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三年目の花

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3部分:第三章


第三章

「こっからが肝心や」
 野村は冷静な声で呟いた。
 ヤクルトの中継ぎ、抑えは弱い。だが阪神には多彩な変化球を誇る左のサイドスロー田村勤が抑えとしていた。一度逆転されると攻略するのは困難だ。しかし阪神ファンは既にその怒りに火を点けていた。
「また神宮で負けるんかい!」
「何回ここで負けたら気が済むんじゃ!」
 早速罵声が飛んでいる。とにかくヤクルトにはいつもの様に惨敗していた。甲子園でも神宮でも同じだ。どっちにしろ負けるのは気分が悪い。
 野村の危惧は不幸にして的中した。九回の土壇場で同点に追いつかれてしまうのだ。好機到来と見た阪神の監督中村勝広は動いた。
「代走、亀山」
 ここで亀山の名を告げたのだ。
「亀山!?」
「誰やそれは」
 見れば一塁に見知らぬ眼鏡の選手がいる。三塁側の阪神ファン達も首を傾げている。
「おい、あいつは誰や」
 野村が側にいるコーチ達に尋ねる。
「ええと」
 問われたコーチの一人が阪神のデータを調べる。そしてようやくその名前を発見した。
「若手の外野手ですね。今年から二軍に上がって来ました」
「今年からか」
「はい。どうやら足は速い様ですね」
 そのコーチはデータを見ながら野村に言った。
「あいつの武器は足か」
「そうみたいですね。その他はこれといって詳しいデータは」
「ふむ」
 野村はそこまで聞いて頷いた。
「どんな奴かはこれからわかる、ちゅうことやな。まあ今は様子見や」
「はい」
 野村はグラウンドに顔を戻した。そしてサインを出す。一応亀山の足に警戒するようナインには伝えた。
 続くバッターは八木裕である。彼のヒットで亀山は二塁に進む。そして問題は次の彼のとった行動であった。
 ベテラン真弓明信がレフト前に打つ。ここで彼は三塁を回った。
「回るか!」
 野村はそれを見て思わず声をあげた。レフト前だ。捕殺される可能性は高い。
 荒井はボールを上手く処理した。そしてホームへ送球する。だが亀山の足はそれよりも速かった。
「何ちゅう速さや!」
 それを見た三塁側スタンドが興奮の坩堝に覆われる。ホームでは古田が完全な防衛体制を整え彼の突入に備えていた。だが亀山はそれにも関わらず敢然と突撃する。
 ボールが返る。だが亀山はホームに突入していた。微妙な状況であった。
「アウト!」
 判定は亀山にも阪神にも不本意なものであった。一塁側は歓喜したが三塁側は声を失った。しかし一人声を失っていない男がいた。
「何でこれがアウトなんじゃ!」
 何と当の亀山本人が昂然と審判に対して詰め寄ったのである。一見大人しそうな外見であったがそれは外見だけのことであった。
 その思いもよらぬ行動にファンは一瞬呆然となった。だが彼等は日本一熱狂的な阪神ファンである。火が点くのは実に早かった。
「そうやそうや!」
 すぐに亀山に同調しだした。
「亀山、もっと言うたらんかい!」
「あれは絶対にセーフや!」
「審判、われどこに目をつけとるんじゃ!」
 彼等は口々にブーイングをする。どの国のサポーターよりも激しかった。
 中村も出て来た。監督としての役職上彼を止めざるを得なかった。
「それ位にしとけや」
「けれど監督」
「ええから。御前の気持ちはよおわかった」
 中村は陰気かつ人に好かれない人柄で知られている。そして選手たちにも当然ながら好かれているとはいえなかった。その彼に言われると亀山も黙らざるを得ない。
「わかりました」
「よし、じゃあそれを次に向けてくれ。ええな」
「はい」
 こうして亀山はベンチに下がった。だが彼の抗議はそれで終わりではなかった。 
 その瞬間から阪神ナインの目の色が変わった。彼等は忘れていたものを思い出したのだ。
「今日は負けやな」
 野村は三塁ベンチを見て呟いた。
「しかも今日だけやないな。今年の阪神はひょっとしたら巨人よりも厄介な相手になるかも知れへんな」
 彼の予想は当たった。試合は延長戦になり阪神は見事三点をもぎ取った。その中には亀山のヒットもあった。
「おい、勝ったで!」
「亀山、出て来い!」
 三塁側はお祭り騒ぎであった。彼等は意外な勝利をもたらした無名の男の名を叫んでいた。
 これで阪神は勢いに乗った。しかもチームを引っ張ったのは亀山だけではなかった。
 助っ人のトーマス=オマリーにジェームス=パチョレック。二人の助っ人が打線の主軸となる。そして八木もいた。それだけではなかった。
 二十歳のこれまた無名の男新庄剛志。彼が背番号がライトスタンドからも見える程の派手なスイングで初打席でホームランを出す。彼は足も肩も一流であった。守備も恐ろしいものであった。
「何だ、あいつの身体能力は」
「これはまた凄い奴がおったもんや」
 阪神ファンにとっての嬉しい誤算は終わらない。ショートの久慈昭嘉、キャッチャーの山田勝彦。若き虎の戦士達が打線を作り上げていた。そこに投手陣が上手く噛み合った。
 左の仲田幸司、右の中込伸。左右のエースに加えて技巧派の湯舟敏郎、バランスのとれたエースナンバーの野田浩司。猪俣と山田、葛西稔もいた。投手陣はヤクルトよりも上であった。これが阪神の強みとなった。安定した投手陣がここで獅子奮迅の働きをしたのだ。
 
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