相棒は妹
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志乃「兄貴、情けないよ」
かくして、俺は歌う事になった。……何のためにだかは分からないけど。ピアノの引き立て役って、どういう事だ?
とりあえず家に帰ろう。もう家は見えてるんだしな。
そう思って俺が志乃に声を掛けようとした時、
「ちょっといいかね?」
と見知らぬおっちゃんに声を掛けられた。
そのおっちゃんには特徴があった。
まず、ライト。この人俺にライトかざしてる。割と眩しいんだけど。
そして、服装。これが一番難点だ。
なにせ、このおっちゃん警察の制服着てるんだもん。
「……あの、何か御用でしょうか?」
恐る恐る尋ねる。その時、半ば結論は見えていた。それは確かに自分が悪いのかもしれない。だが、妹も妹だ。これについては否定させたくない。
当の妹はと言えば、ヘッドフォンを耳に当てて曲を聴いているのだが。おい、こんな非常事態に何やってんだよ。つか、いつの間に用意した?知らないフリすんなよ悲しくなるわ。
おっちゃんはこちらを訝しげに見据え、やがて俺を警戒するような声で呟いた。
「警察です。少し、お話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
……やっぱりか。
あぁ分かってたよ!こうなる事は!俺がバカでしたすいませんでした!
でも俺だけの責任じゃあない!これは志乃にだって問題がある筈だ。そこについてはちゃんと弁解してやる。
とりあえず、一から説明すると……
今は夕時。夏といえ陽が沈む頃だから、人は昼と比べて多くなくなる。つまり、俺らのいる住宅街の道路も通行している人間は少なくなる。ちなみに今は俺と志乃だけだった。
次に、俺達の服装。これが一番問題かもしれない。
まず俺は、花粉症故にマスクを装備。そして外に出る時は必ず着用する黒のジャージだ。そして志乃は、中学校の頃の体操服を常に着て歩いている。それ以外の服装に着替えるのは制服やパジャマぐらいのものだ。
最後に、俺達の位置。
おっちゃん側から見て俺と志乃の位置は、俺が車寄りの外側で志乃が住宅街のフェンス側。しかも、俺は志乃の方に向いて自虐的に笑っていたし、こいつは俺に涙目で平手打ちしてきた。まぁ、後ろを向いた時泣いてたっぽいが。
これで、全ての素材が整う。後はそれらがもたらした結論だけだ。
そう、つまり……。
「俺、不審者扱いされてますよね?」
黒ジャージでマスク姿の怪しい男が体操服姿の女子に近寄っている。
それが警官服のおっちゃんから見た俺達の光景だったわけだ。
俺の言葉に、おっちゃんが呆れた顔をしながら話す。
「なんで疑問形なんだ、君。そんな姿でこの時間。人気も少なくなってる時に女の子を狙ってたんだろう。少しご同行願おうか」
「ちょっと待って下さい!そりゃいくらなんでもおかしい!俺とこいつは兄妹です!」
「……妹に手を出そうとしていたのか。それなら余計来てもらわなくてはならんな」
やべぇ、このおっちゃんから怒気みたいなもんが溢れてる……。刺激させちまったか?
「そんなわけないでしょう!俺はいつも黒のジャージを着てて、花粉症だからマスク付けてて……妹は普段着が体操服なんです!それで、今はこいつに人生の摂理というか倫理というかを教えてもらってて……」
「……君は本当に兄なのかい?」
しまった!変な事まで話し過ぎた!これじゃあ余計に変に思われちまう!
「兄貴、情けないよ」
その時、ヘッドフォンを耳に付けて他人のフリを決めていた志乃がそんな事を呟く。ちょ、聞こえてんのかよ。
おっちゃんはまだ俺達を見比べている。その視線に警戒の色が薄れる気配は無く、
「とにかく、一度来てもらうよ。家族に連絡を取るのはあっちで良いから」
「ちょっと待って!何で信じてくれないんですか!しかも、俺達の家すぐそこなんですけど!」
俺が指さすところには、実際に我が家がある。そう、本当に家は近かったのだ。こんな事なら家で話せば良かった。少し後悔する。
「そこの嬢ちゃん。この少年が言っている事は本当かい?」
おっちゃんが俺から志乃に方向を転換。よし、後はこいつが普通に話してくれれば家に
「兄貴はちょっと可哀想な人なんで」
帰れるかこれ!?なんか意味不明な言葉が返ってきたぞ?何故に俺の事を話した?ここで言うべきなのは真実か嘘かじゃないの?
「なるほど、欲求不満、か」
何納得してんのおっさん!しかも訳知り顔で!腹立つなおい!
「違いますって!俺とこいつはカラオケに行って帰り途中だっただけで……」
俺はもう必死だった。こんなところで補導歴が付くなんて御免だ。ただでさえ一度学校を退学した身だ。これ以上目を付けられたりするのは本当に好ましくない。……俺がこんな怪しげな服を着てうろついてるのが原因なんだけどな。
俺の必死な弁解が通じたのか、おっちゃんは溜息を吐きながらもう一度志乃に問う。
「本当に、君達は兄妹で何もしていないんだね?」
「兄貴はタダの兄貴なんで」
志乃はおっちゃんの目すら見ずに訳の分からない事を言う。
そこで、おっちゃんは諦めたという風にもう一度深く溜息を吐き、
「分かった。今回の事は不問にするから早く家に帰りなさい。あまり変な格好でうろついたらダメだよ」
「すいません、ご迷惑をお掛けしてしまって」
俺が深々と頭を下げ、志乃もそれに習って曲を聴きながら少しお辞儀をする。こいつ、さっきと全然違うぞ。
そんな俺達を見ながら、おっちゃんは最後にこう言い残して逆方向に歩き出した。
「まぁ、変に目立とうとするようなチンピラよりはマシだけどね」
*****
夕方の一件から数時間。俺は自室のベッドに寝転がり、この先の事について考えていた。
もう少しで四月。俺は一つ下の学年からまた高校をやり直す。それがどれだけ辛くてしんどい事なのかは分かっていた。けど、これだけはどうしようもなかった。全部、俺がいけないんだから。
俺は現実を受け入れなくてはならない。他の剣道部員から逃げた現実を、受け止めなければならない。
もう逃げるなんて事は許されないんだ。俺は前を向かなくちゃいけないんだ。
俺が行く学校は近所の公立校で、部活も学力も平均程度の影の薄い学校だ。
だが、二年生には俺の知り合いが少なからずいる。けど、逃げちゃいけない。それらを全部背負わなくちゃならない。
それらを確認して、俺は瞼を閉じた。
そこに広がるのは無限の暗闇。きっと俺の心もそんな感じなのだろう。
……つい数時間前までは。
今の俺にはやりたい事がある。
それは他人から見れば下らないものなのかもしれない。これについて本気で勉強してる奴らには、「舐めてる」と言われても仕方ないかもしれない。
けど、俺は文句を言わせない。これが俺のしたい事なんだから。
歌を上手くなりたい。そして、志乃が思い描いている絵を完成させたい。
そのためには、俺が完成した下書きに絵を入れなきゃいけない。
あいつはピアノの実力者だ。もう下書きは完成してると言ってもいい。
だから、俺はその絵に色を付ける。歌声という色を付ける。
それこそが、志乃の希望なら。俺の楽しみなら。
いくらだってやってやるさ。
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