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相棒は妹

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志乃「飯」

 もう三月の下旬。もう少しすれば四月に入って、皆新しい環境に就く事になる。

 今年成人を迎え、四月から新入社員として働く者、そうした後輩を迎え入れる社員。新しい学校、新しいクラス、新たな出会い……。

 正直言おう。クッッッソ嫌だ。

 俺は四月を快く迎え入れられる自信が無い。きっと絶望して家に閉じこもる事だろう。そんな予感がしてならない。

 退学した時期が時期なだけに、俺は一つ年下の代の高校入試を受ける事になった。転校が簡単に出来る程甘くは無いのだ。

 俺は近所にある公立校を受ける事にした。あまり選べるような余裕は無かったし、早く帰りたいという気持ちもあったからだ。少しでも家にいたいという感情が強かった。

 当然、その学校には俺の知り合いもいる。あまりにも近すぎるという事で選ぶ人間は毎回少ないらしいが、それでもいる事にはいるという。その中に、俺の幼馴染が二人いる事も俺は知っている。

 そのため、知り合いを見ても見ぬフリをする覚悟はあったし、そいつらにはプライベートで説明する気だった。学校では話しかけるな、と。

 だが、俺は一番重要な点を見逃していた。

 それは、これから自分が入学するにあたっての同学年についてだ。

 一番考えなければならない事について、俺は完全に見落としていた。これから自分が共に過ごす仲間は、自分の一つ年下だという事を。

 当然、後輩にも知り合いはいる。それに、俺は剣道部の部長をやっていたのだ、学校でも名前ぐらいは知られている筈だ。

 この時、俺はショックのあまり夜飯を食わなかった。何故その事についてもっと悩まなかったのか。そもそも、何故自分は悩む事すら感じなかったのか。言いたい事がありすぎた。

 ちなみに、第一志望の近所の高校には合格している。偏差値は中程度。その辺の心配はしていなかった。

 そして、俺は合格通知が来た時に知ったのだが――

 俺は、どうやら妹と同じ学校に通うらしい。

 俺の通知の下に同じような書類があった。やけに似てるなーとか思いながら見たら、妹の合格通知だった。

 退学する前も後も妹との関係は変わらなかった。挨拶を週に三回程交わすぐらいで、それ以外の繋がりは無い。飯を食う時ぐらいしか顔を合わせなかった。

 故に、妹に進路の事を聞くなどという事は一切無かったし、考えすら浮かばなかった。

 こうして、俺は春から妹と同じ高校に通うわけだが、もう死にたい。このまま好きな事だけやって気持ちよく死にたい。

 確かに、人生に絶望した。だから問題を起こして退学処分を受けた。こうして高校をもう一度やり直すのは悲劇などでは無い。代償だ。

 俺はこの事について批判を申し立てる立場には絶対に無いし、これ以上問題を起こすのも止めたい。俺は入学前から教師陣から目を付けられていると言っても過言では無いからだ。

 そう割り切って試験には臨んだ。きっと何とかなると思っていた。けれど、やっぱりダメだった。もう少しで四月に入るが、ここで俺の頭は絶望に塗り固められていた。

 今でさえ俺は苦しい。感覚的なものだが、俺はこうして生きている事が苦しく思う。

 だからこそ、俺は自らを励まそうとする。危険に立ち向かう時だからこその治療薬だ。


 「俺は歌う。それこそが生きる理由だ」


 自分にそう言い聞かせ、無理に納得する。それこそが萎えた心を癒す方法だ。これ以外に思い浮かぶものが無い。

 あるとすれば、今の状態だろうか。

 俺は今、幼馴染の一人とカラオケに来ている。こうしてカラオケで思いきり歌う事でストレスを解消出来るかもしれない。カラオケを舐めてはいけない。これは終わった後にすっきりさせる効果があるのだ。


 「おい伊月。次お前の番だぞ」


 幼馴染の三村健一郎がカラオケ機器を弄りながらそう言ってくる。こいつとはよくカラオケに行く。野球部所属の坊主で、普段は休みなど無いのだが。

 こいつは、俺から言わせれば『出来る』人間だ。負け惜しみとかじゃない。本当にそう思っている。

 俺が剣道を始めた一年後に、健一郎は野球を始めた。その頃からこいつは野球としての才覚を芽生え始め、半年程で少年野球チームのレギュラー入りしていた。

 それから中学校に入っても常に活躍する存在として知られ、何件か推薦も来ていた。だが、こいつは地元の県立校に入り、野球部部員として精を出している。四月からの俺からすれば同じ学校の先輩になるわけだ。

 俺がマイクを持ち、曲が流れてきて歌いだす。いつもながら、健一郎は俺が歌う時いつもリズムに乗っている。知らない曲を歌おうが互いに知っている曲を歌おうが、必ず楽しそうにリズムに合わせて足や指を動かしている。今だってそうだ。足でリズムよくタイルを打っている。


 「お前が後輩かー」


 曲を歌え終えて、予約曲の無くなったカラオケボックスに健一郎の声が吐き出される。

 俺は自虐的な笑みを浮かべる。


 「俺をコキ使ってもいいってわけだ」


 「んなバカなことしねぇよ。ただ、惜しいなーって思った」


 「惜しい?」


 俺が純粋に疑問を返すと、健一郎が俺の顔を見ながら苦笑する。


 「だって伊月、剣道あんだけ頑張ってたじゃん」

 ……その言葉に、イラッと来た。

 こいつが悪いわけでは無い。ただ、同じような事を退学直後にいろんな人に言われてきたのだ。

 葉山伊月は剣道が上手い。かれこれ九、十年やっている。いつも真剣に取り組んでいる。こんなところで辞めるのはもったいない。

 家族はもちろん、俺の事情を良く知る健一郎を始めとした友達にも言われた。そして、俺はその度にこう返す。

 俺は逃げたんだから、そんなに良いように見ないでくれ、ってね。

 だから、今の健一郎に対してもあくまで冷静な態度で同じ台詞を口にする。


 「俺は剣道から逃げたんだ。そんなに大層な事じゃない。俺はいつまでも下手くそだしな」


 「本当にそう思ってるのか?」


 俺の言葉にすかさずそう返してくる。何が言いたいんだ?

 俺の疑問を解くように、眼前の坊主はさらっと言う。

 「お前は、自分が剣道を出来るって思ってたんじゃないのか?」

 「……」

 俺は健一郎の顔を見据える。こいつは無表情で、俺に問いかける。こいつはさばさばしていて思った事を素直に言うタイプだから、今の問いも純粋にそう感じたのだろう。

 だから俺は笑いながらその疑問を否定する。


 「そりゃ無いな。俺がなかなか到達しないのを見てきたろ?俺はお前と違って才能の無い人間だ」


 「じゃあ聞くが、何で今まで続けてきたんだ?」


 その問いに、俺の口が動きを止めた。

 何で俺は剣道を続けたんだ?上達が遅くて、後輩にバカにされて、監督に呆れられたりしたのに。小学校で辞める筈だったのに。剣道しか道が無かったから?他にやる事が無かったから?分からない。自分の事なのに、分からない。


 「お前はきっと、心のどこかで剣道が好きだった筈だ。じゃなきゃ、中学に入った時にお前は剣道をやっていなかった」


 健一郎が俺にそう言ってくる。実際、そうなのかもしれない。初めて試合で勝った時の達成感は今でも覚えている。初勝利を収めた時、皆が笑顔をくれた。俺は本当に嬉しかった。


 「俺は……負けてばっかりだった。だから剣道は嫌いなものだと思ってた。でも違った。小学校卒業間際に監督に言われた。『お前は中学から伸びる』って。だから……もうちょっとやってみようと思ったんだ」


 気付いたら俺は言葉を見つけ出していた。すっかり無意識だったが、それは確かな記憶がもたらす本音だった。


 「それで、監督の予想は当たった。俺は中学に入ってどんどん上達していった。強敵とぶつかった時の楽しさを覚えた」


 だけど。

 だけど、それは違うんだ。


 「俺は勝手に一人で盛り上がってただけだったんだ」

 「……」


 「道場の同期は皆私立中学校に入って剣道をやってた。俺は近所の中学校で剣道をやってた。ああくそ、この時点で一人遊びだったんじゃん」


 経験者が初心者相手に勝利に浸って、調子に乗っていた。それが強敵と戦う踏ん張りになったといえば聞こえは良いが、やっている事は幼児以下だ。


 「だから自然に俺は『自分が強い』と思っちまった。道場の記憶なんか放り出して。今の事だけを考えてた。俺は自分に酔ってたんだ」


 「……今更お前の過去を掘り返すつもりは無いけどさ。ケジメついてないんなら今が最後だぞ」


 健一郎が優しめに言ってくる。だがその言葉は果てしなく現実だった。

 そして、それを機に俺はカラオケボックスという小さい箱の中で吠え続ける事になる。

 *****

 それから約三十分後、俺達はカラオケ店から退出した。もう歌うような気になれなかったのだ。

 「……その、ありがとう」

 「いや、気にすんな。まぁ、こういうのはいつでも付き合ってやっから」

 カラオケで歌う以上に声を張り上げて喉がゴロゴロする。帰ったらちゃんとうがいしないと。喉は大切にな。

 今日はあまり歌えなかったけど、すっきりしたな。俺、やっぱ溜めこんでたんだな。健一郎には感謝だな。


 「なんか帰りに食わね?俺奢るぞ」


 「マジで?伊月がそんな事言うなんて初めてじゃね?」


 「うっせぇ」


 そう言って俺達は近くのラーメン屋で飯を食った。こりゃ、夕飯食えないかも。

 やっぱり、俺はまだ過去をひきずっていた。

 道場での屈辱、反動して中学での歓喜。自分は強いという勘違い。結果、俺は本格的な剣道を決意した。

 でも、そこで俺は知った。この世は不平等の塊であると。そして、俺はやはり『無能』なのだと。

 全て自業自得だった。そう思う度に、俺は今までの人生が無駄にしか感じられなくなる。

 だから俺は言う。

 それがどうした、と。

 『無力』で何が悪い。弱くて何が悪い。俺はここにいる。死んでなんかいない。

 この挫折が俺を強くさせるのか、それは分からない。けれど、こんなところで人生を諦めてはならないというのは事実だ。

 俺が始め、俺が終結させた曲がりくねった道。確かにそれは誰もが見ても一笑に付されるものなのだろう。

 だが、そこから学んだものが確かにあるという事まで笑われたくは無い。

 こんな俺でも、少しは強くなれたと心の底から思いたい。

 帰りにラーメンを食べて、俺は健一郎と別れた。とは言っても家はすぐ近所なんだけどな。

 家に着いた時はもう十八時を回っていた。やべ、腹が重い。

 「ただいまー」

 俺が玄関に上がってリビングにのんびり歩いて行くと、そこには妹が一人ポツンとテレビを見ていた。……って、あれ?


 「志乃……母さんは?」


 「……」

 無視かよ!もしかして怒ってらっしゃる?

 あー超めんどくせぇなこれ。こうなるとご機嫌取り戻すまで時間掛かるな。つか、マジで母さんどうした?ばあちゃんも父さんもいないし。


 「……兄貴」


 その時、テレビに目を向けている妹が俺を指名した。声がどことなく低い。こりゃ本当に機嫌悪いぞ。


 「悪い志乃。遅くなっちゃって。てっきり母さんいるのかと思ってさ」


 「私と兄貴以外は皆今日から明後日まで旅行って言ってたじゃん」

 ……え?

 俺の中の思考が停止する。今こいつ何て言った?めっちゃサラッと言ってくれたよな?

 「それ、マジ?」

 「兄貴、飯」

 「話の段取り変えんな!飯は作るから!」

 「飯作ったら教える」


 この野郎……!俺をバカにしやがって……!

 仕方ないので俺は台所に向かい、夕食の準備を開始した。

 つっても、俺自身は腹なんて一切空いてないんだけどな。 
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