血筋とは申せ、貧村で筵を織って暮らしていた無名の若者が、曹操や孫権らと天下の覇を競うまでになった……私の知識では、そうなっている」
「……では、その後の関羽はどうなったのでしょうか?」
「うむ。此処での戦いの後、劉備の許に帰参。数々の武功を挙げ……最後は孫呉に敗れ、討ち取られる事になる」
「……そうですか。武人として、生涯を全うしたのですね」
「そのようだ。……だがな、愛紗」
「はい」
「私の知る関羽と、お前は違うぞ? 武人に死ぬな、とは申せぬが。命を無駄にするでないぞ?」
「ご主人様……」
いつになく、優しい顔の愛紗。
……いや、これこそが本来の顔なのであろう。
「あ、土方さん。此方でしたか」
顔良が、駆け寄ってきた。
「お姿が見えないので、皆さんに聞いたら此処だと。あの、お話中でしたか?」
「いや、構わぬ」
「そうですか。あの、麗羽さまがお目にかかりたいと」
「ならば、戻るか」
「はっ。……時に、顔良殿」
「え? 何でしょう?」
愛紗はフッと笑って、
「一度、お手合わせを願えませぬか? 武人として、貴殿に興味があります故」
「え、ええっ? わ、私じゃ関羽さんには勝てませんってば」
慌てる顔良。
「そう言わずに。是非にも」
「ど、どうしたんですか急に。土方さん、何とか言って下さい!」
ふむ、余計な入れ知恵をしてしまったか?
「あ、あははは……。あ、そ、そう、文ちゃん、私より強いですよ?」
「ほう、それはますます興味深い。では、お二方にお手合わせ願いたいですな?」
……済まぬな、顔良。
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