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至誠一貫

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第二部
第三章 ~群雄割拠~
  百九 ~エン州、再び~

 私達は手近の船に拾い上げられた。
 爆発に巻き込まれた船は数艘、被害は如何程であろうか。
 愛紗や彩(張コウ)らが救助の指揮を執っているようだ。
 他の者らは、私の姿を認めて集まってきた。

「月、無事だったか」
「はい。それよりお父様、早くお召し替えを」
「月の言う通りよ。歳三だけじゃなく、紫苑や恋も早く着替えなさい」

 肌寒さはあまりないが、このままでいれば風邪を引きそうだ。
 濡れた衣服が肌にへばりつき、脱ぐのも容易ではない。

「へ、へう? お父様?」
「む? 如何致した?」
「い、いえ。お召し替えならば船内で」

 月の顔が赤い。

「そのような暇はあるまい。それより紫苑、お前達こそ中で着替えて参れ」
「いえ、私達よりも歳三様が先に」
「私は構わぬ。良いから行って参れ」
「は、はい。では……」
「……いいの、兄ぃ?」
「構わぬと申しておる」
「……わかった」

 女子(おなご)の裸体を無闇に晒すような趣味はない。
 水に濡れて解けにくくなった帯を、愛刀で断った。

「ちょ、ちょっと歳三。本当に此所で着替える気?」
「そうだ。時が惜しい」
「そ、そうだけど……」
「見るに堪えぬのなら、向こうを向いていれば良かろう」
「そ、そんな事できないわよ! 月、いいわね?」
「う、うん。詠ちゃん」

 私とて下帯まで変えるつもりはないのだが、どうやら要らぬ想像をしているらしい。
 それだけ純真な証ではあるのだがな。

「ところで歳三様。これからどうなさいますか?」
「禀か。このまま進軍するか否か、という事だな?」
「御意です」
「被害は軽微のようですが、船が足りなくなりましたからね-」
「ええ。それに、この混乱した最中に更なる敵襲を受けたら一大事です」
「……ならば、如何致す?」
「上中下策とあります。まず下策は一度洛陽に引き返す事です」

 なるほど、確かに下策だ。
 尤も、私がそのような事をせぬと承知の上であろうが。

「中策は、冀州に上陸する事です。袁紹殿は歳三様の頼みとあれば無碍にはしないでしょう」
「それが中策の理由は?」
「袁紹殿ご本人はともかく、袁一族が挙って歳三様を歓迎するかどうか読めない点です」
「……うむ」
「連合軍参加も、袁紹さん御自身は望んでいなかったようですからねー。お兄さんが上陸する事で、想定外の事態に陥る可能性があると思うのですよ」

 頷く禀。

「上策は、エン州への上陸です。曹操殿は領内と麾下の統制は万全です、不測の事態は起こりえないかと」
「それに、袁紹さんとは違う意味でお兄さんを気に入っているようですし。勿論、曹操さんにお兄さんを渡すつもりなどありませんがねー」

 やはり、それが一番か。
 華琳に借りを作る事になるやも知れぬが、致し方あるまい。

「だが禀。曹操は先日まで我らと戦った相手だぞ? 曹操当人はともかく、兵や将に遺恨がないと言えるのか?」
「ええ、その懸念はありますよ閃嘩(華雄)。ですが、曹操殿ならそれを封じ込めるだけの力をお持ちです」
「それに、お兄さんや月ちゃんは閃嘩ちゃんがお守りすればいいだけですよー?」
「無論だ。歳三様にも月様にも指一本触れさせんわ!」

 得物を手に、胸を張る閃嘩。

「となれば、華琳に使者を送らねばなるまい。さて」

 誰を選ぶか、と思案を巡らし始めた時。

「向こう岸に何か軍勢らしきものが見えます!」

 見張りの兵が叫んだ。
 私は手早く着替えを済ませると、望遠鏡を取り出した。
 油紙に包んでおいた甲斐あって、どうやら故障はしていないようだ。
 確かに旗が見えるが、何者であろうか。
 ……まさか、な。

「どうしたのよ、歳三」
「見てみるがいい」

 そう言って、詠に望遠鏡を手渡す。

「旗が見えるわね……。って、ええっ?」
「ど、どうしたの詠ちゃん?」
「曹操の旗よ。それも、曹操本人のね」
「曹操殿御自身が?」
「何かありそうですねー」
「……ともかく、警戒は怠るな。華琳の事だ、いきなり攻撃してくるとは思えぬが」
「御意!」

 皆の動きが更に慌ただしくなる。
 華琳の奴、何があった?



 岸辺に並んだ軍勢から、人影が進み出てきた。

「久しぶりね、歳三」

 紛れもなく、華琳本人がそこにいた。
 傍らには流琉、それに荀攸が控えている。

「そうだな。まさか、態々お前自身が来るとは思わなかったが」
「それはちゃんとした理由があるわ。それより、岸に上がりなさい。勿論、兵達も全員で構わないわ」
「良いのか?」
「ええ。何もしないから安心して頂戴」
「そうか。では言葉に甘えるぞ」

 私の言葉に、兵らが安堵の溜息を漏らす。
 やはり、この状況では船上のままでは不安なのであろう。

「恋、禀はついて参れ。他の者は後から参れ」
「……ん」
「御意です」

 小舟に乗り移り、岸を目指す。
 何も伝えてはおらぬが、風や朱里らが万が一に備えている筈だ。
 本来は私如きが細かに指示を出さずとも皆が一人前、そして一騎当千なのだからな。

「禀。どう見る?」
「はい。曹操殿が仰せの通り、何か事情があるのでしょう。さもなくば、多忙を極めている筈の御方が歳三様だけの為に現れる筈がありません」
「うむ。問題はそれが何か、だな」
「あくまで推測ですが、曹操殿はこの一件を事前に察知したのではないかと」

 と、禀は声を潜めた。
 到底華琳らには聞こえぬ筈の距離だが、然りとて態々我らの会話を聞かせる事もない。

「向こうには紫雲(劉曄)がいたな」
「ええ。その点、私達は疾風(徐晃)以下、諜報に向く者が多く出払っていますから」

 あり得る話だろう。

「恋。よもやとは思うが、いざという時は……頼むぞ」
「……大丈夫。兄ぃも禀も、恋が守るから」

 最悪の事態は想定しておかねばならぬが、華琳がこのような事態に謀る事もあるまい。
 この軍勢に、悪意を抱く者が混じっておらねばの話ではあるが。

「土方様。着きますぞ」

 兵の言葉通り、小舟は接岸しようとしていた。
 流琉が、兵を率いて近づいてくる。

「土方さま!」

 兵もそうだが、皆が徒手。
 我らに害意のない事を示す為であろう。

「流琉か。久しいな」
「はいっ! お怪我はありませんか?」
「大事ない」

 私の言葉に、流琉は心底ホッとしたように微笑んだ。
 兵が投げた艫綱を、華琳の兵が受け取る。
 そして、数日ぶりに私は大地を踏みしめた。

「禀さんもお久しぶりです」
「ええ、貴女も元気そうですね。流琉」
「はい。あ、こちらの方は?」

 そうか、流琉は恋と面識がないのであったな。

「……恋は、呂布」
「あなたがあの飛将軍ですか。初めまして、私典韋って言います」
「……ん」

 恋の反応に、流琉は不安げに私を見た。

「あの。私、何か失礼な事をしてしまったのでしょうか?」
「いや、恋は普段からこの通りだ。気にする事はない」
「は、はい。それならばいいのですが」

 そこに、華琳と荀攸が近寄ってきた。

「歳三、旧交を温めるのは後になさい。今はそれどころではないでしょう?」
「華琳か。シ水関以来だな」
「ええ。どうやら、五体満足で再開出来たようで何よりだわ」

 隣で、荀攸が礼を取る。

「間一髪であったがな。どうにか生き存えたようだ」
「ふふっ、こんなところで死んで貰っては困るわよ歳三。貴方は私が跪かせると決めているのだから」
「ふっ、変わらぬな」
「私が私である所以ですもの。ところで、私が此所にいる理由は知りたいと思わない?」

 不敵に笑みを浮かべる華琳。

「無論聞かせて貰いたいところだな」
「素直ね。少しぐらいなら駆け引きをしてくれてもいいのだけれど?」
「残念だが、今は時が惜しいのでな」
「そうね」

 と、華琳は黄河に眼を向ける。
 我が軍は既に上陸を開始していた。

「動きに無駄がないわね。混成軍とは思えないわ」
「ほう。あの曹孟徳から褒められるとは、我が軍も相当なものだな」
「茶化しても無駄よ、歳三。貴方の指揮が、統率力が為せる業じゃない」
「いや、それだけ月の手腕が優れているという事の裏返しであろう」
「ふふ。それならその父親になっている貴方は、更に優れているという証ね。そう思わない、銀花(荀攸)?」

 傍らに控える荀攸が、華琳の言葉に首肯する。

「はい、華琳様が仰せの通りかと。先の戦い、勝利を得たのも当然でしょう」
「随分と買い被られたものだな。私は然したる事はしておらぬぞ?」
「それはご謙遜というもの。私は土方様のお働きを相応に評価したつもりですよ。叔母はそうではないようですが」
「桂花は仕方ないわ。あの娘、男というだけで問答無用で見下すんですもの」

 苦笑する華琳。

「それで華琳。此所に来た理由だが」
「ああ、そうだったわね」

 華琳は表情を改めた。

「歳三、審栄という名前に覚えはないかしら?」
「審栄?」

 脳裏に今まで出会った者を浮かべるが、思い当たらぬ。

「禀、どうか?」
「はい。申し訳ありません、私も心当たりがありません」

 そんな我らを、華琳と荀攸は興味深げに見ている。

「どうやら、本当に知らないようね?」
「うむ」
「銀花」
「はい。土方様、審配という人物ならご存じでしょう」
「審配か、無論だ」

 忘れもせぬ、私が郡太守として乗り込んだ魏郡で成敗した一人だ。
 む、審栄とは……。

「歳三様」

 禀も気づいたようで、顔が青ざめている。

「む。荀攸、審栄なる者、審配所縁……いや、一族の者だな?」
「そうです。一族と申しますか、実子ですが」

 あの時は、一族郎党を全て処刑せよという強硬な意見も確かにあった。
 だが、私にはそこまでの権限はなかった。
 そもそも、如何に不正を働いたとは申せ官吏を一存で処断する事自体が越権行為なのだ。
 それ故、罪状を記した上で朝廷に奏上するのが関の山。
 結果、三名は檻に入れた状態で洛陽に移送するよう命が下った。
 その後の消息は聞かぬが、あの混乱の最中で生き存えたとも思えぬ。

「審栄なる者、土方様を恨みに思い機を窺っていたようです」
「……ふむ」
「ですが手を出そうにも周囲の警戒は常に厳重で事を起こせずにいたようです」
「だが、私の方から審栄には地の利がある冀州へと近づいた。そこを狙ったという訳か」
「その通りです」

 よもや、あの時の逆恨みが真相だったとはな。

「歳三が、最初からエン州を通るならば起こり得なかったでしょうね。でも、貴方は審栄に手を出す機会を与えてしまったわ」
「…………」

 返す言葉もない。

「敵同士となった私に気を許せなかったのかしら? そうだとしたら、随分と私も小さく見られたものね」
「いや、それはない。だが、要らぬ気を回し過ぎた結果だ、言い訳はせぬ」
「そうね。貴方らしくない、とだけ言っておきましょう。私の認めた歳三はそんな矮小じゃないもの」

 些かでも侮って欲しかったのだが、華琳相手にはそれは叶わぬようだ。

「ところで曹操殿」
「何かしら、郭嘉?」
「はい。まだ、曹操殿御自身が此所におられる理由を伺っていません」
「ああ、そうだったわね」

 華琳はジッと禀を見据えた。

「結論から言うと、偶然の産物よ。紫雲から不穏な動きは知らされたけど、その時此所に一番早く駆けつけられるのが私の隊だったというだけよ」
「見たところ、巡検の最中だったようですが?」
「ええ、そうよ。秋蘭や春蘭が近くにいれば、この場にいたのは私ではなかった。それだけの事よ」
「なるほど」

 禀は、眼鏡を持ち上げた。

「では、仮に曹操殿と他の隊が同程度の距離にあった場合……どうなさいましたか?」
「そうね」

 華琳は少し考えてから、

「効率の良い方を選んだかも知れないし、歳三と話がしたくて私が出張ったかも知れないわね」
「何とも酔狂な州牧殿だな」
「あら、貴方には言われたくないわ。そう思わないかしら、流琉?」
「え? え、えっと……」

 いきなり話を振られた流琉は、困惑気味に私と華琳を交互に見た。

「華琳様。話は尽きないと思いますが」
「そうね、銀花」

 今一度、華琳は私を見据えた。

「徐州へ向かうのでしょう? エン州の通過は認めましょう」
「良いのか?」
「認めないと言ったらどうするの?」
「そうだな。お前を人質に取るのも一興か」
「あら、随分と乱暴な手を使うのね。本心かしら?」

 そう言いながらも、華琳は愉快げだ。

「さて、どうであろうな。全軍で匪賊となるやも知れぬぞ?」
「うふふ、それはそれで興味深いわ。貴方が首領なら、黄巾党とは比較にならないぐらい手応えがあるわ」

 一瞬、そうなったであろう姿を思い浮かべる。
 ……私だけならまだしも、月には全く似合わぬな。

「華琳。対価は何か?」
「……歳三。貴方だと言ったら?」
「断る、としか言えぬな」
「でしょうね。あっさり同意するようなら、とても対価としては受け取れないもの」

 形ばかりの屈服を見せたところで、華琳は満足すまい。
 それが、曹操という人物たる所以だからな。

「それならば、対価は一つ。それから、私からのお願いが一つという事でどうかしら?」
「聞こう」
「対価は、以前の借りを返すという事でどう?」
「父御の件か」
「そうよ。私は借りを作ったままでは気が済まないの。例え、公私混同と言われようとね」
「……良かろう、私には異存はない」
「では、交渉成立ね。貴方の軍だから杞憂かも知れないけど、麦一粒でも奪ったりしたらこの話はなしよ?」
「うむ、徹底させるとする」
「ええ。それからお願いの方だけど」



「……以上だ」

 一旦皆の所に戻り、華琳との接見について話した。

「ひとまず、通過の許可が得られたのは何よりですね」
「そうね。進退窮まる事だけはなくなったわ」

 胸を撫で下ろす月の隣で、詠は難しい顔つきをしている。

「兎に角、徐州に入る事が第一だ。霞と彩は先行せよ、指揮は朱里が執れ」
「はわわ、わ、私がですか?」
「そうだ。この中で誰よりも徐州に通じているのはお前だ」

 暫し逡巡の色を見せていた朱里だが、ややあって顔を上げた。

「……わかりました。頑張りましゅ!……あう」
「にゃはは、カミカミじゃ説得力がないのだ」
「ほな、ウチらは早速準備やな」
「うむ。殿、先に徐州でお待ちしております」

 我が軍の中で、二人が率いる隊は機動力において群を抜いている。

「歳三様。陳留に同道する者は如何致しましょう?」
「うむ」

 ジッと、皆が私の言葉に聞き入ろうとする。
 華琳には他意などないであろう、本来は私一人でも構わぬぐらいだ。
 だが、皆はそうは行くまい。

「兵は二十名ほどでよい。大袈裟にすれば華琳の手を煩わせよう」
「御意。では、選抜は私の方で」
「頼む。……他には、雛里と鈴々に供を頼む」
「あわわ、わ、私ですか?」
「任せろなのだ! お兄ちゃんは鈴々が守るのだ!」

 愛紗らは何か言いたげであったが、私は静かに頭を振った。

「お父様。では残りの兵は私が率いれば宜しいのですね?」
「そうだ、月。皆も頼んだぞ」

 思うところは各々あるであろうが、あまり華琳を待たせる訳にもいかぬ。

「それから風。念のため、冀州の情勢も調べておけ」
「御意ー。審栄さんの行方を捜せば良いのですねー?」
「それもある。麗羽にも内々に助力を仰がねばなるまいが」

 私を仕留め損ねた事は審栄もすぐに知るところとなろう。
 華琳の勢力内で事を起こす事は叶わぬであろうが、油断はならぬ。

「雛里ちゃん。大丈夫?」
「う、うん。朱里ちゃんこそ、大役だよね?」

 頷き合う二人。
 常に寄り添ってきたからこそ、不安が顔に滲み出ている。
 だが、いつまでもそうしている事は二人の為にはならぬ事。
 それ故、朱里には大任を与える一方で雛里を連れて行く事とした。
 あの諸葛亮と鳳統なのだ、期待に背く事はなかろう。
 雛里とて、ただ単に陳留見物をするだけとは思ってはいまい。

「言っておくが鈴々。物見遊山ではないのだぞ?」
「わかっているのだ、愛紗。愛紗は心配性なのだ」
「お前がもっと自覚を持てばこのような事は言わん!」

 ……この二人が変わる事はまずあり得ぬのかも知れぬ。

「歳三様。まるで実の父親みたいなお顔ですよ?」
「む」

 知らず知らずのうちに、苦笑を浮かべていたようだ。
 紫苑のみならず、朱里や雛里らまで私を見て微笑んでいる。
 これでは威厳も何もあったものではないな、全く。
 態と苦虫を噛み潰したような顔をしたが、今更だったやも知れぬな。 
 

 
後書き
言い訳しようもありません、お待たせしてしまい本当に申し訳ありません。
仕事の方は少し落ち着いてきましたので、今度はここまで空けずに更新できる……筈です。

なお、某横鎮にこっそり棲息していますが遅くなったのはそれが原因じゃないです多分。 
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